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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

春の草笛、野を駆けて

作者: 鰯づくし

 春の草笛 野を駆けて

 響け 寝ぼける麦の芽覚ませ


 不思議な響きの歌が聞こえる。

 シャン、シャン、と軽やかに響く錫の音、見れば目が覚めるように鮮やかな若草色の衣装を纏った女の踊り子が踊る姿。

 肩の辺りまでしかない明るい茶色の髪がふわふわと踊り、飾り布が背中に生えた翼のようにはためき、なびく。

 暗く重い冬も終わった春の初め、秋に播いた種の芽生えを願う祭りの最中に舞い踊るにはふさわしい。

 くるり、ひらりとした軽やかな動きは、見慣れないもの。

 見れば手首や足首に鈴が付けられていて、動く度にそれがリズム良く音を響かせていた。

 踊ることで鈴が鳴り、それに併せて歌うから、歌と踊りが一つの音楽であるかのように耳と目に馴染む。

 耳慣れないのは当たり前、これはこの国の言葉ではない。しかし、この辺りの言葉だった。


「って、パルヤーム語の歌じゃないか!」


 思わず見入っていた鎧を纏う黒髪の美丈夫が声を上げた。

 いや、美丈夫というのは正しくない。

 すらりとした長身、よく鍛えられた体幹を感じさせる姿勢の良さ。

 だがその黒髪は腰に届くほど長いのを首の後ろ辺りで一つに括っており、面差しは明らかにほっそりとした女性のもの。

 つまり彼女は、この辺りでは珍しい女騎士なのだ。


 男と肩を並べて任務を全うするために厳しく己を鍛え、律している彼女が大きな声を上げるのは珍しい。


「お? どうしたんだマシュリ、急にそんな大きな声を上げて」


 と、隣を歩いていた同僚の男騎士が声を掛けるほどに。

 

 今日は春祭り、街のあちこちやその外縁部にまで出店が並び、大道芸人達がその芸を披露して人々を楽しませている。

 そんな中、一人の踊り子が、聞き慣れぬ歌を歌いながら舞い踊っていたところで、何もおかしなことはない。

 普通であれば。


「馬鹿、パルヤーム語を使うのは御法度だ!」


 そう、その踊り子が使っているのはパルヤーム語。

 かつてこの辺りに存在した……そして、女騎士マシュリが在籍する国が滅ぼした国の言葉である。

 だから、占領・統治政策の一環でパルヤーム語の使用は禁止されているのだが……あの踊り子はそれを知ってか知らずか、そのパルヤーム語で歌っていた。

 よくよく見れば、若く美しい踊り子が歌い踊っているというのに、熱心に見ているのは比較的年配の者が多い。

 恐らく、かつてパルヤーム語を使っていた者達なのだろう。


 そんな人々の姿を見れば思うところがないわけでもないが、職務は職務。


「おい、そこの踊り子! パルヤーム語の使用は禁止だ!」


 出来る限り厳めしい顔を作り、踊り子を指さしながらズカズカと近づいていく。

 一度の注意で聞けば見逃してやらないこともないのだが、などと内心では考えていたのだが。


「うわっ、やっば! ごめんねみんな、見つかっちゃった!」


 そう言いながら踊り子は、地べたに置いていたおひねり入れの箱に手を伸ばす。

 板と布を組み合わせたそれは、紐に指を掛けて引っ張れば巾着状の形になり、あっという間に彼女の手の内におさまった。

 ……こんな仕掛け付きである辺り、どう考えても逃走を頭に入れている常習犯である。


「まてそこの女! 逃げるんじゃない!」

「いや~、そういうわけにはいかないっしょ! ごめんあそばせ~!」


 マシュリが止まるように言っても、もちろん止まるわけがない。

 脱兎のごとく逃げ出した踊り子を追いかけてマシュリも走り出すが……どうにも分が悪い。

 ひらひらした布をつけてはいるが、相手は舞踏用の身軽な服装。

 対するマシュリは、徒歩での警邏に合わせて比較的軽装にしているものの、それでも鎧は鎧。

 さらに人混みの中に逃げ込まれてしまえば、如何に鍛えている彼女とて追いつくことなど出来はしない。


「ああもう、くっそ! なんて足の速い奴なんだ!」

 

 おまけに真面目な性格が災いして、行き交う人々を律儀に避けながらであれば尚のこと。

 鮮やかに目を引くその姿は、あっという間に見えなくなってしまった。


「ありゃま、マシュリを寄せ付けないとは、すごい芸人もいたもんだなぁ」

「常人離れした身体能力だ……道理でやけに目を引く踊りを踊るわけだ」

「いや、あそこまでのは必要ないと思うぞ?」


 のんびりとした様子で追いかけてきた同僚に応えながら、マシュリはいまだ視線を動かさない。

 まるで、今からでも見つけ出してやろうとしているかのように。


「ほれ、いつまでも踊り子一人にこだわってんじゃないよ。他にもスリだなんだ、祭りに乗じるセコい連中はいるんだからさ」

「あ、ああ、わかっている、元々はそちらが本来の任務だしな。……彼女一人にこだわる必要はない、よな」

「そうそう、たかだが御法度の言葉で歌ってただけなんだからさ」


 軽く言う同僚へと、マシュリは頷き返す。

 だが、言葉に反して、その心にはまだあの踊り子の姿が、声が残っていた。





 それから数日後。


「は? あの踊り子を探せ、ですか?」


 騎士団長の執務室に呼び出されたマシュリは、いきなりそんな任務を命じられた。

 というのも、だ。


「ああ、踊り子、というか旅芸人だな。踊りだけじゃなくて話芸に演奏だとかもこなす多芸っぷりらしいんだが、こないだの祭りで披露した寸劇の内容がまずくてなぁ……領主である子爵様のことを揶揄う内容だったらしい」

「そ、それは……子爵様のお気持ちもわからなくはないですが……」

「困ったことに、細身の女のはずなのに子爵様のでっぷり……もとい、貫禄のあるお腹だとか、薄い……もとい、知的な頭部だとかに見える変装をした上に、嫌みったらしい……もとい、独特な修辞の多い口調までそっくりだったみたいでなぁ」

