忙しい時
それから、緩やかに時が過ぎて行った。
維心と維月は相変わらず仲睦まじく、いつも一緒でそれは幸福そうに過ごしていた。
維黎として転生した将維も、維月に可愛がられて伸び伸びと育っていた。中身は将維なのだが、見た目が幼いので愛らしくて仕方がなくて、維月はよく、将維と一緒に葉月を抱いて、庭を散歩したりしていた。
維黎も、せっかく転生して初めからその生を歩んでいるので、維月も維心も、幼い間は何の気兼ねもなく過ごせたらと考えていたので、普通の子供と同じ扱いで、楽しんで生きていた。
そんな毎日を過ごしている中、十六夜が久しぶりに龍の宮へとやって来て、窓から遠慮なく覗いて来た。
「よお。」
維月は、そちらを見てびっくりした顔をした。
「まあ!十六夜、久しぶりね!」
維月が寄って行くと、十六夜は窓から中へと入って来て、言った。
「やっと落ち着いたからよお。オレだって、ちょっと月から離れちまってたから、いろいろ忘れてることがあってな。お前が陰の月から降りてた時とおんなじで、オレも無意識にやってたことがあったみてぇで。それを思い出すのに時間が掛かっちまったんだよ。で、今日は将維に教えといてやろうと思って。将維は居るか?」
維月は、苦笑して言った。
「今はお昼寝の時間よ。それより十六夜、今生は維黎なのよ。みんな将維って呼ぶんだけど。維心様も、いっそ名を変えるかとおっしゃってるぐらい。何しろ、小さいのに言葉が達者で。」
十六夜は、笑った。
「そりゃ中身が将維なんだからそうならあな。名前なんてどっちでもいいんだけどな。」
維月は、言った。
「でも、維黎に何を知らせようと思っているの?あの子にはまだ何の権限もないし、まさか地か月にでも上げるつもり?」
十六夜は、笑って手を振った。
「別にそれでもいいが、葉月の方がまだ小せえからなあ。まだ二歳だろ?」
維月は、それには頷いた。
「そうなの。だからまだそこまで大きくないわ。赤子からちょっと育ったぐらいよ。維黎はもう、小学生手前ぐらいの大きさに育ってるけど。」
十六夜は、苦笑した。
「だろうな。まあいいか、お前に言っとこう。そろそろ知らせが来ると思うけどさ、炎月の妃の志穂に、子供が生まれたぞ。男だった。」
維月は、目を見開いた。ということは、それは炎託だ。
炎託が、転生して来たということだ。
「まあ!じゃあ炎託が?!」
十六夜は、頷いた。
「蒼から聞いているけど、そうなんだろ?だから、将維が知りたいかなって思って先に知らせに来てやったのさ。なんかバタバタしててあっちは大騒ぎだから、まだ告示まで時間が掛かりそうだったしよ。炎嘉も、孫だ孫だと大騒ぎで、臣下達も、次の次の王まで生まれたと喜んでさあ。鳥の宮全部が大騒ぎしてるんだよ。」
維月は、その様子が目に浮かんだ。あれだけ、今生は妃を娶らぬと言っていた炎嘉が、維月との間に炎月を成すことが出来、それは喜んでいたものだった。
その炎月が、皇子を手にしたのだ。
これで、自分に何かあっても大丈夫だと思うと、炎嘉も感慨ひとしおなのだろう。
「お祝いを遣わせなければならないわ。維心様と何が良いか考えるわね。蒼も、準備しなきゃならないと思うから、蒼にも知らせてあげた方がいいわよ?」
十六夜は、ハッハと笑って手を振った。
「もう言ったよ。あいつはタオルがあるから便利なんだって。誰の祝いとかでもあれを大量に贈ったらそりゃあ喜ばれるし、神世であれがあるのは月の宮だけだからな。特に出産祝いにはみんな期待してるぐらいで。」
維月は、フフフと笑った。
「そうよね、確かに。ここでもタオルが無いと湯殿から出ると不便だと維心様が仰るし、鵬達も定期的に月の宮から仕入れてるのは知っているわ。維黎と葉月が生まれた時も、蒼がたくさん送ってくれたから助かったの。」
するとそこへ、維心が戻って来た。
