出現
蒼は、突然に大きな気の気配を宮の中に感じて、驚いて探った。
碧黎ではない。碧黎の気配なら分かるのだが、これはもっと考えられないほど大きな気だ。
急いでその気配が漏れる維月の居る維心の対へと向かうと、裏の出入り口付近で、将維の乳母が倒れていて、侍女が介抱している最中だった。
「いったい何があった?!」
侍女は、蒼を見上げて首を振った。
「分かりませぬ。我ら、維月様に呼ばれて参ったら、将維様の乳母のかたがこのように。これから、治癒の対へ移動致します。」
蒼が頷いて部屋の中を見ると、維月が床に座ったまま青い顔をしている将維を気遣っていて、碧黎が見た事もない綺麗過ぎる男と、立ってこちらを見ていた。
「…え?どなたですか?」
今は、そんなに大きな気を感じない。とはいえ、抑えているのだろうな、という気配は感じた。
碧黎が、答えた。
「我の親よ。」
蒼は、仰天した顔をした。ということは、これは天黎だ。
「え、天黎様が実体化なさったんですか?!」
蒼が言うと、天黎は面白そうに言った。
「ほう。その名で呼ばれておるのは知っておったが、面と向かって言われたのは初めてよ。面白いものぞ。そうか、我は天黎か。」
碧黎が、言った。
「いや、主が否と申すなら他でも良いぞ。何かあるか?」
天黎は、首を振った。
「別に何でも良いのだ。別に必要ないから名を持っておらなんだが、ここのところ主らの会話の中でその名が頻繁に出て参るので、慣れて参った。とはいえ…」と、自分の手足を見た。「実体化というのをしたのは初めてよ。人型だと気を入れて念じたらこれであった。ということは、我は地上へ出たらこれということよな。初めてはっきり出て参ったので、珍しいわ。」
めちゃくちゃ綺麗だけどね。
蒼は思っていた。
維月が、将維を気遣いながら戸惑いがちに言った。
「あの…では、月の宮にご滞在に?」
天黎は、維月を見た。
「そのつもりぞ。せっかくに出て参ったし、これが勧める共に生活というもの、やってみて良いかと思うておるから。」
碧黎は、ではしばらく共に居るのか、と珍しく緊張気味な顔をした。蒼は、慌てて言った。
「では、あの滞在なさる場所にご案内を。」と、碧黎を見る。「炎嘉様が昔使われておった南の明るい対はどうでしょう?」
碧黎は、何度も頷いた。
「そこで良いかと思う。神世を知りたいのなら、王と同じ扱いを受けて学んでみたら良いかと思うし。」
天黎は、笑った。
「どこでも良いのだ。とはいえ、地に足を付けておるとはこんな様子か。何もかもが目新しゅうて良いな。」と、きょろきょろと回りを見回した。「視界も。目で見るとはこういった感じか。」
何もかもが初めてなのだ。
碧黎は、緊張しているようだったが、あちこち興味深げに見る天黎を促して、維心の対を出て行った。
それを見送って、蒼は床に座り込む将維を見た。
「将維、大丈夫か?」
将維は、疲れた顔で頷いた。
「もう大丈夫だ。だが、ここへ来たと思うたらあの気の圧力に圧倒されてしもうて。気が付いたら気を失っておった。まだ幼いと、やはり大変だな。」
蒼は、頷いた。
「乳母も倒れていたしな。ちょっと落ち着いたら、茶でも準備させよう。維月も、着替えて居間へ出て来たらいい。」
維月は、言われてみたらまだ起きたばかりだったと頷いた。
「ええ。早かったら維心様だって来られる頃だし、急いで着替えるわね。お父様がいらっしゃったからお話をしていて、そしたら天黎様がいらしてこんなことに。」
蒼は頷いて、将維を促して居間の方へと歩いて行った。
維月は急いで自分で着替えて、居間へと出て行こうと頑張っていた。
その頃、十六夜は大氣と瀬利の所へ逃げ込んでいた。
だが、碧黎も言っていた通り、十六夜も知っていたが、どこへ逃げても天媛の声は通って来るので、逃げた事にはなっていない。
それでも、早々に自分の事をやり終えてさっさと月の宮へと帰って行った碧黎とは違い、二人は傍に居てくれるのでまだ、愚痴ることも出来て安心だった。
大氣が、息をついて言った。
