月へ
龍の宮へと帰った後、維心は維月を湯殿へと連れて行って、涙を流させて体を温めて落ち着かせ、部屋へと帰った後は、抱きしめて背を撫でてやっていると、そのまま維月は眠りについた。
その時にはもう、真夜中だったが、維心はこれからの事が気になって、眠るどころではなかった。
維月が月の宮と断絶してしまうと、いろいろと障害が出て来る。普通の妃なら、里へなど一生帰らなくても夫が世話をしたらそれで良かったのだが、維月は違う。何しろ、陰の月であり、陰の地なのだ。
もう関わりたくないと維月が思っても、そうわけには行かない。本体が空にあり、そして地にあるからだ。
しかも、今回仲違いしたのは片割れとなる地の陽だ。関わりたくないといって、そう出来る相手ではなかった。
どうしても、仲直りしなければならないが、維月がここまで嫌になってしまっている以上、簡単には行かなさそうだった。
維心は、大きなため息を付きながら、自分にはどうしようもない事を、何とか出来ないかとぐるぐると考えて朝を迎えてしまっていた。
日が昇り始めた頃、維月は目を覚ました。
そして、ハッと維心を見上げると、維心が起きているのと目が合って、また目を潤ませ始めた。
維心は、まずい、と慌てて抱きしめた。
「もう、宮へ帰っておるから。落ち着かぬか、維月。」
維月は、首を振った。
「違うのですわ。維心様には…また大変なご迷惑を。」
維心は、そんな事かと言った。
「我は良いのだ。もう慣れた。それよりも、主は落ち着いたか。主が十六夜を今、どう思うておるのかはもうあの時申した事で分かったが、碧黎もか?あれは、あの時深く考えずにああ申したのだと思うぞ。」
維月は、襦袢の袖で涙を拭くと、維心を見上げて言った。
「はい。でも、あの時、父は新たな取り決めをしようとしておりました。あのまま黙っておったら、恐らく十六夜と私が命を繋がないために、またもとのように十六夜と維心様の二人と婚姻関係で、父と命を繋ぐという形に戻すと決めてしまいそうでしたわ。そこに、私や維心様の意見などありませんでした。聞こうともしておられなかった。結局、父も己の気持ちが一番で、私の気持ちなど、考えてもくれないのだと悟ったのです。私は、同じ眷属でありながら、その命の勝手な所に嫌気がさしてしもうたのです。分かってくれておるのだと信じておったのに、父まであのような。結局最後は、己なのかと。維心様は、長い間私の気持ちを尊重して、自分の価値観の中で許せぬ事である婚姻の体の関係も、堪えておってくれました。そこに、維心様の我がままなど一つもありませんでした。ああして並べて見えてしまった時に、私を真に思うて自分のためだけでなく、私のために私を愛してくださるのは、維心様だけなのではと思うたのです。十六夜も父も、自分の気持ちのために私を利用しようとしておるのですわ。信じておったのに…私は、物ではありませぬ。もう二度と、お二人とは会いたくもありませぬ。」
維心は、困って言った。
「維月、だが主の命はあの眷属なのだ。月とも地とも片割れの身。普通の妃のように、生涯我が守って何とかなるわけではない。話し合わねばならぬ。」
維月は、目を鋭くすると、スッと光に戻った。
かと思うと、また型を戻した。この動きは覚えがある…恐らくは、月だったのを地になったのだ。
「結界を張ります。」
維月は、驚く維心をものともせずに、龍の宮の維心の結界の内側に、自分の結界を大きく張った。そしてその後、また領地の結界の内側に大きく結界を張った。
普通の女神なら、そんな事をしたら気が足りぬと言うところだが、維月にはそんなことは無い。結界はどっしりと根を張って、ちょっとやそっとでは崩れる様子は無かった。
「父に関与されたくありませぬ。」維月は、言った。「私は母と同じ力を持っております。母は、結構大きな力を自在に使っておりました。確かに父には敵いませなんだが、しかし、父は地上全体を面倒見ておるのですから、大きな力なのは道理なのです。本来そんな力がなくとも、大概の事は出来まする。例えば、維心様を月へと上げることも。」
維心は、仰天した顔をした。我を月に…?!
