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翠明は、維心と炎嘉に知らせを送ってホッと息をついた。

社は相変わらず厳戒態勢で、人は全く近寄らない。

人の祓いの儀式の時は、八佳は他の社を使ってやっていた。

前にも一度、一年ほどこんなことがあったので、人の方も弁えているようだった。

あの、顔も失くなっていた二つの命は、籠めてすぐに外へ出ようと暴れに暴れて社の戸や壁、天井に触れて分裂を繰り返し、再三の翠明の忠告も耳には届かぬようで、気がつくとバラバラになって畳の上に飛び散っていた。

それでもびくびくと動いていたものだが、社の中に溢れる神気の前にはそんな欠片は成す術もなく、粉々になって動かなくなった。

そうして、さらさらの黒い砂のようになったところで、それらはスーッと消えて行ったのだ。

後には黄泉の気配があったので、恐らく黄泉に回収されたのだと経験から思った。

だが、核であった男は違った。

他の二体が暴れ回って自分にぶつかって来ても、翠明の忠告を守って中央にじっと座って動かず、遂にはバラバラになった欠片が降り注いで来ても、顔色一つ変えずにそこに座り続けた。

曲がりなりにも人であったものにとって、耐え難い光景であっただろうに、男はそんな最中眉一つ動かさなかった。

翠明は、かつては人の能力者として、多くの人を助けたであろうその男に、話し掛けてみようと社の中へと向かった。


男は、やはりそこに座っていた。

消えたくなければ動くでないと言った、その翠明の言葉に忠実に従っているその男に、翠明は話し掛けた。

「…主は惜しいやつよ。」翠明は、心底言った。「やはりかつては人の能力者として認められていただけはある。その心を失うことさえなければ、後は更に良い世に生まれていただろうに。分かっておったであろう、欲など持ってはならぬのだと。それほどに弟子に裏切られたのは憤る事であったか。己の実績を全て捨ててでも?」

男は、じっと翠明の言葉を聞いていたが、答えた。

「…ここで、動かずにいる間、私は何が己をこのようにしたのかと考えました。あなた様のおっしゃるように、私は己の欲に支配されていた。支配欲のような…承認欲求でしょうか。私が助けて来た人々が、私から離れて弟子に頭を下げているのを見て、これまでやって来た事を否定されたような気がしてしまった。そして、私から人々の信頼を奪った弟子が憎かった。今思うと、あれは何も悪くはなかった。ただ、多くの人々を助けたい、経済的にも困窮している人々も同じように救いたいと、あれは思っていただけなのに。我らはリスクを背負って人を助けておりました。その対価として金を受け取っていたので、それを安売りするのは自分の命の安売りのように思って、家族も養っていたし、私は受け取る金額を下げる行為を許せなかったのです。いつ共倒れするか分からぬような毎日なのに…安売りして、何も残せず、家族が路頭に迷うことなどあってはならないと。」

翠明は、この男も必死だったのだと思った。

弟子の行いは崇高だ。命の安売りではなく、自分の身をなげうってでも人を助けようと思う高い意識があったのだ。

この男は、命を懸けてはいたが、家族のことを考えた。そうして死んだ後、何も残せないなどと。

簡単に見える施術も、簡単なことではない。能力者は、命を懸けて施術をしているのだ。

助けられる相手は、金額が低ければそんなものと価値を考えるだろう。それが、この男には許せなかった。何も知らぬのに、と。

ただの考え方の違いで、男は焦って力を失い、罪を犯し、そうして命を落としたのだろう。

「…力を失ってあの顔の無い二体に憑かれて死んだのだな。」

男は、そこで微動だにしなかった肩を、がくりと落とした。

「…はい。私には何も見えなかった。弟子が案じていたようでしたが、私が近寄らせなかったのであれは私を助ける事も出来なかった。私は死に、弟子が葬式で泣くのもただ憎かった。お前のせいで、などと思って。その暗い感情も、自分に憑いているこれまで自分が忌み嫌って祓って来た、亡者のせいなどとは思いもせずに。そうして、力が欲しいと思いました。葬式で見た弟子は、光輝いていてとても近付けるものではなかったし、それに勝つには神になるしかないのだと。私は、そうしてあの祠を見付けて、そこに籠って何も知らずにやって来る、人の力をもらいながらその時を待っていました。今考えると、愚かな事です。私は神にはなれぬのに。」

翠明は、その男の穢れを見た。

身の内に持つそれは、翠明には祓う事は出来ない。生きている内に被った穢れなら、まだ祓う事も出来た。だが、死んでからのものは男自身が改心した上で努めなければ、とても祓えなかった。