「……うわぁ……それは……」


 大受けだったでしょうね、との言葉をマシュリは飲み込んだ。

 残念ながら、先日祭りがあった辺りを治める子爵の評判はよろしくないし、実際良い領主とは口が裂けても言えない。

 であれば、そんな子爵を揶揄うような寸劇は、さぞかし庶民には受けたことだろう。

 絶対に口には出せないが。


「ということで子爵様は大層お怒りで、その旅芸人を捕まえろと息巻いてるんだが……お前、その旅芸人の顔、見てるんだろ?」

「はあ……確かに、見ておりますが」

「おまけにお前なら男連中が入りにくいところに入って行けて、そのくせ男にも負けない能力もある。となれば、うってつけなわけだ」

「そう評価していただけているのは嬉しくもありますが……あれ? まってください、その言い方だと、まるで私一人だけで捕まえろと言っているような」


 話を聞いて納得しかけていたマシュリだったが、はっとしたような顔になる。

 そして団長は……痛いところを突かれた、とその表情が如実に語っていた。


「すまん、そのまさかだ。その寸劇では子爵様の名前は出さずにそれとなくわかる形で演じていた程度らしいだから、不敬罪には問えん。

 かといって、こないだ近くの代官が暗殺されたりと不穏分子の動きもあるみたいだから、完全に放置も出来ん。

 とはいえ、実情はともかく形式的には子爵様の私怨でしかないから、大人数は動かせん」

「なんとまあ……ある意味生きるための知恵ですか、ギリギリのところを突いてくるのは」

「だろうな、でなきゃそんな芸風で世の中渡っちゃいけないだろ」


 この国の法律では、貴族や王族に対して直接不敬な行動を取ることが不敬罪となる。

 そのため、この程度の内容では不敬罪として手配することが出来ず、騎士団員を動かすにはどうにも弱い。

 一名派遣するだけでも騎士団としては譲歩した方だろう。


「ともあれ、事情はわかりました。正直、思うところもありつつ絶対に拒否したい程でもないという微妙な任務ですが……謹んでお受けいたします」

「おう、すまんが頼む。……お前もその時々一言多い癖なんとかしろよ?」

「大丈夫ですよ、団長だとか相手にしかやりませんから」


 困った奴だなぁ、と笑う団長に、マシュリも笑って返す。

 こんな器の大きい団長相手だからこそ気を許すのであって、そうでない相手に隙を見せることはない。

 女だてらに騎士という男社会で生き抜くためには、締めるところは締め、緩めるところは緩める切り替えも必要なのだ。


「それでは、準備ができ次第出立いたします」


 姿勢を正しながらそう告げたマシュリは、一度騎士の礼の姿勢を取った後、騎士団長執務室を後にした。

 少しばかり、そわそわした気持ちを抱えながら。





 こうして踊り子を捜索する旅に出たマシュリだったが、踊り子の足取り自体はすぐに掴めた。

 何しろあれだけ目立つ踊りをしていたのだ、人目はいくらでも引く。

 そもそも、彼女が行きそうな場所はすぐに見当が付いた。

 すなわち、祭りが行われている街や村。


 季節は春、秋播きの種が冬の寒さを越えて芽吹き、春播きは今まさに種を播く頃合いとあって、あちらこちらで豊かな実りを願う祭りが行われている。

 初めて彼女を見かけたあの町の近くで、次に祭りが行われた村を訪ねれば、彼女らしき踊り子が踊って盛り上げていたとのこと。

 その後の足取りを追うのは難しいことではなく。


「見つけたぞ、そこの踊り子!」

「うえぇ!? こ、こないだの騎士様!? ま、まった、あたし今日は普通の歌しか歌ってないよ!?」


 以前とは違ってこの国の言葉で歌っていた踊り子はすぐ見つかったが、どうやら彼女もマシュリの顔を覚えていたらしく、すぐさま言い訳を展開した。

 だがマシュリは、厳めしい顔を作りながら首を横に振る。


「今日は別件だ! 先日、子爵領でやっていた寸劇について聞かせてもらおうか!」

「そっちかぁ! いやぁ、騎士様のお手を煩わせるようなことは何もしてませんって!」

「そう言いながら何でおひねりを回収してる! おいこら待て!」


 以前と同じようにおひねりを回収しだしたのを見てマシュリはダッシュをかけるも、踊り子が身を翻す方が早かった。

 用心して先日よりも軽い鎧だというのに、逃げ出した彼女に追いつくことが出来ない。


「なんて、すばしっこい!」

「うっわ、まだ来てる、しっつこいなぁ!」


 なんて言い合いをしているうちに、やはり彼女の方が追いかけっこには慣れているのか、人混みを利用して撒かれてしまった。

 次の手を、と街の四方にある門で門番に聞けば、西へと向かったらしい。


「……そういえば、ここから西にある街で今度祭りがあるな」

 

 ならば次に彼女が向かうのは。

 考えが纏まったマシュリは、踊り子を追うべく街から出た。




「こんなところに居たとはな……」

「うげっ、まさか見つかるとは思わなかったなぁ……」


 マシュリが彼女を見つけたのは西の街……では無く、東に向かったところにある穀倉地帯の村。

 ちょうど今まさに春播きの麦が種を蒔かれている最中である畑の傍だった。


「てっきり、西に向かったもんだと思ってたんですけど」

「最初はそう思ったんだが、よくよく考えれば、お前みたいに機転の利く奴が、馬鹿正直に逃げるわけがない。

 となれば反対方向である東に、旅芸人の需要がありそうなところを当たってみたわけだ」

「うっわ~、足が速い上に頭も回るって、なんて嫌な騎士様なんだ」

「足が速いなどと、お前に言われるのは正直複雑なのだが」


 そこで一度会話が止まり、沈黙が訪れた。

 二人並んで、しばし種播きの光景を眺めて。


「……で? あたしを捕まえないんですか?」

「お前、わかってて言ってるだろう」


 ため息を吐きながらマシュリが畑の方を見れば、この辺りは気候のせいか土のせいか春播きの方が多いらしく、農民達が総出で種を撒いている。

 ……パルヤーム語で種播き歌を歌いながら。

 どうやらこの辺りも、旧パルヤーム国領土だった土地のようだ。


「パルヤーム語で歌っていた件でとなれば、今種播きをしている連中まで捕まえなければならなくなる。

 そうでなく寸劇の件で引っ立てようとしたら、この後お前が踊るだろう奉納舞がなくなるからと農民達が私を腕ずくでも止めにくる可能性は高く、そうなれば私も自衛のために剣を振るわざるを得ない。

