第一章4 『自分勝手な善意』
とうとう初仕事である。まだ不安な気持ちが大きい千里だが、これから働いていく上で仕事内容は憶えなくてはならないので、沢山気合を入れた。
「それでは千里君。紀伊さんと……ええっと皆さん。誰と一緒に行かせたら良いと思います?」
「俺が行ってやるよ」
「ええ?狡い。じゃあおれも行く!」
いつも喧嘩をしているような状態の兼盛と忠見だ。勿論言い合いになる。しかし、そうなることを最初から予想していた躬恒は視線1つで2人を黙らせ、「皆さんどうですか」と再び訊く。
「うーん…じゃあ重之君と行ったら?」
「そうですね。そうしましょう」
「まだ良いって言って無いんだけど」
重之はそう言っているが、そんなのお構いなしに2人は話を進めていく。千里が心の中で重之に謝っていると、ニコッとした躬恒が千里の方を向き言う。
「千里君。今回の依頼について説明しますから、紀伊さんと重之君と“一緒に”来てください」
千里は一緒にを強調して言われた為、動こうとしない重之を頑張って引っ張り、やっと躬恒の近くに辿り着いた。やはり重之は全く乗り気じゃない。
「えっと、それで説明って言うのは?」
「はい。今回の仕事は大友黒主さんからの依頼です。黒さんも政府の人間でして、政府は、公にも異能力者についての捜査が出来るように、警察に異能力対策組織を設立しました。勿論このことは伏せていますが。我々が実際に対処する組織だとしましたら、彼は情報を集め此方に提供してくれる組織の方になります。彼はそこのトップですね」
―ズキン、ズキン―
大友黒主のことを聞いた瞬間、千古の頭がズキっと痛んだ。彼は“自分は頭痛持ちではないし、頭の痛みと同時にモヤモヤというか、何か心に引っかかる感じがしたから、ただの頭痛ではないだろう”と考えた。不安に思っていると、躬恒が続きを話し出す。
「では、本題に入りますが、「最初から本題に入ってよ」重之君。後でプリンあげますから今は黙って話を聞いて下さ「分かった」
躬恒は、重之を一瞬で黙らせた、というか食い気味に黙る宣言をさせた。
千古は、躬恒の人の扱い方に驚き、それと同時に重之のプリン愛にも驚かされた。そんな千里を横目でちらっと見た躬恒は、少し大きな声でもう一度話し出す。
「では、今度こそ先程の続きなのですが、今回の依頼は魔法道具のお試しです。黒さん宛に警察署まで荷物が届けられたそうです。ということで行ってらっしゃい」
躬恒は三人を強制的に追い出した。しかし、警察署の場所を知らない千里は、それを重之に訊こうと思い声を掛けるが、鋭い眼光で睨まれた為、紀伊に訊いてみる。彼女は快く教えてくれた。
そして、ノリノリの紀伊と、嫌だという雰囲気を全身から惜しみなく醸し出している重之と、如何していいか分からなくておろおろしている千里達三人は、無事に警察署に到着した。
「えっと、大友黒主さんはいらっしゃいますか?」
千古は如何にか自分も役に立とうと積極的に門番に声を掛けたのだが、門番にはポカンという顔をされ、重之には盛大なため息をつかれた。其処で漸く自分が間違った行為をしたのだと気づいた千古は、ささっと後ろに下がり、重之に目線で助けを求める。それに気づいた重之はもう一度ため息をつき、門番の方に歩いていく。
「すみません。我々はこういう者です。通して頂けますか?」
重之がカードのようなものを門番に見せると、彼は一瞬驚いて、それから焦り始め、最終的にはびくびくしながら三人を通す。
コンクリート造りの建物には談笑している警察官が歩いているが、しかし其処には警察らしいぴんと張りつめた空気が流れている。
三人はその中を無言のまま歩く。制服やスーツを着ていないからだろうか。いや、ほとんど紀伊のせいだろう。たまにすれ違う警察官に二度見されたり、話のネタになっていた。しかしそんなことを気にも留めない重之と紀伊は、堂々と歩き、エレベーターまで辿り着いた。
エレベーターに乗り、周りに警察官がいなくなると、重之が顔をグッと千里の方に近づける。そして、防犯カメラに拾われないくらいの小さな声で言う。
「あんた、馬鹿なの?黒さんは秘密組織の人間だって躬恒さんに教えて貰ったばっかじゃん。慣れてないのに出しゃばらないで」
