話し合い
維心が、ハッと我に返って、維月を抱きしめる腕に力を入れて叫んだ。
「天黎!ならぬ、維月はならぬからの!」
しかし天黎は、落ち着いた様子で言った。
「何ぞ、蒼が言うておったであろうが。我は無理やりにとか考えておらぬし、それにの、命を繋ぐにしても、まだやるかやらぬか迷っておる状態であるから。案じるでないぞ。まあ、ちょっと考えてからにしようかと思うておる。」
維心は、天黎を怪訝な顔で睨んだ。
「ちょっととはどれぐらいぞ。」
天黎は、大真面目に答えた。
「そうよなあ、百…いや数十年ぐらい中には考えようかと。そう待たさぬよ。」
やはりちょっとが長い。
維心は、ホッと力を抜いた。
「…ならば良いわ。それなら、本日は何をしに来たのよ。」
天黎は、頷いた。
「主らと話そうかと思うてな。ただ、ここでは落ち着かぬゆえ、ちょっと参れ。時は取らぬから。」
維心は、困惑したように維月を見る。維月は、ここで断ってもまた来るだろうと、維心を見上げて頷いた。
維心は、維月の気持ちが分かって、それに二人一緒にと言うのならと、渋々頷いた。
「分かった。」
すると、天黎は微笑んで手を上げた。
「すまぬの。では、こちらへ。」
その瞬間、パッと目の前の居間の光景が消えた。
かと思うと、次の瞬間には、蒼が言っていた、あの穏やかで明るく、温かい空間に、二人で並んで座った状態で、浮いていた。
天黎は、二人の前で浮いて、胡坐をかいた状態で、言った。
「蒼から聞いておろう?ここが、我の…そうよな、居間のようなものよ。普段はここで漂っておる。このような型はない。ただ、光でしかないのだ。」
二人は、きょろきょろと回りを見回した。
不快な様は全くなく、ただ穏やかでおっとりとした、清浄な気を感じる場所だ。
ここならば、いくらでも眠っていられそう、と維月は思った。
維心の方は、天黎が蒼に、この見える範囲全ての大きさがあると言っていた、と聞いていたので、この広さの大きさだとしたら、やはりかなりの大きさだなと実感していた。
その天黎が、こうして小さな型を取ってまで、自分達と接しようとしている事実に、ただただ感心する心地だ。
維心は、言った。
「主の大きさがここ一杯の光なのだと蒼には聞いておる。誠、大きな命ぞ。我らなど、虫けらのようなものであろうに。」
すると天黎は、首を振った。
「主らが虫けらなどと思うた事は無い。命は皆同じで、主らだって我らと同じように成長する可能性を秘めておるのだ。主など、自然発祥であるのに己で努めてそのような大きさまで育って。我はの、いつも感心していたのだ。よう文句も言わずに世を平定していばらの道を歩いたものよ。その主の犠牲の上に、皆が幸福になったのだと我は思うておる。ゆえ、主が維月を愛しておると言うのなら、それを手にして当然だと思うておった。なので、必然なのだ。」
維心は、驚いた顔をした。全て見ていて、自分を評価してくれていたのか。
「…では、誠に維月を無理に奪うなど考えておらぬのだな。」
天黎は、頷いた。
「そこまで嫌がるような事だとは思わなんだので、あのように申したのだ。そんなに否なら我は無理は申さぬ。それに…蒼と話して、父性愛とやらはあるようで、我は感じておるそうな。我にも感情が間違いなくあるのだと知って、それだけでも大きな事だと思うておるのだ。これから先の事は考えておらぬが、いずれはもっと色彩鮮やかな感情を感じてみたいと思うてはおるよ。」
その相手が維月でないのだけを祈る。
維心は、それを聞いて思っていた。
「それで、では何の話か?」維心は、維月の肩を抱いたまま言った。「まだ誰かと命を繋ごうとは決心しておらぬとか。ならば我らに何の用が?」
天黎は、答えた。
「まずは主を安心させるため。我に出来ぬ事などないし、碧黎のように制限もない。己で己に課した制限のみぞ。その中に他の命の対を奪ってはならぬという事は無いので、その気になれば主には阻止出来ぬ。ゆえ、警戒しようとも無理ぞ。例え身を繋いでいても命を繋いでいても、我には維月だけを連れ去る事が出来る。それをせぬのは我がそういう心地ではないから。それを理解させて、無駄な事をせぬようにと釘を刺そうと思うたのだ。」
それはそれで安心出来るものではなかったが、やるだけ無駄だということなのだ。その気が無いからこうして無事なのだから、信じて普通にしておけということなのだろう。
「…そうだろうとは思うておったが、落ち着かぬのだ。維月が突然に居なくなる事を思うたら居た堪れぬ。」
天黎は、頷いた。
「我は約した事は違えぬ。主に何も言わずにこれをどこかへ連れて参る事はないと申しておこう。それに、我だって地上で過ごしておったら、他に興味の湧く命が現れるやも知れぬだろう?別に維月でなければならぬわけではない。手っ取り早いゆえ、この間はそう思っただけであるしの。」
やはりその程度だったのか。
維心は、ホッとした。碧黎と同じで律儀で誠実な命なのだろう。こう言ったからには、本当にいきなり維月が居なくなる事はなさそうだった。
「ならば、我も案じずにおこうぞ。」維心は、答えた。「主は約した事は違えぬ。信用しようぞ。」
天黎は、ホッとしたように頷いた。