「誠に…主はいつも面倒ばかりを持ってきおってからに。そもそも、雑であったから正されておるのだろうが。しばらく、きちんとこなせるようになるまで努めるが良いぞ。わざわざ我らの所へ来るでないわ。」
十六夜は、半泣きになりながら言う。
「そんな薄情な事言うなよ。オレだって頑張ってるけど、何をやっても微調整が入るから疲れて仕方がないんだって。確かにめっちゃ手際は良くなったと思うけど、一気には無理なんだ。ちょっとずつやりたいんだっての!」
瀬利が言った。
「だから、主は何年月をやっているのだ。今さらゆっくり時間をかけておる場合ではないと思われたのではないのか。主単独ではいろいろおかしなことにもなるゆえ、こうして痺れを切らして逐一育てることにしたのではないのか。有難いと思うた方が良いぞ。」
そうは言っても、24時間家庭教師がついているような状態で、何もかも手取り足取り教えているという感じなのだ。
鬱陶しいことこの上なかった。
「でも…でもオレ、これまで放って置かれたからそっちの方に慣れてて無理だ!もう煩くて仕方がないんだっての!いつも声だけで…姿も見えねぇし!」
すると、そこへ天媛の声が割り込んだ。
《誠、主は困った性質よ。あの地を見習っておれば、そこまでにならぬのに、主はあまりに信じられないはずの己を信じすぎておるのだ。》と、突然に目の前に閃光が走った。《姿がどうのと申すなら、見せてやるゆえ励まぬか。》
え、と三人が目を丸くしている目の前で、その閃光は形を取り始め、そうして人のような形になって来たかと思うと、中身がハッキリとして来た。
「え…待て。もしや実体化…?!」
瀬利が驚いて言う。そもそも、自分の結界の中で、誰かが許可なく実体化するなど考えられない。
だがますます光は凝固するようにしっかりとして来て、スッとその光が消え去り、そこには赤い瞳に白い髪の、目が覚めるほどに美しい女が、こちらを向いて立っていた。
「待ってくれ…お前、天媛か?」
大氣が、慌てて横から言った。
「待たぬか、それは主らが勝手に呼んでおる名であって、本人は知らぬのでは。」
しかし、相手はそれは美しく微笑んで言った。
「良い。主らが我をそのように呼んでおるのは知っておる。名という概念はなかったが、特にこだわりもないしそれで良いと思うておるよ。」と、ジーッと十六夜を見つめた。「それで、月よ。確かに我らは主がそういう性質だと知っていてあれに託したのだが、最近はあまりに目に余る。ゆえ、あれを怒らせるし面倒が起こるのだ。だから我は、主を根本から変えたら良いかと思うた。あれがこれまで我の行動を規制しておったので、声を掛けることも出来なんだが、今はお互いに干渉せずにやろうと決めたゆえ、思う通りに出来るのだ。なので、主を育て直そうと思うて。」
瀬利は、少し眉を寄せた。
「行動を規制など…主の片割れは、もしや己の力に慢心して主を縛り付けておったのでは。」
そういう事は、瀬利からしたら許せないことだ。人でも神でも、そんな者にはそれなりの罰を与えてやりたいと思う方だ。
十六夜は、言った。
「それってモラハラじゃねぇの?天黎ってモラハラ夫だったのか。」
天媛は、顔をしかめた。
「モラハラ夫とは何ぞ?ちなみに、我らは主らが思うところの夫婦というものではないぞ?生まれた時から対であったから、傍に居っただけ。此度、思えばずっと傍に居る必要も無いなと思うて、お互いに話し合って離れることにした。あちらも、我の意見を聞いたのは初めての事でな。我らも学びのために、それぞれ良いと思うように行動することになったのだ。」
やっぱりモラハラ夫じゃないか。
皆が思ったが、通じないので言わなかった。
天媛は、きょろきょろと回りを見ながら言った。
「それにしても、人型を取ったのは初めてぞ。皆このように見えておるのだな。面白い…しばらく、こちらに居るわ。月…ええっと、十六夜。主も共にな。」
「ええ?!」
ここは瀬利の屋敷なんだけど。
だが、天媛は当然のようにニコニコと微笑みながら、三人の顔を眺めていたのだった。




