102 チルっちゃった!?記録師の現れた夜!?
キュリシア中央の高原地帯。
湖と水路が都市を縦横にめぐり、地熱と湧水に温められた街は、ほのかな蒸気をまとって輝いていた。
水面はまるで鏡。朝と夕には光景が二重に重なり、「幻の沼都」と呼ばれるタマルナならではの景色をつくり出す。
その中心にそびえ立つのが――アクア・スパイラル。
螺旋状の研究塔で、科学者と巫女、そして水を愛する芸術家たちが夜通し語り合う場所だ。塔を囲む研究区・芸術区・居住区は細い橋と水路で有機的につながれ、夜には灯りが揺らぎ、街全体が別世界の顔を見せる。
「……わあ!きれいだ!」思わず僕は息をのんだ。
「やっぱり地下より地上がいい!サイコー!」初めて訪れたミラソムの景色に、胸が高鳴った。
「うんうん、そうだろ?」とミラさんが微笑む。
「ここは“知恵の沼都”。第二のアオハって呼ばれることもあるらしいよ」
「え、第二の?」
カゲミがくるんと振り返る。「すごいじゃん!アオハの兄弟都市みたいな感じだ!」
「学者と祈り手が一緒に暮らす街だよ。『水の記憶を再現する装置』の研究も進んでる。巫女たちはその共同研究のために派遣されてるんだって」
「へぇ……科学と祈りが同じ場所で?」
僕は思わず空を見上げる。蒸気に光が溶け、塔の輪郭がゆらりと滲んでいた。
「倫理的な議論もあるみたいだけどね。でも、巫女さんたちは“水の力を信じる”って立場で来てるらしいよ」
ミラは肩をすくめつつ、優しく言った。
「この街、案外あったかいよ。冷たい未来都市って感じじゃない」
「まずは、腹ごしらえだな。協会は明日にしよう」
タリクの合図で、僕たちは蒸気の街の夜へ歩み出した。
ラボチルへ続く細い石畳の路地は、夜の帳が降りてもかすかに青い光を宿していた。水路の奥から静かな水音が響き、まるで街そのものがゆっくり脈打っているようだ。
ふわりと、焙煎豆の香ばしさと澄んだ湧水の匂いが混じった空気が漂う。その先にある灯りが揺れ、路地をやさしく照らしていた。
「ここが……ラボチル?」
僕は小さくつぶやく。
湿った蒸気が淡く光をまとい、店先に吊られた風鈴がゆらりと揺れる。
夜更けでも明かりが消えないカフェ。研究者や冒険者がひっそり集う場所だ。扉の上には、水滴の形をしたランプが縦に3つ。その光が水面に反射し、小さな螺旋模様を描いていた。
扉の向こうからは、低いざわめきが聞こえた。ギルド帰りの冒険者、帰宅前の研究者たちが湯気の中で語り合っている。
「じゃ、入ろっか」
そっと手を伸ばし、扉を押した。
――ちりん。
澄んだ鈴の音とともに、あたたかい蒸気と、湧水の冷たい香り、焙煎豆の甘い匂いが一気に押し寄せた。
「いらっしゃいませ。……あら、旅の方ですね?お連れの方は記録師さんでしたね」
淡い青の装束をまとった巫女が奥から現れる。
水紋亭と同じ流紋を首元に飾りながらも、装飾はより繊細で、まるで“水の記憶”を纏っているかのようだった。
「三名様はラボチルは初めてですね?」と彼女。
穏やかに微笑んだ瞳が、どこか研究者のような鋭さも帯びている。
「はい。僕たちも、記録師です」
「お招きできて嬉しいわ。どうぞ、お好きな席へ」
その言葉に導かれるように、僕たちはラボチルの夜へと足を踏み入れた。
「ここは、夜の実験と夜の祈りが同時に行われる場所です。――どうぞ、心ゆくまで“水の声”を味わっていってくださいね」
「雰囲気、すごくいいな……」
「いい香りがしてる!開いてる席に行こうぜ!」
カゲミが駆けだそうとした、その瞬間――。
「スンスン……」
「スンスン……!!」
「スンスン……!!!」
鼻を鳴らす音が三つ。
ラボチルの扉の影から、モブ……いや、あの独特の存在感を持つ三人組が、珈琲ではない匂いを嗅ぎあてて飛び出してきた。
「この匂いは……カッパの赤ちゃん!?じゃなくて――」
ぱちん、と水の粒がはじけるような声。そして同時に、三つの顔が輝いた。
「ぼくたちの仲間!セオトだーーー!!!」
「わっ!?みるん、きくん、はなすん!?久しぶり!」
次の瞬間、夜のカフェらしからぬ勢いで、三人が全力で僕にしがみついてきた。みるんは腕に、きくんは背中に、はなすんは足にまとわりつく。え?僕をどうする気!?身動きできないんだが?
