破邪の舞い
その日、朝から大騒ぎだった。
まだ夜も明けきらぬうちから、あちこちの宮から王族達が龍の宮へと来訪し、その数は大変なものだった。
だが、今の龍の宮には会合の宮がある。
なのでサクサクとそちらへと部屋を振り分けて、滞りなく神の流れは進んで混乱はなかった。
維月はもう前日に臣下に指示を終えていたので、特にやることもなく、臣下達は慣れているので言われた通りに宮を回し、不測の事態は義心が処理して宮は混乱もない。
申し訳ないが、大陸からの客は遠慮してもらい、北西から匡儀だけは同族なので呼び、それでも客の数は大変なものだ。
早々と到着した炎嘉が、着替えを済ませて居間に座る維心を訪ねて来て、文句を言った。
「全く、えらいことになっておるではないか。毎度の事ながら客の流れは完璧だが、数が多すぎてここまでたどり着くのに何人の王に話し掛けられたことか。挨拶など良いから早く行けと追い立てたわ。」
維心は、呆れたように炎嘉を見た。
「だからここまで来ぬでも良いのだというに。挨拶は要らぬと我も申しておいたであろうが。その証拠に皆、もう席の方へ参っておるわ。ここまで来たのは主だけぞ。」
炎嘉は、フッと息をついて維心の前へと座った。
維心の横には、飾り付けられた維月が大儀そうに座っていた。
「また重装備で美しいがつらそうだの、維月よ。」炎嘉はそう言ってから、維心を見た。「主の闕腋の袍姿を見てやろうと思うての。また不必要に美しい様であることよ。腹が立つわ。」
維心は、苦笑した。
「維月にもよう似合うと散々誉められたところよ。我には分からぬが、これが喜ぶなら良いかと思うて。」
「我は誉めたわけではない。」炎嘉は不貞腐れたように言った。「それより、事前準備は大丈夫か。あちこち大変なことになって、後々始末が大変とかなかろうの。」
維心は、頷く。
「まあ、恐らくは。おかしなものを腹に持つのが悪いのだしの。案じたが、島の全ての宮の王族が来ておるし、後ろめたい心地の輩は居らぬようぞ。一応碧黎にも相談しておいたので、そこは上手くやってくれよう。あまり気合いを入れて舞わぬようにするつもりだが、我も初めてのことで何が起こるか分からぬからな。」
炎嘉は、息をついた。
「そうよな。我とて長く一緒に来て初めてのことで落ち着かぬのよ。主が緊張しておらぬかと思うたが、我より落ち着いておるようよ。ならば、我も案じる事はないの。」
維月は、それを聞いて炎嘉は維心がトラウマになっている事をさせられるので、どうしているのか気になってここまで来たのだと知った。皆の流れに逆らわず、一緒に観覧の席へ行っていれば面倒もなかったはずなのだ。だが、どうしてもこちらへ来て、維心の様子を確かめたかったのだろう。もし心を乱していたら、慰めようと思ったのかもしれない。
維月は、フフと笑った。
「まあ炎嘉様…。維心様を気遣ってくださったのですわね。誠に深い友情でありますこと。」
維心は、眉を上げた。
「…主は我を案じてここへ?」
炎嘉は、バレたかと軽く維月を睨んでから、頷いた。
「そうよ、心配であった。だが、己のためであるぞ?舞いの間とちらぬかと案じておるのが嫌だったからよ。もう参る。」
と、立ち上がった。
そこへ、維月の侍女が入って来て頭を下げた。
「王妃様。お出ましのお時間でございます。」
維月は頷いて、皆揃ったのだな、と思い、重い着物を支えられながら立ち上がった。
「では、私は参ります。維心様、楽しみにしておりますわ。」
維心が頷き、炎嘉が維月に手を差し出した。
「ならば、我が連れて参ろう。一人ではたどり着くまでに倒れて起き上がれぬようになるわ。どうせ我の隣りだろうしの。」
宮の序列がそうなので、維心と炎嘉はいつでも隣り合わせだ。
なので今回、維心が居ないと維月の隣りは必然的に炎嘉だった。
どうせ文句の一つも言うのだろうと思いながら炎嘉は言ったのだが、維心はあっさり頷いた。
「頼む。一人で行かせるのに案じておった。」炎嘉が驚いた顔をするのに構わず、維心は維月に言った。「炎嘉に何とかしてもらうのだぞ。この際抱えてもろうても良いから。主には我の舞う姿を見せたいしの。」
維月は、もう既に運んでもらいたいぐらいつらかったので、ホッとしながら頷いた。
「はい、必ず。」
そうして、維月は炎嘉の手をしっかり握って居間を出て行った。
既に廊下で侍女の悲鳴が上がっているのに、維心はため息をついたのだった。
義心は、無事に全員大したトラブルも無く席へと収まったのを見て、ホッとした。
後は維月が席へと入り、皆が揃ったところで鵬が開式の挨拶を述べて、楽士たちが演奏する中維心が登場する、という流れだった。
炎嘉がまだ座っていなかったが、いつもこんな感じなので、心配してはいない。恐らく時間までには間に合うだろう。
炎嘉は、維月の手を引いて奥宮からの長い回廊を歩き出したのだが、回廊の真ん中にも行きつかない間に、侍女達が支えていた着物の裾が侍女の帯の飾りに引っ掛かり、維月がふら付いて炎嘉の方へと倒れて来る事件があった。
