憤り
その夜は、そのまま志心の部屋で皆、当たり障りのない会話をしながら酒を飲み、ほんの一時間ほどで部屋へと引き揚げて皆、次の日にはそれぞれの宮へと帰って行った。
月の維心を目の当たりにした下位の王達も、問題なく回復して宮へと帰ったのだが、次の日から謁見の数が激減したのだと噂に聞いた。
元の維心でも大概敷居が高いのに、月の維心相手だと、嘆願もままならないと皆、思ったようだ。
代わって嘆願書が送られて来るようになり、鵬達はその対応に大騒ぎだった。
維心はというと、謁見が減ったので、嘆願書の件は鵬達臣下が直接居間まで持ってきて、それに答えるだけで良いので奥を出なくて良いので楽になったと思っていた。
それでも、謁見は多くても月を降りられるのならその方が良いと維心は思っていた。
何しろいろいろなことが頭に上り、見えているので気が抜けない。
そんな毎日が、維心には重荷だった。
いつものように鵬が嘆願書を持ってやって来て、それにいちいち答えて帰って行った後、維月が戻って来て頭を下げた。
「維心様。お仕事は終わられましたか?」
維心は、ホッと維月に手を差し出した。
「終わった。主は子達の所へ参っておったのか?」
維月は、維心の手を取りながら頷く。
「はい。葉月も首が座りまして、分かっているような顔をするようになりました。でも、私と十六夜のように、維黎が葉月にベッタリということもなく、葉月も特にそんな様子はなく、双子とは申して別の部屋のせいなのか、そこまでお互いを思う感じではありませぬわね。」
維心は、頷いた。
「兄妹の間柄とはそんなもの。主らは育ち方から特殊であったから。世話をするのが兄と父しか居らぬのでは自然、そうなるのだろうがの。ここでは多くの者が居るから、あれらもお互いに依存せずとも良いのだろう。」
維月は、やはりここで育てて良かったのだと思っていた。神の価値観を知っておいた方が、大多数の神達と接する時に齟齬が起こらなくて済む。
かくいう維月も、まだ前世の記憶がない時は、その生い立ちの特殊さからかなり気ままで、恋愛も婚姻もよく分かっていなかったものだった。
前世の記憶を戻したので維心ともこの程度でなんとか理解し合えているが、そうでなければかなり苦労したはずだった。
父が維心なのに、父を理解出来ないなど不幸だろうと思えたのだ。
父を理解という事が頭に上った時、維月は碧黎の事が頭に浮かんだ。
父という事ではないとは言われているし、確かにそうなのだが維月には、やはり碧黎は父だった。
そうでないと思う瞬間も多くあるのだが、何しろ前世の記憶があり、その価値観の中で今生も生活している維月にとって、そう考えた方が分かりやすかった。
だが、碧黎は維月をひとつの命として愛しており、昔から娘と口にはしても、神世での便宜上なだけで、意識はそうではなかった。
それは命を繋いだ時に見える記憶と感情で知っていた。
たが碧黎は、恋愛など知らない。
初めて愛して真っ直ぐに維月を想ってくれているのは分かっていたが、時に予測の付かない反応をした。
それのひとつが、十六夜を月から降ろしてしまった事だった。
どう考えても、そこまでではなかった。
十六夜は、確かにやり過ぎだし、いろいろな事を軽く考えていた。
だが、根気強く話せば分かったはずなのだ。現にこれまでも、そうやって長い年月やって来た。
それなのに降ろしてしまって、悟るまでと無理を言う。
十六夜の方は、時々蒼が連れて来るので話すが、気楽になったという感覚であるらしい。
維月が言うのもなんだが、十六夜は月として、維心より上手くやっていた。
長い年月に居るのだから当然なのだが、霧のことに関しても、問題ないのはどれぐらいなのかと、加減をよく弁えていた。
なので地上は問題なく、綺麗過ぎる事もなく適度に欲を制御して繁栄して来たのだ。
だが、維心は何度言っても駄目だった。
性格の問題なのだが、片っ端から霧を消してしまうので、皆が皆聖人のようになってしまい、性欲すらも涌かないらしい。
維月がなけなしの霧を探し出して薄く広めようとしても、維心はそれすらさっさと消してしまう。
そんなわけで、子供自体が出来なくなっており、ここのところ新たな婚姻や、子の誕生は聞いていなかった。
やはり、地上の繁栄にはある程度の欲は必要なのだ。
悪いものばかりではないのだと、維心を説得するのだが、維心には前世闇に維月を奪われたトラウマが根強くあり、霧の存在自体が許せないようだった。