 どちらにせよ種播きに障りが出て、最悪この辺りの収穫が激減することになり、私がここの領主に恨まれる。

 そうなったらお前を引っ立てる道中で謎の死を遂げることになるだろうな、私が」

「あはは、物騒なことだねぇ」


 彼女は気楽そうに笑っているが、マシュリにとっては洒落にならない話である。

 種播きのタイミングを外せば、最悪一年の収穫を失う羽目になりかねない。

 そうなれば餓死者も多数出るだろうし、税収も無くなるしで領主にとっても死活問題。

 もしそうなった原因が一人の騎士であれば、如何に王国騎士相手だろうと秘密裏に消そうとしてもおかしくはない。

 基本的には真面目なマシュリではあるが、命が懸かるとなれば多少融通を利かせるくらいはするのである。


「物騒なことになりかねないのを見越して来てるだろ、ここに」

「んふふ、どうでしょ。あたしは稼ぎ口があるから来てるだけだし」

「それだけじゃないだろう」


 笑う彼女へと、マシュリは首を横に振って見せた。

 それから、また畑へと目を向けて……しばし、耳を澄ませ。


「……やはり、農民達の歌は、どこか拙い。歌い継いできたにしてはややぎこちない。

 歌を忘れた彼らに、お前が教え直したんじゃないのか?」

「ありゃま、騎士様ってば結構歌にお詳しい?」

「歌舞音曲は宮仕えの嗜みだ。……ということは、やはりそうなのか」


 話を逸らされそうにはなったが、彼女は問いを否定しなかった。ということは。

 じ、と見据えて視線で問い直せば、観念したのか彼女が小さく吐息を零した。


「はいはいその通り。僭越ながらあたしがお教えいたしましたとも」

「……何故だ? そんなことをしても、お前に得などないだろうに」

「それは、そうなんですけどねぇ」


 風がそよぎ、ふわりと彼女の髪が踊る。

 横顔が、眼差しが、風に紛れて消えてしまいそうな儚さに見えて、マシュリは思わずハッとしてしまう。

 だが、彼女は確かにそこにいる。まだ、そこに。


「確かにあったものがなくなっちゃうのは、寂しいことだと思いませんか?」

「パルヤーム国のことか? 寂しいのはわかるが……既にもう、なくなってるじゃないか」


 答える声が抑えたものになってしまったのは、繊細な問いへの返答にしては身も蓋もないものだと自覚があったからか。

 気まずげな顔のマシュリへと、彼女は笑って見せる。いつもと違う、壊れそうな柔らかさで

 

「ええ、国の形は、ね。だけど、なくなってないものもある。言葉、歌、踊り、遊びだとか。

 種播きの時期だって違えば、肥やしの入れ方、刈り入れの時期だって」

「それはつまり、文化が残れば、ということか」

「残り香みたいなもんでしょうけどね。……それでも、少しでも長く残したいのが人情ってもんでしょ?」

「……答える言葉を持たないな、私では」


 マシュリは、奪った側の人間だ。例え、その頃に物心ついていなかったとしても。

 であれば、奪われた側の思いに、共感も同情も許されないのだろう。


「ま、あたしもばあちゃんの受け売りですけどね。当時を知ってはないですし。

 それでも、残していきたいって思うのは……なんなんですかね? 我ながら、損な性格だとは思うんですけど」

「……打算ばかりで生きてるよりはいいんじゃないか?」

 

