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居場所

その頃、桜は焔と共に、月の宮の回廊をどこへともなくぶらぶらと歩いていた。

月の宮は本当静かで、侍女や侍従も呼ばなければ来ないので、宮の中を歩いていても邪魔をされることも無い。

なので、シンと静まり返った宮の回廊を、二人の歩くコツコツという靴の音を響かせ、話ながら歩いていた。

焔は、宮の状況を説明し、そして宮の立地も合わせて話した。

「獅子の宮と規模は変わらぬが、我が宮は平屋でな。断崖絶壁に、それぞれ宮を立ててそれを回廊で繋いで、庭もそんな感じで大地に広くあるという感じではない。我が宮は、天空の宮とよく言われておったのだ。」

桜は、それを聞いて頷いた。

「鷲の宮の事は、祖母から聞いておりますわ。幼い頃から宮しか知らずに生きていたので、臣下の娘であった祖母が里へと返された時には、地に落とされた気持ちになったと。それは、地位がどうのと言うのではなく、これまで天空に住んでいたのが、いきなり下へと降りたので、それに戸惑ったのだと言っておりました。」

綾は、鷲だった。

焔は、それを思い出していた。自分の父の煽が、まだ幼い美しい少女を宮へと攫うように迎え入れ、そうしてそこで、我がままの限りをさせて育てた。もちろん、礼儀や宮の動きなどは幼い頃から肌で覚えたので完璧だったが、煽が何でも許すので、神として何が良くて何が悪いのか、そんな事は分からずで生きていた。

それを、翠明が拾った。焔が疎み、どこかへ嫁がねば居場所も無い中で、綾はまだ400歳にもなっていなかったのに、一生日陰の身になる事を覚悟したのだと聞いている。だが、翠明があまりに哀れだと、一生面倒を見ると綾を娶った。

それから、綾は幸福そうだった。

どの宮の王からも、模範的な妃だと言われてそのたぐいまれな美しさも合わせて誉めそやされた。

維心も自分の正妃が綾と友であることを許し、そうなって来ると神世は皆、綾を出来た妃だと認めざるを得なかった。

綾は、再び日の目を見ることが出来たのだ。

しかし、こちらに居た時のように我がままな事もなく、翠明をよく支えて子も三人産んだ。焔も、その最後の時には綾を労い、見舞ったものだった。

そして、未だに惜しまれながら、綾は去った。

自分の眷属の、臣下の娘であり兄の燐の母であった。

「…主は鷲の血を引いておる。」焔は、言った。「しかし、綾は我の母ではない。なので、娶る事は可能ぞ。今いくらか話を聞いておったら、主は確かに綾から学んで宮の動きをよう知っておる。あちらで十分に務められよう。どうする?主は、我の妃として鷲の宮へ来るか。」

桜は、焔の様子をじっと見ていた。焔は、別に桜に懸想しているという感じではない。桜も、焔はとても凛々しく美しい王だと思うが、慕うというにはあまりに知らなさ過ぎた。

だが、確かに鷲の宮は祖母の宮。幼い頃から話して聞かされて、鷲の宮の事はたくさん知っている。恐らく、他のどの皇女よりも、役に立つ事は出来そうだった。

母も箔炎に再縁し、楓も英心に嫁ぐことが決まり、柚は恐らく岳に降嫁して獅子の領地に残る。

そうなった時、自分だけ何もせずに、ただ時が過ぎるのを母について行った箔炎の宮で待つだけなど、出来ない気がした。

やはり、自分も誰かに必要とされて、役に立ちたいと思うのだ。

なので、桜は言った。

「我は、焔様の事をあまり知りませぬ。ですけれど、祖母から聞いて恐らく誰より鷲の宮を知っていると思うのです。他の皇女より、余程お役に立てると思います。焔様が我なら役に立つとお思いなら、我はそちらへ参りたいと思います。」

