空間
「維月はどこぞ?!」
維心が叫ぶ。
その瞬間、炎託が何もない黄泉の道の空を見上げた。
「うお?!」
『維心!!』
碧黎は、黄泉の門の向こうから言う。
維心は、ここでは気を使えないので思わず腕で頭を庇った。
「ぐ…!!」
強い、何かの力が自分の全身を掴んだ感覚がする。
「維心!」
碧黎の声が、間近に聞こえた。
維心が何とか目を開くと、掠れて消えて行く視界の向こうで、碧黎が黄泉ではなく道の空間の目の前に居て、自分の腕を掴もうと必死に抗っている姿が目に入り、そうしてそこで、意識を失った。
維月と同じ所へ行くのなら…。
維心は、薄れていく意識の中で、そう思っていた。
炎嘉が頽れているのを維黎が小さな手で気遣っている。
維明は、揺れが全く収まらないのに、どうすれば良いのか分からずでただ、亀裂の前に浮いている大氣に期待してそちらを凝視していた。
「!!」
すると、その大氣が不意に後ろへと飛び退り、何かから身を守ろうとした。
その瞬間、蒼が亀裂からペッと吐き出されるように放り出され、床へと放り出されて転がった。
そして、亀裂は軋むような音を立てて、ぐにゃりと歪んだかと思うと、閉じて行った。
「亀裂が…!」
維明は、絶望的な気持ちになった。
この亀裂は、維心の力で開いたものだった。つまりは、維心が死ぬか、力が遮断されるような事態が起これば、亀裂は無理やりにこじ開けられている力から解放されて閉じてしまうのだ。
つまり、維心はもう、黄泉へと渡ったのだと思われた。
「おお維心が…!!」
炎嘉も、絶望的な顔をする。
維黎は、眉を寄せたまま、言った。
「…まだ希望は捨てまいぞ…!」
その時、ずっと続いていた地鳴りが、フッと緩んで次第に、揺れは無くなって行った。
「大氣!」維黎が言った。「何が見えた!碧黎は?!」
大氣は、閉じた亀裂の後を茫然と見ながら、首を振った。
「最後はよう見えなんだ。碧黎が門の中、維心が手前で維月を見ておったのだが、あれらは炎嘉の叫びに不条理に気付いて絶望したようだった。維月と維心は、もう全てが黄泉へ参るのだろうと諦めていた。自分達が戻ろうと戻るまいと、どうせ地上は無法地帯となり、命は全て黄泉へ参るのだろうと。そうしたら、維月が急に浮き上がったかと思うと、どこかへ消えたのだ。その後、維心も連れ去られ、碧黎は黄泉から出て来てそれを留めようとしたが叶わず…その後は、碧黎も消えたように我には見えた。それを確認する暇もなく、蒼が目の前に放り出されて来たので、何も分からぬ。」
蒼は、床に転がったまま気を失っていた。
炎嘉は、蒼の無事を確認しながら、言った。
「我の声があちらへ届いたのか。かなり距離があるように思うのに。」
それには、維黎が答えた。
「心の叫びは、あの空間では何より気しか存在せぬ場所なので通るのだ。声自体が通ったというよりも、主の誠の心の叫びがあの空間に大きく響いたのだと思うぞ。もちろん、あれらだけではなく、あの空間に誰か居たなら全てにの。まあ、居ないわけはないのだ。いつもどこかで誰かが黄泉への道を歩んでおる場所であるからな。」
そんなに広範囲にか。
炎嘉は、あの時の絶望を、まだ引きずっていた。
維心が黄泉へと連れ去られたかもしれない今となっては、余計にそうだった。もう、地上をどうにかなど、やっても無駄ではないかと思えるのだ。何しろ、そんな物を守っていても、呆気なく全てが、ただ力が大きな存在の一存で消え去ってしまうのだ。
それを知ってしまった今、もう地上のために何かしようなど、思えなかった。
炎嘉が力なく蒼を見下ろしていると、蒼がう、と唸って目を開いた。
「…蒼?気が付いたか。」
蒼は、ハッとした顔をすると、慌てて起き上がった。
「炎嘉様!」と、きょろきょろと見回した。「なんか急に…!上から、信じられない力が降りて来て、オレも炎託も、煽殿も気を失ってしまったんです!あの二人は、大丈夫だったんだろうか…。」
