関係は
維心は、炎嘉に口づけられて、前のように嫌ではなかった自分に驚いていた。
前はもう、そのまま押し倒されるのではないかというほどいきなり深く口づけられたので、怖気が走って突き飛ばしたりしていたが、今のはそんな事を感じる暇もないほど、そこに愛情すら感じる口づけだったので、びっくりして抵抗出来なかったのだ。
そんな自分に躊躇いながら奥へと帰って来て居間へ入ると、維月が微笑んで迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、維心様。お早かったのですわね。」
維心は、別に大層な事をしてきた訳でもないのに、後ろめたい気持ちになった。
なので、言った。
「今、帰った。」と、維月の手を取った。「その…炎嘉がまた別れ際に口づけて参って。」
維月は、すんなりと頷いた。
「知っておりますわ。皆様炎嘉様のお部屋を出られて控えに向かわれるのに、維心様と炎嘉様が残られてお話をなさっておるようでしたので、気になってしもうてつい、見ておりましたの。」
見ていたのか。
今の維月は地のようだ。それは鮮明に見えていただろう。
「すまぬな、あのような。あれはどういうわけか時にあのようにしよるから。」
維月は、苦笑して答えた。
「炎嘉様には悪意はおありになりませぬ。ですから維心様も、気取る事が出来なくて避けられなかったのですわ。炎嘉様からは複雑な…友に対してというには強い、ですが異性に対するというには違うような、そんな愛情が読み取れましたの。維心様のことは慕わしいが、女ではないから、というような。女なら良かった、ということかもしれませんわね。なので、あちらは男性の維心様と無理にどうにかなろうなど思われてはいませんわ。ご案じなさる事はないかと。」
そんなことまで分かるのか。
維心は、思わず維月の手を握った。
「我とてあれを大切に思うておるし、信頼しておるが女であってもそんな関係は否なのだ。そこが炎嘉と違う。それなのに…本日のアレは、その、嫌悪感が無くて。戸惑っておるのよ。どういうことであろう。」
自分の気持ちを維月に聞くのもおかしな話だったが、それでも維月は、真剣に答えた。
「維心様からは、炎嘉様には友というには強い…親族に近いのかしら。いえ、でもどこか恋愛のような色も感じますわ。もしかしたら維心様は、私の次ぐらいには炎嘉様を愛しておられるのではないかしら。もちろん、炎嘉様と肉欲のようなものは全く感じませぬが…命。そう、命が繋がっておるような絆ですかしら。」維心はショックを受けた顔をする。維月はうーんと維心を凝視して、何かを見ているようだった。「…そうですわ。体ではなく心ですわね。維心様には、私と同じぐらい炎嘉様を失いたくないとお思いでしょう?」
維心は、戸惑いながらも頷いた。
「それは…確かにあれを失うたらと思うと居ても立ってもおられぬ心地ではあるが。」
炎月の誕生を許したほどなのだ。
それは大切に思っているのは確かだろう。
維月は、頷いた。
「それも愛情なのですわ。炎嘉様とは私よりも遥かに長い時間共に来られたのでしょう。炎嘉様はずっと維心様を助けて来られたのですから。それも道理かと。」
だからといって、維月は特に気にしていないようで、咎めるような気配は全くない。
維心は、身を震わせた。まさか…それを気取って回りは我らが何かあると思うのだろうか。
何しろそれなら相思相愛なのだ。
「…回りがうるそう申すのも、そのせいなのかもしれぬ。我らはそんな関係ではないが…お互いに思う気持ちがあるということか。」
維月は、神妙に頷いた。
「良いではありませぬか。」維心はびっくりした顔をする。維月は大真面目に続けた。「それだけ思い合う友などなかなかに出逢えるものではありませぬから。しかも肉欲を超越しておるのですわよ?崇高な思いだと思いますわ。大事になさる方がよろしいかと。」
維心は、慌てて言った。
「我ら誠に何もしておらぬからの。これからもそんなつもりはないし。」
維月は、さらりと言った。
「もし、そんなことがありましても最早驚かぬレベルの思いでありますし、私は別に何かあったからと何も申しませぬわよ?」
維心は、それはそれでショックを受けた。それは見捨てるということか?
