感情
蒼は、碧黎と天黎を後ろに引き連れて、十六夜の部屋へと訪ねた。
そこでは、天媛が普通の神並みに侍女に手伝われて寝る支度を整えていた。
蒼は、本当に一人きりでも女神のように生活して学んでいるのだと驚いた。何しろ、天黎はそこまで神と同じ生活はしておらず、ただ毎日碧黎と一緒に移動して、行動しているだけだったのだ。
夜も、どうしているのか蒼は知らなかった。
蒼は、つい女神に言うように、言った。
「お邪魔をしてしまいましたか。お休み前に申し訳ありませんが、お話をしたいと思って参りました。」
天媛は、蒼を見て微笑んだ。
「ああ、蒼。良いのよ、主はここの王なのですから。」と、侍女達を見た。「もう良いわ。主らは休んで。」
侍女達は、頭を下げて出て行く。
蒼は、天媛の口調が女神のそれになっているのに気がついた。どうやら、天媛は女神はこうであろうという形になろうと真似ているようだった。
「主に聞きたいことがある。」碧黎が、遠慮なく言った。「十六夜と、命を繋いだよの。それで、あれとはあれからどうなのだ。」
天媛は、息をついて正面の椅子へと座ると、蒼にも椅子を目で進めて、そうして碧黎を見上げた。
「主は誠に神と暮らしてそれと分かり合おうと思うておりますの?我は、女神らしゅうなって学んで参ろうとしておるというのに。そのようにいきなりに聞くのは、失礼なのではありませんか。」
碧黎は、そう言われて少し、顔をしかめた。同じ命の者同士なのだからと、普段神と接する時なら少しは気遣う事を、天媛には全く気遣っていなかったのだ。
蒼は、それを見て急いで言った。
「天媛様、同じ命だからと遠慮がないのはお許しください。あの、オレにとっては親なので、十六夜の事は気になるのですよ。それで、一緒に聞きに来たんです。天黎様が仰るには…その、天媛様が何かの感情を持っていらして、それがずっと続いているのだとか。もし、それがおかしなものでしたら、抑えるお手伝いが出来るのではないかと思って。」
天媛は、どうやら蒼の事はかわいいと思っているらしく、蒼には優しい視線を向けた。
「主がそう申すならしようがないわね。」と、天黎を見た。「主も。我に興味が無いのではないのか。これらを不安にさせるようなことを申して、心を乱すのはやめた方が良いのでは?」
天黎は、じっと天媛を観察していたが、言った。
「…主の、その気の乱れは何ぞ?長くこれの…碧黎の事を観察しておって感じたのと、同じような気を長く発しておろう。これが、維月に執着し始めた頃と同じ乱れ方ぞ。」
天媛は、ぐ、と一瞬怯んだが、すぐに背筋を伸ばした。
「だから何ですの?」蒼が驚いていると、天媛は続けた。「その通りですわ。我だって、どうしてこのようなと戸惑いましたけれど、覚えがあったのです。これは、碧黎が初めて維月を愛した時に、発した気と同じもの。同じ乱れで、収まる事無く時が経てばより増すような。つまりはこれが、碧黎が惑うて尚幸福そうな気を発する、愛情というものではないかと、我も気付いたばかりですの。」
やっぱり、十六夜を好きになってるんじゃないか!
