美しいこと
「あーあ、まあなあ、皇女であるから、掴まるのも力が足りぬわな。それにしても龍王妃とは大した女よ。炎嘉にあれだけ振り回されても落ちぬとは。しかも炎嘉は手を放しておったのに、己の力だけでであるぞ?」
誓心が、残念そうに言う。
一時は倒れていた英心は問題なく、己が連れて来た皇女を抱いて返しに行った。
駿が、息をついた。
「英心が娶ってくれぬかのう。あれは我の末の娘で、常は我にすら顔を見せぬような引っ込み思案で。ここまで連れて来ただけでも大したものよ。嫌がって大変だったであろうに。」
誓心が、驚いたように言った。
「あれは主の皇女か?」と、観覧席へと登って行く英心の背を見つめた。「遠いしベールのせいでよう顔が見えなんだが、美しいのではないか?英心に言うてみようか。」
駿は、何度も頷いた。
「獅子と白虎で近いのだから、頼めるか。躾は椿がしっかりしておるから問題ない。ただ、まともに顔を見せぬだけ。」
匡儀が、脇から言った。
「こら。椿は主の妃ではないのだから、偉そうに申すでないぞ。略奪も出来なんだのだろう?」
そこに居る、全員が凍りついた。
知っていても誰もいわなんだのに!
誓心が咎めようと口を開こうとすると、駿は顔をしかめて言った。
「なんだ、知っておるのか。そうよ、なので諦めたわ。ここに来て、腹の虫が収まらぬと思うておったが、よう考えたらなぜにそこまで、と思うてな。略奪したければとっくに行っておっただろうに、昨夜はなぜか意地になってしもうて。本来、そういうのは好まぬ方でな。」
なんだ、案外に落ち着いているのか。
それはそれで、皆驚いた。そういえば、十六夜の気のせいだと維心が言っていた。それがない今、駿はそこまでではないのだ。
「それはのう、聞いたところによると、何やら昨夜は十六夜が具合を悪うしておって、そういう気を発しておったらしいぞ。それに引きずられる神が居たので、今は地が結界を張って十六夜は封じてあるのだとか。だから、昨夜の主は、主ではないのよ。」
匡儀が言うのに、駿は何やら納得したような顔をした。
「誠か。知らなんだわ。迷惑この上ないの。だが、まあ、あれで己を省みる事が出来た。よう考えたら、別にそこまで椿をとは、もう思うておらぬかもしれぬ。意地になってしもうたのであるな。気を付けねばならぬわ。とはいえ、箔炎には負けとうないがな。何やら癪でな。」
匡儀は、何度も頷いた。
「それはそうよ。馬鹿にされたようなものであるし。だが、勝てば良いではないか。こちらは有利であるし…」と、貴賓席の上に掲示してある、点数の書いてある板を見上げた。「お!今の点数が加算されるぞ。」
軍神達が、浮いて点数を入れ替えている。
今の借り物競争では、青が二位と四位で8点、赤が一位と三位で15点入った。
志心が、眉を寄せた。
「…追いつかれたの。」
点数が、これまで37対31であったのが、45対45、つまり、同点になったのだ。
維心が、皇子達と共に戻って来て、ダッグアウトへと入って来た。
「皆頑張ったのだが、炎嘉と箔炎が強かったの。五位以下も順に点数が入るシステムであったら、青の方が多かったのであろうが、四位までであったから。」
匡儀は、維心を見た。皇子達は、自分達が足を引っ張ったからかと項垂れている。
しかし、志心が言った。
「巻き返せば良いのよ。騎馬戦を落とさず、リレーでどちらかの組が一位を取れば、勝てる。あちらは箔炎も焔も、今のでかなり疲れておったからな。焔など、義心を追うのを途中であきらめたが、かなり消耗しておったしの。」
維心は、頷いて義心を見た。
「ようやったな、義心。」
義心は、膝をついて頭を下げた。
「は。もったいないことでございます。」
月の宮の軍神達が、散らかった残りの紙を拾い集めている。
借り物に駆り出された観客席の客も、順に案内されてフィールド上から帰って行こうとしていた。
まだ、時は掛かりそうだ。
「…よし。とにかくは、少し回復させて次へ向かう。引きずってはならぬぞ。主らはようやったのだ。順位争いも出来ぬ者達だって多く居た。それなのに、ゴールへあと一歩まで迫ったのだからの。切り替えて、次は総力戦の騎馬戦を取る!」
