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リーヴル  作者: 西埜水彩
第一章 雪路さんとさーかさん
5/20

幸せ

「こんにちは」


「こんにちはです」


 病院にある庭のベンチ。いつもと同じ場所で、雪路さんが同人誌を読んでいる。


「この同人誌、誰が持ってきたんだろうね? 誰も自分が持ってきたと言ってくれないし」


「持ってきてくれた人の心当たりはありませんか」


「うーん、どうだろう。とりあえず誰かさーか以外の人に聞いてみようかな」


 雪路さんは同人誌を持ってきてくれた人を探すことをあきらめていないみたいだ。


「とりあえず『リーヴル』に同人誌を持って行けばどうでしょうか? この同人誌は珍しいですから、きっとお店の人は借りた人のことを覚えていますよ」


「そーだよな。でもなんとなく『リーヴル』で借りられた本じゃないと思うんだ。だって借りてきた本をお見舞いの品として渡すのはおかしい」


「そうですね。じゃあ『リーヴル』じゃない、布製のしおりの持ち主ではないでしょうか? あのおしゃれなしおり、使う人は少なそうです。となれば雪路さんに対するプレゼントではないでしょうか?」


「それはありえないと思う」


 雪路さんはきっぱりと断言した。


 だけどさーかさんは布製のしおりが、同人誌を持っていた人と関わっていると考えているみたい。事実そうなのだろう。


「おしゃれなしおりですし、プレゼントにぴったりですから、ありえます」


「このしおりが挟まっていたページのSS知ってる? 『割れたガラスの瓶』だよ。このSSでは、壊されて、幸せを感じることができなくて、傷ついて傷つけられて。どんどんボロボロになって、誰にも助けてもらえなくて。この本を僕にくれた人はそう思っているんだ。僕はこのSSのように、不幸な人だって思っているんだ」


 雪路さんは力説する。


「たまたまだと思います。それにこの同人誌には暗いSSが多いですから、そういうこともありえますよ」


 『琥珀糖』という甘くて綺麗な物の名前なのに、同人誌に載せられたSSには甘さが少ない。辛さ、しんどさ、苦しさ。それらに絡んだ苦い話がほとんどだ。


 文学少女シリーズじゃないんだ。物語が人生とリンクしているなんてありえるわけない。そこでたまたま雪路さんがこのSSと自分を重ねているだけだ。


「そうだね、同人誌には重い話が多い。僕は『とあるおひめさまのものがたり』も気になった。可愛いお姫様でいることを強制されることの地獄が共感できる」


「そうですね、幸せを強制されることほど辛いことはありませんから。私は『黒の世界』って話も好きです。夢と現実のあやふやさが気にいっているのです」


 なんとか話を『割れたガラスの瓶』からそらそうとする。


 この同人誌にはたくさんのSSが掲載されている。そこで1つのお話だけに執着なんてしない方がいいはずだ。


「幸せの強制ね、そうかも。こうすれば幸せになる、言うことを聞いていれば幸せになる。そんなことたまにあるんだ。でも僕は勝手に生きる。そのせいで不幸なのかもな、僕は」


「どうすれば幸せになるなんて、答えはありませんから、仕方ないですよ」


 幸せになるための答えを知っている人はいない。幸せになれるってことを試してみても、他人の言うことを聞いてみても。幸せになれないことはある。


「そうだからさ、僕は駄目なんだ。他人に壊されて、幸せを感じることができなくなって。それでも傷ついて傷ついて、他人に助けてもらえなくて。まるで『割れたガラスの瓶』みたいな人生だ」


 あっ話が戻った、しまった。


 雪路さんは『割れたガラスの瓶』に思い入れがあるみたいだ。この悲劇で救いのない物語に重ねたくなるような人生、辛くてしんどいことは想像がつく。


「そもそもなぜ幸せにならなくてはいけないのでしょうか?」


「えっなんでって、人は皆幸せを求めて生きるのじゃないのか」


「いえいえ、別に幸せじゃなくても生きることはできます。どれだけ不幸でも、人は死にません。生きているから、幸せでなくても問題ないはずです」


 『割れたガラスの瓶』は幸せを感じることが無くて、それと同じならば雪路さんも幸せを感じることができないのだろう。


 それのどこが問題なのだろうか? 幸せなことはいいのは確かだけど、幸せでなくても生きていけるのに。


「生きがいみたいなものかな、幸せって。なくても生きていけるけど、ないと生きるのが辛くなる」


「そうですね。でも『割れたガラスの瓶』は幸せになるために傷ついているんです。割れてしまったガラスの瓶に触れなければ、傷つきません。幸せになることを諦めたら、傷つくこともないんです」


「そうかもしれないけど、どうすることもできないんだよ。他の人はみんな幸せに生きているのに、自分だけそうじゃないなんて辛い」


「そうです。でも仕方ありません。他人が助けてくれるわけではありませんし、頑張れば頑張るほど傷つくだけです。それならばこれ以上傷つかない方が良いです」


「それは無理。もう傷ついてぼろぼろになって、生きているのがしんどいから、それで幸せになるのも諦めろって無理」


 雪路さんは地面を見ながら、暗いトーンで話す。


 今何の話をしているのか分からなくなってしまう。『割れたガラスの瓶』の話? それとも雪路さんの人生の話?


 どっちでもいい。どっちだとしても、私の言いたいことは変わらない。


「もう頑張らなくて良いんです。今はゆっくりと休んで下さい。周りの人と違って幸せを感じることができず、辛い日々です。せめて傷を深めないように、ゆっくり休んで下さい」


「そんなことをして、いつ救われるんだよ・・・・・・」


「大丈夫です。苦しまなければ良いんです。今まで頑張りました、傷が増えなければこれ以上辛くはなりません。『割れたガラスの瓶』の話だって、瓶を諦めて傘を差して、濡れてしまった体を拭いて服を着替えて、傷を癒やしたらいいのです。幸せのことは、それから考えましょう」


 本当はこれじゃあ駄目だ、それは分かっている。こんな言葉だけじゃあ、雪路さんは救えない。


 でも人には自然治癒力がある。どんな大きなダメージがあっても、時間をかければ回復する。


 そこが割れたらもう二度と元には戻らないガラスの瓶とは違う。『割れたガラスの瓶』と雪路さんの人生は違うんだ。何もしなくても、何か頑張らなくても、これ以上傷つかなければ、雪路さんはゆっくりと幸せへ向かっていける。


「大丈夫です。いつかはこの同人誌の持ち主だって分かりますし、なんとかなります。頑張らなくて良いのです。私や雪路さんは人です、物語じゃあありません。壊れて終わりなんてありえません」


 話し終わって空を見る。空の青さは記憶にある物と何一つ変わっていない。


 きっと人類が滅亡したとしても、このままなんだろうな。その空に変わらないところ、私は少し安心した。


 大丈夫、雪路さんとさーかさん、そして私もいつかなんとかなる。今どれだけ絶望していてもその事実は変わらない、そう思うことができるから。

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