龍の宮での催しに
島は、平穏に回っていた。
人世でも大きな争いも無く疫病も無く、とりあえずは穏やかに毎日が過ぎて行っている。
それは、大陸もまた同じで、そちらも安定した状態を維持出来ていた。
そうなって来ると、勝手な事に退屈で仕方がないので、皆何か目新しい事は無いか、興味が湧く事は無いかと探したり、また作ったりする。
あちこちの宮での催しも最近は増えて来て、龍の宮にも招待状が来る事が多くなって来ていた。
元より維心はあまり周辺の宮との付き合いはない方なので、そういう招待も炎嘉や志心など、馴染みの王からの誘いでなければ、基本受けたりしなかった。
そもそもが龍王は、滅多に皆の前に姿を現す事が無い事で有名なので、維心も軽々しく出掛ける訳にも行かなかったのだ。
それに、龍の宮が昔から催している七夕や、その他月見の宴や皇子達の立ち合いの試合など、敢えて他の催しに出掛けて行かなくてもたくさんの暇つぶしがあった。
それだけで、充分だったのだ。
最近では維月も、あっちこっち出掛けたいとは言わなくなった。
職人達に教わっていろいろな物を作り出す事に喜びを見出している今の維月は、出来たら龍の宮から出たくない状態のようだ。
碧黎が里帰りを促して来ない限りは、維月はいつも、奥では維心の顔が見れないので、維心が見ている中、居間でせっせと作り物をしていた。
今日は、月見の宴も催されるという事で、弓維が久しぶりに里帰りをして来る事になっていた。
里帰り出産で皇子を生んでしばらく滞在した後、あちらへと皇子を連れて帰ってから、長く、子育てに一生懸命で戻っていなかった弓維だったが、やっとその皇子もよちよちと歩くようになって、そろそろ外出も良いかと黎貴と共にこちらへ来るのだ。
匡儀は、この孫に追い掛け回されて大変らしい。あの匡儀も孫はかわいいらしく、幼い皇子をあちこち連れて行っては、いつかここを統治するのだと話して聞かせているらしい。そんな様子なので、皇子も匡儀にとても懐いているようだった。
皇子の名は、康貴といった。
維心の血のせいか、大変に賢しく美しく、生まれて数か月で意味のある言葉を発し、歩くのはよちよちしているのに、しっかりとした文章を話すのだそうだ。
顔立ちは弓維に似ているので、必然的に維心に似ていた。だが、それでも黎貴の顔立ちに似ているところもあって、雰囲気は華やかな感じで、懐っこく世話をする者には困らぬ風情なのだという。
維月は、まだ顔を直接見たことは無かったが、そんな様子は月や地から見ていて知っていたので、維心に話して聞かせていた。
「あの子は、育ったら大変だとあちらでも申しておるようで。」維月は、弓維が戻るのを今か今かと到着口で待ちながら、維心に言った。「維心様にお似申しておるのでそれは美しいお顔立ちで、それなのに懐っこくそれは華やかに愛想の良いお子なのですの。一度小さい龍身になった時には、エメラルド色に金粉を振ったような美しい様で…なのに可愛らしくて。匡儀様も大喜びしていらっしゃいました。」
維心は、何度となく聞かされたことであるのだが、それでも維月が、いつもなら着物が重いと愚痴ってばかりなのに、それは嬉しそうに話すので、うんうんと頷きながら言った。
「これから会えるのだから、楽しみであるな。もう、そこまで来ておるのが結界の向こうに見えて参ったぞ。どうやら匡儀も共に来たようだ。今夜は騒がしくなるの。」
維月は、笑って頷いた。
「皆様お揃いでありますわね。そういえば維心様、炎嘉様が先ほどお着きになられたのに、応接間に行かずでよろしいのですか。焔様と志心様も参られましたでしょう。」
維心は、笑って首を振った。
「あれらが集まっておるのだから、話しながら待っておるわ。それより、弓維で最後であるからの。出迎えてやらねばな。」
維月は、頷いた。
「はい。ああ、参りましたわ。」
維心の結界を抜けて、匡儀の宮の軍神達に伴われた、輿の列が仰々しく降りて来るのが見える。気軽に来る時ならこんなこともないのだが、今日は公式なので大変な数の輿と軍神の列になっていた。
「あれは全て降りるまでまた時が掛かるの。」
維心は、自分もそうなので分かるのだが、全部降ろしてしまうのに、かなりの時を有する。
それを待つのが面倒なので、普通は王の輿は列の中央に位置されるのだが、維心は先頭付近に配置させ、先に降ろさせて、全ての輿が降りるのを待つ事なく、さっさと輿から降り立って宮へ入って行ってしまうのだ。
維月が立っているのがつらくなって来るだろうと維心が案じていると、中央にあったひと際大きな輿が前へと出て来て、他の輿や軍神を追い越して、真っ先に到着口へと降り立った。
