結果
維心は、まるでアスリートのように美しいフォームで走る。
そして足の回転が速く、まるで滑るように走っていた。
炎嘉も負けじと追い掛けるが、すぐに追い付けると思って走っても走っても、維心の背は近くならなかった。
「おおおお!」
後ろから、唸り声が聴こえる。
上品な志心がそんな声を出すはずもなく、驚いてチラと見ると、それは志心を追い抜いて来た、彰炎の声だった。
「彰炎?!」
もう来たのか!
炎嘉が驚いていると、彰炎は歯を食いしばって顔を赤くしている。
恐らくは、全速力で走って来て、スタミナ配分を間違えているのだろう。
まだ半分あるのに。
炎嘉は思ったが、それは自分も同じだった。何としても維心を抜かない事には、勝利には遠くなる。
維心はまるで機械のように、正確にタイムを刻んで走っているはずだった。何しろシャクなほど頭の良い奴なのだ。
第三コーナーを曲がり、後百メートルとなった時、炎嘉はペースを上げた。
と、同時に維心のペースもグンと上がった。
「やはりか!」
炎嘉は、維心の正確さを呪った。ここまでスタミナを温存し、逃げ切ろうというのだ。
「くそ…!」
彰炎の悔しげな声が聴こえ、ペースが上がった三人について行けないのをそれで知った。
気が付くと、志心もすぐ後ろに迫っている。
彰炎が大きく遅れ始め、最終コーナーを回った時には、維心、炎嘉、志心が団子になってゴールに向かって突進して来ていた。
「炎嘉ー!」
焔の声が聴こえる。
だが、炎嘉には目の前の維心しか見えていなかった。今はもう、ほぼ肩を並べる位置まで来ているが、維心はこちらを見る事もせず、ひたすらにゴールテープを睨んで疾走していた。
「負けるか…!」
炎嘉は、思った。いつもこうして少し後ろを来た。この友は、いつも少し前で君臨し、世間の全てを己が受け止めて、皆を守ってそれを当然と全てを背負い…。
自分は、補佐をすれば生きて行けたのだ。
「…主ばかりに良い格好をさせてたまるかー!」
炎嘉は、必死に足を上げて維心の前に出ようと走り続けた。
「おお!」
皆の声が聴こえる。
観客席からの声援が大き過ぎて煩い。
ゴールテープを切った。
だが、炎嘉にはもう、どうなったのか分からなかった。
テープの感触はあった…だが、維心の方が先だったかも知れない。
「炎嘉!ようやった!」
焔の声が聴こえる。
炎嘉は、膝をついて息を上げながら、回りを見回した。
「どうなった?!どっちが先ぞ?!」
維心も、息を上げて恒の方を見ている。
どうやら、維心にもどちらが先だったのか分からないようだった。
志心と彰炎もゴールしていたが、彰炎はコース上に大の字になって倒れており、英鳳や錬彰に運び出されて行っていた。
恒は、軍神達と何やら板のような物を見ながら話している。
そうして、言った。
「…ただいまの勝負、映像を確認した結果、同着と判断されました。よって維心様の組、炎嘉様の組が同率一位となり、志心様の組が三位、彰炎様の組が四位という結果になります!」
同着…。
炎嘉は、勝てなかったか、と維心を見た。だが、やっと維心に並んだような不思議な気持ちだった。
維心は、息をついて座り込む炎嘉に寄って来た。
「負けた。我は先に義心からバトンを受け取っておったゆえ、主との勝負だけなら主の方が速かったのだ。やはり主は素早いの。もっと精進するわ。」
と、手を差し出した。炎嘉は、その手を握って引っ張り起こされながら、ふんと鼻を鳴らした。
「それでも主には勝てぬわ。だが…何やら、やっと主に並んだ気がする。」
維心は、眉を上げた。
「何を言うておる?いつなり隣を歩いておるくせに。」
確かに会合の席を立って歩くのはいつも隣りだが。
「そういう事ではないのだ!主はもう!」
志心が寄って来て言った。
「終わったの。勝ったとはいえ、もうしばらく運動会は良いわ。」
言われて、維心と炎嘉は得点板を見上げた。
月の宮の軍神達が、点数を入れ替えている。
青、70点、赤、63点と数字が掛けかえられた。
炎嘉は、はあと肩を落とした。
「負けた。まあ、チームワークの問題もあったわ。次は負けぬ。」
