その後
それから、維月は無事に目覚め、同時に十六夜も月で目が覚めたと連絡があった。
碧黎は、十六夜が目覚めたと知ってすぐに、十六夜を訪ねて謝罪をしたようだ。
十六夜としては、まだ大きな存在が何を思ってどうしたのかも聞いていない状態だったので面食らったようだったが、顔を見たと思ったらいきなり、申し訳なかったと土下座せんばかりに怒涛の謝罪ラッシュを受けて、思わず「おう」と言ってしまい、もっとごねる事も出来たのに、碧黎を許した事になってしまった。
そんなわけで、月の宮も安定して、月の眷族同士の争いは、幕を下ろした。
地上はそれからドタバタしたものの、思っていたほどの地震の被害もなくて、人も神も負傷者は少なかったようだ。
お陰で何事もなかったかのように、落ち着いた日々が戻って来ていた。
維月は、死にかけて、黄泉の道へと入った瞬間、繋がりも絶たれていたはずなのに、戻ってみると元通り地と月の陰だった。
恐らくは、あのどこかの誰かが、きちんと元に戻してくれたのだろうと思われた。
落ち着いたのを見計らって、碧黎が龍の宮へと訪ねて来て、維心、維月、碧黎は、居間で向かい合って話していた。
「どちらも元通り以上のようよ。」碧黎は言った。「十六夜が戻って上手く回しておるから、地上の婚姻もいつも通りに進み、子も問題なく生まれる準備が出来て来ておるし、良かったことよ。我も今少し冷静にならねばならぬな…十六夜は、月になるべくして親が我に与えた命であったのだろう。軽すぎるのは反省すべきところではあるが、あれはあれで良いのだ。我が悪かったのだと思う。」
維月は、頷いた。
「和解できまして安堵致しましたわ。それにしても…維心様からお聞き致しましたが、お父様の親の存在は、二人であったのですわね。そうなりますと、またその親も居るということでしょうか。」
碧黎は、息を付いた。
「その点については、我にも分からぬ。とはいえ…我らが生まれた時よりなんとのう憶えておる事によると、始めは何もない場所に、何かの動きが出てそこから命が生じたのだと。それが全ての命の始めであり、陰陽のない単一の命であったと…遠い、本当に遠い記憶で、それを教えられた気がする。」
維心は、眉を上げた。
「単一の?では、命は生み出されぬのでは。」
碧黎は、頷いた。
「そうなのだ。そして同じ単一の命がまた生じ、その後に、陰陽の対の命が生まれてそれらが皆が安定する場所を生んだ。我らが存在する空間の全ては宇宙といい、初めに生じたひとつの命の回りにあり、それは全ての中心であり全てを育む祖であると。宇は空間であり宙は時。その中で、我らはこうして生きているのだと…遠過ぎて定かではないが、それが真理なのではないかと我は思う。そしてこうして我らがお互いを認識して通じ合うために使う言葉でさえも、命なのだというのだ。天から与えられた命達のお陰で、我らは分かり合う事が出来るのよ。」
維月は、壮大で実感がわかなかった。だが、碧黎が言うのなら、そうなのだろう。
維心が、言った。
「それは黄泉で、他の神達と話しておる中で話題に上ったことよ。世の全ては幻想であり存在しておって存在しておらぬと。そも、宇宙というものが、そこにあると証明できるものは何もない。中に居る我らがそこにあると認識することによってそこにあると初めて証明されるのであって、宇宙自身が単一で己の存在を証明することは出来ない。それは我らも同じで、己だけでは己の存在を証明できない。必ずそこには他者が居て、それが己れの事を認識して確かに居ると言う事によって、存在の証明が出来ると。しかし、己から見てその存在は確かにそこに居るのだが、それが己の幻想ではないと証明する術は何もない。ゆえにこの世は、幻想であり幻想でないのだと。」
維月は、さすがに眉を寄せた。何を言っているのか分からないが、ここで分からないんですけど、と言ったら恐らく、話の腰を折る事になるだろうし、父と二人で分かるまで説明されまくるかもしれない。
なので黙っていると、碧黎が頷いて言った。
「我もそれは思うのだ。あって無いもの。我らの存在を証明できるものは、他の命しかないが、それが己が生み出した、夢の中ではないと誰が証明できることか。つまりは、全ては存在せずしかし存在するもの。我らを包む宇宙ですら、己の存在を証明出来ぬのに、我らに出来るはずもなく、己を認識しているこの意識が、見ている夢の中で修行しておるのかもしれぬ中で、生きておるのかもしれぬ。真実を知るのは難しい…全ての祖である大いなる中心の命にしか、それは答えられぬのかもしれぬの。」
維月が黙り込んでいるのに気付いた維心が、苦笑して言った。
「おお、すまぬ。このような話は退屈か。」
維月は、維心をジトッと見上げて首を振った。
「退屈なのではなくて、分からないから黙っておりました。あの、遥か昔の人の頃、仏教の経典などの説明をした本を読んだ事がありましたが、なんとのう、その中にあった事に似ておったような気が致します。ただ、それだけで。」
碧黎は、微笑んだ。
「良いのだ。このような事は、知らぬでもの。命自体の修行が進めば、自然分かって参る事であるしの。無理に理解しようとしても、それは己のものではないゆえ、過ぎた知識なのだ。まずは、己の事を磨く事を考えれば良いのよ。」
維月は、頷いた。
