困った事
炎嘉が、皆の沈黙を破った。
「…ということは、今何かあったら初動だけ維心は知らせられるが、その後は皆、維心抜きで解決せねばならぬということか?!」
碧黎は、頷いた。
「その通りよ。我が維心を月にせなんだのは、それもあるからなのだ。月になるならなるで、月だけでおった方がまだ地上は回る。何しろそうなると維明が龍王として君臨しておるだろうし、その地位にも慣れておろうから、適切に動くだろうからの。だが、今はならぬ。あれはまだ王としては未熟であって、皇子としては不足なくとも維心のようには立ち回れぬわ。自然炎嘉達、主らに負担が掛かるゆえ、前より悪い事になろうと言うのよ。」
維心は、まずいと焦って言った。
「ならば尚更十六夜を戻さねばならぬだろうが!分かっておるならなぜにこの現状に甘んじておるのだ!我は…眠るわけにはいかぬのに。」
何かが起こっているのが見えるのに、それを無視することなど自分には出来ない。霧ですら見過ごせないのだ。
「今はまだ、大丈夫ぞ。我にもおかしな動きは見えてはおらぬ。これまでにないほどあちこちが落ち着いておるからな。だからその間に、十六夜は悟らねばならぬ。維黎が育つのを待つなど、そこまで悠長に構えてはおられぬ。神世に数百年の沈黙などあるまい?何某か必ず起こるもの。その時に慌てても無理なのだ。己の存在意義を、十六夜は悟る必要があるのだ。」
十六夜は、沈黙している。
碧黎が何もないと言っているので、今は本当に何もないのだろう。が、いつまでもその状態な訳ではない。
事が起こった時に、自分が月であってはならないのだ。
維心は、唸るように言った。
「…ならば期限を切る。」維心は、言った。「それでも戻らなんだら、我は月から降りる。待っておられぬからぞ。後は主が考えよ。我は地上を放置して寝ておるわけにはいかぬのだ。絶対にの。」
ドタバタと、何かが倒れる音がした。
だが維心は、そんなことに構ってはいられなかった。
何とかせねばと、そればかりが頭に上り、他は頭に浮かばなかった。
「維心様、お姿が!」
蒼が脇から言っている。
大広間はあちこちで倒れている神達で上を下への大惨事だったが、維心は煩そうに手を振った。
「それどころではないわ!我は月としてここから三年、世を守る事は約束しようぞ。だが、それから先は知らぬ。分かったの?三年ぞ。三年後の今日、我は誰が何と言おうと維月に月から我を降ろさせる。それまでに、代わりを見つけるなり、十六夜を戻すなり主が考えよ。どうせ我がおらねば他を考えるつもりだったのだろうし、問題あるまい?」
維心は碧黎を睨み付けて言った。
大広間には、治癒の龍達がわらわらとやって来て大騒ぎの下位の席を回って、倒れた神達を介抱していた。
碧黎は、イライラとしている維心に、落ち着いた様子で頷いた。
「ならばそれで。だから我に何も言わずに勝手な事をしたらこうなるのよ。分かったであろう?だが、此度は維黎と葉月が生まれたゆえに、良かったのだと思う。まあ主は、三年後まで励むが良い。」
碧黎は、そう言い置くとまたスッと消えた。
蒼は、とにかくは維心の姿だと言った。
「維心様、お姿を元に戻してください!みんな倒れて宴どころじゃないんです!」
維心は、言われてまた気を抜いてしもうたかと姿を元に戻す。
力の入っていた上位の王達も、それでフッと肩の力を抜いた。
「…とにかく、大概迷惑ぞ。」炎嘉が、酒を煽りながら言う。「十六夜、何としても碧黎を納得させるように努めよ。しょっちゅうこれではゆっくり酒も飲めぬ。主は月であらねばならぬのだ。それで上手く行っておったのに、こんなことになってしもうて。」
焔は、まだ騒いでいる下位の席を見た。
「全くのう、皆楽しんでおったのにこの様ぞ。維心も気が抜けぬから寛げぬだろうし。早急にの。」
十六夜は、箱の中から答えた。
