変動
蒼を見送ってしばらく、時が掛かるかと皆が息をついてすぐに、いきなりにゴゴゴゴとおかしな音がしたかと思うと、地面全体が震え出した。
「…!!何ぞ?!」
維明が、慌てて姿勢を低くする。
維黎が、椅子から転がり落ちないように小さな手で肘掛けを掴み、言った。
「地震ぞ!」と、空を見上げた。「全体が揺れておる…!!」
震度は、人世の基準で3ぐらい、大きなものではなかったが、地全体が揺れているのでその意味では大きなものだった。
「なんとしたことでしょうこれは!」鵬は、床に這いつくばった状態で、言う。「いつもならすぐに収まるものを、一向に…!」
むしろ、強くなって来る。
炎嘉は、気の流れを読んだ。地から湧き上がった命の気は、今目の前で開いている、亀裂の方へと流れて行っていた。
「…碧黎か!もしかして、地が己の命を繋ぎとめようと気を送り込んでおるのでは…!!」
碧黎が危ないのか。
維明も維黎も顔を青くした。いよいよ、黄泉へ行こうとしていると。
「きゃー!!」
宮の中の、あちこちから悲鳴が聴こえて来る。
恐らくは、今頃どの宮でも同じ状況だろうと思われた。
炎嘉は、鳥の宮が気になったが、今戻ったからと解決することではない。
なので、歯を食いしばって、椅子から落ちそうな維黎を押さえつけてそこに居続けた。
「無理ぞ。」維黎が、必死に椅子にしがみつきながら言う。「黄泉の力は半端ない。いくらこちらから気を送っても、もし碧黎が黄泉へと入っておったなら、足りぬですぐに気は尽きる。普段の状況でもこちらから必死に気を引っ張って補充して、それでも全く取れぬから長くは黄泉の中では生きられぬ。だが、この感じは焦って必死に碧黎を引き戻そうとしているように感じる。」
炎嘉は、確かに、と思った。思えば碧黎は、何度も黄泉の中まで行っているようだった。維心と維月、十六夜が一度あちらに行った時、転生を促しに行ったのだとも聞いている。だが、こんな地の揺れを感じるのは初めてで、その時は地がここまで揺れなかったという事だ。
つまりは、今は碧黎が、本当にあちらへ逝こうとしているのを、地、本体が慌てて引き戻そうとしているように思えるのだ。
そこへ、大氣がパッと浮いて現れた。
「碧黎は!」と、亀裂を見た。「おお…黄泉へ入っておる!」
大氣には見えるのか。
炎嘉は、体を押さえながら言った。
「主はあやつを呼び戻せぬのか!このままでは地上に建っておる物が崩れてしまう!人などひとたまりもないぞ!」
大氣は、言った。
「我だって何とかしようと地を押さえておるわ!ゆえにこの程度で済んでおるのだ!」
実際はもっと揺れているのか。
皆が顔を青くしていると、大氣は亀裂に寄って行って、中を覗いて見て言った。
「…ああ、維月の足がもう黄泉へ入りかけておって、碧黎が中でそれを見守っておる状態ぞ。維心が、こちら側で気の補充を止めておる。二人とも、維月を留められぬから共に行くつもりなのだ。」と、目を凝らした。「…維月の足に、光の輪のような紐のようなものがあって、それが黄泉へと引き込もうとしているようぞ。」
維黎が、目を見開いた。
「黄泉へ?!黄泉の門は、必ず自分の意思で入るという決まりになっておる!なぜなら、良い黄泉ばかりではないからぞ。生前良くない事をしたものは、ある程度修行をせねば地上の修行には出て来れぬのだ。なので、そこへ入るかそれとも道の空間でさまようかは、本人の意思に任されておるのだ!ほとんどの者は、絶対に中へと入る。なぜなら、道の空間の方が過酷であるからぞ。それでも、あくまでも己の意思で入るという大原則があるのだ!いくら大きな力を持つ誰かであろうとも、それを違えるなど、許される事ではないぞ!」
炎嘉は、驚いたように維黎を見た。
「どういう事ぞ?!では、もしかしてその誰かというのも、意地になって決まりを守っておらぬのでは?!」
維黎は、幼い姿で険しい顔をした。
「…決して破ってはならぬのに。規則を決めた本人が、それを破ってはそれから誰も守らぬようになる。黄泉の事もそうであるが、全ての事がそうなるのだ。我らを作ったような命が、それを分からぬとは思えぬのに。世界が崩壊する…規律が無くなるという事ぞ。碧黎がなぜに約した事を必ず守ると思う。信頼関係は大切ぞ。世を統べて皆を統率する者達は、皆それを知っておるのだ。我ですらな。」