炎嘉は、真顔で答えた。
「あやつらはもう死んでおるから問題ない。それより、維心がどうなったのか分かったか?」
蒼は、目を虚空へ向けて、何かを思い出しているように目を泳がせた。
「維心様…、ああ、そうです、急に消えて。維月が先に消えて、その後維心様が掻き消すように消えました。そして、碧黎様が黄泉から出て来て何とかしようと必死になられていたのは見えたんですけど、その時上から凄い力が降りて来て…気が付いたら、今でした。」
蒼は、もう諦めているような、淡々とした口調でそう、報告した。いつもなら、感情的におろおろと話すはずの内容なのだが、蒼自身も碧黎の親だという大きな力の存在は、思ったほど規律正しく世界や命を守るようなものでは無かったのだと、失望のようなものを感じ取れた。
炎嘉は、蒼の肩に手を置いて、慰めるように言った。
「もう、我も気力が無うなった。しようがないわ。黄泉は良いところであるし、人も神も、あちらで休んで…ついでに、あちらで修行出来る場を作れば良いのではないか。地上は、荒れ狂うであろう。神も世話をせぬようになり、己の事ばかりになろうし、地が居らぬゆえ災害も増え、人も恐らく消えて行く。人が居らぬでは敬う心も無く、神も存在意味が無くなって参って消えて行こう。抗えぬ存在の、これが意思なのだろうて。」
維明も、維黎も鵬も下を向いている。
維黎のその幼い姿がまた、不憫に思わせた。
ガクリと皆が肩を落としている中、維斗が入って来て維明に言った。
「兄上、地震が収まって被害状況をご報告に…、」そして、皆が皆、暗くお通夜のような顔をしているのに、言葉を止めた。「…父上に、何か?」
維明は、座り込んでいたのを立ち上がって、首を振った。
「いいや。まだ分からぬのだ。それより、宮の状況を聞こう。臣下を会合の間へ集めよ。」
維斗は、まだ暗い顔をしている皆を、怪訝な顔で見回していたが、頷いた。
「は。では、こちらへ。」
そうして、維明は無駄だと思いながらも、維斗と共に宮の状況を知るために、そこを出て行ったのだった。
維心は、どこかにふわふわと浮いているような心地だった。
スーッと気が付いて、薄っすらと目を開いた時、真っ先に維心は、維月を探して目を見開いて、気を飛ばした。
すると、真横に維月の慕わしい気が引っ掛かって来て、慌ててそちら向いた。
維月は、維心の隣りに同じように浮いて、じっと目を閉じていた。
「おお維月…!!」
主が居るのならどんな場所でも良い。
維心は、維月を浮いたまま抱きしめた。維月は静かに寝息を立てている状態で、どこも悪い様子は無かった。
ホッとしながら回りを見ると、その淡い色合いの、どこか心許ない空間の向こうから、見知った姿が飛んで来た。
「碧黎!」
維心は、維月を抱きしめたまま言った。碧黎は、ホッとしたように二人の側へと寄って来た。
「維心!」と、眠る維月の頬に触れた。「維月…。」
胸を撫でおろしている碧黎に、維心は言った。
「安堵しておる場合ではない。ここはどこか分かるか。別に我は、これと一緒ならどこでも良いのだが、維月がつらい思いをせぬか案じておるのだ。何やら曖昧な印象を受ける空間ぞ。」
碧黎は、首を振った。
「もう、問題はない。我らはここから返される。今、親と話して来たのだ。」
維心は、驚いた顔をした。あの、大きな力の存在か。
「…それは、もう信じられぬのではないのか。黄泉の規則を知る者は皆、もはやその存在の事を信じてはおらぬ。我自身がそうであったように、皆を統べる存在は、何としても己の感情を曲げてでも規則は守らねばならぬのだ。模範となる必要があるからぞ。何を言うても、もう誰も主の親を信じることは無かろうぞ。」
碧黎は、息をついた。
「分かっておる。我の親、あれもまた、経験を糧に育つ命の一つに過ぎぬのだ。我が聞いて参ったことを、主には話そうぞ。」
そうして、碧黎は維心に向き合った。
維月は、まだ眠ったままだった。