焔は、この色気も何もあったものではない会話の中で、なぜか安心していた。

妃となると、いつも愛して欲しい、自分が一番でありたいと、焔に媚びて大変で、宮を回すのは二の次だった。

だが、桜は違う。最初から、自分に愛されたいのではなく、役に立ちたいと願っている。愛情など無いのだろうが、桜は居場所を求めているのかもしれない。

「…ならば、参るが良い。」焔は、言った。「我の妃として。我が宮を立派に回してみせよ。あの宮は、主が必要ぞ。まともに回せる者が、誰も居らぬのだからの。腕の見せ所よ。」

桜は、ホッとしたように胸を撫で下した。そして、深々と頭を下げた。

「はい。焔様、よろしくお願い致します。」

焔は、愛情とは違う、友情に近いようなおかしな感情が湧いて来るのを感じた。この、ハッキリとした女なら、きっと同じ気持ちであの宮を守ってくれるはず。

そう、愛しているわけでは無いが、同志として支えてくれそうな気がするのだ。

一人でなくなったような、そんな安心感なのかもしれない。

そう思った時、焔は自分がずっと、孤独感に苛まれていたのを知った。

友に会いに行かずにおれなかったのも、きっと寂しかったからなのだ。

もう、酒に逃げる必要も無ければ良いの。

焔は、そんな風に思って、久しぶりに年甲斐もなく心が湧くのを自嘲気味に感じていた。

そう言っても今生は、焔はまだ若い神だったのだが。


炎嘉が、言った。

「焔に妃が決まったら安堵するのだがの。だが、我はあれは桜に決めると思うぞ。ああいうハッキリした方が良いと思うのは、我とて同じ。維心もであろう?」

維心は、頷いた。

「ハッキリしておる方が、何を考えておるのか分かりやすうて良い。だが、ただ気が強いだけの女はならぬ。いつか、主も気が強いのは、とか言うておったではないか。」

それには、炎嘉も渋々頷いた。

「それはそうよ。ただ気が強いだけなど…面倒な性質なだけではないか。加減が難しいがの。とにかく、桜は良い加減の気の強さだと思うた。」

しかし、匡儀は首を振った。

「我はあまりにも気の強いのは無理ぞ。あまり小言を言われたら母のように思うて夜も生活出来ぬようになる。ま、我は母を知らぬがの。」

彰炎が、脇から言った。

「何を言うておるのだ主は。黎貴と夕貴の母は気が強かったと聞いておるがの。」

匡儀は、顔をしかめて言った。

「あの時は、別に妃とか関係なくあんまり言うので面白いから良いか、と軽い気持ちなだけぞ!子が出来ておったのも知らなんだぐらいなのだからの。正式に迎えるとなっておったら、恐らく手は出さなんだ。」

維月は、王達の勝手な言い分に少しイラッとしたが、それをここで出してしまうと自分こそがその、加減の利かない気の強い妃になってしまうので、黙っていた。

…でも…そういえば、椿が来ていない。

維月は、思った。箔炎は来ているが、椿が居ない。やはり、駿の手前あからさまに妃だと言ってここへ出て来るのを避けたのだろうか。

皇子達の方を見ると、英心が連れて行った楓を後ろへ座らせて、楓はそれこそ全く顔が見えないではないかというほど高くベールの中で扇を上げているのが見てとれた。

錬彰が、何やら話しているが、いったい何を話しているのか、全くこちらからはうかがえなかった。

気を使えば簡単に分かるのだが、そんな事をするのは無粋なので出来ない。

変な事が起こらないように、維斗が何とかしてくれたらいいんだけど。

維月は、そう思って遠目にそれを見ていた。


皇子達の席の方では、楓の美しさにひと当たり皆、見とれて絶賛した後、英心が座るのを待って、楓もその後ろへと座って、そうして会話を始めていた。

楓はというと、普段から絶対に誰かの前で口を開く事が無かったので、多くの皇子達にさすがに固まってしまっていたが、錬彰が開口一番、言った。

「何ぞ、これほどに美しいと知っておったら我が娶ったのに。」英心が、眉を寄せるのも構わず、錬彰は続けた。「茶会の時でも全く顔が見れずで。こちらに興味がないのかと思うて、我も声を掛けずにおったものを。英心では無く、我ではどうか?同族の気配がするゆえ、血も近いのでは。」

