月の姿
維心は、パッチリと目を開いた。
体は問題なく、妙に軽いだけで体調はむしろ良かった。
維月が心配そうに維心を見つめた。
「維心様…?お体はいかがでしょうか。」
維心は、起き上がった。
「思ったより良いぞ。」と、窓の方を見上げた。「視界が驚くほどに良い。見ようと思えば大陸だろうと地の裏側だろうと嫌になるほど見える。何を話しておるのかさえ、意識を集中させれば聴こえて参る。なんと便利なのだ、月と言うものは。」
維月は、苦笑した。
「まだ慣れておられないので、月の力を抑えたりも難しいようですわ。あの、お姿も…。」
維心は、眉を上げた。
「何か問題があるか?」
そう言って立ち上がった維心は、何かがサラッと腕に当たるのを感じて見ると、それは自分の腕に擦れた、自分の髪だった。
そしてそれは、見事な金髪だった。
「な…な…長い!」と、維心はその金髪を掴んだ。「それになんだこれは?!」
これまで維月と同じ黒髪だったのに。
そして長いのが鬱陶しいと、切っていた。
維月は、言った。
「まだ戻られたばかりですので。少しすれば、調節の方法がお分かりになって、元のお姿になるかと思いますわ。あの、皆様が…おいでのようですので、お着替えを…。」
そういえば、帰ろうとしていた神達が、こちらへ引き返して来たのを見たような。
恐らくは、月からあんな派手な姿で降りたので、目について慌てて来たのだろう。
こんな姿であれらの前に出るのか。
維心は思ったが、説明しておかねば次の会合で嫌でも顔を合わせる。
それまでに姿を元に戻せているか、分からなかった。
「…着替える。」維心が、仕方なく言った。「着替えをこれへ。」
侍女達が、維心の声を聞いて、慌てて着物を手に入って来た。
「!!」
そして、その姿を見て驚いて失神した。
「まあ大変!」維月は、慌てて侍女達を介抱した。「しっかりして!誰か、いえ、私が外へ!」
ここへ呼んだら皆同じことになる。
維月は急いで侍女達を気で持ち上げて居間へと運び出して行く。
維心は、取り残されて、仕方なく自分で着物を着替えた。
居間の方では、大騒ぎをしている声が聴こえて来る。
維心は、これからいったいどうなるのかと眉を寄せたのだった。
鏡に映して見ると、瞳の色は変わりないようだったが、髪は完全に根本から金髪だった。
調節といって、どう調節したら良いのか皆目分からなくて、しばらく力んでいたものの、どうやっても変わらないので諦めた。
居間の方では、臣下達も集まって来て、維月が何やら説明している声が聴こえて来た。
鵬達の声もするので、恐らく居間は臣下ですし詰め状態だろうと思われた。
本当は面倒だったが、しかし出て行かないわけにもいかないので、維心は奥の間の扉を開いて、居間へと足を踏み出した。
途端に、これまで維月と話していた臣下達が、一斉に絶句して維心を見つめた。
「うーん…。」
「祥加?!」
鵬が、倒れた祥加を慌てて受け止める。
義心が、冷静に進み出て膝をついた。
「王。維月様からご事情はお聞きしました。しばらくはそのままのお姿なのだと。」
維心は、むっつりと頷いた。
「まだ慣れぬでな。どうしようもないわ。ゆえに主ら、慣れよ。それからしばらく謁見は出来ぬ。会合で告示してからにせよ。」
義心は、頷いて頭を下げた。
「は。しかしながら、月の宮からの帰りにこちらへ立ち寄られた皆様のことはどういたしましょうか。ただいまは、南の応接間でお待ち頂いておりまするが。」
維心は、頷いた。
「会う。どうせあやつらには話さねばならなんだし。」と、維月を見た。「行って来るわ。臣下達は主からようよう話しておくが良いぞ。」
維月は、頭を下げた。
「はい。誠にご面倒に巻き込んでしまいまして…。」
維心は、手を振った。
「まあ良い、我が月でもあるのだし、皆にはこれまでより安全になったと言うて落ち着かせたら良い。鵬も、そう申して混乱せぬように回せ。分かったの。」
