忙しない
「炎託!来いと申すに、申し送りとか何とか言うでないぞ!」
炎嘉が地団駄踏む勢いで亀裂の前で叫ぶのを、蒼も維明も、維黎も困ったように見ていた。炎託は、転生が間近に迫って準備が大変だろうし、来たくても来られないのかもしれないのに、炎嘉は叫び続けているのだ。
さすがにもう、止めようかと蒼が炎嘉に近付いて行くと、亀裂の向こうにひょっこりと二つの姿が現れた。
「!!炎託!…と、誰?」
蒼が、思わず叫ぶと、炎託は顔をしかめて言った。
『次の番人ぞ。それより父上、申し送りをしておかねば、ここは広いゆえ大変なのだ。黄泉だって、放って置いたら荒れて参るのですぞ。』
炎嘉は、炎託に向かってわめいた。
「分かっておるわ!だが、維心と碧黎が黄泉へ行ってしもうたら、地上が大変なのだぞ?!主、赤子で転生するのだろうが!地上が荒れておったら育たずまた黄泉ぞ!」
炎託は、うーっと唸った。確かにその通りだからだ。
『さっき主が言うておった二人か?』もう一人の男が言った。『面倒な事になっておるという。』
炎嘉は、その男を見た。
どこかで見たような顔だったが、しかし気が感じ取れない黄泉の道と現世なので、誰なのか炎嘉には分からなかった。
「主、誰ぞ?初めて見る顔か?だがどこかで見たような。」
その男は、顔をしかめたが言った。
『我は煽。鷲の王をしておった。』
炎嘉は、目を見開いた。煽?!焔の父か!
「主、焔の父か!幼女趣味の?!」
煽は、それこそ嫌そうな顔をして、言った。
『誰が幼女趣味よ。だが、何やら天から罪を償いたいなら番人をした方が早いと言われて、この度番人をさせられることになった。』
炎嘉は、ジトッとした目で煽を見た。
「主の事は聞いておるぞ?綾から。」
綾、と聞いて煽はますます眉を寄せ、目を細めた。
『…我の罪の一つがそれよ。』と、うんざりしたように言った。『まあ、よう無かったと思う。まさか全て見られておって、こちらへ来てから糾弾されるとは思わずで。綾はこちらへ参ったが、我の事など蔑んだ目で見るだけで、あれが我をどう思うておるのか分かった。こちらでは皆、平等であるし、文句も言えぬしなあ。』
炎託が、煽を振り返って言った。
『そら、それぞ。文句を言うという心根が罪だと申すのよ。だから主だけではならぬと、大した罪もない観が時々手伝いに来るということになってしもうたのではないか。しっかりせぬか、煽。』
これからは観と煽が番人なのか。
炎嘉がそう思っている脇で、蒼は番人にもパートタイムワークがあるのかと思っていた。
炎託と煽が話しているのを見て、炎嘉はハッとしたような顔をすると、首を振って慌てて言った。
「そんなことはどうでも良い!炎託、とにかく我を維心の所へ連れて参れ!煽の事は知らぬが、観ならちょっと言うたら勝手にやりよる。あれなら番人だって務まるわ!あやつらがこちらへ戻るように、我は説得せねばならぬのよ!」
炎託は、こちらを向いた。
『父上ならそうおっしゃると思うておりました。ですがこちらは、生者にはつらい場所ですぞ。父上の体の気が尽きたら終わりです。維心殿のように亀裂から遠く離れても、ここから気を補充できるほどでなければ長居は出来ませぬ。それでも参られますか。』
炎嘉は、ぐ、と黙った。自分の気で、どれぐらい持つのだろうか。
「…我なら、どれぐらいの時間持ちそうぞ?」
炎託は、眉を寄せたまま答えた。
『おおよそ、一時間程かと。こちらは本来、死んだ者が命だけで参る場なのです。身を持ったままなど、それを維持するための空間ではないので苦しいのですよ。』
確かに死んでからしか歩いた事がない。