蒼は、内心焦った。何しろ十六夜はあんな感じで絶対にそんな気持ちで命を繋いだのではない。維月が相手として居た時は、一応誠実な感じだったしあれでしっかり身持ちは硬かった。瀬利と命を繋いだ時まで、そんな事件は決して起こしてはいなかった。
それが、維月と別れた直後から、どうもフラフラしているようにも見える。縛るものが無くなり、失うものがないので好き勝手しているのだとしたら面倒だ。しかも、相手は地の碧黎以上の力を持つ命の、片割れなのだ。
「やはりそうか。」碧黎が、渋い顔をしながら言った。「軽々しく命を繋いだりするからであるぞ?十六夜など…あれは確かに素直で良い性質ではあるが、主も知っての通り気ままで深くものを考えぬ所がある。我が維月を愛しているように、主を愛して命を繋いだのではない。主がそのような気持ちを己に持っておると聞いたら、面倒がってここへ寄り着かぬようになろうぞ。」
蒼は、辛辣だなと思ったが、これぐらいハッキリ言わないと恋愛初心者には分からないのかもしれない。
そんな風に目を白黒させながら話を聞いていると、天媛が頬を膨らませて拗ねたように言った。
「分かっておりまする。だからこそ、こうして女神を学んでそれらしゅうなろうとしておるのですわ。維月の仕草は我とて知っておるし、そのようにしておればあれも少しは我を疎ましくは思うまいと。」と、胸を押さえた。「誠に…思うてもみないことでした。まさか、これほどに心に染み入るような感覚であるとは。主が命を繋ぐことに重きを置く意味を、やっと知ったような気が致しますこと。あれを想うと、何やら胸が痛いような…どこか具合が悪いのかと思うほどに。」
本格的に想ってるじゃないか。
蒼は、焦って言った。
「天媛様、十六夜はあんまり恋愛向きではないんですよ。気が向かないと降りて来ないし、降りて来ても飽きたらすぐに月に上がってしまうんです。長くは同じ場所に留まらないんですよ。維月が相手として長い時間一緒に居られたのは、オレも見て来たから知ってますけど、お互いに愛し合ってたし、それに十六夜が気ままでも、他に維心様がいらして普段は維月と共に居たからなんですよね。十六夜だけを愛したら、恐らくつらい事になります。何しろ、ほんとに結構いい加減ですから…。」
本人同士が言っていたのだからこれは間違いない。
何しろ十六夜は、前世でもそんなに降りては来なかった。
今生はもっと気ままで、それゆえに維月に愛想を尽かされ、十六夜自身もそこまでの感情を失っていることに気付き、別れることになったのだ。
前世の十六夜ならまだ分からないが、今生の十六夜では恋愛など無理な気がした。
天媛は、息をついた。
「…分かっておるわ。あの子の事は生まれた時から見ておりましたもの。ですから我は、あれの負担にならぬよう、こうしてここで待つ生活をしておるのです。訪れを待つのもまた、大変に楽しいのです。待っておる間は何やら胸に来る不思議な感情が湧いて参って…降りて参った時には、それは嬉しく胸が沸く。このような華のある心地は誠に初めてで、毎日がとても楽しいのです。なので、我の事は気遣いなく。時はいくらでもあるのですし、我はあれの心が溶けるのを待ちますわ。」
確かに大きな気と同じように、大きな心の持ち主なのだろう。
だとしたら、今の十六夜の相手としたら、天媛以上の女性はいないのかもしれない。
蒼が思って聞いていると、天黎がイライラと言った。
「なんだその感情とは?」その何やら攻撃的にも聞こえる声音に、蒼ばかりか碧黎も驚いた顔をした。天黎は続けた。「感情とは?我にはまだこの、憤るような感情しか知らぬで学べておらぬのに。何を幸福そうな気を発しておるのだ。碧黎がその気を発した時、主も分からぬと申しておったのに。」
天媛は、天黎を睨んだ。
「何を憤っておるの?天黎。我の事など下に見ておるのではありませんか。その我が、己の知らぬ事を感じて幸福なのがそれほどに気に入らぬの?誠に勝手なこと。我が先に学ぶのが気に入らぬだけではないの。己の学びは、己でやれと常、我に申しておったではありませぬか。そのまま返しましょうぞ。」
天黎は、ギリギリと歯を食い縛っていたが、フッとその場から消えた。
「天黎!」碧黎は、慌てたように言って、蒼を見た。「まずい。何やら分からぬがまずい気がする。あれが命を繋ぐとしたら、どう考えても同族しか耐えられぬから、瀬利か維月か維織しかない。維月以外なら問題ないが、維月だったらまずい。行って来る。」
維月以外でもまずいけど。
蒼は思ったが、頷いた。
碧黎は、焦った様子でその場からスッと消えて行った。
天媛は、フッと肩を落として、言った。
「申し訳ないわ、蒼。我の片割れがあのようで。ですけれど、我は十六夜と命を繋いだことには後悔はありませぬ。あれは昔から我が己より気付きが早いとあんな感じでしたの。誠に成長のないこと。」
まるで兄妹だ。
蒼は、思った。これまで自分が上だったのに、いきなり天媛に追い抜かれるような気がして焦るのだろう。
あれほどの存在でも、感情には振り回される事実に、蒼は世界がどうなるのかと心配になった。
学びに出てなど、来ない方が良かったのではないだろうか…。