闇は余程霧が濃く集まらないと発生しないのだが、それでも維心の中では霧が許せないのだ。
陽の月になって、余計にそれが強くなっているようだった。
十六夜は、ここへ来た時何度もその加減を維心に教えていたが、維心は分かっていてもついつい消してしまうようで、どうにもならなかった。
やはり、十六夜ぐらい適当な性格でなければ、月は難しいのかも知れない。
維月がそう思って座っていると、そこに先触れが来た。
「月の宮、蒼様がお越しになります。」
維心は、顔を上げた。
「おお、蒼が。本日であったか。」
維心が、そう言うと、維月は言った。
「そういえば、来ると一昨日申して来ておりましたわね。また十六夜が何か話でもあるのかしら。」
十六夜は、今玉から離れる気の力がないので、いつも蒼と一緒に移動して来るのだ。
維心は、頷いた。
「恐らくはの。だが、蒼も何か話があるようであった。あれはいつも月の宮に籠っておるのに、ここのところあちこちしていたようだったので、何か知らせたいのやもしれぬな。」
維心は、月からいろいろ見ているので、蒼がどこかへ移動していても見ていたのだろう。
だが、それならそれで月の宮に居たままでも、維心とは月から話が出来るのだ。
それをしないということは、やはり十六夜が話したいのだろうと思われた。
そんなことを話しながら待っていると、侍女の声が言った。
「蒼様、お越しでございます。」
維心が、言った。
「入るが良い。」
すると、扉が開いて、蒼が入って来た。そうして、本当は頭を下げる必要などないのだが、昔からの習慣で維心の前で頭を下げた。
「維心様、お時間を戴いてありがとうございます。」
維心は、微笑んで答えた。
「主は我の息子のようなものだと常申しておるのではないか。そのように畏まらずで良いのだ。して、本日はどうした?」
蒼は、頷いた。
そして、十六夜の玉を出して、脇の幅広のひじ掛けの上に乗せると、維月に言った。
「維月、今は月?」
維月は、首を振った。
「ううん、あんまり月でばかりもいられないの、地が乱れちゃうから。今は地の陰よ。」
蒼は、頷いた。
「それは良かった。」
何が良かったのだろう。そもそも、蒼なら月でないかどうかぐらい、見た瞬間に分かっていたのでは。
維月が不思議に思っていると、維心がハッと気付いたように、維月に念で言った。
《維月、我らだけ包む結界を張れるか。》
維月は、ハッとした。そういうことか。
維月は頷いて、そっと陰の地の結界を張った。
もちろん、こちらを見ていたのならきっと結界を張ったのを気取っただろうが、見ていなかったのならそうそう碧黎も全てを見ているわけではないので、気付かないだろう。
「…大丈夫。私は今、月に戻ったので、私の耳から聞くことも出来ないわ。」
蒼は、頷いた。
「実は、オレ、会合の後に瀬利と大氣の所へ行って来たんです。」
維心は、頷く。
「知っておる。宮からそうそう出ないのに珍しいなと見ておった。」
蒼は、やっぱり見てたのか、と続けた。
「そうなんですよ宴の時、十六夜が言った事が気になってて。十六夜は、碧黎様が間違ってないと思うのはどうしてかって言ってましたけど、確かになって思ったんです。十六夜の意識は、力では敵わないけど、命は碧黎様と同じだと思っています。オレも、維月もそうだと思います。それは何より、碧黎様自身が言っていた事なので、間違いない。そもそもが、根本的には全ての命は、人も神も我らも同じなので、それはそうだと思うのですが…今回の、十六夜への対応は、やり過ぎではないかと、疑問を持ったんです。それで、命は平等だと碧黎様に歯向かった事がある、瀬利に話を聞きに行って来ました。オレ達は、碧黎様に従う事に慣れ過ぎているから、外から見たらどう見えるのかなって。」
維心は、蒼はそんなことを考えていたのかと、頷いた。
「確かに、あの時は皆、十六夜の言葉を聞いて確かにそうだと思っていたもの。ただ、碧黎が聞いていたら面倒なので、誰も何も口を挟まなかっただけなのだ。」
十六夜が、玉から言った。
《あの力だし、誰も逆らえねぇしな。それに、全部聞かれるから誰も話も出来ねぇだろ。オレはさ、別に親父なんか怖かねぇから好きなように言うけど、皆睨まれたらつれぇだろうし。オレも蒼に連れられて、瀬利の結界内に行って話して来たんだがな。》
維月が、驚いた顔をした。
「え、中にあなたも入れてくれたの?」
十六夜は、頷いたようだった。