「我は主から見捨てられるのではないのか。」
維月は、首を振った。
「嫌ですわ維心様、私はなんでもかんでも怒りませぬから。お二人の心地は知っておるので、そんなことがあってもその関係がそのまま婚姻のような意味合いだとは思いませぬもの。思いが凝り固まると、人も神も何をするか分からぬものですしね。維心様が妃として愛しておるのは私だけだと知っておりますし。なので、そのように構えずにこれまで通りに、何かありましてもお心安く。心を移されたと思うたらこの限りではありませぬが、愛情にはいろいろな形がございますから。」
そんな感じなのか。
維心は思ったが、まだ理解が追い付いていなかった。
つまりは友情の気持ちがつのりにつのってそんなことになったとしても、妃としての愛情が誰にあるのか分かっているので気にしないということなのか。
「…主を愛しておる。炎嘉は友として慕わしいので、その上でそんなことがあったとしても、それは違う愛情なので気にしないということか?」
維心が何とか考えて言うと、維月は頷いた。
「はい。それはあくまでもハプニングですから。維心様が簡単なお気持ちで応じられるとは思っておりませぬし、他とは考えられないでしょうから。」
維心は、訴えるように言った。
「だが、前に炎嘉とそんな関係なのかと強く問うたことがあったの。主は本当は嫌なのではないのか。」
維月は、ため息をついた。
「あの時は、異性に対する情愛のような感じで炎嘉様とそういうご関係なのではと思うたからですの。まだ月でありましたし、地ほど鮮明に神の気持ちを感じ取れるわけではありませんでしたし、炎嘉様と維心様の間の想いの種類まで分かりませんでしたから。でも、今は分かっておりますの。ですから妬くこともありませぬし、そのように絶対にダメだと必死にならなくても良いのですわ。」と、まだ考え込む維心をせっついた。「さあ、そんなことよりもう休みましょう。運動会の日程を知らせて参ったら、明日から忙しいですわよ?」
維心は、頷いたがまだ考え込んでいる。
維月は、そんな維心に苦笑しながらも、夜具へと着替えさせて、奥の間へと連れて行ったのだった。
次の日の朝、昨夜泊まった王達も帰途につくべく準備をする軍神達を待つ間、応接間に集まって朝の茶を共にしていた。
維心と炎嘉の二人の事は、昨夜少しの時間でも共に居たのは分かっていたので、皆そういう仲だと勘違いしているようだったが、改めてここで否定しても皆更に勘繰るので、もう維心も炎嘉も何も言わなかった。
そんな中、次々に軍神が準備が出来たと呼びに来て、一人一人が去って行く中、残っていた焔と箔炎が、じっと並んで座っている炎嘉と維心に小声で言った。
「のう、この際もう、我らにだけでも明かしてくれても良いではないか。別に責めぬぞ?主らはそういう仲なのだろう?いつからぞ。」
維心はうんざりしたが、炎嘉がため息をついて言った。
「あのなあ、誠に何もないのよ。女にしか興味が無いと申したではないか。前世21人も妃が居ったのだぞ?」
焔は、首を振った。
「それで女が嫌になったのかもしれぬではないか。別に無粋な事は言わぬぞ?維心なら美しいし我でももしかしていけるかもと思うぐらいなのだから、驚かぬし。」
箔炎は、心持ち慄きながら黙って聞いている。
炎嘉は、うんざりしながら言った。
「無いのだ。我も驚いておるが、誠に無いのよ。昨夜だって本当に話があったから残っておっただけ。あれから話して帰ったわ。十六夜と維月の事での…皆に維心から公表して良いのか分からぬから、我にはと話してくれたのだ。」
焔は、眉を寄せた。
「そんな大層な事があの二人にあったのか?」
炎嘉は、頷いた。
