宴の準備
維心の対へと入って行くと、居間には維心がジャージから部屋着に着替えて座っていた。
どうやら、維月が帰るのを待っていたようだった。
扉が開いて顔を上げた維心は、維月が二人の皇女を連れているのを見て、眉を上げた。
「…維月?駿の皇女か。」
二人は慌てて頭を下げる。維月は、頷いた。
「はい、維心様。これから宴でございますのに、着物もままならぬので、我がこちらでご準備をと。月の宮には我の着物がございますので。」
維心は、維月が一人称を我、と言っているのに慣れぬなあと思いながらも、頷いた。
「そうか。ならば隣りの主の部屋へ参るが良い。」
維月は、頷いた。
「維心様のご準備を先に致しますので、少々お待ちくださいませ。」と、頭を下げ続けている二人をせっついた。「さあ、こちらへ。そのようにかしこまらなくとも良いのですよ。王はご自分も皇女をお持ちなので、よく分かっておられますから。」
とはいえ、維月の焦りは伝わった。
何しろ、これから宴までに維心の準備をして、皇女二人を着せ替えて、自分も着替えなければならないのだ。
それは焦るだろうと思われた。
維月は、この維心の対の中の自分の部屋へと皇女二人を連れて行き、そうしてすぐに戻って来たかと思うと、あらかじめ龍の宮から宴用にと持って来ていた着物を、侍女達に持って来させた。
「維心様、お待たせ致しましたわ。あの、少々大変な事になっておりまして。」
維心は、こんな時は逆らわない方が良いと思い、頷いた。
「あちらは椿が箔炎の世話をしておるのだろう。駿では皇女を満足に準備させられぬわな。」
維月は、頷きながら維心の着物を着付けに掛かった。
「はい。それに、此度は英心様が…、あの、ご存知でしょうか?」
維心は、袖に手を通しながら、頷く。
「聞いておる。英心が誓心に、借り物競争が終わった後に話しておったからの。誠に急なことで驚いたが、では、宴の席で誓心と対面を?」
維月は、頷きながら維心の前合わせを閉じた。
「はい。そうなるのではと思いまする。持って来ていた着物では、恐らくは軽い雰囲気になってしまうのではないかと、挨拶用にきちんとした着物が必要であったのですわ。それで、私の物をお貸ししようと、こちらへ。」
維心は、合点がいって頷いた。
「そうか。ならば仕方のない事よ。まあ、主は瑠維や弓維で慣れておるから。問題ないの。」
維月は、今度は維心の袴を引っ張り上げながら、言った。
「申し訳ありませぬが、此度なので、先に宴の席へいらしてくださいませ。終わってから、急いで参りますので。何分、女は時間が掛かりますので、侍女に指図は致しますが、どれぐらいの時間で終わるのか見当も付かぬのですわ。」
維心は、息をついた。
「良い。我は皆と話して待っておるから、案じるでないぞ。」
維月は、もう慣れていることなので、サクサクと維心の着替えをこなした。侍女達も、サッサと次々に維月が必要な物を手渡し、そうして支えるべきところを支えてくれる。正に、侍女達は維月の予備の手足のようなものだった。
そうして、綺麗に出来上がって、維月は頭を下げた。
「終わりましてございます。」
侍女達も、ホッとしたように維心の脱いだ着物を持ってそこを出て行く。
維心は、いつも通りいい感じの紐の縛り具合なのにホッとして、維月を見た。
「やはり着替えは主に限るわ。では、主は皇女の世話に戻るが良いぞ。また、運動会の感想などは後で聞こう。」
維月は、そうやって考慮してくれる維心に微笑みかけると、スッと浮き上がって維心の首に抱き着き、その唇に口づけた。
維心は、いきなりだったので驚いた顔をしたが、それでもしっかりと浮いた維月を抱きしめるとそれに応え、そうして、しばらく維月がしたいようにさせた。
数分そのままだったが、維月は気が済んだのか、唇を離した。
「…誠にいつも突然であるな。驚くではないか。」
維心がからかうように笑って言うと、維月も笑い返した。
「維心様はとても凛々しくていらして、お姿に見とれておりましたわ。運動会でのご活躍に対する、私の感想でございます。フフ。」
維心は、クックと笑った。
「姿ばかりか。あれほどに励んでおったのに、そちらの感想が聞きたいものよ。」
維月は、維心の腕から降りて、言った。
「それはまた、今夜にでも。維心様の頑張りに報いるように、私も励みますわ。ちなみに今、陰の月ですの…。」
そう言って意味ありげに笑う維月の瞳は、妖しく赤く光った。それを見た維心は、ぞくっとするのを感じた。
それでも求めるのをやめられぬのだから…困ったものよ。
維心は己に呆れたが、維月は笑ったまま、自分の部屋で待つ皇女達の方へと急いで向かったのだった。
