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開始

いろいろあったのだが、観客たちは何も知らないで開式を待って嬉し気に話している。

ざわざわという声が聴こえて来るその下で、炎嘉と焔と箔炎と彰炎、英鳳、頼煇が蒼と共に到着して、もうフィールドで体を温めている皆を見た。

「…誠にあんなことが起こっておる中で。」焔が、さすがに気が進まぬような顔をしながら、言った。「大丈夫なのか。」

炎嘉が、言った。

「皆何も知らぬしの。十六夜の事は気になるが、碧黎が居っておかしなことにはならぬだろう。それに、月の一族の事は月の一族に任せて、我らは基本手を出さぬのが一番なのだ。よく分からぬのだからな。」

箔炎は、息をついた。

「我はそんな事より駿がそんな気に影響されてあんなことをしてしもうたことが気の毒でならぬわ。十六夜が昔から軽い奴だとは思うておったが、そんな風になってしもうておったとは。蒼から聞いた時、もっと穏便に引き離したら良かったと思うたことよ。だが…当の駿は、これを知らぬだろう?」

蒼は、息をついた。

「話そうとは思ってますけどね。とりあえず、もうすぐ碧黎様が皆の気を取り上げます。そろそろこちらも体を温めておかないと、怪我をしては大変ですから。」

炎嘉は、頷いてスニーカーの足でフィールドに踏み入れた。

「その通りよ。今は他の事を考えず、とにかくはやるからには勝つつもりで参るぞ!」

そうして、皆で走り出した。

フィールド上では、参加する全ての神が揃ってウォーミングアップを始めていた。


維月は、思った以上に碧黎の怒りが深く、十六夜を許すつもりなど全く無いのを悟った。

碧黎は、何度維月がせめてもっと力のあるものに宿らせてやれないかと頼んでも、手足をもがれて数百年も経てば己を見つめて悟ることもあろう、と言って、全く取り合ってくれなかった。

十六夜は十六夜で、岩の中に入ってしまってからは人型になる力は愚か、念すら飛ばすことが出来ないようで、こちらが必死に話しかけても、あちらのからの声が届かない。

せめて樹木などであったなら、陰の月になれば維月には声が聞き取れたのだが、本当にそこにあった何の変哲もない岩へと宿らされてしまったのだ。

もう維月にも蒼にも、どうしようもなかった。

そもそもの原因は、十六夜が維月に相手をして欲しくて断られ、密かに忍ぼうとしていた事だ。

そんな心根はと碧黎はそれだけでも怒っていたらしいのだが、維月自身はそんなことに気付く暇もなく、ぐっすりと寝入ってしまっていた。

その間に、どうやら十六夜は碧黎の結界すら破れる隙はないかと、懸想したような欲情したような気を発しながらイライラしていたので、その気が結界から中へと降り注ぎ、駿が椿を襲ったり、その駿を箔炎が放り投げたりと大騒ぎになったようなのだ。

浄化をする身でありながら、何という体たらくかと碧黎は怒った。そして、二重の怒りと、まだ己を弁護して言い訳がましい事を言うのに業を煮やして、十六夜は月から引っ張り出されてしまったのだ。