鵬は、まだ慣れない姿だが、声も気も維心なので、頭を下げた。
「はい。仰せの通りに。」
そうして、維心はそこを、炎嘉達に会うために出て応接間へと向かった。
義心が慌ててその後について来たのが見えたが、維心は振り返らずに真っ直ぐに前を見て回廊を歩き抜けて行った。
途中、バッタバッタと倒れる侍女侍従をその都度義心が軍神達を呼んで対処しながら、やっとの事で南の応接間までたどり着いた。
維心は、髪の色が変わったぐらいで大袈裟なと不機嫌になったが、実は違った。
維心が、応接間の扉を勢い良く開くと、中で待ち構えていた炎嘉も勢い良く振り返って言った。
「維心!主はまた…、」
そこで、炎嘉は固まった。
そこに立っていた維心は、金髪であるだけでなく、荘厳な雰囲気は変わらなかったが、それなのに華やかで、癒しの気をこれでもかと発し、それは息を飲むほど美しかったのだ。
「え…え…維心よの?」匡儀が、おろおろと言った。「主の気が近付いて来ると感じておったのに。何ぞその姿は…?」
義心が、黙って進み出て維心を席へと案内する。
維心は、不機嫌にどっかりと椅子へと座ると、息をついた。
「髪の色が変わってしもうて。調節の仕方を覚えるまでこのままぞ。ここへ来るまで臣下達が大騒ぎで倒れまくって大概うんざりしておる。髪の色が変わったぐらいで大袈裟な。」
炎嘉が、パクパクと声の出ない口を動かしている中、志心が言った。
「あのな、気付いておらぬのか。髪の色ばかりではないわ。癒しの気が混じっておるし、それが強い。それに主、そんなに華やかではなかったのに。美し過ぎて、我らでも直視しておると引き込まれてしまいそうな様ぞ。」
月のせいか。
維心は、眉を寄せた。
「月だからよ。」と、吐き捨てるように言った。「我は我ぞ。今、我は月でもあるのだ。順を追って話す。」
維心は、こうなった経緯を、月の宮の諍いから順を追って皆に話した。
そこに居たのは皇子も含めてそれは多人数だったが、さすがに軍神は居なかったので、参加した神が全員居るわけではない。
それでも、皆静かに固唾を飲んで維心の話を聞いていた。
いつもはこんなに静かに聞かないし、途中で炎嘉や焔辺りがちゃちゃと入れて来るので進まないのだが、今日はやりやすいな、と維心は話を終えた。
「そんなわけで、我は不安ながら月へと上がったのだが、維月はやはり地であってな。問題なく行って帰って来れたのよ。碧黎が阻止しようと参って維月を妨害しようとしたので、慌てて降りて参った時を、主らは見たのであるな。」
匡儀が、頷いた。
「あの、黄金の龍であるな。我ですら神々しさを感じたわ。あんな色の龍など見た事もないゆえ。しばし軍神達と呆けて見ておったのだが、よう見たら形が主であるし、慌てて戻ったのだ。あれは主が月になったからであったのだな。」
維心は、頷いた。
「己の姿など見えぬから、池に映った姿を見て己でも仰天したのよ。まさかずっとこのままではあるまいなと維月に聞いたら、体へ戻れば元へ戻ると申したので、戻ったらこのように。」と、己の金髪を掴んでブラブラとさせた。「調節の仕方がまだ分からずで、しばらく鏡の前で力んでいたが、無理だった。なので、諦めてこのまま出て参ったのだ。」
それにしても美しい。
そこに居る、誰もがそう思っていた。
話を聞いていても、その姿があまりにも美しいので思わず見とれてしまい、自然黙って最後まで聞く事になってしまった。
焔が、落ち着かぬ風に体を揺らして、隣りの炎嘉を見た。
「のう、ずっと黙り込んでどうしたのだ炎嘉よ。維心があまりに美しいからと固まっておるのか。」
炎嘉は、むっつりと頷いた。
「そうよ。」冗談のつもりだったので、焔が驚いていると、炎嘉は続けた。「我ら鳥族はそもそもが、そういう色合いを美しいと感じるではないか。こやつ、黒髪でも大概美しかったのに、こんな姿になりよって。圧倒されて黙って話を聞いてしもうたわ。」
誓心が、おずおずと言った。