維月は急いで侍女達に言って英心に連絡をさせて、楓を連れて行くので到着したら宴の間の入り口まで迎えに来て欲しいと頼んだ。
そうして維月の着物の中でも落ち着いたデザインの物を侍女達に出させて、その中から綾によく似合っていたのを覚えている、紫色の品の良い着物を見つけ、それを着せるように指示した。
そしてそれと被らないように、桜には、父王の駿がいつも深緑の着物がよく似合っていたのを思い出し、それを選んで着せる事にした。
自分はというと、維心が事前にこの宴用にと維月のために選んでくれてあったのを、龍の宮から持って来ていたので、それを着たら良かった。
維月付きの龍の宮、月の宮の侍女達が総動員して三人の着付けと化粧、髪結いを手伝わせ、大騒ぎになっていた。
維心はというと、維月と別れてから月の宮の大広間へと一人で歩いて向かった。
この月の宮は、維心としては有難い事に過剰な数の侍女侍従が居ない。
なので、龍の宮より遥かに静かで、こうして歩いていてもあちこちに気を感じて鬱陶しい事は無いし、あちこちから頭を下げられて面倒な事もない。
たまにはこんな風に自由を感じていたかった。
とはいえ、大広間へと近付くと、さすがの月の宮でも、客の世話をする侍女侍従の数が増えて来て、皆が皆維心に頭を下げて、一人が進み出て、言った。
「龍王様。お席にご案内致します。どうぞこちらへ。」
維心は頷いて、その侍従について歩いて行った。
すると、そこには本日競技に参加していた者達だけが、まとまって座っている場所があった。
一段高い場所の中央の席へと案内された維心は、両隣りの蒼と、炎嘉を交互に見た。
「…皆帰したのだな。これほど数が少ないと思わなかった。」
蒼が、頷いた。
「維心様。あの数を皆押し込めるだけの部屋も無いですし、それならいっそ面倒も無く、本日出場した者だけと定めておいた方が良いかと思って。皆、どこかの宮へ立ち寄ったりしながら、本日の話を肴に飲んでおるでしょうし、こちらはこれで良いかと。」
大広間には少ない数だったが、これはこれで静かでよかった。
席は、皇子達は同じ場所に固まって円になって座って談笑していて、軍神たちは軍神たちで集まって座っていて、そうして維心が案内されたのは、檀上の王ばかりが座っている場所だった。
炎嘉が、もう先に飲み始めていて、言った。
「まあ飲め、維心。身内ばかりであるし、もうさっさと飲み始めておるのだ。運動会の話をしておってな。サイラスにイライアスは足が速いなと言うておったのだ。」
サイラスの方を見ると、ヴァルラムの隣りで座っていて、こちらを見た。そうして、言った。
「気を使わずであれほどとは我だって思わずでなあ。新たな一面を発見した気分ぞ。だが、彰炎殿の能力の高さには驚いた。炎嘉が大概優秀であるし、同じ鳥であるからか。」
炎嘉は、笑って手を振った。
「同じ鳥でもそれぞれなのだ。とはいえ、騎馬戦での彰炎の戦いは見事であった。彰炎が劣勢をひっくり返したようなものよ。最後は我が一歩及ばずで、勝てなんだがの。」
彰炎が、それには慌てて首を振った。
「こちらは、英鳳と頼煇が期待以上の働きができずで申し訳ないと思うておったのだ。これらも気にしておって、リレーで取り返そうと思うておったのに…まさかただ走るだけが、あれほどに難しいとは思わずで。」
英鳳と頼煇は、神妙な顔をして下を向いている。
炎嘉が、首を振った。
「そのように思うでないわ。最初のまだ、皆が元気であるときに、最前線に斬り込んで行ったのだから大したものよ。彰炎は後から行って倒したのだしな。出て見て分かったと思うが、スタミナは大事なのだ。気が使えぬと、腕も足も辛くなって参るのが速いし、そうなると思うように動かぬようになる。根性だけではどうにもならぬものがあると、あれで知れたであろう。」
彰炎は、自分こそリレーでスタミナを切らせて最下位に沈んでしまったので、反省しているようで項垂れた。
「誠に…次は、決して間違えぬつもりよ。しっかり練習して参るわ。」
蒼が、慌てて言った。
「向こう三年は開く予定はないからね!そう度々やるなんて、みんな大変だし。」
彰炎は、真面目な顔で頷いた。
「そうか、三年後か。分かった、鍛えておく。」
だから向こう三年はって言ったのに。
だが、あまり言っても無駄なので、蒼はそこで黙った。
すると、侍従の声がした。
「龍王妃維月様、獅子の宮桜様、楓様、ご到着でございます。」
維心が、杯を下ろして振り返った。
そこには、美しく着飾った維月と、その斜め後ろには桜と楓が並んで、頭を下げていた。