侍女達は悲鳴を上げて王妃を床へ転がしてはと必死に支えようとしたが、それでは間に合わないので炎嘉が咄嗟に気を放って維月を掴んで踏ん張った。
かなりの重さで、そもそもか弱い女にこんなものを着せるのが間違いなのだと憤った。
「全く…特に重いのよ龍王妃の衣装というものは!」炎嘉は、なぜ自分がこんなに必死に支えているのだろうと思いながらも、言った。「維月、何とか踏ん張って立て。これでは我も体勢を整えられぬから!」
維月は、必死に侍女達に引っ張られて炎嘉に支えられて、何とか立った。
炎嘉も侍女達もホッとして、一時ハアハアと息を整えると、言った。
「よし。その着物は武器ぞ。誠、龍は何を考えてこのような物を王妃に着せるのか分からぬが、主を連れ去ろうと思うても簡単には担げぬからと思うたらそうだろうなと納得するわ。」
維月は、言われて確かにそうか、と思った。本人の動きも封じられるが、これを連れて逃げるなどハッキリ言って無理だろう。
維心が言うには、遠く遥かな昔には、妃の逃亡を防ぐためもあったらしいとか聞いていた。王は、絶対に逃がさぬように、気に入りの妃ほど重く豪華な着物を着せて、飾り立てたらしい。
その名残りなのだそうだ。
略奪の世の、悲しい遺産だった。
「…とりあえず、伝統であるなら仕方がないと甘んじておりますが、本日はこれでも一枚重ねるのを見合わせたのですわ。貧相に見えぬように気遣いながらも、少しでも着物を軽くしようと維心様も考えてくださって。それでも、これで。申し訳ありませぬが炎嘉様、抱き上げてくださってよろしいでしょうか。」
炎嘉は、確かに気を使えば持ち上げられるのだが、維心はいつもようこんなものを抱いて歩いているなと戸惑った。
何しろ、重さは関係なくても、着物の裾が広がって足元に纏わりついて自分が歩くのも大層な感じなのだ。
それでも、維心に出来る事は炎嘉も出来ると思っている維月の期待を裏切ることも出来なくて、炎嘉は頷いて維月の胴に腕を回した。
しかし、着物が邪魔になってどの辺りを持ったら落とさないのか分からない状態だった。
「お?どうなっておるのだ、指を掛ける場所が無いではないか。」
維月は、後ろを見ながら言う。
「そこ、帯の場所のそっち側ですわ。維心様はいつもその辺りと、こちらのこの辺りを掴んでおられます。」
炎嘉は、言われるままにそこを持って、気を籠めてグッと持ち上げた。
ずっしりとした重さを、気に感じる。
…これは重労働ぞ。
炎嘉は思いながら、足元が見えないので侍女達に気遣われながら、回廊をフラフラと何とか歩いて向かった。
這う這うの体で会合の宮へと続く回廊の入り口までたどり着いた炎嘉に、義心が気付いて飛んで来て、着地した。
「炎嘉様。もう刻限でありますが、維月様をお連れに?」
炎嘉は、フラフラになりながら頷いた。
「維心に頼まれての。ここからまだ観覧席まで遠いのか。」
義心は、慣れないとこの重装備の維月を運ぶのはかなりの負担だと頷いて言った。
「どうぞ、一度こちらへ維月様をお降ろしください。」義心は、炎嘉を手伝って維月をその腕から下し、的確に気で押えて維月を立たせた。「上位の王族のお席は、ここから回廊へと入って渡って頂いてから、更に上階へと登って頂く形になりまする。龍王妃様のご衣裳は、運ぶのにコツがありまして、それをご存知でなければかなり大変なのではないかと。」
炎嘉は、何度も頷いた。
「こんなものを攫って行くことなど無理であろうな。維心がいつも涼しい顔をしておるから、そうでもないのかと思うておったが、これは無理だわ。歩くだけでも困難ぞ。」
義心は頷いた。
「龍以外がここまで運んで来られただけでも誠に大変な事かと。龍が織った着物ですので、我らの気を補助してくれるので他種族ほど気の消費をしないのでありまする。炎嘉様は鳥であられるので、その補助がなくおつらかったと思われます。」
やはり、誘拐対策だから。
炎嘉は思ったが、手を振った。
「ああ、ならば主が運んでくれぬか。もう無理ぞ。ここから更に登るなどとてもではないがの。」
維月は、炎嘉を見てすまなさそうにした。
「申し訳ありませぬ。まさか龍以外だとそうなるとは思いませんでした。炎嘉様がとてもおつらそうなので、見ておる私も辛くなって参って。」
炎嘉は、慌てて言った。
「良いのだ、主が悪いのではない。龍王の血族がこんなものを着せているのが悪いのだ。さあ、観覧席の裏まで行ったらそこからぐらいなんとかなろう。参ろう。」
維月は頷くと、義心を見た。義心は、維月に頭を下げてから、軽々と持ち上げた。
「では、お連れ致します。」
そして、さっさと重い維月を抱えて足を運んで行く。
炎嘉は、フッと肩で息をついた。
「誠に…龍であるのとないのとでは着物の気が違うの。龍が織った布か。覚えておこう。」
そうして、侍女達もホッとしているのを後目に、三人は観覧席へと向かったのだった。