「ごめんなさい」
怒っているような台詞だったけれど、最後の言葉には何となく千里を心配しているような雰囲気が声色からした。
その後三人には会話はなく、静かな時間が流れる。そのままかなりの高層階に到達すると、ポンというこもった音と同時に扉が開き、三人はエレベーターから降りた。其処はさらに緊張した雰囲気が漂っているようで、千古は反射的に身体を硬くした。
少し歩くと大きい扉が現れ、重之が三回ノックするとゆっくり扉が開いた。
「こんにちは。大友黒主さんに通して頂けますか」
「承知致しました。少々お待ちください」
黒主の部下だと思われる女性が丁寧にお辞儀をして奥に入って行く。この奥に大友黒主がいるのだろう。
この部屋には大きな窓があり、名古屋が良く見える。下から見上げるのとはまた違う美しさに、千古は感動した。
かれこれ10分位待っているが、黒主は一向にやって来ない。この広い空間で10分間も沈黙が続くと少し気まずいと思った千里は、頭をひねって話題を探す。
「そういえば重之さん、プリン、好きなんですね。でも、最初の自己紹介の時好きなものは旅って言ってませんでした?何かお洒落ですね」
「ああ、よく覚えてるね。僕は、プリンは好きじゃなくて“大大大好き”だから。他の物とはランクが違う。比べられないんだよ」
「…な、なるほど」
千里は、重之のプリン愛に再び驚いた。しかし、プリンが凄く美味しいことは千里も知っている。彼の家族がまだ生きていた頃、母親が街中に行った時に買ってきてくれたのだ。口の中でとろける程よく甘いプリンと、苦みのあるカラメルが絶妙にマッチして本当に美味しかったことを思い出し、給料が入ったら買おうと決意した。
「紀伊もね、プリン好きだよ。…あっ、黒くんだ!久しぶり~」
紀伊が走って行った方向には、一人の男性がいた。彼は緩くオールバックにしたアッシュグレーの髪とスーツを着こなした、大人な雰囲気漂う人だった。彼が大友黒主。千里と重之も彼のもとに歩いていくと、黒主が少し申し訳なさそうに口を開く。
「いやあ、ごめんね。寝てた」
「皆さん誠に申し訳ございません。黒主さんは一度寝たら中々起きないもので。色々試してつい先ほど、やっと起きて頂けました」
「いや、本当にすまないね。私も頑張っているのだが」
「どうでしょう」
部下からの辛口コメントに少し苦笑いした黒主は、千里達三人を見て言う。
「二人とも、元気にしてたかい?そして君が例の新入り君だね」
「はい。宜しくお願いします」
「紀伊も皆も元気いっぱいだよ。黒くんは?」
「私も元気だよ。紀伊ちゃん、大きくなったね」
「…止めて」
紀伊がいつもより数段静かな声でそう言って、黒主を睨む。彼女に纏う空気が、一気に冷たくなった感じがした。
「貴方、知ってるんだよね。なのにそういう冗談、面白くないよ。いっつもいっつも、わざとなの?」
今度は少し視線をずらし、一息で言い切る。いつも子供らしさ全開の紀伊が、この瞬間だけ、如何頑張っても子供には見えなかった。
それから数秒間、気まずい沈黙が流れる。紀伊のもとに行こうとした千古は、黒主にそっとしておくように言われ、仕方なく立ち止まった。下唇を噛み、黙り込んでいる紀伊の脳裏に、様々な記憶がフラッシュバックする。
『貴様は、悪魔の子だっ…』『気持ち悪い。早く死んでしまえばいいのに…!』『お前が、お前が生まれてきたからから悪いんだっ!!』『よし、分かった。お前の姉から、殺してやるよっ…!!お前のせいで、関係ない奴も死ぬんだっ…ざまあみろ』
彼女の頭の中にその台詞が蘇った途端、記憶の中と現在、両方の紀伊の喉の奥からヒュッという音が聞こえる。同時に目が大きく見開かれ、其処に恐怖と憎悪が入り混じった色が浮かぶ。彼女はそのまま自分の頭を抱え、身体を強張らせた。それを見た黒主は、申し訳なさそうな、辛そうな顔をして奥の部屋に向かった。
――やめて、それだけはだめ…それなら紀伊を殺して!早く、紀伊を…っ。だから、だからっ…お姉ちゃんだけは、絶対に殺すなぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!