「私は、今ここで存在していると認識している維心様を心より愛しておりまするし、お父様の事も愛しております。共に過ごす幸せも真実のもの。私は今の幸せを享受して生きて参りたいと思うておりますわ。難しい事は分かりませぬもの。」
維心は、そんな維月の頭を撫でて笑った。
「それで良いのだ。我らとて、小難しい事ばかり考えておるわけではないのだ。ただ、不意にそのように思うだけ。主が確かに居るのだと、我は思いたいしの。これが己の夢の中の存在で、いつか消えてしまうのか、そもそもが存在すらしていないのかなど、考えとうもないゆえな。」
それには、碧黎も頷いた。
「我もそのように。昔から、深く考え込む事が多かったが、こうして神と接して生きるようになってから、そんなことはどうでも良うなった。幸福なのだから良いではないかと。誰が黄泉へ逝っても特に何も感じぬし、命とはそんなものと感情というものが無であった頃、幸福など知らずにで生きていたからの。今は、知ったゆえなあ。これで良いのだ。」
微笑む二人に、維月はホッとして、微笑み返した。
「私は私だと思うて、幸福である今に感謝して過ごして参りますわ。でも…大きなどこかの誰か…っていうか、話しにくいですわね。もうこの際、便宜上お名を付けてしまいましょうか。こちらから一方的にお呼びするという形で。大きな存在とか、どこかの誰かとか、お父様の親…つまりは祖父母なのですけれど、そんな呼び方では話題にも出しづらいですし…。」
維心が、頷いた。
「それは良いの。別に名を付けるのではなく、我らがあくまでも便宜上使う名という事で。」
碧黎は、首を傾げた。
「何か良い名はあるか?我はそういうのはからっきしでな。何しろ、己の名すら最近まで無かったのであるし、要らぬと考えておったから。」
維心も、興味を持ったような目で維月を見ている。
維月は、また私か、と眉を寄せて考えた。碧黎の時も、確か絞り出したような感じで付けたのだ。
「でも…その辺りの名では神と同じようになってしまいますし、困りましたわ。那岐様と那美様ではならぬでしょうか。ほら、人世の古事記にある、島を生み出した陰陽の神からとった感じで。」
維心が、うーんと唸った。
「既にある名はやめておいた方が良いのでは。他に何かないか。」
維月は、やっぱり駄目か、と悩んだ。
「では…地であるお父様をお産みくださったのですし…天のどちらかに居られるのですわね?」
碧黎は、頷いた。
「天と申すか、同じ宇宙ではあるが別の場所であるな。」
もう天でいいじゃないのと維月は思いながら、眉を寄せて頷いた。
「では、天を使いましょう。ええっと天の主だから…でもこちらを見守ってくださっておるし…。」
維心は、悩む顔をした。
「確かに難しいの。呼び名と申してあまりその存在の事を知らぬから名づけなど難しい。」
維月は、頷いた。
「そうなのですわ。お父様の御親なのだから、碧黎のお名を取って天黎とお付けしたいのですけれど、天はアマ、もしくはアメと読みたいなあと思うところですし…。」
碧黎は、言った。
「別にその名を付けるのではなく、こちらが呼ぶだけなのだから。天黎で良い。もうひと形の、陰らしい方は?」
維月は、答えた。
「ならばそちらは天媛様と。媛という字には、美しい、たおやかという意味があるのですわ。お姿は分かりませぬけれど、そのように。天黎様と、天媛様と。」
維心は、自分も名づけはあまり得意ではないと思っているようで、維月が決めてくれてホッとしているようだった。
「ではそれで。良いではないか、わかりやすうて。そう呼ぼうぞ。我も炎嘉達にそれで周知させておくわ。」
碧黎は、少し考えてから、頷いた。
「…良いと思う。何か、腑に落ちる名というか。これからはそう呼ぼうぞ。」と、維月の頭を撫でた。「主は賢しいの。名づけが得意であるのだな。」
維月は、無理やりに絞り出したのに意外にも褒められたので、笑って答えた。
「気に入って頂けて良かったですわ。思えばお父様の名も、こんな風に付けましたわね。遠い日の記憶ですけれど…前世でありました。」
碧黎は、遠い目をしながら言った。
「そうであったな。あの時はピンと来ぬでな。だが、今では我の名となった。そう呼ばれておるうちにの。大氣も陽蘭も、瀬利も人や神と接して名を持っておったのに、我だけはそれが無かったゆえな。あれから、主らを知って…己が孤独であったことを知ったのだ。」
維月は、それと知らずに独りきりで生きて、ただ命を育んで世話をして生きていた碧黎の事を思った。それが孤独とは思いもせず、ただ、ひたすらに責務だけに生きていて、幸福という感覚も、愛情も、何も知らなかった。なので、寂しいという感覚もなく、淡々と、命の繁栄だけを楽しみに、生きていたのだ。
今の碧黎は、幸福を知り、愛情を知り、他の命に混じって助け合い、そうして時に寂しさも感じながら、生きている。
生に彩りが出来たと碧黎は言っていたが、その通りなのだろう。
「…天黎様も天媛様も、きっとお父様が何より幸福で、責務を果たして行かれることを望んでおられますわ。愛ぐし子とおっしゃっておられたのでしょう。孤独であったと思われていた時も、きっと孤独ではなかったのですわ。」
碧黎は、そう言われて確かにそうかもしれない、と思い至り、維月を見返して、微笑んだ。
「確かにの。我は、いつの時も孤独ではなかったのかもしれぬな。」
碧黎は、窓から見える、空を見上げた。
こちらを見ているだろう、自分の両親の事を、そこに探しているようにも見えた。




