2 麻取リックス
この記録を見ている者は、誰しも男女二人っきりの会話のように、思えてしまうかもしれないが、実は、もう一人存在する。
このやり取りを納めるカメラマンだ。
ハンディーカムで被写体を撮るレンズの裏では、あるやり取りがなされていた。
「あ、あの……"酒楽"さん? これ、いつまで続けるんですか?」
酒楽と呼ばれた男は短く吠えたので、泣く泣く黙ることにし、成り行きを見守った。
彼は優しく女性に接する為に、声をウィットにして喋りかけていたようだが、場所がホテル街というのもあり、どうにも不埒な投げかけに聞こえてしまう。
しかし、この酒楽という人物、姿を見るたび、その色合いに目が疲れる。
何せ、うなじで縛った長髪は、艶やかなピンク色で染められ、頭の左側だけ剃り込み。
ジャケットの下は緑のパーカーを着ていて、フードの上から杖に巻き付いた蛇のネックレス。
下はダメージジーンズと、公務の場に似つかわしくない服装をしている。
露出させた耳朶には銀のリング状ピアスを飾っていが、それよりも目立つのが左耳の上。
何かに食いちぎられたように、欠けているのだ。
「いつまで」というのは現在行っている質疑が、これ以上必要なのかどうかを、見極める為に確認した。
なぜなら、この女性は"本命"ではない。
この質疑の目的は、この女性の交際相手ことドラッグのバイヤーだ。
酒楽がフードを投げ出したパーカーの上に着ている、紺色の上着は質素な光沢を放つジャケットの背中には、「NCD」と大きなロゴが書かれていた。
左胸には司法警察機関のシンボルマーク「旭日章」を象った紋章があり、中心部に"麻"と描かれている。
NCDのロゴは右胸右肩に書かれ、旭日章やロゴの下には正式名称である『麻薬取締部』
そう、我々は厚生労働省の外部機関【関東信越厚生局 麻薬取締部 特別捜査課】の職員だ。
世間では縮めて"麻取"や、親しみやすく"麻薬Gメン"と呼ばれる。
女が所持していたと思われる、小袋に入れられた固形物を一粒取り出し、細かく粉砕。固形物を粉末にし薬さじで、すくい上げて先っちょだけを、太くて長い試験管の口へ近づけ、中へ投下。
試験管の中の溶液と粉末が化学反応を起こし、メタリックブルーの液体が光を取り込み管内で乱反射を繰り返し、スノードームのようにキラキラと輝いていた。
現在、社会問題として扱われる、カチノン系の違法薬物『アルカナ』
通常、覚醒剤などは検査用の溶液に混ぜると、科学反応で青色に変わるが、このアルカナは青く変色すると同時に、ラメのような粒子が現れる。
このアルカナは常習者に、深刻な作用をもたらす激物だ。
酒楽はこちらへ試験管を近づけ、焼きつけろと言わんばかりに、カメラの前にかざした。
「おい、"員"。しっかり撮れ」
員――――それは、この場をカメラで記録する、"自分"のこと指している。
東京都知事と地方検察庁を統括する長こと検事正、双方の権限により任命された『麻薬取締員』
最初は「取締員」や「係員」と呼ばれていたが、面倒くさくなったのか、いつの間にか「員」となってしまった。
ピンクの髪をかきむしり、酒楽は呆れたようにボヤく。
「使用歴が高二から二十歳。かなりの常習者だな……」
ベッドに腰掛けるミキという女は、いたずらっぽく笑みを見せ、猫の拳を作ると人差し指で聞く。
「ねぇ? マトリのお兄さん。それ、本物?」
ミキが示したのは酒楽取締官の腰にある、革製のホルスターに収められた、黒い拳銃。
酒楽はつっけんどんに答える。
「あぁ、そうだよ。腰に付いてるからって、コレが男のアソコに見えるか? ぁあ?」
ミキは手持ち無沙汰になり、話のきっかけを作るために聞いたのだろうが、思いもよらぬ返しに目尻を尖らせでふてくする。
これは良くない。
酒楽に寄り二人してミキに背を向けると、諭すように注意を彼へ促す。
「酒楽さん、今のマズいですよ? 後で問題になります」
「あのな? こっちは、この日の為に何ヶ月も、売人の足取りを追って駆けずり回り、証拠を固めてガサ入れしてんだ。バイヤーの姿もなく、たったコレっぽっちの押収物じゃ、これまでにかけた時間が無駄になる」
この酒楽という男。
見た目といい言葉といい、粗暴が目立つが、麻薬取締部が行う独自の採用試験をくぐり抜け、厚生労働大臣より任命された『麻薬取締官』だ。