維月は慌てて維心に頭を下げた。
「お帰りなさいませ、維心様。十六夜が来ておりますの。」
維心は、頷いて維月に手を差し出した。
「珍しいの十六夜。何かあったか。」
維月が維心の手を取りに来て、維心はその手を握って一緒に椅子へと座る。
十六夜は、頷いた。
「こっちにもそのうち連絡が来ると思うが、炎月の皇子が生まれたんでぇ。それで、将維に知らせようかと思って来たんだ。でも、昼寝だって言うから。」
維心は、クックと笑った。
「あやつを主まで将維と申すか。臣下も将維様と呼ぶし、改名でもするかと申しておってな。ややこしいてならぬからの。」
十六夜は、顔をしかめた。
「中身が将維だからよ。維黎ってなんか馴染まねぇしな。いい名前なんだけどなあ。」
維月は、維心を見上げた。
「誠に改名を考えておられるのですか?確かに…維心様も維明も、同じ名ではありますが…。」
「炎託もな。」十六夜は、言った。「炎嘉は知ってるから、生まれた子を炎託と名付けるように炎月に言ってた。多分、炎月は従うだろうし、同じ名前だと思うぞ。」
維心は、維月を見た。
「我らは知らなんだが、知っておったら将維と名付けたであろう。万が一思い出した時、こうしてややこしいからぞ。維黎という名は、次の皇子のために残しておくのも良いのではないか?」
維月は、その方が良いのだろうかと考えた。名前は、皆にその命が誰かと知らせるためのものなので、確かに皆が皆将維だと思っているのなら、将維の方が良いのかもしれない。
「…本人に聞いてみてからではいかがでしょうか。」維月は、言った。「もしかしたら、維黎という新しい生を生きたいと思うておるかもしれませぬし。」
維心は、維月の気持ちも分かったので、頷いた。
「そうであるな。ここは本人に任せよう。それで名が決まったのなら、これからは将維とは呼ばずに皆で維黎と呼ぶように申す。その方が良いだろう。」
維月は、ホッとしたように頷いた。
「はい。どの名でも、将維は将維でありますから。でも確かに…私も、あの子は将維だと呼んだ方が、しっくり来るのは確かなのですけれどね。」
維心は維月の肩を抱いてまた頷いて、十六夜を見た。
「して?炎託が生まれた事を知らせに参っただけではあるまい?」
維月は驚いた顔をしたが、十六夜は苦笑した。
「まあな。あのさあ…お前、ええっと天黎?だっけ。親父が言ってたけど、あの、親の名前。」
維心は、それにも頷いた。
「維月が呼び名を考えたのだ。天黎と、天媛。それがどうした?」
十六夜は、神妙な顔をして、言った。
「その、天黎らしい声が、オレにも聞こえてよお。最近なんだけど。月の扱いを思い出そうと必死に自分の中を探ってたら、なんか、語りかけて来るんだよ。もう一人、女の声もあった。多分そっちが天媛だろうな。」
維月は、首を傾げた。
「私はお会いしたこともないし、お声も聴いた事がないのよ。だから、どっちがどっちとか分からないんだけど、お父様が幾分高い声、と言っておられたから、多分女声の方が天媛様だと思うわ。でも、どうして十六夜に話しかけるの?一体、何を言ってらしたの?」
十六夜は、顔をしかめた。
「それがよー、そうじゃないこうだ、とか、そっちではない、今少し強く、とか、オレが何かやろうとしたら、助けるみたいな感じで。こんな普段から気軽に話しかける感じだったかあ?って戸惑ってなあ。でも、あんなことが出来るのは、親父じゃない限り天黎と天媛しか居ねぇだろうし。どうなってんだろうってな。お前、何か親父から聞いてるか。」
維心が、横で首を振った。
「いいや。碧黎とは、あれから会っておらぬから。何やらあちこち乱れておるから、それを正してなるべく災害が起こらぬようにしなければとか言うて、そっちに忙しいらしいゆえ。だが、暇が出来ればあれなら維月に会いに来ようし、そのうちに来るのではないかの。主は会っておらぬのか?」