《ああ。オレはもう玉だし。オレだっていつまでも瀬利とのアレを考えてるわけじゃねぇよ。それに、維心が全部霧を消しちまうから、そんな気も全く起こらねぇ。安全だってあいつも思ったみたいだ。蒼が話したいって言うのに、弾くことも出来ないだろうしな。》
維心のやり方で、上手く行っているところもあるらしい。
維月がそう思っていると、維心がせっつくように言った。
「それで?瀬利の結界内も碧黎には見えるだろう。」
蒼は、首を振った。
「オレが言った意味をすぐに理解してくれて、ガッツリ結界を張ってくれてたからそれは無いです。瀬利も、十六夜を玉にしたって聞いて、やり過ぎだって怒ってたみたいで。瀬利は、基本全ての命は平等だという考え方なので、碧黎だって十六夜だって、その辺の神も人も動物も、みんな同じ扱いをされるべきって思ってるんです。虐げられるなんてもっての他で、嫌がるんですよ。十六夜が、最初は岩に降ろされてたって聞いた時、めっちゃ怒ってましたからね。十六夜自身は全然気にしてないんですけど。もう慣れちゃって、玉の方が気楽でいいんだって笑ってましたから。」
それは瀬利も戸惑っただろう。
維心は思ったが、言った。
「まだそんなことを。月に戻ってくれねば我が困る。まあ、嫌でも三年後には降りるがの。」
十六夜は答えた。
《オレは月として不適格だって思われたようだし、こうやって玉になってみて思ったんだが、めっちゃ楽だ。生きてるだけで良いし、自分の事だけ考えてたらいいしな。月の時は、こんなオレが、地上の全ての霧を監視して、濃くなって来たら消したり、変な動きを見たりしてたわけだ。今はそれが出来ねぇから強制されるわけでもないし、気が楽なんだよ。やってた事を評価されなかったわけだし、戻れって言われてもよお。オレより出来るんなら親父が兼任でもしたらいいんじぇね?維心でも兼任してるんだから、あんだけ偉そうに言うなら親父ならもっと出来るんだろうよ。》
言い方に棘がある。
十六夜は、碧黎のやり方に怒っているのだろう。
というか、これまで月として地上を守って来た十六夜を労いもせず、ただ悟れと言って来る碧黎に、拗ねているのか腹を立てているのか、維月から見ても分からなかった。
維心は、息を付いた。
「確かに…こうなってみて思うのは、十六夜は月として的確に動いておった。長く月をやっておっただけあって、加減がよう分かっておって、世が繁栄して行くように調節しておったよな。我には、それがまだ出来ぬ。何しろ無視できぬからぞ。消すつもりは無くとも、気を向けたら勝手に力が降りてしまうのだ。そう考えると、主は月としては最適な性質であったのではないかと思うほどぞ。」
維月も、同じ考えだった。こうなってみてやっと分かったのだが、十六夜ぐらいでないと、月は務まらない。
何しろ、月からは全部見えているし、だが気になっても全部が全部消してしまうと欲が消えてしまって繁栄しないしで、長年地上を繁栄させてきた十六夜は、絶妙な匙加減でやって来たと思われた。
神経質な月だったら、維心のように地上は綺麗になるが、適度な欲によっていろいろ成り立っている地上には、それでは神や人のような生き物は、もしかしたらもう居なかったかもしれない。
十六夜は、月としてはやり手だったわけなのだ。
それを、端から否定されて月からいきなり降ろされ、戻してやるから悟れとは、十六夜にしたら乱暴な事なのかもしれない。
戻って欲しいなら謝れという気持ちなのだろうと思った。
「それで…瀬利はなんと?」
維心が言うと、蒼は答えた。
「十六夜を戻してやろうと。でも、それだけなら維月にも出来るし、当の十六夜が戻りたくないと言うんです。」
維心は、眉を寄せて十六夜の玉を見た。
「また主は。どう言うたら戻ってくれるのよ。」
十六夜は、ブスッとした声で答えた。
《別に?オレはこのままのが楽だし、だったら死ねっていうなら黄泉にだって行っていいんだよ。親父はオレが不適格だから月から下したわけだろ?もちろん、これからの事も考えてるんだよな。オレの手伝いなんか要らねぇよな?だから、オレはそれを高みの見物してやろうと思ってるのさ。親父に任せときゃいいんだよ。ほっとけ維心、蒼。めんどくせぇなら三年待たずに月から降りろや。親父が何とかすらあ。》
やっぱり十六夜は、怒っているのだ。
恐らく碧黎が、頭を下げるまでは黄泉へ行ってでも月へは戻らないつもりだろう。
維心と維月と蒼は顔を見合わせて、これは絶対に無理なのではないかと絶望的な気持ちになった。
碧黎が、何を考えているのか、聞かねばならない、と維心は思っていた。