紀伊の頭が、記憶の中の大人たちにそう叫んだあと、彼女の意識はプツリと途絶えた。そのまま床にふわりと倒れこむ。その様子を見た千里達は、急いで紀伊のもとに駆け寄り抱き起こし、近くにあったソファに静かに寝かせる。
「あの、重之さん。紀伊ちゃん、大丈夫なんですか」
「うん、多分ね。前もあったし」
「え…。如何して、ですか」
「さあ。紀伊に何があったかは僕も知らないし。あ、でも業平さんと話した後にもなったことがあるから、あの人は多分知ってるんじゃないかな。あと、黒さんも」
「じゃあ、知っててわざと刺激するようなことを言ったんですか?」
「どうだろ」
紀伊の頭を撫でながら重之が言う。俯いていた千里は、ゆっくりと顔を上げ紀伊を心配そうに見つめる。彼女の頬には、一滴の涙が伝っていた。
暫くして、黒主が戻って来た。紀伊はまだ目覚めない。
「紀伊ちゃんは、まだ寝ているかい?」
「はい。……あの、黒主さん。紀伊ちゃんに何があったか知ってるんですよね?なのに、如何して紀伊ちゃんを苦しめるようなことをするんですか!?」
「私だって、やりたくてやっているわけではないんだよ。ただ、私にもやらなければならないことがあって、それはいずれ紀伊ちゃんの為になる。だから、ね。…この世界は、誰も苦しまずに進めるほど優しくは出来ていないよ。君も、よく分かっているだろう?」
千里は眉間にしわを寄せ、悔しそうな顔をしている。確かに、黒主の言うとおりであり、彼の言う事は限りなく正しい。紀伊は勿論の事、黒主も苦しんでいた。それは分かっている。分かっているのに、千里は、そうですかと納得することは出来なかった。
「でも、もうちょっとやり方を変えて、紀伊ちゃんがさっきみたいにならないようにすることは出来ないんですか!」
「…君は、紀伊ちゃんのことや私が何をしようとしているかも、何も知らないだろう?今まで、そして今も私がどれ程考えて考えてやってきたのかも、何一つ。だからそんな簡単に言える。もし千里君が私の立場で、今の君と同じことを言われても、きっと君は、何も出来ない。さっきも言っただろう?世界は残酷で、自分ひとりじゃどうにもすることが出来ないんだよ。…だってほら、君の家族を殺した犯人、まだ捕まってないんでしょ」
そう言った黒主の顔には、薄い笑みが浮かんでいた。酷く冷たいそれは自嘲的であるようにも見えて、まだ何も知らない千里を憐れんでいるようでもあった。
千里は、その言葉を聞いてはっとした。大口を叩いておきながら、自分は努力を途中で投げ出した記憶が、急に蘇った。黒主は続けているというのに。そう、千里の家族を殺した犯人は捕まっていない、否、事件を隠蔽されたと言った方が正しいだろうか。
それを知った千里も最初の頃は近くの交番まで乗り込んだり、電話を掛けたりと、小さかった上に知識も少なかった故出来る事は限られていたが、捜査続行の為に抗議を続けた。
しかし、警察は動かなかった。死んだ家族もこのことを天国か地獄で知ったのだろうか。毎日毎日千古を苦しめていた、しかし活動源となっていた『早く犯人を捕まえて』と、ある日は泣きそうに、また別の日はは怒鳴りながら、懇願され続ける悪夢を、全くとして見なくなった。――それを機に、千里は努力をやめた。
彼は、今まですっかり忘れていた、否、罪の意識から逃れたくて自分で記憶を閉じ込めていたことが恐ろしくなった。自分は何も出来ないし、しないのに、言葉だけで善人ぶり、都合の悪いことは記憶から消せてしまう自分勝手さに吐き気さえした。
「ちーくん、ちーくん!」
やっと目覚めた紀伊が、千里の身体を揺らす。目を大きく見開き、今までの自分の行動、言動に恐怖さえ覚えているような彼の表情を見て心配になった紀伊は、それを何度も繰り返す。
少し時間が経つと千里も落ち着いたのか、ふっと身体から力が抜け、自分を揺らしている方に目を向ける。
「わ…。きい、ちゃん。良かったぁ。ずっと寝てるから心配してたんだよ…大丈夫?」
千里は少し吃驚したように紀伊の顔を見て、それから安堵の表情を浮かべた。
「紀伊はもう大丈夫。ごめんね?心配かけちゃって。でももう気にしないでね。ちーくんこそ大丈夫なの?」
紀伊はにっこりと笑って気にしないでね、と。それは、詮索しないで欲しいと暗に言っているような。その雰囲気を感じ取った千古は、少し前に業平に言われた、詮索を嫌っている人が多いという台詞をふいに思い出した。――ああ、そうか。此処にいる皆は過去に何かがあるのか、と。そう悟った。
だから、何も気にしていないように笑って。
「うん、大丈夫だよ」
「良かった。じゃあ早速異能道具の話、聞きに行こっか」
「そうだね。黒さん、案内お願いします」
「了解。こっちだよ」
先程の出来事は何も無かったかのように、四人は談笑しながら歩いていく。そして、奥の部屋の机の上の、段ボール箱が目の前に現れた。
「これ、ですか」
さて、今日の一首
花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに 小野小町