炎嘉は、それを聞いてその通りだと思った。維心があれほど厳格に自分を律しているのも、自分が法だからなのだ。何かが起こった時、感情で許してしまうと神世が乱れるので、己の手を汚して処罰をし続けて来た。
そんな維心や自分達の努力を、その大きな存在は無にしようとしているのだ。
「そのような…」炎嘉は、途端に憤怒の表情になった。「何のために…!我らは何のために神世の法となり己を律して生きねばならなんだのだ!そんなに簡単に破られる法など、法ではないからではないのか!そんな…維心も我も、いったい何のためにこんな面倒を引き受けて生きて来たと申すのだ!」
炎嘉の叫びは、大氣にも身に痛いほどだった。
前世今生と長い時をそうやって生きて来た、それを全て否定されたような、愚かよと嘲笑われているように絶望する、この心地は何ぞ。
炎嘉は、膝から床へと崩れて、揺れる床の上で座り込んだ。
もう、死んで黄泉へと向かい、己を見つめ直したい。
自分の生の全てを否定されたような心地になった炎嘉は、もう気力も何も無くなってしまっていた。
維心は、自分の気が黄泉への道の空間に拡散していくのを感じながら、もう両足が黄泉へと入ってしまっている、維月の手を握った。
「我もすぐに参る。」維心は、維月の目を見つめて言った。「必ずそちらへ。我らはどこまでも共ぞ。碧黎と共に待っておれ。長くは待たせぬ。」
維月は、その手を握り返して頷いた。
「維心様…分かりましたわ。どこまでも共と約しましたものね。戻れとはもう、申しませぬ。お待ちしておりますわ。」
その時、黄泉の道の空間の中に、声が響き渡った。
『何のために…!我らは何のために神世の法となり己を律して生きねばならなんだのだ!そんなに簡単に破られる法など、法ではないからではないのか!そんな…維心も我も、いったい何のためにこんな面倒を引き受けて生きて来たと申すのだ!』
炎嘉の声。
維心は、亀裂の方向を振り返った。
そうだ、我らは神世の法となり、やりたくもない事をして、情を挟まず法に則りそれを犯したものを罰して生きて来た。
そうしたくて、したのではなかった。
そうしなければ、規律がない世になってしまうからだ。
そのために、己は絶対に法を犯すわけには行かなかった。
気を張って生きて来て、それで世を回していたのだ。
「…どこかの誰かが、法を犯しているのを知られたのですわ。」維月は、言った。「お父様から聞いております。黄泉の法では、黄泉の門は、必ず自分の意思で入るという決まりになっておるのです。それなのに、私はこうして引き込まれようとしておりまする。前にこちらへ送られた時も、お父様は門のすぐ前に私を送っただけで、中へは放り込みませんでした。ですから、私は迎えに来てくださった、維心様に連れられて現世に戻れましたもの。どこかの誰かは、己で決めた法を今、正に己で破ろうとしておるのですわ。」
維心は、なんと虚しいのだ、と思った。炎嘉が、ああやって悲痛な叫びを上げるのも分かる。
「…全てが崩れようの。」維心は、力が抜けるのを感じた。「炎嘉が気付き、もはや地上を治める気持ちにもなれまい。我とてそう。例え戻っても、我らがやっておる事が無駄な事だと知ってしもうたのだ。主がそうやって、黄泉へと引き込まれた瞬間に、我らのやって来たことなど…何の意味も無かったのだと。」
維月は、目を潤ませた。長い年月己を犠牲にして守って来た事が、全て無駄だったと言われているような無力感。
それは、きっと十六夜や碧黎が感じた事と、同じなのだろう。
「…待っておりますわ。」維月は、維心の頬に触れた。「もはや地上は、無法地帯となり皆が皆黄泉へと向かいましょう。守る神が居らぬようになるのですから。ならばもう、皆をこちらで共に待ちましょう。それが抗えない大きな力を持つ存在の、意思であるならば。」
維心は、その手を握って頬を摺り寄せて、頷いた。
「将維も、そう待たずに会えるであろうぞ。昔語りは、その折で良い。」
二人が見つめ合って頷き合った時、不意に維月の体が、フッと宙に浮いた。
「…維月!」
維心が驚いて掴んでいた手に力を入れる。
碧黎が、門の中から手を伸ばした。
『どうなっておる…!どこへ連れて参るつもりぞ!』
その叫びと同時に、維心の手の中の維月の手は、スッと消えた。
維月は、その場から掻き消すように消えて行った。