「やっと分かったか。我の存在が主らの責務を滞らせる原因であってはならぬから。今は乱れた黄泉関係のことを何とかすることを考えよ。主には責務が多いが、それをさせるためにわざわざ碧黎が作り上げた命なのだからの。それが主を更に大きくし、地上は更に平穏に安定する。期待しておる。」
やはり黄泉は面倒な事になっておるか。
維心は、眉を寄せてそう思った。まさか自分が舞わないだけで、こんなことになるとは思ってもいなかった。
やはり昔からやっていたことには、意味があるのだ。
軽々しく取り止めたりしてはならないのだと維心は思った。
天黎は、維心が理解して黙ったのを確認してから、改めて言った。
「それから、もう一つ。主らは感情というものに殊の外通じておるな。我は、他の命と接する事が少ないゆえ、そこのところは学んでおらぬ。遠く発生した辺りには、天媛が周囲の命が仲良くやっておるからとうるそう申したが、我は面倒で。しばらくは天媛の文句に付き合ったが、大概我慢がならぬようになって、黙れと申して突き放した過去があっての。そこのところの学びの方法を考えて欲しいと思うて。」
維心は、言われて戸惑った。天媛の事は蒼からも聞いて知っている。だが、維心だって感情豊かな方ではないし、出来たらこちらも教えて欲しいぐらいだった。
維月が、しばらくが数万年か、と驚きながらも言った。
「周囲の命は仲良くやっておるとて、皆感情をご存知なのですか?」
天黎は、頷いた。
「恐らくは。話すことも少ないし詳しくは知らぬが、地上の主らのように、お互いに寄り添って時に命を繋いだりしながら、幸福な気を発しておるもの達も居るな。天媛は我にもあのようにと申しておったが、我は鬱陶しかった。ゆえ、黙らせて放置しておった。何かあれば助けてはおったがの。責務であるから。」
つまり天黎は、側に対だと置かれていてもそれに何の感情も湧かなかったのだ。
他の命の中には、お互いに慕わしく愛情を感じて側に居るものもいたのだろうが、天黎はそんな心地にならなかった。
「…性格もあるしの。」維心は、言った。「我とてこれが対だからとあてがわれても、己が否なら否だったろう。維月は己で選んだ我の対。だが、碧黎も言うておったが選んだわけでもなく側に置かれた命を選べとは、乱暴な話だと思う。相性もあるしの。」
維月も、それには頷いた。自分が愛する相手まで、決められているなどおかしな話だ。
現に十六夜と若月はお互いに知らないままで長年過ごして別の誰かを選んだし、碧黎と陽蘭も努力はしたが無理だった。結局、自分で相手を選ぶ事で幸福になっているのだ。
天黎は、ため息をついた。
「その通りよ。天媛とは長年一緒であったから、困っておったら助けはするだろうが、何ら特別な感情などない。我が長年、そんなものと隔絶されてきたのも、恐らくそのせいかと。他の命と接する機会がなかったのだ。天媛には愛情を感じないのにの。」
維心と維月は、顔を見合わせた。だからといって、この地上で知らない命などない天黎が、今さら誰かに懸想するなどあるだろうか。
やはり、同じこの空間に暮らす命の中の方が良いのではないだろうか。
「…難しい事ですわ。」維月は、何とか考えながら言った。「意識が対等でなければ、天黎様にも愛情など難しいのではないかと思うのです。例えば、私の事にしても、昔から何もかもご存知であられるでしょう?それでも愛情を感じておられぬのに、今さら無理だと思うのです。そもそも、地上には知っている命ばかりだし、学ぼうにも無理なのではと思ってしまいます。」
しかし、天黎は言った。
「我の場合は、一方的に見ていただけで、接したわけではないからの。こう言うたら恐らくこう返す、くらいの事は分かるが、命とは不思議なもので、思いもしない事を返す事もある。そんな驚きの積み重ねで、感情とは形成されて来るのではないかとここのところ観察しておって思うのだ。主の事は確かに、その初めから知っておる。出海の頃からの。だが、こうして話しておると、驚くような事もある。維心との会話や、碧黎との会話でもの。何とよう育っておるのだなと、感心しておるのだ。そうすると、特別に見えて来る。面白いことにの。」
それには、維心が眉を寄せた。
ということは、天黎は維月をつぶさに観察し始めて、興味を持ったということだ。
維月が返答に困っていると、維心は言った。
「観察するなら維月ではなく維織か瀬利にせよ!そうしたら主の興味もあちらへ向かうだろうが。」
天黎は、顔をしかめた。
「なぜに我がそうしておらぬと思うのだ。」
維心は、眉を跳ね上げた。
言われてみたら、これは碧黎より更に優秀な命。
あちこち同時に見る事が出来るのだ。
ということは…。
「…他には興味が湧かなかったと?」
維心が恐る恐る訊ねると、天黎はあっさり頷いた。
「これまでの修羅場をくぐった場数が違うからの。あれらは単調。まだ深くは成長しておらぬな。今も維織は鷲の男と話しておるし、瀬利は大氣と庭を眺めて碧黎の事を話しておる。世を治める主の側に居る維月とは違い、そうそう成長する機会も無いから仕方のない事ぞ。」
我の側に居るからか。
維心は、ジレンマに襲われた。
維月を愛して傍に置くことで、維月の成長を促せるのは良い事なのだろうが、その事で大きな力の持ち主に興味を持たれるとなれば、こちらはたまったものではない。
どうしたものかと、維心は何も分かっていない天黎の目を睨んで考え込んだ。




