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岩陰の語り部 1

 雲ひとつない、夏の朝だった。

 蝉の声が、山から流れ下って、平地に木霊している。

 故郷の峻厳な山脈に比べると、いくらか穏やかな稜線が眼前に広がっていた。

 麓の平地には、大河が南北に滔々と流れていた。

 この川はきっと故郷に通じているのだろう。


 炊事場で立ったまま粗末な朝餉を食べ終えると、催本(さいもと)は三角兵舎と呼ばれる飯場の脇で、ゴールデンバットに火をつけた。

 兵舎といっても、今度の工事で労働者たちが住むために建てられた、二枚の板を三角に組んだだけの急ごしらえの小屋である。

 周囲には、同じような小屋が八十ばかり、均等にずらりと並んでいた。

 工事は背後に聳える、象山という名の小山に、隧道を掘る大掛かりなものだった。

 軍命令の工事で、陸軍の倉庫になるとも政府機関の疎開先になるとも天皇陛下の防空壕になるともいわれていた。

 催本たち労働者は、ただ言われるがまま仕事をした。

 縦に二十本の隧道を掘り進め、横に三、四本の隧道を繋げた巨大な穴である。

 昨年の秋から始まった工事は、今ではほとんどが完了しており、催本は次の稼ぎ場はどこへ行こうかと思案し始めていた。


 低く唸るような轟音が山間地帯に響き渡ったのは、催本がひとつめの紫煙をゆらりと吐いた直後のことである。


「米軍機だ!」


 一人の男が、南の空を指さして怒鳴った。

 催本は手差しをしながら、その方角へ目を向ける。

 十機ばかりの編隊を組んだ戦闘機が、朝日を反射させて、こちら目掛けて降下してきていた。

 その影の群が、みるみる大きくなる。

 騒音を聞きつけた労働者たちが、飯場から次々と出てくる。


「……万歳」


 誰かが、ぼそりと呟いた。


「……万歳」


 他の者も、つられるように呟いた。

 催本は、男たちが口にした言葉の意味が、すぐには理解できなかった。


「……万歳! 万歳! 万歳‼」


 次の瞬間、飯場から飛び出してきた男たちが、叫びながら戦闘機に向かって諸手を上げて駆けだしていった。

 歓喜の叫びは周囲一帯に響き渡り、象山の麓は異様な雰囲気に包まれた。


「……万歳、か」


 喧噪とは裏腹に、飯場の脇に佇む催本は煙草を深く吸い込むと、呟きながら白い溜息を吐いた。

 松代町の民家に爆弾を投下した十余機の米軍機は、こちらには見向きもせず、北の空へ悠々と飛び去っていった。


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