その後に、次々と他の輿が降りて来るのに目もくれず、匡儀がその輿から降りて、床へと立った。
「維心。わざわざの出迎えすまぬな。待たせてしまうゆえ、先に降ろせと堅貴に煩う言うてしもうたわ。」
そう言っている背後では、黎貴が降りて来て、弓維の手を取って輿から慎重に降ろしている。
弓維の後ろからは、乳母に抱かれた皇子の康貴が降りて来て頭を下げた。
「相変わらず、我らが公式に動くと面倒でならぬよな。」維心は、匡儀に背後から次々に降りて来る厨子を見ながら言った。「また大層に持って来てくれたようであるが、我が宮へ来るのにそのような気遣いは要らぬからの。」
匡儀は、笑って手を振った。
「良い良い、確かにこちらに無いものなど無かろうが、あちらの物も珍しい物があろうかと準備させたのだ。受け取ってくれるが良いぞ。」と、維月を見た。「相変わらず美しい妃よ。壮健のようで何よりぞ。」
維月は、ベールの下で扇を高く上げて目だけで微笑んでそれは美しく頭を下げた。口を開く事は出来ないが、維心が答えるので良いのだ。
「重い着物を頑張って装っておるので何よりの労いであろうの。」と、背後の黎貴を見た。「黎貴。久しぶりよな。出産前は定期的に見ておったのに、そちらは落ち着いたか。」
黎貴は、会釈を返した。
「まだ康貴が幼いうちはと宮に籠っておりました次第。此度は大きく育った姿を見て頂こうと連れて参りましてございます。」
弓維が、乳母から康貴を抱き取って、頭を下げた。
「お父様。御無沙汰いたしておりました。」
維心は、弓維と康貴を見た。
弓維は相変わらず幸福そうな気を発していて、何も問題はないようだ。康貴はというと、維心から弓維へ、そして康貴へと遺伝した鋭い瞳で維心を見て、じっと見上げていたかと思うと、トントンと母の肩を小さく叩いた。
弓維はびっくりした顔をしたが、そっと康貴を下へ下す。
すると、康貴は維心に小さく頭を下げた。
「康貴でございます。」
「まああああ!!」
その様は、悶えるほどに愛らしかった。実際維月は悶えてそう言った。
維心は、康貴に会釈を返した。
「康貴。我は、こちらの龍族の王、維心ぞ。主の祖父に当たるの。よう参った。」
康貴は、ホッとしたように維心を見上げると、華のように笑った。
「おじい様。」
維心は、頷いた。
「誠に賢しい事よ。分かっておるのだな。」と、匡儀を見た。「思っておった以上にしっかりしておるの。」
匡儀が、己の事のように胸を張って言った。
「これは誠に賢しいのよ。言葉もかなり覚えておって、普通に会話も理解できる。答えるのが難しい時もあるが、それでも理解はしておるようよ。」
維月が、待ちきれなくて屈んで手を差し出した。
「康貴様。さあこちらへいらっしゃいませ。我があなた様の母の母、祖母の維月でありまする。お待ち申し上げておりましたのよ。」
康貴は、維月を見た。そして、それはそれは嬉しそうな顔をすると、よろよろとする足をものともせず、維月に頑張って駆け寄った。
「おばあ様!」
膝に抱き着いて来た康貴を、維月は気を使って持ち上げて、腕に抱いた。
「まあ、本当に愛らしい御子でありますこと。黎貴様の血であられるのか、華やかに美しくて。ああ誠に嬉しいこと。さあ弓維、奥に菓子を準備させてあるのよ。宴まで時がありますし一緒に参りましょう。」
弓維は、微笑んで頷いた。
「はい、お母様。楽しみですわ、久しくお母様の菓子を口にしておりませぬもの。」
とはいえ、このまま行くには維月の着物が重過ぎた。
維心はそれを察して、康貴を抱き取ろうと手を差し出した。
「ならば我が連れて参ろうぞ。康貴、こちらへ参れ。」
康貴は、びっくりした顔をしたが、それでも控えめに維心に手を差し出した。
維心の腕へと移ると、何やら嬉しそうに顔を赤くしている。匡儀が、面白く無さげな顔をした。
「なんぞ、主は子の面倒など見ぬと思うておったのに。康貴の嬉しそうな事よ。」
維心は、匡儀を見た。
「我だって運ぶぐらいするわ。維月は着物が重過ぎて身動き取れぬのだ。しようが無いではないか。」
しかし、黎貴が言った。
「維心殿にそのような事をさせるわけには。先に父上と参っておって頂ければ、我が連れて参りましょう。」
維心は、確かに炎嘉たちを待たせているのに文句を言われるか、と、黎貴に康貴を手渡した。
「では、先に参っておるから。主も後から来るが良い。」
そうして、黎貴に抱かれた康貴と、弓維、維月は、内宮に準備された、妃や皇女達の茶会の席へと移動して行ったのだった。