「我が言うのもなんだが、あの二人がいろいろあって、まあ十六夜が面倒な事をして、婚姻関係を解消したそうでな。それでも兄妹なので仲良うやっておるらしい。そういう事をせぬだけでの。それを、維心は我に伝えたかったのよ。今は維心だけが夫なのだそうだ。」
それには、箔炎も焔も驚いた顔をした。
「ええ?!また何をやったのだ十六夜は。とはいえ、仲良うやっておるなら良いのか…?」
炎嘉は、辛抱強く頷いた。
「良いのだ。あの二人からしたらその方が良いらしい。我だって、少なからず維月の事があるから、維心が知らせてくれたわけぞ。」」と、維心を見た。「だから、これは己の口から皆に申す事でもないと思うて、我だけと話そうとしただけぞ。勘繰るでない、我らには何も無いから。これが構えて硬くなってしもうておるではないか。」
焔と箔炎は、じっと維心を見た。確かに維心からは、何やら緊張気味な気を感じた。
「…すまぬ。だがの、主らの間に何やらそういう感じの感情を感じるのだ。序列的にいつも隣りに座っておるからでもあるが、何やら長らく連れ添った夫婦のような気を許し合っておる雰囲気の気をの。間に割り込めぬ感じがする。」
維心はただ黙って聞いている。
炎嘉は答えた。
「まあ年月が違うからの。我らお互いの背を守って戦った昔の記憶があるから。それからも維心が世を平定するのを脇で補佐しておったのが我。その流れで今もこれが苦手な事はいつも脇で見ておって我が補佐するゆえ、そう見えるのかもしれぬ。だがのう、誠に前世今生そんな事は思いもせなんだのだ。確かに今生の方が近しい間柄になっておるようにも思うが、それは維心が普通に育って心にわだかまりが無く、主らとも友として付き合う余裕があるからでは無いかと思う。前世よりかなり素直な感情を表すようになったからの。」
箔炎が、そこで口を開いた。
「そうよなあ。我は途中で離脱したが、あの荒れた世を二人で正したのは確か。志心も居ったがあれはまだあの頃は若かったしの。我はこやつらなら大丈夫だろうと、己の種族のために籠ってしもうただけぞ。どんな形にしろ、これらの間に強い絆があるのは確かだし、我らはそれを気取っておるのかもしれぬ。」
そこへ、佐紀がやって来て膝をついた。
「王、ご出発のご準備が整いました。」
箔炎は、立ち上がった。
「ではの、また運動会でな。我は新しい生を生きておるし、これらの関係を詮索したりはせぬよ。」
そうして、箔炎は出て行った。
その後ろから弦が入れ替わりに入って来た。
「王。ご準備が出来ました。烙様もお待ちです。」
焔は、立ち上がった。
「では我も帰るわ。ならば詮索はせぬが、それでも我らに隠し事はせぬで欲しい。我だって友だと思うておるし、水臭いと思うてしまうからの。また運動会でな。」
焔は、そう言って出て行った。
炎嘉が最後か。
維心は、珍しいと思った。嘉張はサクサクと準備を整えるので、大体最初の方に帰るのだ。
それが、今日は最後まで残っている。
維心は、炎嘉を見た。
「本日は嘉張は遅いの。」
炎嘉は、答えた。
「我が、出る前に連絡するゆえそれまで待てと言うたからぞ。」維心が驚くと、炎嘉は続けた。「主一人であれらの追求に晒されるのは忍びないからぞ。我の方が良いように答えられると思うたし、一人には出来ぬと思うた。ゆえに残ったのだ。もう帰る。」
炎嘉は、立ち上がった。維心は、炎嘉は自分を心配して残ったのだ、といつもなら当然に思うのに、いつもこんな風に自分を補佐して来てくれたのかと思うと、感謝の気持ちでいっぱいになった。なので、言っておこうと思って、口を開いた。
「…炎嘉。」炎嘉は、振り返った。「我は主を想うておるらしい。」
炎嘉が、目を見開いて天が落ちて来たのではないかというほど驚いてのけ反った。
「なにっ?!どうしたのだ、脳の病か何かかっ?!」
だが、維心は首を振った。
「違うのだ、維月が昨夜教えてくれたのだ。主は我を、女であったらと思うておるな?」