 自嘲気味に笑う彼女へと、マシュリは小さく首を振って見せる。

 少なくとも、どこぞの欲の皮が突っ張った子爵様よりはマシな生き方だと思えるのだが。

 流石に比較対象が悪いか、と口には出さない。


「あらま、お優しいことで」

「こんな話を聞いて何も思わないくらいの朴念仁なつもりはないよ。

 少なくとも、今この場でお前を引っ捕らえる気が失せる程度には、ね。

 ……そういえば、いつまでもお前と呼ぶのもなんだな。私はマシュリというが、お前の名を教えてもらえないか?」

「そりゃ構いませんが。あたしはサスハってしがない旅芸人でして」


 それなりに言葉を交わしたせいか、あっさりと教えてくれる彼女、サスハ。

 若干無防備な気がしなくもないが、気を許してくれたのだと思えば少々嬉しくはある。


「サスハ、か。いい名だな」

「……何だか言い回しが口に馴染んでますねぇ? よっぽど口説き慣れてらっしゃる?」

「人聞きの悪いことを言わないでくれないか、私は心にも無いことを口に出来るほど器用じゃないぞ」

「……それはそれで、こう、どうかと思いますねぇ、今に限って言えば」


 目を逸らしたサスハに、どういう意味かとわかりかねてマシュリは小首を傾げる。

 考えてもわからないから聞いてしまえと口を開きかけたところに、一人の農民が近づいてきた。


「お~い、踊り子さんや、そろそろ奉納舞の時間だでよぉ、準備してくれなぁ」

「あ、は~い、わっかりました~!」


 と、答えた後にマシュリへと振り返って。


「ってことで、行ってきますけども。折角だからマシュリ様も見ていってくださいな」

「……そうだな、こうなった上は、拝んでいかないのも勿体ない」

「あはは、とくとご覧あれ! なんちゃって!」


 明るく笑いながら駆け出すサスハ。

 その後ろ姿を、マシュリは眩しいものでも見るかのように目を細めながら見送った。




 しばらくして、奉納舞の舞台に上がってきたサスハはあるで別人だった。

 ふわふわとしていた明るい茶色の髪は、香油で手入れされしっとりと艶めいた輝きを帯びて。

 施された化粧のせいか、神妙な面持ちのせいか、さながら神職にある者であるかのような雰囲気。

 纏っているのは透けそうな程に薄い、淡く緑に色づいた布を幾重にも重ねたような衣装。

 それは、踊り子の衣装でもありながら、汚れのない清廉さも醸しだしていた。

 土地の神様に豊穣を願って舞うのだ、これくらいの装いは必要なのだろう。


 そして、彼女の手首、足首に付いているのは小ぶりな鈴。

 それを見て、マシュリは「ああ」と合点がいった。

 以前サスハが見せた見慣れぬ踊りは、この奉納舞から来ているのだろう。

 だからあんなにも。


「この世のものとは思えない、とはこういうことか……」


 そう呟いてしまう程に。

 サスハの舞は、美しかった。


 強く踏み込んではシャンと鈴の音を響かせ。

 かと思えば流れるような足取りでくるりくるりと回り、シャララと歌うように鳴らして。

 サスハが腕を振ればそれに遅れて布が舞い、彼女の名残のように軌跡を描く。

 華やかな姿でそこにあるのに、彼女が舞う度に一瞬の後には消えてしまいそうな儚さが滲み出る。

 それは、人の世界と神の世界の狭間に立って舞い踊っているかのよう。

 きっと彼女は、人と神の仲立ちなのだ。

 

「サスハ……君は一体、何者だ……? 一体、いくつの顔を持っているんだ……?」


 見入るマシュリの脳裏に浮かぶ、今まで見てきたサスハの顔。

 軽快に踊る姿、伸びやかに歌う声、かと思えば砕けた様子であけすけに。

 それらのいずれとも違う今の彼女の姿は、一際強烈で。

 知らず、マシュリは溜息を零していた。





「いや~、一仕事終えた後の風呂は最高ですよね~」


 奉納舞が終わった後、宴会が始まって。

 その後、マシュリとサスハは村にある温泉に並んで浸かっていた。


「私は何も仕事をしていないのだが……」

「まあまあ、堅いことは言いっこなしってことで!」


 複雑そうな顔をするマシュリへと、サスハが笑って見せる。

 本来であれば捕縛すべき相手と仲良く風呂に入っているなど、見つかりでもすれば懲戒もの。

 もっともこの状況では、見つけた相手がお縄に付くことになりそうだが。


「確かに、この状況で言うのもな……というか、サスハ、もしかしてこれが目当てでここの仕事を受けてないか?」

「あはは~、わかります? ここの温泉、あたしが知る中じゃ屈指の名湯ですからねぇ。

 そりゃ多少無茶をしてでも来たくなるってもんでしょ」

「悔しいが、わかってしまうくらいにいい湯だな、ここは」


 ぱしゃり、と音を立てながら湯を掬い上げ、透かし見るように目を細めながらマシュリが言う。

 あまり湯浴みに頓着しないマシュリだが、そんな彼女でもわかるくらいにここの湯はいいものだ。

 一度浸かっただけでも肌がしっとりと潤いを帯び、それでいてすべすべと滑らかになったような。

 それだけでなく、身体の芯から温まり、疲れが抜けていくような感覚までもある。


「でしょ? だからここは、あたしにとって大事な場所。一年のスタートを切るっていうか、そんな感じで!」

「新年はとっくに迎えているが……まあ、感覚としてはわかるな」


 暦上の新年は、冬の最中に迎える。

 だが、活動としての始まりは、春のイメージが強い。

 まして、サスハのようにあちこち歩いて芸を見せていく生き方であれば。

 

 けれど、ならば冬は故郷で過ごしてもいいのでは。

 そう思ったマシュリは、しかしそんな疑問を口にする前に思いとどまった。

 彼女は、滅んだ国の言葉を受け継いでいる。それが意味するところがわからない程には鈍くもない。

 そして、彼女が歩んできた道のりが、決して平坦な道ではなかったということも。


「これは、聞いてもいいのかわからないのだが……というか、聞かれたくないのならそう言って欲しいのだが。

 その背中の傷は、一体……?」

「あ、これですか? 凄いでしょ、もうばっさりやられちゃって!」


 ともに風呂に浸かっていればどうしても目に入る、素肌の背中。

 サスハの背中には、幾筋もの傷痕が残っていた。

 マシュリが見る限り、致命傷一歩手前のものはない。

 だが、痕に残る程度には深い。

 そんな傷を、いくつも負うような生き方を、サスハはしてきたらしい。

 それも、こんな軽く応じられる程に。


「いや、そんな軽く言うことではないと思うが!?

 私達騎士であっても、ここまでの傷を持つ者は稀だぞ……」

「そりゃま、騎士様は傷を負っても、その場で戦い続けないといけないですからねぇ。

 あたしら芸人は、逃げるのが当たり前ですし」

「それにしたって、この傷で逃げることが出来るなんて……」


 そこまで言ったところで、マシュリは気がついて。

 はっとした顔でサスハを見れば、彼女はつい先程までとは違う笑みを浮かべていた。

 どこか達観したようなそれに、マシュリは確信する。


「サスハ、君は……斬られることを覚悟で、芸をやっているな?」

「覚悟って程重くはないですけどね? そういうこともあるだろうな、仕方ないだろうなとは」

「それは、覚悟よりももう一段上の境地にも思えるのだが……」


 言葉にすれば、悟りとでも言うのだろうか。

 覚悟を仕切った上で、どんな結果も受け入れる。そんな心境にサスハはあるように思えてならない。

 だが、当の本人は戸惑うような困ったような顔だ。


「そんな大層なものじゃないですって! それにこれだって、どっちかっていうと、あたしのしくじりですし」

「しくじり? いや、襲われたのはしくじりとかではないと思うのだが」

「いやいや、襲われること自体は計算の内なんですよ」

「そこを計算の内にするな!?」


 思わず声を荒げてしまうマシュリへと、向けられるサスハの笑みは当たり前のもので。

 それが彼女の日常なのだと、いやでも伝わってきてしまう。


「いや~、そこを計算の内に入れたほうが、儲かるんですよこれが。

 だってね、マシュリ様。笑いを取るには、まず何を言ってるのかわかってもらわないといけない。

 で、あたしら一般庶民に一番よく知られてるお方って言えば誰になります?」

「君が一般庶民かはまた別途議論すべきだとして……それは、まあ、その地方の顔役か……」


 あるいは、領主か。

 それを口にする前に、それが意味するところを理解して、マシュリは口を噤む。

 その領主が、善良な人間であればまだいい。だがもし、悪辣な領主であれば。

 そして、そんな人物であればこそ、取ると思われる行動は。


「そういう人に限ってまた、お客さんの受けがいいんですよ。当たり前っちゃ当たり前ですが」

「軽く言うことではないと思うのだが!?