炎嘉が黙り込むと、蒼が言った。
「じゃあオレは?」炎嘉が驚いたように蒼を見る。蒼は続けた。「オレは月だから持ってる気の量が違うし、もつんじゃないかな。オレが代わりに行くよ。」
炎嘉は、首を振った。
「主まで何かあったらどうするのだ!我には炎月も炎託も居るから後は何とかなるが、主が居らぬようになったら後が困る!」
蒼は、言った。
「大丈夫ですよ。とにかく状況だけでも聞いて来ないと、こっちも対応のしようがないでしょう。覚悟しなきゃならないならならないで、備えなきゃならないし。炎嘉様までどうにかなったら、維心様が居なくなった時の神世を誰が治めるんですか?オレにはそれが出来ないし、月は十六夜が居るのでなんとかなります。待っていてください。」
炎嘉は、言われて言葉に詰まった。確かに維心が居ないなら、自分以外に神世をまとめる神が居なくなる…炎月では、まだそれは無理だった。
それこそ炎翔の二の舞になるかも知れないのだ。
「…分かった。」炎嘉は、苦しい顔をしながら言った。「だが、どんな状況でも一度戻って我らに知らせよ。主まであちらへ行こうとするでないぞ。」
蒼は、笑って頷いた。
「分かっています。オレにだってまだ幼い息子が居るし、妃だって居る。戻って来ます。」
炎託が、言った。
『良いか?では、蒼を連れて参る。』と、手を差し出した。『全く、誰も彼も黄泉黄泉言うて。普通は来たがらぬのに。』
蒼は、確かにそうだ、と苦笑しながらその手を亀裂に入って取った。
炎託は、蒼を連れて煽と共に黄泉の道へと消えて行った。
残された炎嘉と維明、維黎はそれを見送るしかなかった。
維月の足の輪は、もはや門の真ん前まで来ていて、中へ入らないで居ようと思うと横になって足だけ門に向けていなければならなかった。
いよいよかと維心も覚悟し、横たわる維月に言った。
「中へ入ったら門の前で待つのだぞ。我とて補充出来ねば一時ほどで気が尽きる。すぐに参れるゆえ。」
維月は、まだ一緒に来るつもりなのだと悲壮な顔をした。
「ですが維心様、あちらを整えてからでも良いと思うのですわ。黄泉のあのお屋敷で待っておりますから。問題ありませぬ。」
碧黎が、維月の言う事など聞いていないかのように維心に言った。
「我が共に行くゆえ。維月の事は案じるでない。主は己の門を己で開けるし、それをくぐって参れ。これは恐らく、維月が入ると共に消失するゆえ。」
維心は、頷いた。
「ここで門を開けば一気に気を使うゆえ死ねるゆえな。ではそれで。」
維月は、もうダメだと思った。何を言ってもこの二人の考えは変わらない。
するとそこへ、聞き慣れた声がした。
「維心様ー!碧黎様ー!」
維心と碧黎は、ここでは聞くはずのない声に思わず振り返った。
するとそこには、炎託に背負われた蒼が、飛んで来るのが見えた。
「蒼!」
炎嘉より来てはならぬのでは。
維心が思っていると、蒼は目の前まで来て、炎託の背から降りた。
「様子を見に来ました。炎嘉様が来ると聞かなかったんで、オレが行くと言って。オレの方が気が大きいし。」
だが、主は月ではないか。
しかし蒼は、お構い無しに隣りに立つ見慣れない男を見た。
「あの、煽殿です。焔の父上の。次の番人になるらしいです。」
維心は、驚いた顔をした。
「主が煽?幼女趣味の?」
煽は、顔をしかめた。
「確かに我が煽だが、あちらではそういう事になっておるのか?」
だとしたら、確かに自分はやってはいけない事をしていたのだろう。
維心は、大真面目な顔で頷いた。
「美しい幼女を宮へ囲って好き勝手させて育てて、後は我が儘だと捨てたのだろう?己がそう育てておいて。」
