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真夜中

皆が寝静まった月の宮では、夜勤の軍神達が明日の早朝から到着する来客達を迎える準備を整えている以外は、何の動きも無かった。

そんな宮の中で、客室が集中しているのは東の棟なのだ。そこは七階建てで大人数を収容可能なのだが、今はパラパラと離れて控えの間を振り分けられているので、他の部屋の様子は基本、来客の間で分からないようになっている。

神は耳が良いので、煩いと苦情も来るし、今居るのは上位の宮の王ばかりだったので、そんな事までしっかりと考慮されていた。

そして、皇女達などは普通は父王の側に泊められるものなのだが、今回の場合は椿が来ているので、桜と楓の部屋は男性達からは離れた反対側の端の方に位置していて、その隣りは椿という部屋割りだ。

男女でハッキリ分けるのは神世では略奪婚が合法であるためで、女性がゆっくりと休めるようにとの配慮だった。

それでも、同じ宮の中なのでしっかりと結界を張っていない限りは、略奪する側がその気で来たら、逃げるのは困難だ。なので、父王は軍神達に回りを守らせて皇女を守るものだった。

だが、今回のように上位の宮の王族ばかりが居る時は、普通に考えて大層な事をする男は、他の宮への対面上居ないので、そこまでしている王は居ない。

なんやかんや言って、上位の宮同士は信頼関係で成り立っているのだ。


そんな静かな月の宮の碧黎の部屋では、維月がすやすやと寝息を立てていた。

維心の部屋から帰って、今夜はこちらで守った方が良いと維心が言うておる、と言うと、何の疑問もなくそれではここで、とサッサと袿を脱いで、寝台へと入った。

そうして、碧黎の横で何やら勝手に一人で話していたかと思うと、そのままスイッチを切ったように寝入ってしまい、この様子だった。

しかし、碧黎には見えていた。十六夜は、こちらの様子を窺っている。

維心の方に維月が居ないのを見て、こちらに居ると分かったのだろうが、碧黎の結界の中までは見えないのでイライラしているようだった。

…やはり維心の方へやらなくて正解だった。

碧黎は思った。いくら維心でも、油断している時に睡眠の術を掛けられたら目覚めることが出来ない。十六夜は維心の結界は抜けるので、維心の隣りでそんなことになっていても、気付くことが出来ても覚醒することが出来なくて大変つらい思いをすることになる。

いつまでもそんな様子の十六夜に、本当ならガツンと何か罰を与えたいところだったが、その罰が思いつかないので、碧黎は仕方なく、眠る維月を抱いて夜番をするしかなかった。

