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おかしな気

箔炎は寝間着のままで立ち尽くしていて、他の五人は袿を引っ掛けたまま、そこに棒立ちになって椿の着替えを待っていた。

蒼も、座るわけにも行かずそのままそれに付き合って立っていたが、李心には通常業務に戻るように言って、先ほどここを出て行った。

炎嘉が、言った。

「間に合ったのか?」

箔炎は、頷く。

「間に合った。駿の気はせなんだからの。椿は、立ち合いもする女なので、ああいう時声を上げることが出来るのだ。まさかと思うておったが、あれの声がした瞬間駿であろうと悟ったので、慌てて飛び出したが、良かったことよ。」

焔が言う。

「まあ、駿に知らせられたのは良かったが、最悪の知らせ方であったな。まさかあれが、今夜こんなことをするとは思いもせずで。」

炎嘉が、顔をしかめた。

「今夜は何かおかしいのだ。この月の宮でこのような事が起こること自体がおかしい。そもそも、ここは清浄な気が流れておって、変な気を起こしてもすぐに消えてしまうゆえ、あり得ぬのよ。それがこのような。それほどに駿は思い詰めておったのかの。」

言われて、蒼はハッとした。そうだ、そもそも自分が奥を出て来たのはそれが原因だったのに。

「炎嘉様も気付かれましたか?オレ、奥でそれを気取って浄化しようとしたんですけど、上手く行かなくて。原因を聞こうと碧黎様の部屋へと向かっている最中に椿の悲鳴がしてこっちへ来てしまって、まだ原因が分かっていないんです。ちょっと、急いで行ってきます。」

炎嘉は、少し困惑したように頷いた。

「明日は運動会であるのに。大丈夫なのか?」

蒼は、息をついた。

「最悪、碧黎様に何とかしてもらいますので大丈夫です。」と、ハッと顔を上げた。「そういえば、十六夜が何も言って来ないな。寝る前に話しかけた時も面倒そうに答えただけだし…。」

焔が、怪訝な顔をした。

「ここへ来て十六夜の体調が悪いとか言うまいの。明日は皆、競技を楽しみにしておるのに。面倒だけは勘弁ぞ。とはいえ…駿は明日、もしかしたら参加せぬかもしれぬ。」

それには、炎嘉も頷いた。

「維心が怒るぞ。あれは青組であったろう。だが、確かに運動会の心地ではないであろうな。」

そんな事を話しているうちに、椿が軽く着替えを済ませて寝室から出て来た。

箔炎は、その椿の手を取って、言った。

「さあ、参ろう。主らも寝ておかねば、明日の事があるゆえ。騒がせたの。」

焔は、ため息をついて歩き出しながら、頷いた。

「そうであるな。本日はとにかく寝ておいて、全ては明日ぞ。蒼、何かあったら朝知らせてくれぬか。」

蒼は、頷いた。

「はい。じゃあ、オレは碧黎様の所へ行って来ます。」

彰炎が、目を丸くした。

「この夜中に?」

蒼は、頷いた。

「元々寝る必要もないので、夜中であろうと不機嫌に迎えられたことはないんで大丈夫だ。それじゃあ。」

蒼は、足を碧黎の部屋の方角へと向けて、今度こそ碧黎の部屋へと向かったのだった。


碧黎の部屋へと入って行くと、もう寝静まっているようで誰も居間には居なかった。

ここに居なくても、蒼が入って来たらすぐに出て来る碧黎が、しばらく待っても出て来る様子がない。

なので、蒼は声を掛けた。

「碧黎様?お聞きしたいことがあります。」

すると、奥から何かが動く気配がして、碧黎が襦袢のままで出て来た。

これは珍しい事で、碧黎は大概がきっちり着物を着ていて、寝る時もそのままなのでは無いかと思っていたほどだった。

蒼が問うような目で碧黎を見るので、碧黎は椅子へと座ってから言った。

「維月がこちらに居るから、共に休んでおってつい、寝込んでしもうた。何ぞ、何かあったか、蒼。」

蒼は、維心が来ているのに珍しいな、と思いながら、頷いた。

「あの、寝ようと思って気が付いたんですが、結界内に変な気が漂っているんです。浄化しようとしても上手く行かないし。明日はたくさん神が来るので、このままじゃまずいんじゃないかと思って、ご相談に来ました。」