「セオトー!!成長してる!匂いでわかった!」
「旅してたんでしょ!?水の流れが変わってたから気づいたよ!」
「ぼくたち、ずっと待ってたんだ!」
大騒ぎする三人に、周囲の研究者たちは「またか……」と言わんばかりに微笑むだけで、誰も咎めなかった。(匂いが成長してるって何だ……あとで聞こう……)
「セオト、こっちこっち!今日のラボチル、すっごくにぎわってるんだ!」
「研究者さんたち、さっき“水脈の揺れ”の話してたよ!」
「はなすんはね、セオトが来る気がしてた!」
「……なんか、ちょっと久しぶりなだけなのに……懐かしいな」
胸がじん、と熱くなる。
巫女が切り盛りするこの夜カフェは、旅の合間の休憩地点のはずなのに、まるで“帰ってきた場所”みたいだ。
タリクが苦笑して肩をすくめる。
「ハハハ!三人衆は相変わらずだな。いなくなったセオトの分も協会の仕事をしてたんだ。多めに見てやれ」
「そうそう。拙たちもいなくなった分も……だ。タリク」
ツバネが腕を組んで睨む。また仲良くケンカが始まった。
カゲミはきょろきょろと店内を見回して、目を輝かせる。
「うわ……!あっち、冒険者が魔導地図ひらいてる!こっちは研究者?楽しそう!」
はなすんが誇らしげに胸を張る。
「ラボチルはね、“夜のほうが本気”なんだよ!」
そう言うと、巫女がカウンターからこちらに気づき、淡い水光のランタン越しに、やさしい微笑みを送ってくれた。
「あっちのカウンター……めっちゃ湧水煎りの香りがする!」
「湧水煎り……?」
初めて聞く言葉に、僕は首をかしげる。
「この街特有の焙煎法よ」
さっきの巫女が、メニューを置きながらささやくように説明した。
「地熱で温めた湧水の蒸気を使って、豆に“水の記憶”を封じ込めるの。少し甘くて、どこか懐かしい味がするんですよ」
「へぇ……!僕、それ一つお願いします!」
「はい。あなたは……」
巫女がカゲミに視線を向ける。
「オレ?えーっと……なんか……キラキラしてるの!」
「……“光うつしのゼリー”ですね」
「それそれ!!」
まさか通じるとは思っていなかったのか、カゲミがめちゃくちゃ誇らしげだ。
僕はというと、メニューの端に描かれた飲み物へ自然と目が吸い寄せられた。
「……‘反射沼のミルクティ’?」
「人気の一杯です」
巫女がそっと声を重ねる。
「都市中央の沼に映った光をイメージして作ったんですよ。心を落ち着かせる作用があって……旅人がよく頼まれます」
「じゃあ、それもください」
「承りました」
巫女が下がっていくと、隣の研究者グループの会話がふと耳に入った。
「……あれ、やっぱり記録師じゃないか?」
「影の流れを追ってるって噂の……」
「今日の観測データと関連してるかもしれん」
ざわ……と小さな興奮がテーブル越しに伝わってくる。
「“影の流れ”って…………セリアン大丈夫かな」
僕が小声で言うと、ミラさんは肩をすくめて笑った。
「この街は“観測の都”。珍しい現象も旅人も、みんな注目されがちなんだ。気にしなくていいよ。むしろ、それだけ歓迎されてるってことさ」
「なるほど……?」
「ほら、窓を見てみなよ」
言われて振り向くと、水路に反射した蒸気の光がゆるく揺れていた。その揺らぎが、まるで僕たちを包み込むようにやわらかい。
「……落ち着きますね」
「うん。旅の夜はこうでなくちゃ」
ちょうどそのとき、巫女が三つの光を乗せたトレイを持って戻ってきた。湯気と香りが重なり合い、テーブルの上に静かに広がった。
「お待たせしました、ごゆっくりどうぞ」
ラボチルの夜が、ゆっくりと始まっていく――。
ミラソムの石畳を歩くたび、後ろから視線が刺さる。
さっきから妙に人がついてくる気がする。
(……気のせいじゃないな。これは、つけられている気配だ)
セリアンはマントの裾を払うふりをして、さりげなく後方を伺った。
――つけてきているのは、三人組の若い町娘だ。目が合うと「ひゃっ」と肩をすくめ、でもすぐまたヒソヒソ声が追いかけてくる。
「……あの、お兄さん……!ちょっとだけ歌ってもらえませんか?」
「影の調べって噂に聞いて……」
「こっち向いて微笑んでほしいだけなんです……!!」
セリアンは一歩だけ後ずさった。
「ごめんね。今は急いでるんだ。影の流れが待ってるからね」
そうやんわり断ると――
「影の……流れ……だって……?」
「やっぱりミステリアス……!!」
「追うわよみんな!!」
「えっ、追うの!?」
セリアンは思わず目を丸くした。
町角を曲がれば、ぱたぱたと複数の足音。影の風を読もうにも、悲鳴が邪魔で集中できない。
「……はぁ。こういう時のための影歩き、かな」
そうつぶやくと、セリアンの足元の影がゆらりと揺れ――すっ と闇へ溶けるように姿を消した。
「きゃあああっ!?消えた!?」
「まさか……影の魔法!?」
「尊……っ!」
遠くの屋根の上に再び現れたセリアンは、そっとため息をついた。
「……やれやれ。影より人間のほうがよっぽど執念深いね」
――つづく?




