第一章2 『入社先は超秘密組織』
「ただいまー」
そう言いながら業平はドアノブを捻って部屋の中に入って行く。そして、ドアが閉まらないうちに千里も入る。中はとても綺麗で、ほぼ全面ガラス張りになっていた。
業平は、沢山のものに興味を持ち“凄い”と無邪気に呟いている千里を眺めながら、その純粋さを少し羨ましく思った。
そんな業平のもとに、一人の女性がやって来る。
「業平君、さっきまで何処行ってた訳?仕事ほったらかして」
彼女は業平の仕事の先輩で、そしてすれ違う誰もが振り向くような美貌の持ち主だった。腰に届きそうなストレートの茶髪に黒のブラウスと赤いロングスカートを身に着けている。そんな彼女が少し怒りを含んだ、しかし落ち着いた声でそう言うと、それを聴いた千里が慌てて飛び出す。あまりに整った顔立ちを目の前にして少し怖さを感じながらも、震えた唇から声を紡ぐ。
「あ、あの、悪いの俺なんです。業平さんは餓死寸前の俺を助けてくれて…だ、だから業平さんは悪くありません!!!」
そう言い切った千里は、肩で息をしていた。千古の勢いに驚いた女性は目を丸くしながらも、やはり落ち着いて千里に言う。
「あ、そうなんだ。有難う。…業平君、この子誰?」
「あぁ、新入社員です」
「「「は?」」」
会社にいた人が全員声を揃えて言った。やはり迷惑だったのだ…と思った千里は、ひと回り位縮こまる。
そんな千古を見て微笑んだ女性は千里の方に近づき、安心させるように肩をに手を置いて言う。
「良いんじゃない?若さが足りなかったからね、この会社。業平君。ボスに許可もう取ったの?」
「ええ、勿論」
「そう。じゃあ、ボス呼んで来るね」
そう言って彼女は別の部屋に入って行く。
その数秒後。ずっとうーんと唸っていた業平が、バッと顔をあげ訊く。
「うーん、私的にはかなり若い人多いと思うんだけどなぁ。千里君古どう思う?」
「確かに皆さん若い気がします。全員20代くらいですよね。……ところで、業平さん。さっきの方は誰ですか?」
「ん?小町さんだよ。小野小町」
「へぇ、綺麗な人ですね」
「あれぇ?もしかしてタイプかい?千里君。でもね、彼女には気になってる人がいるみたいなんだよ。残念だったね」にやにやした業平が言った。
「いやいや、タイプだなんて言ってないですって!」
千里がムキになって反論する。しかし、いまとても顔の赤い彼が否定したとして、それは左程意味のある事ではなかった。 それも仕方がない。恋愛経験ゼロで誰かと恋バナさえしたことの無い千里にとって、大声でタイプだとか何だとか言われるのは、恥ずかしくて仕方のないことなのだから。
「そう?恋愛の事なら私に相談しなさい!恋愛専門家なんだよ?私は」
「れ、恋愛専門家、ですか」
「そ。だから、何かあったら相談しなさい!」
「…ありがとうごさいます…?」
「業平君、変なことは教え込まないように。はい。皆、注目」
二人がそんな会話をしていると、小町とボスが帰って来た。ボスは、中年位の男だった。かなり細い体躯と175以上はありそうな背丈。そして、どこか不思議な雰囲気を纏わせている。
ボスは社員達をぐるりと見回す。其処で、業平の突然の恋愛専門家宣言に戸惑っていたところを二人の登場に救われ、安心している新入社員の少年と、途中で話を遮られた為に不満顔をしている業平が目に入った。
「えっと、君…」
「大江千古です」
「有難う、千里君。私は山辺赤人だ。今日から、君も我々の仲間だね」
そう言うと、ボスはもといた部屋に戻っていく。
「じゃあ皆さん。千里君に自己紹介してくれますか?」
誰がなんて名前なのか分からない千里の気持ちを汲み取り、業平が皆に声を掛ける。彼らは、誰かが同時に話し出さないように空気を読み合う。それは、一つの技術でもあるが、同時に無意識…彼らの癖になっているようにも思えた。