碧黎は寛大だが、一度切れたら収拾がつかない。十六夜は、ついに碧黎の堪忍袋の尾を切ってしまったのだ。

蒼も十六夜を案じて項垂れていたが、十六夜を庇う言葉も思いつかなくて、仕方なく維心の所へ報告に行った。

そして、炎嘉達にも報告し、今更来ている来客達を帰すわけにも行かないので、そのまま運動会へと向かったのだった。

維月は、本当なら観覧に行くところだったのだが、碧黎が部屋に居るので外へと出て行くのは遠慮した。

どちらにしろ、地の陰である今の維月には、どこに居ても見ることが出来た。

なので、今は出来るだけ碧黎の側に居て、機嫌がこれ以上悪くならないように努めるのが自分の出来る最大限の貢献だと維月は思い、じっと碧黎の側に座って様子を見ていた。

碧黎はというと、もう十六夜の事など忘れたように表面上は穏やかだった。

じっと宙を見つめて、コロシアムの中を窺っているようだ。

維月が黙ってそれを見守っていると、碧黎は不意に、言った。

「…では、開式半時前ぞ。参加者皆の気を使えぬようにする。」

その声は、恐らく念となってコロシアムに響いたはずだ。

かと思うと、地中から力が昇って来てフィールド上で立ち止まった維心達、参加者の全員の気が、全く使えぬように抑えられたのを感じた。

碧黎は、満足げに隣りの維月を見た。

「さて、始まるぞ。主は観覧席へ参るが良い。貴賓席に席が準備されてある。我は、宙で皆を見守っておる。」

維月は、一緒に行くと言いたかったが、龍王妃である自分が上に浮いていてはおかしいだろう。

仕方なく碧黎に頷くと、維月はコロシアムへと向かったのだった。


コロシアムでは、急に碧黎の声が降って来て、皆が固まった。

《では、開式半時前ぞ。参加者皆の気を使えぬようにする。》

広い観覧席のざわめきが一瞬にして静まり返り、地中から力が昇って来てフィールド上の皆の体を捉え、ずん、と体が重くなるのを感じた。

覚えのある感覚。

維心は、試しに手を翳してみたが、思った通り何の力も出なかった。

焔が、その場に座り込んだ。

「なんぞ、体が重い!」

立っていられぬほどではないだろうが。

維心は思ったが、炎嘉が苦笑して言った。

「だから言うたではないか。全く気が使えぬゆえ、筋力だけの勝負なのよ。」

ヴァルラムが、連れてきたゴルジェイを見た。

「主なら平気よな。その体であるし。やはり維心殿から聞いて主を連れて来て良かった。」

ゲラシムが顔をしかめた。

「鍛えておるつもりであったのに。どうにもこれで走れる気がせぬ。」

ヴァルラムは、笑った。

「それでもやるしかないわ。面白い、やる気が湧いて参った。気の大きさに関係なく戦えるなど滅多にないことよ。」

困難なほど楽し気なのは大きな気を持つ闘神に特有の余裕のある反応だった。

普段は必死に戦う必要も無い、そんな相手が少ない神にとって、横並びの力の中で戦うという事に、俄然やる気になったようだ。

それは、一度これに参加した事のある神なら軒並みそうなので、維心にも理解出来た。

「さあ、ここからが本格的に体を慣らしておくことよ。」と、足を開いて内またを伸ばすストレッチを始めた。「体だけを使って動く事に慣れた者ほど強くなるぞ、ヴァルラム。」

ヴァルラムは、頷いてまた走り出した。

「我は今少し走って来る。参るぞ、ゲラシム、ゴルジェイ、ザハール。」

ヴァルラムは、軽々と走って行く。

その後ろを、うんざりしながらサイラスも走り出し、もはや介護では無いかというレベルでイライアスがそれを気遣って、そうして駆け出した。

それを見送って、義心が言った。

「王。我も少し、ゆったりではなく思い切り短距離を何度か走って参ります。」

蒼がシャトルランと言っていたものだな。

維心は、頷いた。

「ならば我も。」と、維斗を見た。「主も一度、気無しの状態で全力でどれぐらいの速度が出るのか試しておいた方が良いぞ。帝羽、主もな。」

想像もつかない事に、二人は戸惑った顔をしたが、それでも頷いた。

「はい、父上。」

そうして、四人はひたすらに50メートルを走って体を温めだのだった。


炎嘉は、そんな青組の様子を横目に見ながら、言った。

「あやつらは維心の助言でなかなか効果的な準備をしておる。こちらも負けておられぬぞ。焔、どうよ慣れたか?」

焔は、トントンと軽い様子で走り回っていたのだが、戻って来て言った。

「慣れた。だが少し足がもつれそうになる。いつもなら気で浮いておったのに、転倒しそうになっても何も支えるものがないゆえ地面に激突するな。」

炎嘉は、頷く。

「怪我をするゆえ気を付けねばならぬのよ。特に今回、棒倒しの練習の時も、倒れそうになったら地面スレスレで回避したりしておったが、あれが出来ぬから、上に登って倒すと上手く着地せねば頭から落ちて大層な怪我をするぞ。誠に勝手が違うゆえ、心しての。」

全てが体勝負なのだ。

焔の顔付きも変わり、紺色のジャージの集団が脇で体を動かすのをチラチラと気にしながら、こちらも同じ組で固まって準備体操を始めたのだった。

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