「それは出来ぬ!維月、落ち着くのだ。我は龍王ぞ。この身を失うわけには行かぬ。我は月になる事は出来ぬ。前にそんな話が出た時、お互いにそれはと話したではないか。我は我が龍族を見捨てる訳には行かぬのだ。」
維月は、頷いた。
「分かっておりますわ。ですが維心様、私は月であり地である身。父がどうやってそれを成したのか、私は命を繋いだ時に見て知っております。私は維心様を、月であり龍である御身に換えることが出来るのですわ。龍の御身のまま月へと上がり、そうしてそのまま降りて参るのです。月の操作など、地上から難なく出来ますので、月へ帰る必要はありませぬ。ただ一度だけ、月へと昇ったらそれで事足りるのですわ。」
維心は、困り切って維月を見た。我を月に…片割れにしようとしておるのか。
「…主の気持ちは分かる。だが、誠に大丈夫なのか。主を信用しておらぬのではないが、それでも…我は龍族の未来を背負っておるゆえ。確かに維明も維斗も居るが…」
龍でなくなるつもりは無い。
維心は、思っていた。龍である自分に誇りを持っているのだ。今さら月に生まれ変われと言われても、それは無理は話だった。
だが、維月は龍のままで月の力を持つ事になるのだという。そんなことを勝手にして、碧黎がまた激怒するのではないのか。
「維心様…ご無理を申しておるのは分かっておるのですわ。でも、今何かあった時、地上を浄化する力が私一人では心もとないのです。父は蒼にと申しますが、蒼はこの前の時も島を守るので手一杯でした。十六夜は確かに困った性質でしたが、生きているだけで地上の面倒を見ておったのは確かなのです。それを下ろしてしもうて、恐らく代わりを見つけるまではと、父は己でやっておるのでしょうけれど、元々役割が違う命なのです。無理が出て参るでしょう。」
維心は、躊躇った。維月が言う通り、地上がどうにかなっては龍族などひとたまりもないのだ。地上あってこその神であり、恐らくこんな現状を知ったら、他の王達もかなり案じるはずだった。
「…困ったの。」維心は、言った。「それをして、我が月になるために月へ昇った瞬間、この体はどうなる?」
維月は、頷いた。
「その間は、私が維持を。地の気を補給しておったら、朽ち始めることもありませぬ。後にすぐに月から降りて来られたら、この体に戻ることが出来るのです。」
維心は、真剣に考えた。月から降りて来る方法は、維月と何度も心を繋いで、更に命も繋いだので知っている。だが、やった事が無い。
「…月から降りて来られるか。すぐに?」
維月は、それには息をついた。
「維心様の能力次第かと。衝撃で気を失われたりしたら、お気が付くまで降りて来ることが出来なくなります。」
リスクがある…。
維心は、この世のために命を危険に晒すわけには行かなかった。だが、それにもまして、今の状況は確かにまずい状況だった。
碧黎は、十六夜にあんなことを言っていたが、自分だって私情で結構動いているのだ。神と関わり過ぎて、感情に引きずられるところがあるのだろう。碧黎自身も言っていたが、維月の感情を知って、それに引っ張られているのかもしれない。
月が不在など、この間の霧の大発生の事を考えたら、恐ろしくて本当なら出来ないはずだった。
霧や闇など、月にしかどうしようもない事なのだ。
しばらく苦渋の顔をしながら考え込んでいた維心だったが、窓から空を見上げた。月…。
「…維月。」維心は、言った。「だが、十六夜が戻せるとなったら、我は月から降りる。それで良いか?」
維月は、まさか維心がこんなにすぐに決断してくれると思っていなかったので、目を丸くしたが、何度も頷いた。
「はい!誠に…必ず!」
維心は、維月の手を握り締め、身を横たえた。
「ならば、今すぐに。本日は運動会の次の日であるから、政務は入れておらぬ。少々我が降りるのに手こずっても、問題はない。主の気持ちは分かった…我は、世を守るために月と龍王という責務を一時的に負おうぞ。」
維月は、その手から伝わって来る使命感と、維月への信頼感をしっかりと受け止めて、頷いた。
「はい。維心様の大事なお命は、私が必ずやお守り致しまする。この龍の御身も、必ずや。」
維心は頷いた。
「主の事は信じておる。己が信じられぬから、降りて来られるかと案じておるだけぞ。」
維月は、維心の目を見つめた。
「ならば私と命を繋いだ時の事を思い出してくださいませ。心の中に残っておる、私の意識が答えまする。一緒に昇っておるかのように、手を取って降り方をお教えするでしょう。」
そんな使い方が出来るのか。
維心は思ったが、心強い限りだと頷いた。
「ならば、主と共に昇ろう。」
維心は、維月を信じて目を閉じた。
そうして、維月はカッ!と目を見開くと、そのまま一気に維心の命を肉体から引き出し、そうして空へと、碧黎がするように打ち上げたのだった。