そう言われるとかなり酷い有り様の王に聞こえる。
とはいえ、真実だった。
「まあ…そう言われても仕方がないのだが。」
炎託が言った。
「それより戻る方法は見つからぬのか。もう足が入りそうではないか。」
蒼は、言われてそちらを見た。
維月はこちらを頭にして横たわっていて、その足には光の紐のようなものが巻き付いており、門に繋がれているような状態で、起き上がればもう、肩は門の中に入りそうだった。
「なんだってこんなことに…確か黄泉の門は本人の意思でしか入れないはずじゃ。」
だが、大概は門にたどり着いたなら中へと入る。
外に居ても寒くなるだけだし、戻る術もないからだ。
それなら中に入って楽に暮らせるのだから、皆が皆門を目指し、見付からない者だけがここへ残るはずだった。
それが、維月は意思に反して引きずり込まれそうになっているのだ。
「どうにもならなくて。私はもう仕方がないと思っておるけど、維心様とお父様には、とにかくあちらを整えてから来てはと言ってるのだけど、聞いてくださらなくて。」
碧黎は、首を振った。
「我も行く。」と、蒼を見た。「維黎と葉月を地にするように、大氣に申して欲しい。主は知らぬかもしれぬが、あれは将維と瑞姫ぞ。将維なら上手くやる。」
蒼は、意外にも頷いた。
「知ってます。将維が乳母に抱かれて来て、オレに力を貸せと言うので今、幼子の姿になっております。でも、依り代がないから力がないといって、こちらに来れなかったんです。将維から、いろいろ聞いてます。」
維月は、言った。
「将維は記憶を戻してるの?」
蒼は、頷いた。
「気が付いたら碧黎様に頭を撫でられてたって。だから、将維はずっと記憶を持ってたんだよ。ちょっと早すぎるんだけど。」
維月は、ショックを受けた。それなら、話したい事もたくさんあったのに。
このまま黄泉へ行けば、せっかく転生した将維と話す事も出来ないまま、また離れてしまうことになる。
「将維が戻ったなら大丈夫ぞ。あれは龍王として、我が戻るまで地を維持したのだ。問題ない。安堵した。」
安堵されたら困るんだけど!
蒼も維月も思ったが、口に出したのは蒼だった。
「安堵してる場合ではないんですよ、維心様!このままでは皆の負担が多くなって地が乱れます!将維だって地がどんな風にやってたかなんて、全く知らないんですから!せめて教えてからでないと、居なくなっては困るんです!」と、碧黎を見た。「碧黎様も!」
碧黎は、そんな蒼に首を振った。
「我は地として不適格と親に思われたのだ。維月を取り上げるなど…我には耐えられぬ。ならば将維に後を任せる。あれなら教えずとも上手くやろう。維月と共に、黄泉へと参る。」
その時、維月の足先が門の境界に触れた。
光が触れた箇所から発しられ、維月は命が変化しようとしているのを感じた。
「…黄泉の住人になろうとしておりますわ。私はもうあちらへ引き込まれます。」と、必死に維心を見た。「維心様、僅かな時でございます。どうかあれらを見守って安定してからいらしてくださいませ。必ずお待ちしておりますから。」
維心は、何度も首を振った。
「無理ぞ!我は主なしでは何も出来ぬ!生きては行けぬ!」
足が、門へと入って行く。
碧黎が、言った。
「もはやこれまで。我は黄泉へ入る。蒼、後を頼んだぞ。あちらから見ておるゆえ。」
碧黎は、スッと消えた。
かと思うと、門の中からこちらを見た。
『気が著しく失くなる。我は逝く。維月と共に待っておるぞ、維心。』
維心は、頷く。
蒼も炎託も煽も、なす術がないままそれを見つめるしかなかった。