そして、誰が最初に話すのか決まったのだろう。一人の男がスっと前に出る。
「僕は凡河内躬恒です。宜しくお願いしますね、千里君」
「宜しくお願いします。お、おうちし?えっと「躬恒で構いませんよ」
「有難うございます、躬恒さん」
彼は、一つに結った長い白髪ときっちりしたスーツを身に着けている、良い先輩といった感じだ。にこにこと微笑んで「さ、次は誰がやります?」と言うと、「じゃ、俺が」と、比較的千里と齢が近そうな少年が自己紹介を始める。
「俺ァ平兼盛。宜しくな、千里」
「宜しくお願いします、兼盛さん」
「おう」白い歯をニッと見せて言った。
すると、もう一人の少年が千里と兼盛の間に入ってきて、兼盛を睨む。
「どーしてお前が先に自己紹介するんだよ!おれが先だろ。おれはね、壬生忠見。仲良くしてね、あいつよりも」
兼盛への接し方から、同じ齢だと思われるが、忠見の方が少し幼い顔だちをしている。
彼が兼盛を押しのけそう言うと、兼盛は物凄い不機嫌顔で怒鳴る。
「ああん?何言ってんだよ」
「えっと、2人共と仲良くしようかな、なんて思ってるんですけど」
突然の喧嘩に焦った千里は、如何にか宥めようと二人にそう声を掛けるが、そんなの聴こえていないかのように喧嘩を続ける。基本的に兼盛が怒鳴り、忠見が「わー怖い怖い」とへらへらしている。そんな調子だ。
「ほら、2人とも。千里君が困っていますよ。あなた方も一応先輩なんですから、それらしい態度を見せてください。それくらい常識だと思っていましたが、大変残念です」
そう言うと、躬恒は二人の肩を掴んで引き剥がす。掴み合いは無くなったものの、その後も睨み合いを続ける。そんな二人を見て躬恒がもう一度「いい加減にしなさい」と叱ると、彼らは周りの人達の表情を見回し、はっとしたように目を見開くと、それから少し視線をずらし言う。
「悪かったよ」「ごめんなさい」
二人が今度こそ喧嘩をやめると、次はこの中では一番年齢の低い女の子が、満面の笑みを浮かべて言う。
「次は紀伊が。わたしは、一宮紀伊って言います。蛇が好きなの。宜しくね、ちーくん。ちーくんの方が紀伊より年上だから、敬語とかはやめてね」
「うん、分かった」
紀伊は派手な格好をしている。カラフルな服装と二色に染めた高い位置でのツインテールを縦ロールにしている。しかし彼女はそんな格好も似合うのだった。
そして自己紹介も、残り一人。此方の話には全く興味がなさそうに自分のデスクに座っている男だ。最初は自己紹介をする気が無かったようだが、皆の「はやくしろ」という無言の圧力に耐えきれなくなったのか、面倒くさそうに話し出す。
「僕は、源重之。身長は172。体重は62。年齢は19。誕生日は7月1日。好きなものは旅行。嫌いなものは生ものとギャーギャー騒ぐ人」
面倒くさがりながらも、重之は一番多くの情報を提供した。しかし、兼盛は「何か要らない情報多くね?」 と喧嘩を売るような台詞を吐き、「煩いな」と重之に睨まれる。
今度は重之と喧嘩を始めるのか、と一同が呆れた目で兼盛を見ていると、
「2人共静かにしてね。えっと、小野小町です。…わたくしはね小説家の柿本人麿先生が大好きなの♡」
と、小町が自己紹介をした。普段から落ち着いている小町であるが、柿本人麿のことになると、身振り手ぶり付きで、凄い笑顔で話し出した。
それを見て業平が言っていた、“小町の気になる人”の見当がついた千里は、確かめる為に隣の業平に小さな声で話しかける。
「あの、業平さん。小町さんの気になってる人って…」
「そう、彼だよ。…じゃあ、私も改めて自己紹介しようかな。名前は在原業平。どうぞ宜しく。……そういえば、きい2号さんがいないね」
きい2号さん。千里はをの言葉を何回か脳内でリピートする。そして、きい2号というあだ名の社員がいるのだと考えた。
―――バンッ!
