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聞かなかったことにするよ Balcony -5

高熱を出してしまうキキョウを看病するアオイ。あまりにも距離感が無くて戸惑うアオイに、キキョウが言った言葉は…。

「アオイさん、体温計あるかな…‥‥?」

「熱っぽいの?」

「うん、頭も痛いし、怠くて」

朝起きてきたキキョウを見ると赤い顔をしている。熱を測ってみると38.7℃もあった。

「あーこれは寝てないと駄目だね。昨日の疲れが出たのかもしれないし、今日はゆっくり寝てて」

「クリスマスなのに、ごめんね。迷惑ばっかりかけてる」

「うーんと、俺はクリスチャンじゃないから大丈夫」

謝るキキョウに訳の分からない返しをして、食事を食べてから寝室に戻る、と言い張りソファに横たわる彼女を横目に僕はお粥を作った。

「はい、これなら食べれそう?」

「うん、ありがとう……。私のせいでフライドチキンもケーキも食べられないね」

「気にするな。乗り掛かった舟ってやつだから、いいんだよ。元気が出たら鶏のから揚げ山ほど食べよう」

彼女は少なくとも、正月休みを挟んで来月下旬辺りまでは休みだし、僕は今ある案件を終わらせれば年内は終了だ。あと3日あれば終わる。


「今年は帰ってこないの?」

実家の母から電話があった。キキョウを置いて帰るわけにもいかない。

「ああ、年明けすぐに出さないといけない仕事があるから」

「お姉ちゃんの子供、いつか見てあげなさいね。どんどん大きくなるんだから」

「わかった。写真見せてよ。じゃあまた」

僕の実家はそう遠い訳じゃない。それでも、今はキキョウ以外の誰かに会って気を遣うのもできそうになかった。


ベッドで眠れない暮らしは結構身体に堪える。僕も疲れが溜まってきているようだった。僕は身体が大きいし彼女も泊まっていたのでずいぶん前にダブルベッドにしていた。寝具の寝心地の良さは睡眠の質に直結するな、とあらためて思う。布団を買いに行かないと。ああでも、彼女の好みがあるよな。

「ねえ、キキョウさん」

寝室のドアを開け、声を掛ける。すぅすぅと寝息が聞こえる。そっと覗くとぐっすりとキキョウは眠っていた。

「ま、今日はいいか。毛布あるしとりあえずソファで眠れるし」

今後何日キキョウがいるかどうかも判らない。ひと月後にはいない確率の方が高いのだ。

キキョウが元気になってからでもいいか。彼女の布団だから勝手に買う訳にも行かない。

僕は仕事部屋に戻って、少し遅れている案件に手を付けた。



「キキョウさん、僕風呂に入るから」

夕食の後にキキョウに声を掛けた。間違ってお互いに洗面所のドアを開けないようにするためだ。

「あ、待って。歯磨きしたい……」

「フラフラじゃん」

「磨きたいの~」

この3日で当たり前のように、洗面所に彼女の歯ブラシが立っていて、風呂から上がりたての濡れた髪も見た。ずっと昔から一緒に住んでたみたいに。

キキョウは壁に寄り掛かりながら歯を磨きだした。

仕方ないから僕も一緒に歯磨きをしながら思う。この人は僕の事をどう考えているのだろう。親切な隣人?助けてくれた頼りになる人?それとも都合の良い人?最後のは無いと思いたいな。

鏡を見た。パーマのかかった髪は伸びてボサボサだ。髭を剃るのも忘れていて、無精髭が生えている。こんな風だから、前の彼女にも振られるんだよな。髪型は好きにすればいいけど、髭はちゃんと剃ってって言われてた。

「髭剃らないとなぁ……」

口をゆすいで、最初にそう言葉が出た。

「ほう?ふぁいるほではっほひいとおほうへろな(そう?ワイルドでカッコいいと思うけどな)」

熱で潤んだ目でキキョウが言った。はっほひい?