維心は、苦笑して言った。
「今志心が言うた通り、しばらく良いわ。また、忘れた頃にの。それにしても、組が多いのとは違って分かりやすうて良いと思うたが、騎馬戦などはまた戦略が違って難しかったわ。考え直す必要がありそうぞ。」
恒の声が、言った。
「只今の競技で、本日の競技は全て終了致しました。それぞれの競技の合計点数で、青組70点、赤組63点で、今回の勝負は、青組の勝利となりました。お疲れ様でございました。これで、運動会は終了致します。」
皆が、重い体を引きずるようにダッグアウトの方へと向かって歩いていると、碧黎の声が唐突に響いた。
《無事に終わったようで良かったことよ。では、気を元に戻そうぞ。ようやったの。我も楽しめたわ。》
碧黎もずっと見ていたのか。
維心がそう思って空を見上げると、地の底から何かの力が這い上って来て、そうしてスーッと上へと抜けたかと思うと、体があり得ないほどスッと軽くなった。
忘れていた、自分の気の復活だった。
「楽になった!」赤組の方で、焔の叫び声が聞こえた。「おおやはり神ぞ!これでなくてはの!」
維心は、その叫びに苦笑しながらフィールドを出た。
去り際にもう一度振り返ると、月の宮の軍神達が片付けに飛び回る中、地上にはまだ、自分達が走ったトラックの線が白く残っているのが見えた。
観客席では、皆が席を立って退出しようと押し合い圧し合いし始めている。
維心は、こんな所を皆の面前で必死に走り回るなど、戯れにもほどがあるなと自嘲気味に笑った。
「父上?」
維斗が、物問いたげな顔でこちらを振り返る。
維心は、首を振った。
「いや、何でもない。」
幼い頃でも、我はあまり庭を駆けまわったりしなかった。
維心は思いながら、そうしてそこを、後にしたのだった。
維月は、無事に終わった運動会にホッとしていた。
椿は、残念そうに点数板を見上げた。
「誠に…あれほどがんばっていらしたのに。勝負とは無情でありますこと。」
維月は、微笑んだ。
「それでも、皆様楽しまれたのではないでしょうか。これから、宴がございますし、我も早々に部屋へ戻って王の御仕度をお手伝いしなければ。椿様も、そうではありませぬか?」
言われて、椿はハッとした。そういえば、もう妃の扱いになっているはず。
そうして、慌てて立ち上がった。
「そうでしたわ、我としたことが、すっかり忘れており申して。宮へ入ってからだと思うておりましたが、そうですわね。」と、楓を見た。「楓、あなたはまだ大丈夫だと思うわ。でも、着替えをして念入りにお仕度を。いつものように扇を高く上げておっては英心様にお顔もご覧になって頂けないし、御父上の誓心様にもご挨拶をせねばならぬはずですから。」
楓は、そうなのかとおろおろとした。
「まあ。着物もそれほど良い物を持って参らなかったし、あれで大丈夫でしょうか、お姉様。」
桜は、自分も経験のない事にどうしたもかと椿を見た。
「お母様、お相手の父王様の御前にご挨拶に出る衣装に、あの衣装で良いのでしょうか?」
椿は、思えば自分は相手の両親に挨拶もしていない、と思い、翠明を見た。
「お父様…。」
翠明は、顔をしかめた。
「困ったの。我はそんなことはからきしでな。全部綾に任せておったゆえ。」
維月が、言った。
「ならば我が。」皆が、維月を見る。維月は、楓の手を取った。「さあ、こちらへ。この宮は我の里なので、我の着物がたくさん置いてございますの。それをお召しになればよろしいわ。我が見繕って差しあげましょう。桜様も、一緒に来られたら良いわ。椿様は、箔炎様の所に。」
椿は、感謝の視線を維月に向けた。
「申し訳ありませぬ。感謝致しますわ。」
維月は頷いて、やることが増えたと出口へと足を向けた。
「さあ、参りましょう。王達は待ってはくれませぬし、我も王の御仕度もせねばなりませぬから。翠明様にも、また宴のお席で。」
翠明は、頷いた。
「すまぬな、維月殿。主なら頼りになるゆえ任せるわ。」
維月は、頷いて急いで二人を連れると、抜け道から宮の中へと抜けて、維心の対へと向かったのだった。