炎嘉は、そんな事をなぜに知っている、と退いた。
「た、確かにそうだがなぜに知っておる。」
維心は、言った。
「やはり。維月がの、昨日は地であってな。我が戻って来ぬのでこちらの様子を窺っておったらしい。炎嘉が我に、そんな感情ではないかと探ったと教えてくれたのだ。」
炎嘉は、龍の宮では滅多なことも思えぬなと思いながらそれを聞いた。とはいえ、維月はどこに居ても探ろうと思えば探れるのだろうが。
「それが、なぜに主が我を想うという事に繋がるのよ。」
維心は、視線を落とした。
「我にも分からずで。維月に己の気持ちの意味を問うたのだ。そうしたら、あれは我の心地を読んで、教えてくれた。決して婚姻のような情ではないが、我は間違いなく主を、維月の次ぐらいには愛しておると。ちなみに肉欲とかでは無く、命の繋がりなのだと言うておった。」
そんなにか。
炎嘉は、それはそれで驚いた。まさか維心が、そんなに自分を想っているなど思わなかったからだ。
「…それを申すなら、我だって主が女ならと思うぐらいには、主を想うておるぞ。愛情だと言うてもおかしくはない。女であったら維月より主を娶るしな。」
維心は、頷いた。
「前に言うておったから知っておる。だからの、あれらが誤解するのも仕方がないのだ。なので、何を言われても言い返すことが出来ぬと思うた。何しろ、そんな感情があるのだから、あれらからそう見えてもおかしくないのだし。」
炎嘉は、困った顔をした。これをどう受け止めたら良いのだろう。自分とそういう仲になりたいと言いたいのか、それともただ、事実を確認したいだけなのか。
維心はこういう時言葉がヘタなので、何が言いたいのか読み取るのが大変なのだ。
なので、ずいと維心に寄って、言った。
「ならば我とそういう関係になるか?我は良いぞ、主なら抵抗もないし。」と、頬に触れて唇を寄せた。「主も少しは応えてみよ。」
維心は一瞬躊躇ったが、全く抵抗せずに炎嘉の口づけを受けた。炎嘉は、こっちがびっくりして慌てて唇を離した。
「…本気か?」
維心は、首を振った。
「今はそういう心地ではないが、主がしたいのなら仕方がないかと思うた。」
炎嘉は、何やら急に心の底から激情のような、それでいて温かいような気持が湧き上がって来るのを感じた。
この維心が、我の気持ちを考えて受け入れようとしておるというか。
炎嘉は、維心から離れて、手を放した。
「…主の覚悟は分かった。我とて、主とそういう関係になっても不思議と嫌な気はせぬし、何なら今すぐにでも押し倒したいほどであるが、主にそういう扱いをしたくないのだ。それこそ、これまで大切にして参ったのだから、主が誠にそうしたいと思うた時に、そうなれば良いではないか。無理をするでないぞ。我が主を大切に想う気持ちは誠であるし、主の気持ちはよう分かったゆえ。此度は、これで良いな?」
維心は、素直に頷いた。
「そう言うてくれると安心するものよ。維月のように大切に思うておるのだから、主が求めるのに抵抗するのはと思うたからなのだ。我はやはり、主とそのような事したいとまでは、まだ思っておらぬから。」
炎嘉は、苦笑した。どこまでも正直で素直なヤツぞ。
「我とてしたい、とまでは思うておらぬ。主が求めるならという心地なのは同じぞ。ま、お互いにそういう心地になったら言おうぞ。それから考えたら良いではないか。」
維心は、また頷いた。
「分かった。」
炎嘉は何やら感動した。あんなに他者を寄せ付けなかった維心が、自分をここまで大切に思うてくれる時が来るとは。
そうして、維心に見送られて、龍の宮を飛び立った。
炎嘉は、男女の情とはまた違うのに、愛して愛されているという事実に、心が沸き立つような歓喜の感情が胸の内から湧き上がって来て、まるで若返るような気持になっていた。