扉が物凄い勢いで開く。其処にいたのは一人の男。デニムに白のYシャツを着て、長身で筋肉質な体つきをしている彼は、大股で象のような足音を立て、圧力いっぱいで業平に近づく。
「業平ぁ!貴様、吾輩の噂してただろう!」
「わあ、きい2号さん。待ってましたよ。それに、遠くからでも私が貴方の事を話していたと分かるなんて、物凄い才能の持ち主ですね」
きい2号と呼ばれた男は、周りをぐるっと見回し、知らない顔を見つけ、せめてこの少年には自分の名前を理解してもらいたいと思った。多分、新入社員だから、優しく教えようと。しかし、業平のせいでいつも怒っている彼は、優しくするのが恥ずかしくなってしまい、結局―
「小僧。吾輩はきい2号なんかではないぞ!れっきとした名前を持っている。紀貫之。分かったな!」
―怒鳴った。怒鳴られた千里はビクッとし、それから直立不動になって言う。
「は、はいっ!分かりましたっ」
「まあまあ、きい2号さん。新入社員には優しくしなきゃいけないですよ」
「…そんなの最初から分かってるわ!」
優しく出来なかった原因である業平にそう言われた貫之は、再び怒鳴る。それから、「そもそも貴様は…」と説教を始める。
それを見た千里は、説教中に申し訳ないと思いながら訊く。
「あの、どうしてきい2号さんってあだ名になったんですか?」
「それはね、紀伊ちゃんがいるから」貫之の説教を聞き流しながら業平が言う。
「あぁ、なるほど!」
それを聴いた千里は一度納得した。が、すぐに、年齢的には貫之の方が上なのに、如何して彼が2号なのだろう、と思った。
「そういえば、千里はうちが何の会社なのか知ってるんでしょ。じゃあ、あんたもそうなの?」
自己紹介後は何も喋っていなかった重之が口を開いた。勿論業平からそういう事を全く聞いていない千里は、首を横に振る。
「いえ、知りません。そう、って何のことですか?」
「…業平さん何も言ってないの?」
「はい」
千古がそう答えると同時に、この話を聞いていた皆が一斉に溜息をつき、業平を睨む。
「いやあ…あはは」
「業平君。入社は仕事内容を話して許可を取り、ボスにそのことと彼についての情報を伝える。そして、ボスがオーケーしたら担当の人に連絡する。って何回も言われてたじゃない」
「あ、あの、どんな仕事をしている会社なんですか?」
千古がそう聞くと、業平は少し申し訳ないような顔をして答える。
「まず、この世界には少数の異能力者がいることを知っているかい?」
「…っ!?初めて知りました…」
千里はとても驚いた。異能力なんてファンタジー世界のものだと思っていたからだ。業平やこの会社の人以外に言われていたらきっと彼は信じていなかっただろう。
「それでね、私たちの会社は、その異能力者達が作った危険な異能道具を処分したり、商品化の為の異能道具を試用したり…異能力組織と戦ったり、その他異能関係諸々。ほんと仕事多すぎて給料に見合わないと思うんだよねぇ。でも安心して。いつでも戦えるように訓練はするから。で、そんなことをする、政府の超秘密組織って感じかな。秘密だから、表では会社ってことになっているんだよ」
「そんな凄い組織にこんな俺が入って大丈夫なんですか?俺、異能力使えませんよ?」
「あーうん…ボスも許可出したし、もう入社手続き済ませちゃったし」
「それなら、入社させてください」
「うんうん、千里君ならそう言うと思ったよ」
入社が決まった千里は、安心した。それと同時に、重之の言っていた“そう”が妙に気になった。でも、如何聞いたら良いか分からなかった為、首を傾げ、うーんと呟き、頭を指でトントンした後、良い質問が無い、という結論に辿り着いた。しかし、異能力には関係していると思った為、其処から訊いてみることにした。
「あの、皆さんは異能力者なんですよね?」