「え?」

「ひはってるほ?(似合ってるよ?)」

歯磨き粉で泡だらけの口を彼女はゆすいだ。何と言っているのかよくわからない。

「何て言ったの?」

「似合ってるって言ったの。おっかしー。何今の声」

キキョウは自分で自分の声に笑っていた。熱が高くなる時ってテンション上がったりするからそれなんだろうな。

「はいはい、熱がある人は寝てください、俺は風呂に入りたいでーす」

キキョウをくるりと回して両肩を持ち、向かいの寝室に押していった。

「元気になってきたよ?」

「赤い顔して?熱があるから測ってみなよ」

ピピっと音が鳴り、体温計は38.3℃を指した。

「ほらまだ熱あるじゃん。寝てください」

「はーい」

パジャマ姿で男の容姿を褒めるもんじゃないよ。困った人だな。

僕は湯船に浸かりながら、髭剃りの刃を温めたが、結局整えるだけで全て剃らずに風呂を出た。

寝室をそっと覗くと、キキョウは薬を飲んで寝たようだった。

「男はすぐ調子に乗るから、そういうこと言っちゃダメなんだよ」

布団を掛け直して、僕は呟いた。さあ、仕事をしよう。


仕事部屋へ行きメールチェックをすると、上司と同期からメールが来ていた。

「うわ、何だよ年末にややこしいな……」

メールを見ると僕も関わる案件にトラブルが起きていて、一度全員で集まって話をする必要があるとか何とか。これ、集まる必要あるか?ついでに忘年会やろうという感じだろうな。飲み会好きの部長だし。僕は今日の分の仕事をあらかた片付けてからメールを送った。

”申し訳ありません。高熱を出して寝込んでいます。今手持ちの仕事は締め切りに間に合わせますので……”

本社出勤は勘弁してほしいという内容を上司と同僚に送った。

22時も過ぎた頃、同期の松本から電話が掛かってくる。熱出してるって事になってるのに。もういい時間だぞ。

「はい、もしもし……」

なるべく力ない声で電話に出る。仮病もいいところだ。

「おー!ひっちゃん熱どうよ?」

「あー、まあまあ、何とか」

「来なくても大丈夫だと思うよ、部長の宴会好きで人員集めだから」

ああやっぱりなあ、と思い返事をしようとした時に、仕事部屋のドアが開いた。

「アオイさん、あの体温計ってどこに……」

僕は思わず電話のスピーカー部分を押さえて振り向いた。

「あ、ごめんなさいっ」

キキョウは慌ててドアを閉めた。

「おーい、ひっちゃん、邪魔して悪かったな。もしかして彼女が風邪ひいてんの?」

ああ、聞かれてしまった。それに図星だ。彼女じゃないけど。

「……そんな感じ」

「おっけ。誰にも言わないから。彼女の看病頑張れよ!じゃあまた来年な」

「ああ、まっつんもありがとう。良い年を」

電話を切って僕はすぐに体温計を取って寝室へ向かった。

「キキョウさん、大丈夫?」

あれ?いない。

ガタン、と背後の脱衣所兼洗面所で音がする。引き戸をスライドさせた。キキョウが下着のまま座り込んでいる。

「おい!大丈夫か?」

「着替えようと思ったら、ふらついちゃって」

「ちょっとごめん」

そっと彼女の額に触れた。カイロみたいに熱いし汗ばんでいる。

「ひどい熱じゃないか!」

「手が冷たいね、気持ちいい……」

下着姿で気持ちいいとか言わないでくれ!君は倒れかけてんだぞ。

体温計を棚から取り出して測った。ピッと音がして体温計を見ると39.9℃と表示されている。

「ヤバいよ、九度九分ある。着替えて横になろう」

「ごめんなさい、電話中に……」

「終わったからいいよ、えっと、これ、じゃないかこっち?」

キキョウの汗で濡れたパジャマを間違って触った。彼女でもない人の汗で濡れた服なのにいやじゃなかった。そのまま洗濯機に放り入れた。

座ったままの彼女に新しいパジャマをかぶせる。目のやり場に困ったけど、それどころじゃない。

「待って、下着、替えたい……」

「あ、ごめん!」

僕はキキョウの身体を起こした後、慌てて脱衣所から出た。下着姿のキキョウを見てしまって少し心臓がうるさい。向こうは嫌だったろうな。いきなり入ったことを反省した。

「……あの、大丈夫?」

恐る恐る声を掛ける。

「……うん、大丈夫……」

「何か困ったら、言って」

ガラッと脱衣所の引き戸が開いた。

「ごめんなさ……」

途端、キキョウが倒れ込んできた。急いで支える。

「キキョウさん!」

僕は彼女をベッドまで運んだ。キキョウの事を運ぶのはこれで二度目だ。この人、僕がいなかったらどうしていたんだろうか。あのぐちゃぐちゃにされた部屋で一人で倒れていたかもしれないのか。そう考えると、一人よりは僕といるのを選んだのは正解だったかもしれないよな、と思う。

おでこに冷却シートを貼って、水枕を替えスポーツドリンクを飲ませてから寝かせた。

いつもはリビングで寝ているけれど、額や顏に汗をびっしりかきながら寝ているキキョウを見ると、別の場所で寝るのは危ない気がした。僕は長いシングルのローソファを運んで、ベッドの隣に置いた。