楓は、困ったように英心を見上げる。英心は、答えた。

「…これの祖母が鷲であったからの。だが、これは獅子ぞ。それに、我と婚姻を約したのだから、主が割り込むではないわ。」

錬彰は、フンと鼻を鳴らした。

「美しい妃は取り合いになるものであるぞ?まして、まだ主の妃ではないのに。」と、スッと楓の空いている方の手を取った。「我ではどうか?」

楓は、精一杯勇気を振り絞って言った。

「我は、英心様に嫁ぐとお約束を。どうかお離しくださいませ。」

だが、錬彰はしつこく手を放そうとしない。英心が、その手をやんわりと押した。

「しつこいぞ、錬彰。やめぬか。」

錬彰は、恐らく酒が入っているので、意地になっているのだろう。普段はこんな感じではないが、それぐらい、楓は見過ごすことが出来ないほどに美しいのだ。

「何を…、」

錬彰が声を上げようとした瞬間、維斗が、鋭い声で言った。

「控えよ!」その鋭い声に、皇子達皆がビクッと肩を震わせた。維斗は、わざと声に気を籠めて続けた。「ここは我の母の里ぞ。そこで狼藉など、許される事ではないぞ、錬彰。品の無い…主の方ではそれが普通であるのか。酒の席では、何をしても良いと?」

錬彰は、顔を赤くした。

「そのような事…!我はただ、同じように茶会の席に出ておったのに、なぜに我らには話が無いのかと思うただけぞ。」

宇洲の皇子の翔が、脇から言った。

「こればっかりは縁であるからの。父上もそう申しておられた。父王同士が決めたとしたら、我らが何か言えることでも無かろうが。青組の席で、誓心殿と駿殿が話しておったと聞いておるし、主が何某か申せることではない。収まらぬか。」

烙が、困った事だと王達の席の方を見た。

「そうよなあ…もう一人居ったであろうが、ええっと、桜殿とか申したか。あちらを打診してみたらどうか。」

それには、英心が気の毒そうな目で烙を見て、言った。

「それは、焔殿と話があって。桜殿も承諾する方向で話が進んでおったゆえ、なかろうの。」

烙は、仰天した顔をした。あの叔父が…?!

「え、王が?!」

絶対に娶らないから我に誰か娶れと煩かったのに。

「あの気の強そうな女であろう?確かに美しいには変わりないが、我は淑やかな方が良いのだ。」と、少し落ち着いて来たのか、息をついた。「すまぬ。あまりにも見たこともないほど我の好みの美しさであったゆえ。我にも機があったのにと思うと、つい強く申してしもうた。」

錬彰は、そう言って下を向いた。維斗はホッとして、言った。

「翔が申した通り、これも縁。まして父王同士で決めたのだから。主の気持ちは分かるが、主ならいくらでも他に居ろう。気にするでないぞ。」

錬彰は、頷く。

楓はホッとしたが、英心は錬彰に言った。

「主は…それほどに楓をと思うのか?」

錬彰は、苦笑した。

「いや…良いのだ。目が覚めるほどに美しいと思うたまで。お互い話してもおらずで、乱暴な話よ。それで娶って大変な思いをしていると、父上が常、愚痴っておるのを聞いておるのに。故に我は、軽々しく娶らぬと決めておったのにの。」

そういえば彰炎には妃が二十人ぐらい居た。

それだけ居れば、いろいろあるのだろう。

英心はそれで何も言わなかったが、楓は気になった。もしここで錬彰がどうしてもと言っていたら、英心はどうしたのだろう。

何しろ、英心はそこまで楓を妃にとは、思ってはいないと思われたのだ。

そのまま、場は違う話題へと流れて行き、皆楓などそこに居ないかのように見つめる事もなく、和やかに過ぎて行ったのだった。


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