…守護を与えようぞ。

碧黎は、眠る維月の額に、自分の額をそっと当てた。そうして、目を閉じて何かを念じると、維月の額に何かの紋様のようなものが現れて、そうして、消えて行った。

ここまでせねばならぬとは。

碧黎はうんざりしながら、維月を抱きしめて眠りについた。


蒼は、何やら嫌な感じの気を感じて落ち着かなかった。

外からの神を迎え入れている時には珍しくないのだが、何やらそれは、この結界の中全体にそこはかと無く漂っているようで、見過ごす事が出来ない。

仕方なく浄化しようとするのだが、いまいち綺麗に浄化されないような感じがあった。

この様子だと、明日外からの神が大挙してやって来るのに、結界内の気は濁ってしまうだろう。

ちょっと様子を見なければ、と、蒼が寝台から起き上がると、隣りの杏奈が心配そうに起き上がって、言った。

「どうかなさいましたか?」

蒼は、杏奈を振り返って首を振った。

「気にする事はない。少し気になる事があるので、見て参る。主は寝ておれ。」

蒼は、袿を引っ掛けて、とりあえず碧黎に相談しようと碧黎の部屋へ向かった。


その道すがら、夜番の李心に会った。李心は、蒼の気が奥から出て来たので急いで来たようだった。

「王。何かございましたでしょうか。」

蒼は、頷いた。

「何やら結界内全体に嫌な感じの気が漂っていてな。浄化も上手くいかないようだし、碧黎様に聞いて来ようと思って。」

李心は、頷いた。

「はい。軍神達も戸惑っておって。いつもならすぐに消えるのにと、我も不審に思っておりました。」

蒼は、歩き出しながら言った。

「聞いてくるから李心はこのまま明日の準備を予定通りしててくれたら良い。また連絡する。」

李心は、頭を下げた。

「は!」

そうして、李心は踵を返して、外へと向かうために回廊を反対側へと歩いて行った。

そのまま蒼が静かな宮の中を歩いていると、その静寂を切り裂くように、急に東の方から悲鳴が上がった。

「きゃあああ!!」

蒼は、回廊のただ中で思わず立ち止まって振り返った。

すると、もうかなり向こうの方に行っていた李心が、物凄い勢いで悲鳴の方向へ飛んで行くのが見えた。

「…なんだ?!」

まだ、悲鳴は続いている。

蒼は、碧黎の部屋へ行くのも忘れて慌てて李心を追って声のした方向へと飛んで行った。


椿は、箔炎からこれが終わったら宮へ連れて帰ろうと思う、と事前に話をされていた。

運動会が終わった後の宴で友の王達に公表し、駿にも文句を言わせない状態で連れ帰れるだろうということだったのだ。

毎日通ってもらっていたので、さすがに気になっていた椿は、やっとお手間を掛けさせる事もなくなる、とホッとしていた。

箔炎は、皇女達のことも引き取って世話をしてくれると言ってくれている。

なので、今後は駿とも面倒もなく、心安く生きて行けそうだと思っていた。

皇女達が休むのを確認してから、自分の部屋へと帰って来た椿は明日からはやっと落ち着いて暮らせると、寝台へ横になって目を閉じた。

すると、窓が何の前触れもなくいきなりバンと開き、何事かと慌てて起き上がると、もう灯りを落とした真っ暗な中で、黒い人影が飛んで入って来たのが見えた。

…誰…?!

椿は、訓練で培った素早さで寝台から飛んで出ると、その影と対峙した。

「…いつまでも返事もせず。」影は話した。「せめて返事を寄越すのが礼儀ではないのか。」

駿様…?!まさか略奪に来たの…?!

椿は、背中に冷たいものが流れるのを感じた。駿相手では、とても抗えない。神世で略奪婚は合法だ。このままでは、既に箔炎の妃であるのに、それを知らない駿に略奪されてしまう事になる。

箔炎は、まだ公表していないのだ。

知らなかったで通るので、駿は責められる事は無いだろうし、箔炎もそんなことになってしまった自分をまた、取り返してくれるかどうか分からなかった。

子まで成した駿なのだから、そうなったら自分は身を退くと言い出しかねないのだ。

…ここは、少しぐらいはしたないと皆に言われても構わない。どうあっても、ここでそんなことになるわけにはいかないのだ。

「きゃあああ!!」

椿は、いきなり大きな声を上げた。

普通、女神は怯えてこんな時には、普段から大きな声など出したこともないので、叫ぶことも出来ない。

そうして、されるがままという事が大概だった。

だが、椿はそんなことは無かった。訓練場では立ち合いの時でも複数のチーム戦なら、声を上げて自分の位置を味方に知らせたりしながら、戦うものなのだ。

椿は、腹から声を出すという事に慣れていた。

駿は、さすがにまさか、模範的な女として公に見られている椿が、他の神の宮で叫び出すとは思わなかったので、驚いてその口を押えようと腕を掴んだ。

「何をしておる!」

だが、椿は黙らなかった。

「きゃああああ!!誰か!誰かある!」

途端に、バタバタと居間の方で音がした。

「椿様?!いかがなさいましたか?!」

侍女達が外から叫んでいるが、椿はまだ叫び続けた。

「助けて!早く!うぐ」

駿は、椿の口を押えて声を封じた。侍女達が、ただ事ではないと寝室へと入って来たが、駿が居るのに戸惑った。

「え、駿様…?!」

略奪に来たのだとしたら、自分達には手を出せない。

何しろ、侍女は非力だし、それを阻止できるのは父か、夫しか居ないのだ。

今や椿は寝台に押さえつけられてじたばたしていたが、侍女達はおろおろと近付けずに居た。

「去れ!無礼ぞ!」

駿が叫ぶ。

侍女達は、その気迫にどうしようもなく、居間へと逃げ戻った。

…このままでは、本当にまずい事に…!箔炎様…!!