 だからか、それでそんな傷を……」

「あたしの師匠曰く、逃げ傷は芸人の誉れ、らしいですよ。

 ただまあ、これはどちらかというと、あたしのミスなんですけど」


 サスハはそう言いながら、するりと右手を肩口に、そして背中へと回していく。

 普段あまり目にしないようなその姿勢が、彫像のような美しさを描き出していて……マシュリは、思わず言葉を失った。

 そんなマシュリに気付くことなく、サスハは言葉を繋げていく。


「あたしの芸でぶち切れる人の配下って、大体二種類なんですよ。

 逃げる相手に切りつけるのが得意なタイプか、イヤイヤ従ってて、逃げる相手に剣を向けることを躊躇うタイプか。

 で、あたしは後者のタイプと見たら迷わず逃げるんですけど……まあ、何度か見極めをミスったり、そもそも丁度中間くらいのタイプだったりしたら、切りつけられることもありまして」

「全然笑い事じゃないよなそれは!?」


 さらっと語られる内容は、あまりに殺伐としていて。

 語るサスハの表情とのギャップに、マシュリは自分の常識がおかしいのかと混乱してしまう。

 だが、明らかにそれはおかしい。

 おかしいはず、なのだ。

 当事者のサスハが、あっさりとそれを受け入れている、というだけで。


「いやでもですね、切りつけられても大体は見切って、服を斬らせるだけでかわせるんですよ。

 大体服を斬ったら、その手応えだけでひるんじゃう人が多いですし」

「それはそれで凄い技術だけどな!? ……あ、もしかして、だから踊る時はひらひらしてる衣装を着てるのか!?」

「おっ、流石マシュリ様、よくおわかりで!」

「この流れだと、まったく褒められてる気がしない!」

「おっかしいな~、割と絶賛のつもりなんですけどね~」


 感情的になって言い募るマシュリへと、ヘラリとした笑いを向けながら言うサスハ。

 その言葉の裏に、何か誤魔化しのようなものを感じて。


「って、ちょっ、マシュリ様!?」


 気がつけば、マシュリは何かから守るかのごとく覆い被さるようにサスハを抱きしめていた。


「なんでそんなに、平気そうなんだ? 君が味あわされた日々は、そんな軽いものじゃないだろう……?」

「……まあ、ね、そりゃ……軽いものとは思いませんけども」


 サスハの手がマシュリの背後に回され、ぽんぽん、とその背中を叩く。

 宥めるように。

 けれども、決して抱きしめることなく。


「でもね、生まれは選べないし、生き方もそんなに選べるもんじゃない。

 だったら、その中でちょっとでもましな生き方ってものを選びたいじゃないですか」

「それが、この生き方なのか。己の身を危険に曝してでも、人々の笑いのために道化を演じることが!」

「ん~……道化を演じる、っていうとちょっと語弊が。

 あたしは、やる時は本気で道化をやるし、それ以外の芸もやりますよ。

 全ては皆々様の笑顔のために、ってね」


 その言葉に。その笑顔に。マシュリは、ハッとさせられた。

 自身を卑下したわけでもなく、かといって驕り昂ぶるわけでもなく。

 ただ当たり前のように、誰かを笑わせるためにと彼女は言う。


「……あたしの師匠の、そのまた師匠がね、凄かったらしいんですよ。

 戦争で荒れ果てた街で、誰も見ていないのにずっと芸をやり続けて。

 少しずつ、街の人が足を止めるようになって。

 最後には、町中の人を笑顔にしたっていう。

 そんな話を聞いちゃったらね、あたしだって少しはそれに近づきたいって思っちゃうのは仕方ないでしょ?」

「だからって、領主を揶揄うような危険な芸をする必要はないだろう!?」

「あ~……それこそ、その師匠の師匠がお得意だったそうで……師匠も、一番得意だったんですよねぇ

 で、これがまた受けるったらありゃしなくて」

「それはわかるけれど、限度とか節度があるだろう!?」


 そうは言いながらも、わかる。

 サスハの声と演技力をもって領主を揶揄えば、どれだけ民衆が盛り上がるか。

 そして、日々の不満を癒やされるか。

 結果として、短期的な視野しか持たない領主から、どれだけ恨まれるかも。

 マシュリがサスハを追って来たのも、その結果の一つでしかないわけで。

 だから後ろめたく、だから一層彼女を案じる気持ちが湧いてきてしまう。


「節度で飯が食えれば、あたしだってそうしますけどねぇ。

 それとも何ですか、マシュリ様があたしを食わせてくれるんですか?」

「君が望むなら、喜んでそうするとも!」


 売り言葉に買い言葉。

 いや、反射的にそう口にしたけれども、マシュリの心に後悔の気持ちかこれっぽっちも浮かんでこない。

 この希代の踊り子を安全に保護出来るのならば。

 それ以上に、彼女を手元に置いておけるのならば。

 そんな不埒な感情が滲む返答に、サスハは一瞬言葉に詰まってしまって。


「まって、だめですって、そんなこと……いえ、軽く言う人じゃないってことは、わかってますけども」

「もちろんだ、きちんと責任は取る!」

「だからだめですって、そんなことほいほい言ったら……本気にしちゃうじゃないですか」


 呆れたような口調で言いながら……サスハが、観念したかのように力を抜いてマシュリに身体を預けてきた。


「あ~、もう。こんだけ色々わかってくれる上に心の底から心配してくるお人好しとか。

 だめだってのに、絆されちゃうじゃないですか」

「絆されるって、サスハ、一体何を」

「ったく、こういうことですよ!」


 そう言いながら、サスハは背伸びをするようにしながら、背の高いマシュリの唇を奪った。

 途端、湯あたりでもないのにマシュリの顔が真っ赤に染まる。


「なっ、いきなり何を!?」

「あらま、随分と初心なことで。……でも、嫌じゃなかったでしょ?」

「そっ、それは、その……」


 悪戯な笑みのサスハに覗き込まれ、マシュリは答えを返すことが出来ない。

 彼女に惹かれていたことを、今の一瞬のキスで自覚させられた。

 そうなってしまえば、否定することも拒絶することも出来はしない。


「んふふ、じゃあ、全部あたしに任せてください、ね?」


 そんなやり取りがあって。

 二人の影が、重なった。





 だが、その翌日。


「……やっぱり、いなくなるんだな……」