十六夜は、頷いた。
「オレに謝りに来たのが最後だな。めっちゃ謝って来るから、目が覚めたばっかだったし、『おう』って言っちまってさあ。許した事になっちまって。それからオレだってあちこち乱れてて大変だったから、親父の事なんて考えてる暇も無かったんだ。やっと落ち着いて来て、地上を見たら鳥の宮が騒がしいから見てみたら、炎託が生まれててこりゃ知らせてやらにゃって思って来たわけだ。ま、蒼もいろいろ溜まってるから早く帰って来いって言われてるんだがな。」
本当に、つい最近まで必死に月で調整していたのだ。
維心と維月は思って、言った。
「時が掛かったが、落ち着いたようで良かったことよ。やはり月は主でなければならぬわ。我では片っ端から消してしもうて、いろいろ支障が出ておった。主のありがたみがよう分かったわ。」
十六夜は、苦笑した。
「それまではありがたいって思って無かったって事だな?ま、いいけど。オレも無理して自分を変えなくても良いって知ったし…ま、ちょっと維月の事はちょっとやり過ぎたけどよお。もうあんなことはねぇ。いろいろ悟った感じだよ。」と、窓の方を向いた。「じゃ、オレは行くわ。またどうせ里帰りして来るだろ?お前、赤ん坊が居るからってここ二年ほど帰ってないんだし。炎月の事も、表立って会ったり出来ねぇけど、月の宮だったら会えるかもしれねぇしさ。」
維月は、維心の顔色を気にしながらも、頷いた。
「ええ、そうね。ここのところ帰っていないしね。また日程が決まったら知らせるわ。」
十六夜は、笑顔で頷いて窓から飛び立った。
「じゃあな!なんかいろいろスッキリした気分だよ!」
十六夜は、そう言い置いて、飛んで行った。
維心は、それを見送りながら、言った。
「十六夜に言われてそう言えばと思うたわ。月の宮へ長く帰っておらぬの。今はそう忙しゅうないし、行って参るが良いぞ。炎月にも、知らせをやっておけば月の宮へ来ようし。」
維月は、あまりにすんなりと維心がそんなことを言うので、驚いて維心を見上げた。
「え、よろしいんですの?」
維心は、困ったように笑いながら、頷いた。
「別に前のように何某かないわ。今は誠に主は我の妃であって、そう、我だけの妃であって碧黎は父であるし、十六夜は兄ぞ。別に妬くことも、ついぞ無うなった。最近では落ち着いておったし、維黎を連れて参っても良いのではないかと思うぐらいぞ。ま、我も後から参るがの。」
やっぱり来るのは来るんだ。
維月は思ったが、微笑んで頷いた。
「そうですわね。将維の頃に住んでおったのだし、懐かしいでありましょうし。では、葉月は乳母に任せて、維黎だけ連れて参りますわ。維心様も、なるべく早くお越しくださいませね。」
今はなぜか、離れておるのがとても寂しい気がする。
維心は、笑って維月の肩を抱いた。
「またそのように甘えて。案じずとも、我が離れておられぬのだから。すぐに参る。」と、維月の額に唇で触れた。「誠…落ち着いた事よ。まさかこのように穏やかな日々が来るとは思うておらなんだ。」
維月は、十六夜と維月、それに維心の関係の事を言っているのだと分かった。確かにこれまで、いつも誰かと維心と維月、という関係で、こうしていつも、二人きりという関係ではなかったからだ。
維月は、維心の首に腕を絡めて微笑んだ。
「維心様だけを夫と愛しておったら良いのが、私も嬉しいですわ。ずっと私の心を掴んで離してはくれませぬもの…。」
そう言って唇を寄せると、維心はそれに応えようと維月の腰を抱いて引き寄せながら、言った。
「離すものかといつかも申したの。粘った甲斐があったわ。」
そうして、二人は口づけ合った。
もう数百年も、ずっとこうして一緒だったが、誰よりもお互いに、愛して必要としているのが分かった。
それが幸福で、仕方がなかった。