そして、生きている内に被った穢れでも、神を裏切った穢れは神である翠明にはまた、祓えなかった。

男を世話して力を貸していた神に許され、その神に祓ってもらうより他無いのだ。

翠明は、ため息をついた。

「…困ったことよ。我はの、人が好ましいのだ。」男が驚いて翠明を見上げると、翠明は続けた。「人も神も、基本は同じ命なのだ。神も間違うことがあるのだから、人ならもっと間違えるであろう。まして主は、最初は神の力を借りて人を助けて努めていた。たった一度の過ちで、そうやってどんどんと地に堕ちて穢れて消えて行くなど、哀れに思う。そもそも、能力者として力を与えられていたのだから、それなりに育っていて、そのまま転生を繰り返せば神にもなれる優秀な命であったはずなのだ。それを…力を失って穢れた亡者に憑かれた末に命を落とし、そうして消えて行くなどと思うと、居たたまれぬ。とはいえ、主が罪を犯したのは確か。黄泉へ逝って祓うよう努めるしかないが、実は今一つ、方法があるのだ。」

男は、目を見開いた。穢れを消す方法?!

「え…無いと仰っていたのでは。」

翠明は、渋々頷いた。

「そう。実際あり得ぬことなので、言わぬだけぞ。だが、ある。主を信頼して力を貸しておった神が、主を許して祓う事は出来るのだ。」

それを聞いて、男は一気に失望した顔をした。

そんなことが、あるはずなどないのだ。

「…ならば確かにあり得ない事です。私が能力に目覚めた時から、教え導いてくださったあのかたのご信頼を、私は裏切ったのです。だからこそ、力を取り上げられてしまった。お許しくださることは無いでしょう。」

翠明は、じっと男を見た。

確かに穢れてはいるが、こうして話していると受ける印象は悪くない。つまりは、これだけの穢れを持っていても心根は悪くないという事だ。

恐らく、じっとここに座って神気に触れているうちに、正気に戻ったのだろうと思われた。

本来、善良な男であったのだろう。

「ならば…一つ、提案がある。」男は、おずおずと顔を上げる。翠明は続けた。「我には、主の穢れを祓うことは出来ぬ。主には、死してから他の命を取り込んで己の力として苦しめた罪と、生前神を欺いた罪が穢れとなってその身にあるのだが、どちらも黄泉へ逝って精進すれば、かなり時は掛かっても何とかなるものぞ。もう一つ、主が裏切った神に許されてその穢れを祓ってもらう事でそちらの穢れは消え、死してから他を苦しめた罪は…己で、祓うことも可能ぞ。我には出来ぬがの。」

男は、ごくりと喉を鳴らした。もう身がないのでそんな事は意味がないのに、生きていた時の習慣は抜けないらしい。

「己で祓う?死んでおるのにですか。」

翠明は、頷く。

「そう。神である我らが手を貸し、場所を与えて主が誠に心底精進すれば、そちらは祓う事が出来る。」それを聞いてパッと希望の色を灯す男に、翠明は険しい顔を向けて続けた。「簡単な事ではない。もし、また一度でも惑って欲に突き動かされ、何かしでかしたとしたら主は我をも裏切る事となり、もっと重い穢れを背負う事になるぞ。恐らく、主が見た主に憑いておった顔も無くなった奴らのように成り下がる。そして、もう狂うて砕けて消えるしか未来はなかろう。黄泉へと行けば、時が掛かっても真面目に努めたら何とかなるもの。リスクは大きい。それを聞いて、主はどうするのだ。」

男は、一気に硬い表情になった。

何しろ、一度は欲に惑って神を裏切ることになってしまったのだ。

これから、いったいどれぐらいの年月努めたらその穢れが消えるのか分からないが、その人には思いもつかないような長い年月の間、惑わずひたすらに真面目に精進することが、自分に出来るだろうか。

男がただ固まっていると、翠明はフッと表情を緩めた。

「…まあ、無理であろうな。だからこその今。かなりの覚悟が必要ぞ。一度挫折したのだから、恐ろしいであろうからの。もし、その覚悟が出来たなら結界に向かって申すが良い。我が考えてやろう。そして、もし主がやると決意して見事祓い切ることが出来たのなら、次の穢れぞ。やり切った主の功績を認めて、我が主の神に話を付けてやろう。」

男は、それを聞いてびっくりした顔をしたが、見る見る涙を浮かべた。

「こんな…こんな私のために、あの神に願ってくださると。」

翠明は、答えた。

「主が、長の年月耐え抜いて己で何とか出来る方の穢れを消し去ったらの話ぞ。」と、男の目をじっと見つめた。「人にはかなりの修練が必要な事ぞ。大きなリスクも負っておる。だが、リスクを負って人を助けていた主ならば、乗り越えられるのではないかと思うたのだ。これが最後の機ぞ。成せなければ消滅しかない。よう考えよ。時は、いくらでもある。」

男は、涙ぐんだまま、頷いた。

翠明は、この男なら覚悟さえできたら成せるのではないか、と、信じたい気持ちになっていた。

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