 呆然とした声で……いや、少しばかり、覚悟していたような声で、マシュリがぼやく。

 昨夜、温泉で互いの心を確認した後、二人は床を共にした。

 けれども、朝を迎えてみれば、そこにサスハの姿はなかった。


 そのことは、マシュリも半ば覚悟はしていた。

 この辺りでは、同性の相手と夜を共にすることは然程珍しいことでもないから、後から嫌悪感が湧いてきて、ということは考えにくい。というか、そもそも積極的に迫ってきたのは彼女だ。となれば。


「最初からこうやって私を寝かせ付けて逃げ出すつもりだったか、それとも……。

 いや、やはり根っからの旅芸人には、騎士である私は重たいのだろうな……」


 まだ彼女の温もりが、残り香が残る床で呟く。

 わかってはいた。

 彼女と自分は、交わるべきではなかった。

 そんなことは、いやという程わかっていた。

 けれども、止まることは出来なかった。


 そして、引き留めることも。


「せめて止まり木くらいには、と思ったのだけれど、な……」


 一夜の交わり。身体だけでなく、情も交わした、と思う。

 それでも、彼女を手元に留めるには足りなかったのだろう。


「私の至らなさか、彼女の心根か。今となっては、もうわからない、か」


 ぼやくマシュリの顔は、しかし、どこか晴れ晴れとしたものがあった。

 サスハは、今もきっと、どこかで自由に歩いている。

 そう思えば、少しばかり心の重さもマシだろうか。

 

 彼女を捕らえきれなかったマシュリは、その不手際を報告して、日常に戻る。

 ただそれだけのこと。

 それだけのこと、のはずだった。





 数日後。王都へと報告のために戻ろうとしていた道中。

 マシュリは、物々しく武装した大所帯の集団とすれ違った。

 その瞬間、嫌な感覚がマシュリの背筋を走る。

 

 胸騒ぎがして、彼らが通ってきたであろう宿場町であちこちで話を聞けば、連中はとある子爵の私兵だという。

 粗暴な雰囲気の彼らは、一人の女を捜していた。

 それは、旅芸人の若い女で。


 その話を聞いた瞬間、マシュリはその集団を追って駆け出していた。





 元来た街道を戻れば、集団の足跡は明確で。

 それが急に乱れたと思えば、森の中へと向かっていた。


 サスハが見つかって、森の中に逃げたのを追ったのか。

 考えが纏まる前に、マシュリも森の中へと分け入っていった。


 わずかに残る冷静さが、集団が踏み荒らした下草や折っていった枝を見つけてその後を追わせる。

 微かに臭った鉄錆のような匂いに、足が速まって。


 そして辿り着いた少し開けた場所には。

 噎せ返るような血の臭い。


 倒れ臥す、幾人もの男達。


 そして、静かに立ち尽くすサスハの姿があった。


「サスハ……無事、か……?」

「……マシュリ様……無事、ですけども。あ~……まずいとこ見られちゃったなぁ……」


 問いかければ、返り血で濡れた頬を拭うこともなくサスハは天を仰いだ。

 どこか、諦めにも似たような表情を浮かべながら。


「……そういえば、逃げる相手の背中を斬るのが苦手そうな相手からは逃げると言っていたが。

 逃げる相手の背中を斬るのが得意そうな相手にはどうするのか、聞いていなかったな。……つまり、こういうこと、か?」

「あはは、ま、そういうことです。そういう連中は、庶民が刃向かうだなんて考えてもいない。

 だからこうやって反撃してやれば、慌てふためくもんで」

「だからって、この人数を普通は討ち取れるもんじゃないぞ……」


 辺りに倒れている男達は、合わせて十人ばかり。

 服装や装備はバラバラで、まともな訓練を受けた正規兵ではなくチンピラに毛が生えた程度のものだろう。

 それでも、この人数を一人でとなると、並大抵のものではない。


「まあ、それは。つまり、普通じゃないってことでして」

「だろうな。……そんな武器を、普通はそこまで使いこなせない」


 そう言いながら、マシュリはサスハの手元へと視線をやる。

 彼女が手にしているのは、長い鎖の先にナイフのような刃が付けられたもの。

 護身用に使われることもなくはないが、大体は暗殺者など裏稼業のものが好んで使う類いの、暗器と呼ばれる隠し武器だ。

 そんなものを、この木々が立ち並ぶ森の中で操り、十人ばかりの男達を仕留める腕を持つ彼女は。


「……先日、どこぞの領地で代官が暗殺されたそうだが。まさか」

「さあどうでしょう。随分な悪徳代官だったみたいですから、あちこちで恨みを買っていてもおかしくないと思いますよ?」

「特に、元パルヤーム国人から、か?」


 重ねられた問いに、サスハは笑って返すばかり。

 だがそれは、答えない事が答えである類いのものだろう。


「まだ、この連中を返り討ちにしただけであれば、正規兵ではない相手だ、自衛と言えなくもない。

 だが、君が使った武器がわかれば、代官殺しの嫌疑をかけざるを得ない」

「そうなりますよねぇ。……で、マシュリ様。どうします?」

「……決まっている」


 そう言いながら、マシュリは剣の柄に手をかけた。

 決まっていると言いながら、1秒ほど迷って。

 だからサスハは、笑ったままで。


「なら、あたしがすることも決まってますね!」


 と、躊躇うことなくマシュリに背を向けて逃げ出す。


「くっ、まて、サスハ!」


 声を上げながら剣を抜くも、いつもの勢いがない。

 追いすがろうにも、傷だらけの背中が思い浮かんで足が鈍る。

 さらには木々が生い茂る森の中だ、ろくに追いかけることも出来ず、すぐにサスハを見失ってしまった。


「なんでだ……どうしてだ、サスハ……どうして君が、そんなことをしないといけないんだ……」


 力無く地面に膝を衝き、俯くマシュリ。

 彼女の問いに、答える者はいなかった。





 マシュリが失意に沈んでも、事態は動く。

 何しろ私兵とはいえ子爵の手下が十人も殺害されたのだ、事件性ありと認められるのも仕方が無い。

 ……女一人に十人もの手下を送り出した子爵の異常さも浮き彫りになりはしたが、それ以上に女一人が返り討ちにしたらしい状況の異様さがそちらへの追及の手を鈍らせた。

 事こうなっては騎士団もそれなりに人数を割くしかなくなり、当然捜査人員の中にはマシュリも組み入れられる。

 