皇子達は、一斉に頷く。
志心はそれを見て、維心も皆を鼓舞する方法を覚えて参ったのだなあと、妙に感動して見ていたのだった。
英心は、楓を連れて貴賓席へと向かう階段を上がっていた。
楓は、英心が優しく話しかけているうちに、耳も赤さも落ち着いて、すっかりリラックスして来ていた。
それでも、扇を上げたまま、目だけで英心を見て、うんうんと英心の話に聞き入っていた。
「…それでの、こちらへ来るのは我は初めてで。」英心は、階段を上がりながら言った。「ずっと大陸の白虎の宮で育ったのだ。そも、最近まで宮を閉じておったから、あまり広い世界は知らぬでな。やっと最近、こちらや北の事を学んだ所で。今回ここへ来るのを楽しみにしておったが、まさかこんなやった事のない事をさせられるとは思うてもおらずであった。」
楓は、小さくフフと笑った。
「普段から、我もこんなものを見た事はありませんでした。父がやった事のない事をせねばならぬと頭を抱えておるのを見て、我らも困惑しておりましたもの。ですが、これは前からここで行われておったらしく、参加した事のある方々は大変に楽しみにしていらしたそうですわ。」
英心は、微笑んで頷いた。
「龍王殿など勝利に貪欲でな。勝てぬではと我も構えてしもうて。主には怖い思いをさせて申し訳なかったの。これほどに美しい女神を、あのような扱いするなど。」
楓は、それには一生懸命首を振った。
「そんなことはありませぬ!我でもお役に立てるのではと思うた次第ですし…。」と、肩を落とした。「我は、いつもお姉様に甘えておったのですわ。我は祖母にそっくりで。」
英心は、眉を上げた。
「主の祖母?」
楓は、頷く。
「はい。大変に美しいかたでした。紫の瞳で…幼い頃から、祖母は我が祖母に似ておるので、大変に案じておりました。何しろ、祖母はまだ幼い頃に庭で駆け回っておったら、鷲の王である煽というかたに見染められ、宮へと迎えられ、育てられたようですの。」
英心は、びっくりした顔をした。
「え…その煽という王は、幼女趣味であったのか。」
楓は、首を振った。
「いいえ。大きくなったら美しくなると、宮へ囲い込んで育てたのだそうです。祖母は、宮しか知らずに育ち、我がままに育ったのだそうです。それゆえに今の王である焔様に厭われ、他へ嫁がねば寂しい半生になるはずでした。それを、祖父の翠明が全て知った上で娶られたとか。そして、我らの母である、椿を生んで…最後は、幸福であったと。でも、美しいだけでそんな目に合うのだから、同じような事が無いとは言えないと、祖母は我が幼い頃から、決して姿を見せてはならぬ、庭で誰かに見られるような事があってはならぬと強くおっしゃって。」
英心は、そんな事があったのかと、その話を聞いていた。確かに、楓はそんじょそこらで見る事が無いほどに美しい皇女だ。自分も初めて見た時に、びっくりしたほどだった。これとそっくりだったと言うのなら、その祖母は当代一の美姫だったのだろう。
「…主は、ならば好きで籠っておったでは無いのだな。先ほど、治癒を学んだのは籠っておるからとか申しておった。」
楓は、おずおずと頷いた。
「はい…。我だって、お姉様のように堂々と皆様とお話もしたかった。でも、見た目だけを気に入ってくださっても、すぐに飽きられて…父のように、他の妃に心を移して、母が里へ帰る事になったのと同じく、我も…と思うと…。」
英心は、こうして気を許して話している様を見ても、本当はハキハキと明るい皇女なのだろうと思った。だが、あまりに美しく生まれついてしまったがために、そしてそれを、幼い頃から自覚させられていたがために、構えてしまってこうなってしまっていたのだ。
英心は、息をついた。
「…美しく生まれても、不自由な事よ。我は、聞くまでそうは思わなんだ。美しければ良いではないかと思うておったが、どうも女にとってはそうではないようよ。過ぎてしまうと、面倒な事になるのだな。」