「我もそう。」皆が仰天して誓心を見ると、誓心は続けた。「だが、相手にしたいとかではない。あまりに高貴な気がして、手を出すなどおこがましいと感じるからの。」
一瞬ぎょっとした顔をした維心だったが、最後まで聞いて何度も頷いた。
「我に手を出すなど許さぬからの!そもそも陽の月は浄化の存在であるから、確かに手を出す気になどならぬだろうな。」と、忌々し気に自分の髪を見つめた。「全く…こんなことになってしもうたばっかりに、姿ばかりに惑わされよってからに皆は。我は中身は我のままであるぞ?そこを忘れるな。」
だが、ヴァルラムが言った。
「だから姿だけなら惑わされぬのだが、主、気が癒しの気なのだ。主の龍の気は健在だが、それに混じって強い癒しの気がするゆえ、否応なしに惹き付けられてしもうて、その上にその姿であるから…そこらの神なら一たまりもないわ。主の臣下が倒れまくっておるのも、そのせいよ。早う何とかせねば、会合にも出られぬぞ?我らでもこの有様であるのに、一般の神など耐えられるはずがあるまいが。」
しかし、サイラスはハアアアとため息をついてニヤリと笑って言った。
「いやあ、良い物を見せてもろうたわ。まあ主が月だと言うなら問題はない。これからは滞りなく地上を浄化してくれようし、安心よ。主が見事にこちらを統治しておるのは見ておるしな。しかし誠に、美しいのー。」
イライアスが、横から小声で咎めるように言った。
「父上、そのようにあからさまに見ては失礼でありまするぞ。こちらの神はそうなのだと聞いておるのに。」
ヴァルラムが、お、とイライアスを見た。
「主はよく学んでおるのだな。その通りよ。あちらではそれほど視線にうるそうないが、こちらはあまりに見つめるのは礼を失すると思うようでの。若いのに、誠によく出来た皇子であるな、サイラス。」
サイラスは、ヴァルラムを軽く睨んだ。
「うるさいぞヴァルラム。どうせ我が何も学んでおらぬと言いたいのであろうが。」
ヴァルラムは、クックと笑った。
「良い良い、主はそんな風よ。」
維心は、そんな二人の会話をじっと聞いていた。よく考えてみたら、ヴァルラムだからと自然に見ていたが、これは前世のヴァルラムではないのだ。記憶はないはず、だった。
だが、あまりに慣れた様子だった。ごたごたしていたのであまり気にしなかったが、確かに競技の最中も二人で居て話していたものだった。
新任の王であるヴァルラムに、サイラスがあれほど親し気なのもおかしな話なのだ。
あまりに維心がじっと見ているので、サイラスとヴァルラムは、さすがにぎょっとした顔をして、何やら落ち着かない風で椅子の上で体を動かした。
「…あまりこちらを見るでない。落ち着かぬではないか。」
維心は、ハッとした。ちょっと観察するだけでもそれか。
「別に他意はないわ。ただ、主らが親し気であるなと思うておっただけぞ。」
サイラスは、フンと横を向いたまま言った。
「それは我ら同じ北に住んでおるのだから、諍いばかりもしておられぬしの。」と、立ち上がった。「まあ帰る。何があったのか分かったし問題ないわ。また何かあったら連絡をしてくれ。」
そして、さっさとそこを出て行こうと歩き出した。
ヴァルラムが、慌ててそれを追って立ち上がった。
「ならば我も。」と、皆を見回した。「ではな。我ら北まで帰らねばならぬから。もう帰るわ。」
バタバタとレオニートも立ち上がった。
それにつられてイゴールやアルファンス達も会釈をして出て行って、赤い顔をしていた高湊もおずおずと立ち上がった。
「では、我も。その、帰ると言うて連絡を入れておったのに、まだ帰らぬとあちらも案じておろうし。」
公明が、それにつられて立ち上がった。
「我も戻る。翠明殿、帰らぬか。」
翠明は頷いた。
「では帰ろうか。これだけ美しいと凄みを感じて若いほど落ち着かぬのよ。早う何とかせねば、皆主をまともに見ることも出来ぬぞ。ではな。」
翠明は、そう言い置いて高湊と公明を連れて出て行った。