 流石にこの状況ではサスハも芸を披露してはいないらしく、足取りは中々掴めなかった。

 手を広げ、人を散らしてサスハの捜索が続けられ。


「……見つけた」


 やはり、彼女を見つけたのはマシュリだった。


「あ~……もう、なんで見つけるんですか、ほんっと」


 笑いながら、サスハが振り返る。

 今にも泣き出しそうな笑顔で。


「捜査の手が広がれば、足下がお留守になる。君ならそこを突くんじゃないかと思っただけさ」

「ほんっと、頭の回る騎士様っていやですねぇ」


 はぁ、とサスハがため息を吐く。

 二人が再会したのは、件の子爵が治める領地。彼女が寸劇で騒動を起こした街にほど近い森の中だった。

 子爵や騎士達は、彼女が逃げていくものと考えて捜査の手を広げていく中、ただ一人、マシュリだけがその逆と読み、それは当たっていた。

 残念なことに。あるいは幸いなことに。


「君に会えたら、聞こうと思っていた。……例の代官、やはり元パルヤーム国人への弾圧が酷かったらしい。

 特にパルヤーム語話者に対する取り締まりは苛烈で、何人もの人間が犠牲になったようだ。

 ……君がそういうことに手を染めるのは、パルヤームの人々を守りたかったからなのか?」


 彼女が芸でパルヤーム文化の命脈をか細くも繋いできたように。

 もしもその裏の技で命を守ろうとしていたのなら。

 彼女の行動に、筋が通る。


「最初はね、そこまで大層なことをするつもりはなかったんですよ。

 ただ、出来ちまう技術はあった。それが、運悪く役に立っちまった。後はまあ、どうしようもなくなっていったってところもあるんですよねぇ」


 最初は自身と身近な人間を守るため。

 けれど、弾圧されていた人々が、自分達のために振るわれる牙を持つ存在を知ってしまえばどうなるか。

 縋られたサスハがどう思ったか。

 マシュリには、想像するしか出来ない。


「そう、か……」

「ありゃ、もっと罵倒だとか叱責だとかがくると思ってたんですが」

「前にも言ったが、加害者側の私が言えることなんてないよ」


 彼女や元パルヤーム国人、被害者側が何を味わい、どんな思いをしたか。

 それに対して、マシュリが言える言葉などない。

 まして彼女は、体制側の人間なのだから。


「それでも、私は君を捕らえなければならない」

「……そう簡単に捕まえられるおつもりで?」


 マシュリの言葉に、サスハが武器を構えながら返す。

 あの日、彼女が手にしていた暗器。

 それを向けられて、マシュリは眉を寄せる。

 サスハの顔を、武器を、その構えを見て。五感を澄ませて。

 マシュリは、覚悟を決めた。


「……本気、なんだな。手向かえば、斬らねばならない」


 そう言いながら、マシュリは剣を抜く。


「もうこうなったら、こうするしかないじゃないですか」

「ああ、そうだな。……恨んでくれるなよ」

「そちらこそっ!」


 挑発とも取れるマシュリの言葉に、サスハが答えた。

 鎖のついたナイフの投擲でもって。

 

 ほとんど予備動作のないところから放たれた鋭い刃は、なるほど、これならばチンピラまがいなどかわすことも出来なかっただろう。

 だが残念なことに、マシュリは鍛えられた一流の騎士だった。

 顔に向けて放たれたそれを、髪一筋の差でかわしながら前へ。

 

 ……容赦なく振られた刃は、サスハの身体を捉え……左肩から右腰まで、ばっさりと斬り通した。

 ごふっ、と口から血を吐き、サスハはその場に崩れ落ち……それを、マシュリが抱き留める。


「なんでだ、なんでこんなことに……」

「あは……しかた、ない……しかた、なかったんです、よ……こうする、しか……」

「サスハ……サスハ!」

「すみませんね、マシュリ、様……こんな、こと、させて……」

「まったくだ、恨むぞサスハ!」

「流石に、死んだ後まで恨まれるのは……勘弁、です、ねぇ……」


 そこまで言って、サスハの顔に薄い笑みが浮かび。

 それから、がくりと力が抜けた。


「サスハ……サスハ! しっかりしろ、サスハ!」


 抱き留めたままマシュリがその身体を揺するも、サスハは何の反応も返さない。

 

 と、がさりと足音を立てながら一人の男が近づいてきた。


「マシュリ! 大声を上げて何事かと思えば……その子が、例の旅芸人か。

 ……お前の悪い癖だぞ、付き合いが長くなると情が移っちまうのは」

「……すみません、団長……ですが……彼女は、私の大事な、友人でした……」


 近づいてきたのは、騎士団の団長。

 事態が大事になったため、騎士達は二人組を組んで行動していた。

 マシュリの場合、その相手が団長だったのだ。


「はぁ……しかたねぇ。いいことじゃねぇが、そういうこともあらぁな。

 ……容疑者は騎士マシュリによって討ち取られた。子爵様への報告は俺がしとくから、お前はその子を葬ってやれ」

「団長……ありがとう、ございます……」


 サスハを抱きしめたまま頭を下げるマシュリへと背を向けると、団長はひらりと手を振ってから街の方へと向かう。

 マシュリがその背中を見送れば、ざ、ざ、と足音を立てながらその姿は遠のき……やがて、木々の向こうへと消えていった。




 そのまま、身じろぎすることもなくマシュリはその場でサスハの身体を抱きしめ続け。

 そして。


「……行きました?」


 探るような声がした。

 マシュリの腕の中から。


「ああ、もう気配もない」


 そう答えながら、マシュリが腕を緩めれば。


「は~……しんどかった!」


 ぱちりと目を開けたサスハが、大きく息を吐き出した。


「こっちの台詞だ! 打ち合わせもなしに何をやらせるんだ君は!!」

「いやいや、でもほら、マシュリ様もちゃんと読み取ってくれたじゃないですか!」


 マシュリが声を上げて言い募れば、けらけらと血にまみれたままサスハが笑う。

 まるで何事もなかったかのように。


「おかしいなとは思ったよ、逃げもせずに武器を構えるから!

