大銀杏
十六夜と蒼と維月は、湖の向こう側の森の端、結界スレスレの場所にある、大きな銀杏へと飛んでいた。
桜色の玉は蒼の手に握られていて、蒼は歩きながら、その玉を見て言った。
「あのさあ、こうして手に持ってなきゃならないの、面倒だよね。龍王の石の時みたいに、ペンダントにでもしようかな。」
十六夜は、顔をしかめた。
「お前の胸にずっとぶら下がってるのもなあ。普段はあの箱の中でいいから入れといてくれよ。どっか出掛ける時だけ連れてってくれたらいいからよ。」
蒼は、呆れたような顔をした。
「えー?もう、別にオレだってずっと十六夜をぶら下げるのもだから、そう言うなら普段は箱に入れとくけどさあ。」
維月は、そんな二人の会話を苦笑しながら聞いていた。
そうして歩いていると、一番奥の大銀杏の前へと到着した。大銀杏は、あの時より更に大きくなったようで、枝ぶりも良く、健康そうだった。
「紫銀、元気?」
維月が話しかけると、中から老人の姿で、仙人のような人型が出て来て宙に浮いた。
「久しぶりであるな、維月。また主はいろいろな気配を纏っておるではないか。月でも、地でもあるような。」
維月は、頷いた。
「そうなの。お母様が黄泉へと行ってしまわれて、その後陰の地が居なくてお父様が支障が出て参ったと仰るから、私が兼任を。」
紫銀は、ふと視線を十六夜に向けて、ぎょっとした顔をした。
「お?なんだ姿は十六夜だが、主なんぞその気は。まるで、かつてここに居った神のような様ぞ。十六夜の型を真似た何かか?」
十六夜は、腕を組んで不機嫌に言った。
「悪ぃが本人でぇ。親父を怒らせて、月から下されちまったんだよ。で、今はお前に管理してもらってた玉に宿らされてる。ほら、蒼が持ってるそれだ。」
紫銀は、蒼の手にある玉を見た。そして、眉を寄せて言った。
「何をしたのだ主は。あの地はかなり寛大な命で、我らに潤沢な気を分けて育ててくれておるのだぞ。我が具合を悪くした時も、こんな木一本と見捨てずに、清い気ばかりを強く与えてくれたのだ。そのお蔭で、今は体調も良く体を大きく出来た。少しは父を見習って精進せぬか。」
十六夜は、返す言葉も無く黙る。
蒼は、言った。
「だから、この玉はしばらく宮へ置いておくよ。碧黎様が十六夜を月へ返すかどうか分からないけど、その時にまた戻すから。」
紫銀は、手を振った。
「ああ、構わぬよ。それはとうの昔に十六夜にやったつもりであったし、また戻って来たからと我には使う事もないしな。とはいえ、月が居らぬとは思えぬが。何やら最近の月は、やたらと地上を綺麗にしてくれておるから、皆過ごしやすいと念を放っているのが聴こえて来ておるのだ。皆というのは、我が眷属の事であるがの。」
維月は、首を傾げた。
「それは、銀杏?」
紫銀は、頷いた。
「銀杏もであるが、他の木々もぞ。我も体が大きくなって、結構遠くの声も聞こえるようになったしな。月の仕事が速いゆえ、あちこちで変な気が残らず真っ直ぐ育つことが出来ると喜んでおった。蒼がやっておるのか?」
蒼は、苦笑しながら首を振った。
「いや、オレだったらそこまでしないんだけど。今は、維心様が兼任を。十六夜が戻るまでって引き受けてくださってるんだ。」
紫銀は、何度も頷いた。
「おお、おおあの龍王か。ならばそれも道理。あの神ならば完璧であろうな。それは良かったことよ。」
十六夜は、面白く無さげに言った。
「へえへえ、オレは適当だったからな。でもな、あんまり綺麗過ぎても欲が無くなってまずいことになる。維月も知ってるが、このままじゃ問題が出て来るんでぇ。維心もそれに気付いて、多分もうちょいしたら元に戻るぞ。何事にも、バランスってのがあるんでぇ。」
維月は、それには頷いた。
「その通りよ。維心様にも申し上げたけれど、何しろ本来が几帳面なかただから、見えたら無視できないのだと仰っていたわ。加減を掴むまでは待って欲しいと。維心様の事だから、きっとすぐに慣れて来られるとは思うんだけど。」
紫銀は、それに微笑んだ。
「主の夫は真面目であるな。誇らしいであろう。」
維月は、少し頬を赤くして、嬉しそうに言った。
「何事にもそつのないかたで。」と、そっと腹を撫でた。「今、ちょうど御子が宿ったのが分かったばかりで。」
それには、十六夜も蒼も驚いた顔をした。
「ええ?!マジで?!」
蒼が言うと、十六夜も言った。
「ほんとかよ!何か月だ?!」
維月は、フフと笑って答えた。
「分かったばかりなの。卵をね、放出しておったの…維心様に無断でそうしたので、咎められるかと思ったけれど、維心様は子が出来るのは良い事だと仰って。まだ、着床したばかりで、小さ過ぎてよく分からないけれど、どうも双子のようなの。」
十六夜は、見えないのだがじっと腹を透視しようと見つめた。
「…確かにめっちゃ小さいのが二つあるのを感じるが、見えねぇしなあ。着床したばっかって事は、まだ豆粒より小さいわけだろ。楽しみだなあ、どっちだろ。双子だったらオレ達と同じ…」
そこまで言ってから、十六夜は止まった。そうだ、自分達と同じ。
着床したばかりということは、もしかして維心が、月に上がってからの子なんじゃ…?