椿が無駄だと思いながらも力いっぱい抗おうとしていると、居間から声がした。

「何事ぞ!」

知らない声。

だが、恐らくは月の宮の軍神だろう。

侍女達が、事情を説明しているようだが、何の関係もない軍神が、他の宮の王が略奪に来ているからと寝室に押し入って来てどうにか出来るはずもなかった。

乱暴に着物が剥がれる中、椿はさすがに涙が浮かんで来た。もう駄目…!せっかく、心穏やかに暮らせると思っていたのに…!

「なんだ、何があった?!」

そこに、蒼の声が割り込んだ。

居間に、蒼も来たということだ。

奥から来たのだとしたら、かなりの速さでここまで来たことになる。椿は、必死に駿の手を振り払って叫んだ。

「蒼様!蒼様どうかお助けくださいませ!駿様なのですわ!」


蒼は、そこが椿の控えの間で、どうやら駿が椿の寝室へと押し入っているのだという事に気が付いた。

「…なんてこった、椿は…。」

蒼には、それ以上言えなかった。これは箔炎か翠明に知らせるしかない。

だが、ここから二人の控えの間までは距離があった。

その間に、事が成ってしまうかもしれないのだ。

事情を知っている蒼なら割り込めるのかもしれないが、それを公表していない以上、何と言っていいのか分からなかったのだ。

「…王。翠明様には只今、急ぎ侍女をやりましたが…。」

李心が言う。

蒼がどうしたら良いのかと困っていると、そこに箔炎が、寝間着のままで飛び込んで来た。

「椿!」

そうして、躊躇いもなく寝室の扉を開いて、中へと飛んで行った。

「駿!」

箔炎は、寝室へと飛び込むとすぐに、びっくりして振り返った駿を気で掴み、壁へと放り投げて叩きつけた。

椿は、起き上がって必死に襦袢を引き寄せて整えると、涙を流したまま箔炎を見た。

「箔炎様…!」

箔炎は、椿に寄って行って抱きしめた。

…駿の気がしない。

「間に合ったか…!主の叫び声がしたので、必死に参った。間に合わぬかと肝を冷やした。」

椿は、その胸に必死に縋って言った。

「もう、もう駄目かと…!我はあなた様の妃でありますのに…!」

箔炎は、ホッと息をついた。そうして、椿を放すと背後に回し、壁に叩き付けられた衝撃でフラフラとしている駿を睨んで、立ち上がるのを待った。

「…主、椿を娶っておったのか。」

箔炎は、頷いた。

「つい二週間前にの。まだお互いに準備があるゆえ宮へ連れて参っておらぬから、公表しておらなんだだけ。主は我の妃に、何をしてくれておるのだ。知らぬとはいえ、一度離縁した女を襲うなど女々しい奴よ。」

駿は、キッと箔炎を睨んだ。

「我の妃ぞ!それを…これは数百年前の仕返しのつもりか。」

箔炎は、首を振った。

「主の妃ではない。」箔炎は、冷静に言った。「もう何年も前からな。椿からハッキリ言われたのではなかったか。我が主らの仲を引き裂いたのではないぞ。主が瑤子に逆上せておったからではないのか。再縁するなら、瑤子にしておくが良い。宇洲が出戻りだと他に縁付くことも出来ぬと嘆いておったゆえ、喜ぶであろうぞ。」

駿は、言われて言い返そうとしたが、もっともだったので返す言葉も無かった。

その様子を、開いたままの扉から見ていた蒼が、おずおずと声を掛けた。

「あの…皆様起き出して来ておるし、もう部屋へ帰った方が良いのでは。」

言われて振り返ると、そこには騒ぎに気付いた炎嘉、焔、彰炎、英鳳、頼煇が立っていた。

これらは同族で今回同じ組だったので、控えの間も近くて、恐らく箔炎が飛び出して行ったのを感じて、誘い合わせて来たのだと思われた。

駿は、それを見てフン、と横を向いた。

「…戻る。」

そうして、皆が居る扉からではなく、自分が入って来た窓から飛び出して行った。

炎嘉が、こちら側から言った。

「…もう、公表したのだし。椿を主の控えに連れて戻るが良いぞ、箔炎。案じられてならぬだろう。」

箔炎は、頷いて椿を見た。

「我の控えに参れ。侍女、簡単に着替えさせよ。」

侍女達が、まだ小刻みに震えながらも椿へと寄って行く。

箔炎は、着替えを待つために寝室から居間へと出て来たのだった。

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