100 今頃現れちゃった!?クルヴのスカウト!?
「……ああ、いい子だね」
セリアンはそっと目を伏せ、竪琴から手を離した。足元の影がゆっくり収束し、闇の名残を抱き取るようにまとわりつく。
「セリアン……その淀み……」
思わず声を飲み込むと、セリアンは淡々と頷いた。
「ええ。私の影の“調律”に応じてくれました。抵抗はもうありません」
その言葉は落ち着いていたが、内側には確かな手応えがあった。黒い欠片がふわりと浮かび、セリアンの掌の上へ吸いこまれる。それはもう暴走する闇ではなく――静かな、ひとつの記憶だった。
「原始の淀みは、これで私の歌の一部になります」
そっと片目を閉じると、影が揺れ、闇を撫でるように包みこんだ。
「古の歌として、眠らせてあげます」
その言葉は勝利ではなく、弔いのような優しさを帯びていた。
神殿の空気が澄み、音が戻り、光の粒が舞う。闇は、もうここにはなかった。
セリアンに救い出されたカゲミの影とカルマのもとへ、ふらつくような足取りで近づいてくる魔物がいた。必死に身ぶり手ぶりでカルマに話しかけている。カルマは戸惑いながらも、返事をしている。どうやら通じているような、いないような……そんな妙な空気だ。
「……どこかで見たな、アイツ」
タリクがぽりぽり頭をかきながら、目を細める。
そして、ぱんっと手を叩いた。
「そうだ!崩壊した記録師協会で、オルグの執務机を探してた時の案内してくれたヤツだ!」
その瞬間――
「その魔物は、裏記録師所属の一員だ」
低く落ち着いた声が、残響のように空気を裂いた。黒衣の裾が音もなく揺れる。
現れたのは、闇に溶けるような気配をまとった男――リ・ノートリアのクルヴ。
そして、ツバネの兄にして、影狩り一族最後の生き残り――カナエ。
「……カナエ兄さん!? なんでここに……!」
ツバネの声が裏返る。その瞳は、驚きと、理解できない焦燥で大きく揺れていた。
――どうして今?
セリアンの歌で原始の淀みは鎮まり、カゲミとカルマも助けられた。なぜ“終わった後”に?
問いが胸に渦巻いても、ツバネは喉の奥でつかえて消えた。
カナエは返事をするでもなく、静かに一歩、また一歩と前へ進む。
カルマと“影の案内人”を一瞥する。その眼差しは、長く闇を歩んだ者の深さを湛えていた。
「弟よ、拙はクルヴ。ここから先は、裏記録師の領分だ」
その声は、深い井戸の底から響くように低く、冷たく、神殿全体を震わせた。
「ッッ!?」
ツバネは息を呑む。兄の気配――それは懐かしさより先に、圧倒的な“隔たり”を連れてきた。
黒衣の男クルヴはカルマのほうへ向き直り、その瞳に影を映すように告げた。
「正式にスカウトする。――カルマ、お前を裏記録師へ迎え入れたい」
「……え?」
カルマの小さな肩がびくりと跳ねる。隣にいた僕も、思考ごと凍りついた。
「は……?」
声が裏返ってしまう。意味が追いつかない。
「ま、待って兄者!どういう意味だよ!」
ツバネが感情のままに一歩踏み出した――が。
「ツバネ」
クルヴの声が、刃物のように鋭く空気を切り裂いた。その一言で、ツバネの足が床に縫いとめられたように止まる。
「これは“表”の記録師には決して触れられない領域だ。口を挟むな」
淡々としているのに、拒絶がはっきりと突きつけられていた。兄が弟へ向けるものとは思えないほどの距離と、確信。
ツバネの喉が震える。反論の言葉が浮かんでも、出せなかった。
「裏記録師は、影に堕ちる者ではない。影を受け入れ、その力を扱う者だ。カルマ――お前の影は、それに耐え得る」
ゆっくりと差し伸べられる手。その手は、闇ではなく“選択”を提示していた。
カルマの喉が小さく鳴る。
「ぼ、ぼく……?」
「そうだ。お前には“表”では育てられない力がある。裏でなら、隠さず、削らず、鍛えられる」
闇の中で、クルヴの声だけが妙にまっすぐ響いた。
「選べ、カルマ。影を恐れて生きるか。影を操って誰かを守る道を歩くか」
静寂が、神殿に張りつめる。
そして――カルマの胸が小さく、上下した。
「ぼく……みんなを守りたい。……強くなりたい……です」
クルヴの瞳が、わずかに細められた。
「ならば裏へ来い。その願いは、ここから始まる」
「カルマ。本当に……裏記録師になるの?」
不安は拭えなかった。僕よりちっちゃな子供なのに。カルマは両手を握りしめ、俯いたまま――すぐに顔を上げた。
「……正直、わかんないよ!」
声が震えて、でも無理に笑おうとしている。
「でも……あの子、魔物同士で必死に話そうとしてくれて……なんか、仲良くなれそうだし……」
僕はジェスチャーしている小さな魔物へ視線を向けた。その魔物は、丸い目をきらきらさせながら、カルマに必死で「おいで」と合図している。その仕草があまりに必死で、見ているこっちが胸を締めつけられるほどだった。
「……そっか」
僕はそっと息を吐いた。ほんとうは怖い。裏記録師という道は、どれほど過酷なんだろう。でも――カルマが“自分の意思で選ぼうとしている”ことだけは、尊重したかった。
「つらくなって……やめたくなったら」
カルマの肩に手を置いた。その手は少し震えている。
「ノートリア協会で僕を呼んで。絶対に駆けつけるから」
カルマの胸がふるっと揺れ、唇を噛んだ。
「……うん。セオト兄ちゃん……ありがとう……!」
その声は小さいのに、やけに胸に深く響いた。
カルマは小さな拳をぎゅっと握りしめると、振り返らずに歩き出した。その背中は震えていて、頼りなくて――でも、確かに前へ進んでいた。
誰も追いかけようとはしなかった。追いかければ、あの決意を揺らしてしまうと全員がわかっていたからだ。
黒衣のクルヴが静かに歩を合わせ、影に溶けるように二つの足音が遠ざかっていく。
闇が晴れた神殿に、奇妙な静けさが落ちた。さっきまでの緊張も、喧騒もない。残ったのは――胸の奥を締めつけるような、ぽっかりとした感覚だけ。
「……カルマ、がんばれよ」
ツバネがぽつりと呟く。誰の返事もなかったが、その言葉にみんなが同じ思いを込めていた。
こうして僕たちは、少し大きく見えるカルマの背中を、ただ静かに見送ったのだった。
ここまで読んでくれて、ありがとう。
……なんて言えばいいのかな。こういう節目の言葉って、ちょっと照れるんだ。
だってさ、気づいたら 100話 なんだよ?
最初から流され体質だった僕が、まさかこんなに遠くまで来られるなんて思ってなかった。
カゲミと出会って、再会して、みんなと笑いあって……。
気づいたら、どれもこれも全部 “大事な記録” になってた。
読んでくれるあなたがいてくれたから、僕はここまで来られたんだと思う。
なんか、うまく言えないけど――
ありがとう。ほんとうに。
これからも、僕は僕の歩幅で進んでいくよ。
ちゃんと前を向いて。
影に飲まれず、でも影に背を向けず。
……もし途中で転んじゃったらさ。
また読みに来て、声かけてくれると嬉しいな。
だいじょうぶ。
この先もまだまだ、旅は続くからね。
――セオトより。