それは蒼も思ったようで、横から言った。
「ちょっと待ってよ、それってもしかして、維心様が陽の月になってからの子なんじゃないの?オレ達の同族?」
十六夜は、何度も頷いた。
「そうだよな。オレも思ったんでぇ。親父がよく、オレ達の命ってのはいつも対で生まれるから二人なのに、オレと維月の間には、蒼の命と維織で一人ずつだっただろ。珍しいなと言ってたんでぇ。でも、ここまでハッキリ双子って事は、きっとそうだ!」と、嬉しそうに維月の腹を見た。「良かったなあ、おい。少ないもんなあオレ達ってさあ。おふくろが神として転生しちまったし、このまま減ったら大変だって思ってたんだよな。神との間にいくら産んでも同族じゃねぇしよー。」
維月は、素直に喜ぶ十六夜に、微笑んだ。
「そうよね。どっちだろうかと維心様と話しておったのだけど…龍でもあられるから。もしかしたら、龍かもしれないでしょう?生まれるまでは、分からないなあって。」
十六夜は、言った。
「でも、多分双子だからオレ達を同じだと思うぞ。あんまり双子って聞かねぇしな。ま、生まれたら分かるけど。」と、腹に向かって行った。「まだ聞こえてねえだろうけど、よろしくな。早いとこ生まれて来いよ。みんな待ってるぞ。多分、親父ですら喜ぶと思うけどな。」
維月は、それには少し、顔を曇らせる。
「そうかしら…喜んでくださると思う?」
十六夜は、笑って頷いた。
「親父は子供が好きだからな。また何度も様子見に行ったり忙しいんじゃねぇか。お前は誤解してるけど、親父はよお、別に自分の子とかこだわりねぇと思うぞ。オレ達って、お前は兄だの父だの言うけどさ、みんな同族って意識じゃねぇか。親父はいつも、同族なだけで血の繋がりというものはない、って言うだろ?で、オレ達の子も、お前の子も、全部かわいがるんだ。ってことで、オレは今回は、完全な同族だしかなり喜ぶと思うぞ。常識が違うからな。」
維月は、言われて確かにそう、と思った。碧黎は、とても小さな命を大切にする。根気強くいろいろ話して聞かせたり、慰めたり励ましたりと、心の支えになろうとするのだ。実際に、維明も維斗もそうやって育ったし、維月の子の瑠維の子の明蓮も可愛がられていた。今は、大きくなったし付きまとったりしないので、向こうから話しかけて来たら答える程度で、あれほど頻繁には接していないようだったが、小さい頃はそんな感じだった。
「お父様…私達にも、本当に根気強くいろいろ教えてくださったわ。誠にお優しいかたであられるから…。」
では、父は喜んでくれるのだろうか。
維月は、思った。十六夜が降ろされたと聞いた時、碧黎が新しい命がどうのと言い出して、そうしたら自分と父がと、維心の事を思うと気になった。だが、維心が月になった今、もしかしたら自分と維心の間でも、同族の子が生まれてそんな事を言わなくなるではないかと単純に考えて、維月は維心との子が欲しいと思った。
だが、そんな事をしなくても、きっと父は無理を言ったりしなかっただろう。今になって、それが分かる。どういうわけか、あの一言で自分はそこまで愛されていないのだと思ったが、そうでは無いのかもしれない。どこまでも、すれ違っているのかも…。
だが、今は維心との子を産む事を考えたかった。皆に祝福されて、皆を助けるために生まれて来てくれる命。こんなに簡単に出来るのだとは思わなかった…何しろ、自分達のような命は、なかなか子供に恵まれないからだ。
こんなにあっさりと出来た事に、維心もだが維月も驚いた。一度や二度で、出来る命だとは思っていなかったからだ。
考え込む維月に、紫銀の声が言った。
「地は大変に大きな心を持つ命ぞ。我らのような命にも気を配ってくださり、他にも動物なども育んで人や神の事も面倒を見ている。子がどうのと小さな事を言うと思うか?我は、そんなかたではないと思うぞ。あのかたは、誠に慈悲深いかたなのだ。」
紫銀は、すっかり碧黎を崇めているようだった。
確かに、地に根を張ってそこから栄養を取り込んでいる木々にとって、地は母であり崇める対象なのだろう。
蒼が、言った。
「さ、じゃあ紫銀に報告もしたし、戻る?維心様をお待たせしちゃいけないし。」
十六夜は、頷いた。
「戻ろうか。子供が居るのに長いことうろうろしてたら、あいつ心配して探しに来るぞ。せっかく出来たんだし、大事にしなきゃな。行くぞ、維月。」
維月は、考えるのをやめて、頷いた。
「ええ。じゃあね、紫銀。また。」
紫銀は、頷いてスーッと消えて行きながら言った。
「龍王によろしくお伝えを。」
それを見てから、維月は十六夜と蒼に気遣われながら、宮で待つ維心の方へと飛んで行ったのだった。