「キキョウさん、今日はここで寝るよ。何かあったら言って」

「うん……ごめんね、ありがと」

キキョウが寝たのを見届けて、僕もソファに寝転がった。疲れているのかすぐに下に落ちるような感覚が襲ってきて、深く眠った。



「キャ……!」

短く高い声と共に、僕の上に何か落ちてきた。

「うわ⁈」

地震か何かかと思って飛び起きた僕は、咄嗟に重たく柔らかいそれを掴んで腕の中に包み、丸まった。

「アオイさん⁈ごめん私……」

その声で気づいた。僕はキキョウをがっちりホールドしてしまっている。

「うわっ!ごめん!!」

跳ねるように僕はキキョウから離れた。

「お水飲もうと思って、起きたらアオイさんにつまづいて。ごめんなさい」

そして寝ぼけて驚いた僕が何事かと思ってキキョウを捕まえてしまったのか。脚まで絡めてがっちり抱きついてたぞ僕は。めちゃくちゃ恥ずかしい。

「いやこちらこそすまない……。あ、水は持ってきてる」

ルームランプを付けた。橙色の灯りに照らされたキキョウは、やはり熱を出している人の顔をしていた。怠そうだ。早く寝かさないと。

渡した水を彼女は飲むと、またベッドに戻った。

「あの、水とか体温計とかここに置いてるから。ルームランプは触ったら点くやつ。俺、リビングにいるから何かあったら言って」

ここに僕がいたら逆に良くないな。またつまづいていもいけないし、寝ぼけてるとはいえ抱きつくような男と一緒にいても眠れないだろう。そう思い、部屋を出ようとした。

「え……?行っちゃうの?」

「え?うん」

「心細いから、いてほしいな……」

「また寝ぼけて僕が抱きついたら困るだろ」

「アオイさんは怖くないから」

「一人だと怖い?」

「……うん」

キキョウは認めるのが怖いというように小さな声で返事をした。そうだった。この人はほんの少し前に死を感じるほど恐ろしい思いをしたんだった。その上高熱で弱って、僕じゃなくても、怖くない誰かにいてもらいたいと思うのは自然だ。

「わかった」

「ありがと……」

「いるから、安心して寝て」

「うん……」

僕は部屋のドアから戻ってそれまで寝ていたローソファに座った。

「さっき、びっくりしたけど、怖くなかった。アオイさんは怖くない」

「……それなら、よかったよ」

自分がやったことを思い出すと恥ずかしくて、僕は笑いながら答えた。

キキョウが僕を見たまま力なく手を伸ばしてくる。灯りでオレンジ色に染まったその手を僕が握ると、彼女は静かに目を閉じた。

僕は彼女が眠ってしまうまで、その熱い手を離さずにいた。気づけば僕もキキョウの手を握り、ベッドにうつ伏せ寄りかかったまま寝ていた。


「……うっ、寒っつ!」

背中が冷えて目が覚める。手を握ったままだったので、ぶるっと震えた勢いが彼女に伝わり、キキョウがうっすら目を覚ました。

「アオイさん……?」

空いている彼女の右手がさまよって、僕の髪に埋もれた。

「あ、いた……ふふふ、ふわふわ……」

寝ぼけてるのかな。俺起きてるんだけど。キキョウの手が僕の髪を梳く。動けないし正直恥ずかしい。子どもみたいに頭を触られている。

「かわいい……ふわふわ……」

183cmの元ラグビー部にかわいいだって⁈寒いのに変な汗が出そうだ。

しばらくして僕はゆっくりと頭を起こした。彼女の手は僕の頭からするりと落ちていく。なのに頬で止まった。キキョウの熱い手が無精髭が生えた僕の顔に触れている。

「……チクチクするだろ」

橙色の灯りの中で彼女と目が合う。熱で目が潤んでいて、ぼんやりと僕を見る。

「……ううん。好き」

顔が火照りだす。何が好きなんだ。髭のことなら”平気”だとか”別に”とか言いようがあるだろう。こういう迂闊な言葉を言う人だということは何となくわかっていたが、これは酷い。僕は溜息をつきながら言った。

「キキョウさん、そういう言葉を男の顔を触りながら口にするもんじゃないよ、もう子供じゃないんだから」

じっと僕の顔を見たまま、何も言わない。随分長い時間そうしていた気がする。

彼女が口を開いた。囁くような声。

「……だって、アオイさんのこと、好きなの」

キキョウの潤んだ目から一筋涙が流れた。

ああ君は、何てことを言うんだ。

どう考えても、恐慌状態の時に彼女を助けた僕へ感じる何がしかの感謝を、異性への好意だと勘違いしている。

僕は彼女の手を静かに掴んで自分の頬から離した。

「君は40℃の熱がある。今のこと覚えてないかもしれないから、聞かなかったことにするよ」

なし崩しにそういう関係になるのは簡単だ。僕は彼女を好きなんだし、目の前にあるキキョウの身体に触れ、その唇に今すぐキスをすればいいのだから。でもそれがいい結果を生むとは到底思えない。

「……優しいね、アオイさん」

僕はキキョウの手を収めて布団を掛け直した。

「……おやすみ」

午前三時半。今度こそ僕は、寝室を出た。



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