《…悟るってさあ、オレはオレでしかねぇし。オレだって長く生きてて、同じように生きてるんだし同じもん見てるのに、今更考え方が変わるような事があると思うか?三年やそこらでそんな事、無理だと思うがな。そもそも、もうオレに期待するのはやめてくれ。オレは、別に玉でも満足してらあ。このまま蒼を見守って、自分に出来る事をしてってもいいってオレは思ってる。世のためって、オレはこれまで訳も分からずやって来たさ。だからもう、お役御免でもいいかなってな。代わりが居るならさ。それで存在意義が何とか言うなら、別に黄泉へ行ってもいいんだよ。あっちは楽だしとやかく言われねぇもんな。》
蒼は、十六夜に困惑した風で言った。
「でも十六夜…代わりが居るなら碧黎様もさっさと面倒がないから月へ上げてるって思うんだよ。でも、してないだろ?きっと十六夜がきちんと考えてくれたら、十六夜が良いって思ってるんじゃないかな。」
十六夜は、フッと鼻で笑った。
《きちんとって何をだ?オレなりに結構きっちりやってたけどな。だから地上は回ってたじゃねぇか。維心達が困ってるのを見過ごせねぇから、つい見えた事を言っちまったりしてたけど、やるこたやってたよ。最後はそりゃ、維月の事で悪かったとは思ってるが、親父だって似たようなものじゃねぇか。維月が絡むとオレ達はそっくりだと思うけど。だから、親父の主観だって必ずしも正しいとは限らねぇ。維月に見限られかけてるんだから分かるだろうが。なのに、どんな権利でオレばっか責められるのかってオレは思うけどね。勝手にしろってさ。力が上だからって、何でも正しい訳じゃねぇ。それは維心が一番知ってるはずだし、なんでお前らが親父の言うことばっか聞くのかも分からねぇ。》
炎嘉も焔も、志心も駿も高湊も、翠明も公明も箔炎も、皆が皆、顔を見合わせた。
十六夜が言う事は、間違っていないように思ったのだ。
碧黎は正しい。こちらが知らない事も知っていて、先を見ていて正しいのだと後で分かることも多々ある。
だが、幾つか正しかったからと、他も全て正しいとは限らない。
そもそもが、月から十六夜を下ろした事は正しかったのだろうか。
もしかして、激情に駆られてつい、後先を考えずに月から下してしまったのではないだろうか。
それで、戻すに戻せないのでは…。
そんなことが、皆の頭に流れて行ったが、何しろ碧黎は、全て聞いている可能性があるので、誰もそれを口にしなかった。
維心が、十六夜が言った事を責める事も出来ず、グッと黙って言葉に詰まっていると、蒼が、気を遣って言った。
「あの、飲み直しますか?なんか倒れた王が多いので、皆控えの間へと戻ろうとしているようですし、我々も誰かの部屋へでも場所を移して。」
志心が、気を利かせて頷いて言った。
「そうであるな。場が崩れてしもうたし、我の控えへでも参るか?」
焔が、最近では珍しく飲みの誘いに頷いた。
「そうよな。参ろう。ここでは皆帰るし広すぎるわ。ささ、参るぞ炎嘉。いつまでも呆けておるでないわ。」
炎嘉は、何やら険しい顔をしていたが、ブスッと立ち上がって、言った。
「別に呆けてなどおらぬわ。まあ良い、参ろうぞ。」
維心は、まだむっつりと黙っていたが、立ち上がった。
蒼はホッとして、十六夜の玉が入っている箱を手に取って立ち上がった。
志心の控えの間へと歩き出すと、大広間ではまだ、倒れた王達の介抱をしている龍達が忙しなく動き回っているのが視界の端に見えた。
蒼は無言で歩きながら、手の中の十六夜が言った事を考えていた。
確かに碧黎は正しいが、今回のことは十六夜の言うように碧黎が引き起こした事だ。
碧黎だって、間違いはするのではないか。
維月は少なくとも間違いを指摘し、碧黎から離れようとした。
もしかしたら、この問題は碧黎、維月、十六夜の間の諍いの延長でしかないのではないか。
蒼は、だとしたら感情が絡んで解決など程遠いのではないかと思った。
何しろ十六夜が、碧黎に取り入ろうなどと考えてはおらず、黄泉へ行っても良いとまで言い出しているのだ。
命は平等…。
蒼は、瀬利に相談に行っても良いかもしれない、と思い始めていた。
瀬利が何より、それを重要視して碧黎に歯向かったほどの命だったからだ。
志心の部屋へと到着し、そこへ皆で入って行きながら、蒼はずっとそんなことを考えていた。