碧黎は、言われてスッと目を宙へと向けた。そして、グッと眉を寄せると、蒼へと視線を戻した。

「…これはどこかから発生したものではない。ほかならぬ十六夜自身が発しておる気ぞ。」

蒼は、びっくりした顔をした。

「え、でも寝る前に話をしましたけど。まあ、面倒そうに答えられただけで、ほとんど無視でしたが。」

碧黎は、眉を寄せたまま言った。

「あやつは発情しておるのだろうの。夕刻に維月を月の屋敷へ連れて行って、そんな事が出来ないかと誘ったようだったが、維月は断っておった。だが、しつこく維月を探るような気を感じたゆえ、夜這いにでも来ては面倒だからと今宵は維心ではなく我の所で休んでおるのだ。そういう面倒な気が、結界内からにじみ出てしもうておるのよ。」と、手を上げた。「…消して置いたわ。とにかくは、しばらくは月の宮の結界は我が張る。あれがあんな心地で居る間は、結界がそれを反映して面倒な事になる。その結界内に居る神が、軒並み影響を受けて落ち着かぬようになるのよ。誰かに懸想でもしておったら厄介ぞ。執着しておるほど襲いに参るであろうからの。」

それを聞いて、蒼がハッと目を見開く。

碧黎は、それを見て顔をしかめた。

「…何ぞ。主、誰かに忍ぼうと考えておったのか。」

蒼は、ブンブンと首を振った。

「オレは別に今、好きな女性なんて居ません。あの…今の今、駿が椿の部屋へ押し入って。椿が叫んで、箔炎が助けに来て…という騒動があったばっかりなんです。」

碧黎は、呆れたような顔をした。

「あの気に付け入られるような心を持っておったからそのような事に。未遂で済んだのなら、恥でしかないのではないか?明日は駿は誠にあの催しに出るのか。」

蒼は、首を傾げた。

「分かりませんが…結界の内の気のせいだって事は、教えても良いですよね?駿が悪者になってしまうし。」

碧黎は、頷く。

「それは言うて良いが、駿が悪くないとは言えぬぞ。あれの心がそんな付け入られるような状態であったからそうなったのだ。影響を受けても、ぐっと抑える事が出来る理性の持ち主ならばそんなことにはならなんだ。他にそんなことは起こっておらぬのだろう?」

蒼は、顔をしかめて碧黎を見上げた。

「まだ夜なんで分かりません。普通女神はあんなに叫んで騒いだりしないので、起こっていても分からないものなんです。明日の朝分かる感じでしょうか。」

碧黎は、息をついた。

「我が見ても良いが、どうせ分かることであろうし。明日になったら調べてみるが良いわ。とにかく、しばらくは我が結界を張る。十六夜の結界は、我が今強制的に排除した。あれも理由を知りたいだろうし、ちょっと説明して参るわ。主はもう寝るが良い。」

蒼は、気になったが原因は分かったので頷いた。

「分かりました。あと数時間で気の早い神たちは来るだろうし、オレは寝て来ます。後は宜しくお願いします、碧黎様。」

碧黎は、苦笑して頷いた。

「任せておくが良い。気を奪うのも、我がやってやるゆえ。案じるでない。」

蒼はホッと安心して、そこを出て行った。

碧黎はそれを見送ってから、険しい顔になって、衣桁にかけてある着物をサッと羽織ると窓から空へと飛び上がって行った。


十六夜は、イライラと碧黎の結界の外を気を飛ばして探っていたが、碧黎の結界に隙など全くなかった。

絶対に入り込めない事を悟ると、十六夜は自分でも抑えきれないほどイライラするのが分かった。蒼が何やら、浄化しようと力を使っているようだったが、そんな事も気にする余裕がない。