楓は、下を向いた。そして、小さく言った。
「英心様は…我が、美しいと思われまするか。」
英心は、それにはすぐに頷いた。
「思う。主のように美しい女神は見た事が無かったゆえな。だが、あんな最中に見たゆえ、それを反芻する暇もなく、主と向き合っておったので、そういえば美しかったな、と思うぐらいよ。我は主は、優しく慎ましいが芯は強く、誠は話すのが好きな明るい女神であるなあと、そのように思う。美しいのはその次かの。」
確かに出会いが切羽詰まったアレだった。
楓は、思って英心を見つめた。
「我の外見など、問題ないと思われますか?」
英心は、苦笑した。
「問題ない事は無いであろう。我はこうだが、他の男は美しいとまずそこに目が行ってしもうて、中身はそっちのけになってしまおう。というか、普通の美しさなら良いのだ、中身も見ようと慎重になるゆえな。だが、主は美し過ぎるのだ。そんなことはどうでも良いと思わせてしまうほど美しい。そうなって来ると、確かに不自由だと我も思うが。」
真面目に考えてそう言った英心だったが、楓は深刻な顔をした。
「誠に…。我は、そんな風に見えるのですね。己であるので、見慣れてしもうて…そこまでなんて、思うてもおりませんで。でも、我も月の宮の中を散策したりしたかったのですわ。ここは、滅多に来られない宮なのですもの。でも…。」
楓が、しゅんとしてしまったので、英心は困って言った。
「困ったの。少しでも自由になりたいのなら、やはり誰かに嫁いで夫に守ってもらうのが一番良いのだ。そうしたら、あちこち夫に連れて参ってもらえるので、びくびくと隠れておらずでも良いし。」
楓は、英心を見上げた。
「でも…英心様のように、ゆっくりとお話を聞いてくださるような方はいらっしゃいませぬ。皆、とても積極的であられて…もう、それだけで無理で…。」
英心は、そう言えばそうかもしれぬ、と思った。自分は父が結構おっとりと話す方だし、皆の話を聞いて、場を取り成す方の立場で居ることが多いので、自然そういう雰囲気に育ったのだ。
だが、他の王は、我も我もと押しが強い。女神には、もしかしたら辛いのかもしれない。
「そうであるな…我は皇子であるしの。王よりまだ立場は弱いが、それでも主を守るだけの力はあるつもりぞ。主がそう申すなら、我が主を娶ろうか?」
楓は、びっくりしたように英心を見上げた。英心様が、我を?
「え…英心様は、我でも良いと思われますか。」
英心は、頷いた。
「主はハキハキとしておって治癒の術にも長けておるしの。宮で役に立ってくれそうであるし、これまで不自由しておったなら、いろいろさせてやりたいものと。」
楓は、パアッと明るい顔をした。そして、ハッとして表情を引き締めると、言った。
「英心様…あの、母と姉に相談してもよろしいでしょうか。」
英心は、頷いた。
「良い。主自身は良いのか?」
楓は、少し戸惑った顔をしたが、しかし、意を決した顔をして、頷いた。
「はい。何より、英心様は我が美しいからとは仰らなかった。我の見た目だけで娶ろうと仰ったのではありませぬ。なので、ご信頼できます。何より、他のかたは恐ろしくてお話するのも嫌でしたが、英心様とはお話しておって、とても安心致しますの。父より…英心様の方が、ホッとする気が致します。」
確かに癒しの気でも持っているのか、と志夕にもからかわれたが。
英心は、頷いた。
「ならば、我も一応父上に話を通しておこう。主は、母と姉に話して参れ。気が変わったらそれでも良い。我は無理強いしとうないからの。」
すると、恒の声が響き渡った。
「騎馬戦の出場者のかたは、フィールド上にお集りください。」
もうそんな時刻か。
英心は、慌てて楓を下ろした。
「そこが、貴賓席の入り口ぞ。我は参る。ではな。」
楓は、頷いて言った。
「お気を付けて。見守っておりますわ。」
英心は、それに微笑んで頷き、急いで階段を駆け下りて行った。
楓は、不思議な気持ちになって、何やら心が沸き立つような、幸福な感じにただ戸惑っていた。