「そうだよ。……じゃあ、千里君。ちょっと試してみようか」
試すの意味が分からなかったが、そうすると答えが見つかるのではないかと直感的に思った千古は、そのまま従う。
業平曰く、体に力を入れて異能力の発動をイメージする。これは、抽象的な為中々難しい作業だった。千古は目を閉じて集中し、何度も試す。そして、十数分経っただろうか。
「月見れば千々に物こそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど」
特に何も起こらない。千里は、やはり自分に異能力は無かったことを知り、他の社員との違いであるそれが少し悲しく感じられて、力が抜けたように近くにあった机の上に手をついた。
その途端、千里の脳内に誰かの記憶のようなものが流れ込んできた。千里は慌てて手を引っ込めたが、その記憶は消えていかなかった。
驚いたように自分の手をまじまじと見つめている千里に、怪訝そうな顔をした業平が声を掛ける。
「どうした?」
「いや、その。この机に手をついたんですけど、そうしたら何かの記憶のようなものが頭の中に流れてきたんです」
「どんな?」
「誰かに蹴られたみたいで、痛がっている記憶ですね。でも、その後ちゃんと治ったみたいです」
千里以外の全員に、これを聞いて思い当たる節があった。机に手をついた途端に流れてきた記憶。蹴られて、その後直された。その記憶はきっと、その机のものだと。そして、流れてきた記憶がそれだけならば、きっとこれは…
「触れたものの、一番最近の悲しかった出来事を読み取る異能だな」腕を組んだ貫之が言う。
「わあ、凄い。便利そうだね!でも…みっちゃん、まただね」少し残念そうな顔をした紀伊が言う。
「そうですね。まあ、だからボスも許可したのでしょう」
何のことか全くわからない千里がポカンとしていると、「あ、すみません」と躬恒が言い、説明を始める。
「ここの社員はですね、誰も戦闘系の異能を持っていないのですよ。戦闘系というのは、身体強化だったり、直接攻撃に向いた異能のことです。それが、ないんですよねぇ…」
「へぇ……って、えっ!?じゃあ、どうやって戦ってるんですか!?」
「武器を使います。まあ、相手の戦闘能力を削るくらいの異能力はありますから」
「そ、それは凄いですね…」
千里はとても驚いた。勝つ最大の要因が異能力じゃないということは、彼らの素の能力が物凄く高いということだ。自分に出来るのだろうか…皆の足を引っ張ってしまわないだろうか…千里は不安になったが、それは、頑張って訓練し、追い付けばいいことだ。入社すると決めたからには頑張ろう、そう決意した千里であった。
「あっ、それじゃあ、最初のゾンビは業平さんの異能力なんですか?」
「…ゾンビ…貴方、またやったんですか」躬恒が呆れた顔で言う。
「まあ良いじゃない。これが一番手っ取り早い。戦闘系の異能力者は自分がピンチになったら大体異能が発動するからね。因みに、私の異能はゾンビを発生させるものではないよ」
そう…最初の映像は業平の異能力によるものだった。それを聞いた千里は、本当にゾンビがいた訳ではないと分かり安心する。
「じゃあ、千里君の異能も把握したところで、お花見でも行こうか」
「良いね!」
「行こうぜ」
如何してお花見に行くのか、千里が驚いた顔をしていると、躬恒が千古の傍に寄り言う。
「新入社員と親交を深めるための恒例イベントのようなものです。千里君、沢山楽しんでくださいね」
キャラクターが増えました。
さて、今日の一首。
世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 在原業平
歌意 もし世の中にまったく桜がなかったなら、桜の花が咲くのを待ち望んだり、散っていくことを悲しんだりすることもなく、春のひとの心はもっとのどかだっただろうに……