駿が何やら暴れているようだったが、それすら見ようとしなかった。碧黎が、寝入ったらもしかして隙が出来るのではないかと思ったのだ。

維月と共になら、碧黎はよく熟睡すると言っていた。深く眠っていたら、さすがの碧黎でも、結界に隙が出るのではないか。

だが、待てど暮らせど全くそんな様子はなかった。

やはり碧黎は、複数の場所で会話をすることが出来るほど、自分の意識を分けて管理できる能力を持っているので、隙など出来るはずもなかったのだ。

別に、あんなことはしなくても良かった。

そんな衝動は元々無いし、それよりも十六夜自身は、自分というものを全て受け入れてくれる存在というものが、欲しいという欲求が湧いて来てどうしようもなかったのだ。

瀬利との経験は、それは満たされた時間だった。

あれを知ってから、維月に拒絶されるのは、当然とはいえ、十六夜にとって残酷な事だった。

あれから、瀬利も十六夜とは一線を引いていて、結界内に入れた例はなかった。

結界に近付くたびに大氣が出て来て、ここへ来てはならぬ、というだけで、瀬利にも受け入れてもらえなかった。

だが、長い年月愛し合って来た維月ならば、辛抱強く頼めば、きっとまた受け入れてくれるはずだ、と思った。

なので、情に厚い維月なら、きっと昔を思い出せば、自分とまた一緒に過ごそうと思うはずだと月の屋敷へと連れて行ってみたが、維月は全くこちらになびく様子は無かった。

維月からは、もう男女の愛情など感じられず、十六夜とは違って維月はそれが無ければそういう相手にはなってはくれない。

だったら、維月の事はよく知っているので、寝入ってしまったら滅多に起きないのを利用しようと思った。

十六夜の孤独を癒す存在として、維月を求めて仕方がなかったのだ。

すると、月の宮の結界が、急に勢い良く破られたかと思うと、十六夜に強い衝撃が来た。

《な…!なんだ…?!蒼…!》

結界の回りも中も全く見ていなかった。

十六夜が、何かが自分の結界を破ってしまった事実を何とかして蒼に伝えなければと思っていると、碧黎の結果がスッと自分の結界の後に現れて月の宮の領地を覆ったのを感じた。

そうか…親父が居た。

十六夜が思って息を付くと、目の前に碧黎の人型が、パッと現れて十六夜の視界を塞ぐようにして浮いた。

《親父…!?》

十六夜が言うと、碧黎はこちらを睨みつけて言った。

「主な。浄化の象徴が汚らしい気を降らしおって!神が迷惑しておるのだ!主の記憶を根こそぎ奪い去って消してしまう事も出来るのだぞ?!結界を破ったのは軽い罰よ。そのまま軽率で考え無しな行動を改めぬのなら、月から下してそこらの石に籠めるゆえな!分かったか!」

十六夜は、結界を破ったのは碧黎なのをそれで知った。つまりは、自分は結界内に自分の感情を垂れ流して、中の神たちに影響を及ぼしてしまっていたのだろう。

《オレは…オレだって寂しいんでぇ!何でも受け入れてくれてた維月が、親父と維心に囲い込まれて傍に居ねぇし!居ても前みたいに何でもできるわけじゃねぇし!》

碧黎は、珍しく怒鳴った。

「他ならぬ主自身が招いた結果であろうが!維月は道具ではないのだぞ!己の好きに使って良いと思うておるのか、主に対してはもう、男としての愛情などないわ!そういう相手が欲しいのなら、どこかの神とでも知り合って恋愛関係にでもなれば良かろう!主らはもう、ただの兄妹ぞ!」と、手を十六夜に向けた。「もう我慢がならぬ!今すぐそこから下してくれるわ!」

十六夜は、驚いて構えた。

《待てよ!そんなことをしたら…誰が浄化するんでぇ!》

碧黎の目は真っ青に光っていた。

「蒼にでもさせておく。維月と子を作ってそれを月へ上げるわ!二千年以上も月に居て、全く成長せぬでおりよって!」と、グイと何かを引っ張る仕草をした。「そこらの岩にでも宿って見ておれば良いわ!」

十六夜は、自分がズルリと月から引きずり出されて行くのを感じた。

《うわああああ!!》十六夜は、叫んだ。《やめ…親父、分かった!分かったからやめろ!やめてくれ!!》

だが、碧黎は容赦なかった。

「主の分かったは信用出来ぬ!そこらで野垂れ死ぬが良いわ。」

十六夜は、引っ張り出された自分が、何かの上に叩き付けられるのを感じた。

そうして、そのまま気を失ったのだった。

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