 よくよく見たら衣服に違和感があるし、妙に隙があるしで、まさかと思って探れば、団長の気配がするし!」

「いや~、あれでちゃんと袈裟斬りにしてくれるんだから、ほんと流石ですよマシュリ様!」


 そう、サスハが斬られたのは演技で、団長に見せたのは死んだふりだったのだ。

 血のりの入った袋を服の内側に仕込み、マシュリに斬らせる。

 その下には鉄板も仕込みつつ、マシュリと呼吸を合わせ斬撃はギリギリでかわしつつ。

 突発のアドリブ一発勝負だったのだ、普通出来ることではない。


「二度とやらないからな、こんなこと!

 何が悲しくて君に斬りつけないといけないんだ、演技だからって!」

「あはは、すみませんってば。それに、多分もう二度とやる必要はないでしょうし」


 団長の報告により、サスハは死亡したことになる。公的には。

 もっとも、根無し草の旅芸人である彼女だ、大した問題にはならない。

 むしろ子爵からの追っ手が掛からなくなる分、儲けものですらある。

 これが、サスハの考えていたたった一つの冴えたやり方であり、マシュリはそれをあの瞬間に読み取ったのだ。


「それにしても、あの一瞬でここまで読んでくれるだなんて、マシュリ様ってば私のことよっぽど好きなんですね?」


 あれが伝わるくらいだ、もはや以心伝心といってもいい程。

 ニマニマした顔でサスハがマシュリを見上げれば。


「……悪いか」


 ぷいっとマシュリは顔を背けた。

 まさかの反応に、え、とサスハも固まってしまう。


「むしろサスハ、君こそ……私になら斬られてもいいって思うくらいに、その……ということじゃないのか?」

「え!? い、いや、それは……やだなぁ、そんなことは……」


 濁しながらのマシュリの問いに、サスハももごもごと返すしか出来ない。

 確かにあの瞬間、マシュリにならと全てを委ねた。

 それがどんな感情によるものか、口に出来る程サスハは素直な性質ではないのだ。


「だぁっ! そんなことより!

 ご協力ありがとうございました、これであたしは自由の身! 心から感謝しております!」

「わぁっ!? いやまあ、何より、だけども。

 ……これからどうするんだ? やはり旅芸人を続けていくのか?」

「そりゃまあ、あたしにはそれ以外食べてく道はないですし。

 マシュリ様に養ってもらうことも考えましたけど、団長さんに顔見られちゃいましたしねぇ」

「あ~……顔を合わせないとも限らないか」


 マシュリが思案げに眉を寄せれば、サスハが何とも言えない微妙な顔になる。


「あの、マシュリ様。なんであたしを養うことを普通に受け入れてんですか」

「いや、サスハなら別に養うのは構わないぞ? 前言ったじゃないか」

「そりゃ、言いましたけど、さぁ……ああもう、この人どうしてくれよう」


 あの日、温泉で売り言葉に買い言葉と交わした話を、マシュリは覚えていたらしい。

 まあ、それがわかるということは、サスハも覚えていたわけだが。


「……ああ、それか私が騎士を辞めて一緒に行く手もあるな」

「まって!? なんで急にそんな話になってるんですか!?」


 ふと思いついた様子でマシュリが言えば、サスハも慌ててしまう。

 この堅物が騎士を辞めるなど、一大事と言ってもいいくらいなのだが。


「いや、サスハの身の安全を、私も一緒なら守れるだろう?

 蓄えもそれなりにあるから、宝石にでも換えて持ち歩けば、養うことも出来なくはないし。

 ついでに楽器も多少は扱えるから、相方として振る舞えなくもないぞ」

「この短時間でそこまで考えるとか、これだから頭の回る人は!

 あ~……そんなの、あたしにだけ都合が良い話じゃないですか……」


 はぁ、と溜息を吐くサスハ。

 けれど。

 その頬が緩んでしまうのを隠し切れていない。


「何を言うんだ、私にとっても都合がいいぞ? 何しろ君とずっと一緒に居られるんだから」

「ああもう! やめて、恥ずかしい台詞禁止!! そんなこと真顔で言わないの!」


 慌てて手を伸ばし、サスハはマシュリの口を塞ぐ。

 これ以上言われてしまえば、顔が真っ赤になって茹だってしまう。

 それは、何とも格好が悪い気がした。


「はぁ……もう、わかりました。マシュリ様の好きにしてください。

 そもそもあたしが文句言う筋合いじゃないし……」

「ふふ、そうか、嬉しいな」

「はい? 何がです?」


 溜息を吐きながらサスハが言えば、マシュリは言葉の通り、嬉しそうに微笑む。

 それが不思議でサスハは小首を傾げたのだが。


「だって、私が同行しようというのに文句を付けないっていうことだろう?

 ということは、受け入れてくれてるってことじゃないか」

「……あ」


 指摘されて。

 サスハは固まり。


 それから数秒して、いきなりがばっと身体を起こして立ち上がった。

 そのまま、ずかずかと、団長が去って行ったのと反対方向へと向かって歩き出す。


「なんだサスハ、そんなに照れなくてもいいじゃないか」

「うるさいうるさいうるさ~い! 知りませんったら知りません!」


 その後ろを追いかけるマシュリへと、サスハはつれない言葉を投げかける。

 ただ、いつもすぐに振り切っていたはずなのに、今はいつまでもマシュリが後ろについていられるのは……そういうことなのだろう。

 

 やがて、二人の姿が森の奥へと消えて。



 

 しばらくの後、二人組の女旅芸人が庶民の暮らしを彩るようになるのだが……それはまた別の話である。

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