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15 アベ・マリア

 初日は麻薬担当係の女係長、安倍・聖愛の元で、違法薬物の成分表を作った。


 終業時刻になり、その日は定時で仕事を区切る。

 帰り際、女係長より「次から私服で出勤していいのよ」と、言われたので、次の日はスーツはやめて、自前のギンガムチェックのシャツとジーンズで出勤した。


 以前から聞いていたが、麻薬取締官は庁内へ出勤の際、私服、及び髪型の自由が認められている。

 なので、茶髪や男のロングヘアー、パーマなどで職場へ来る、麻薬取締官をよく見かけた。

 これは非公式の捜査にあたる時、周囲や事件の重要参考人に、捜査官であることを悟らせないためだ。


 とはいえ自分は、麻薬取締官と違い麻薬取締員であり、本来の勤め先は都庁。

 一般の公務員であり服装を許されても、髪のデザインまで変えるのは、風紀上の理由で許されない。

 

 二、三日、資料作成が続く。

 内容は薬物の危険性を、子供でも理解しやすいように噛み砕いた内容へ、書き換えるもの。

 四日目になると女係長が「外回りに行くからついて来て」と、指示したので、自分は黒のジャンパーを引っ掴み、慌てて女係長率いる麻薬対策係の一団の後を追った。


 ようやく麻薬摘発の捜査に参加できると、気を引き締めた。

 薬物を売るバイヤーの張り込みが、あるかもしれないと見越して、持参したアンパンと牛乳をリュックサックに詰めて、男二人の職員と共に計四人で、マトリの(バン)に乗り込む。

 

 被疑者が逃走したときに備え、取り押さえる為のイメージトレーニングを繰り返しているうちに、目的の場所へ到着。

 到着したところは中学校。

 女係長のタイミングに合わせて、バンから降りた。

 

 中学校に薬物のバイヤー?

 いや、バイヤーはいかなる姿、形で社会に溶け込んでいるかわからない。

 (気は抜ぬくな)と、自身に言い聞かせる。


 深呼吸を繰り返して、高ぶる鼓動に風を送り冷やすように己を落ち着かせると、共に乗り込んだ職員が、車から紙の束を取り出し、その半分をこちらへ渡す。


 捜査資料か? と思い目を通すと、紙には最近十代に人気の、若手女優のスマイル写真。

 その笑顔に並ぶように「ダメ、絶対!」と書かれていた。


 その脇に書かれた一部に、見覚えがあった。

 自分が、資料を作成した時に書いた、正書が載っている。

 これは間違いなく、違法薬物の禁止を宣伝するビラ。

 ここでようやく、彼ら特捜の取締管が何しに来て、自分がなんの為に資料作成と今回、同行したのか解った。


 自分はビラ配りの手伝いに、駆り出されたのだ。 

 

 体育館へ集めたった中学生相手に、安部・聖女係長は、麻薬の誘惑、使用後の後遺症、依存者の経験など、まるで慈善活動に身を捧げた、マザー・テレサのように語りかけた。

 真剣な眼差しで麻薬の恐怖を学ぶ生徒もいれば、声を潜めて隣の友達と楽しげに話す生徒、ソッポを向いて自分の世界に浸る生徒など、様々。


 自分も薬務課で、同じような業務に携わっていたので、その地道な周知活動の大変さは解る。

 日々の業務へ真摯に向き合う彼女に対し、こんなことを口走るなど、狂人以外の何者でもないのは重々承知だ。

 だから、せめて、この言葉を自分の心の内にだけ留めておきたい。


 ――――――――キレイだぁ。


 中学校での啓発活動を終えると、普通に昼食をとった為、持参したアンパンと牛乳が無駄になった。


 都内の中学校を回る、麻薬撲滅運動週間について回り二日が過ぎた。

 五日目、薬物捜査に加わる気配が感じられない。

 だが、この部署において、重要なこと解った。


 女係長こと安部・聖愛の年齢は三十五歳。

 なかなか女性の年齢を、男が真っ向なら聞くのはハードルが高い。

 風の噂で聞けたのは幸運。

 にしても、三十半場であの美貌は、奇跡としか言いようがない。


 特捜では『マリ(ねえ)さん』や『姐御(アネゴ)』という愛称で呼ばれている。

 さすがに一週間やそこらで、そこまで踏み込むには馴れ馴れしい。


 自分はまだ、安部係長としか呼べず、なんとも、もどかしい。


 さらに得た情報では、自分にとって、ウォーターゲート事件でニクソン大統領への会話の盗聴と、同等の衝撃だった。


 女係長は独身!

 安部・聖愛という女性――――キレイだぁ。


 なんでも、彼女の親はジェネリック医薬品の許認可を審査する、厚労省の官僚。

 彼女自身は大学の薬学部で、在学中に発表されたばかりの新薬がもたらす、予期される副作用について論文を書くなど、その秀才さが目で見てわかるほどだ。

 

 医薬エリート、どこからともなく、そんな文言が湧いてくる。

 家柄や彼女自身の成績。

 そして奇跡の、美貌! を考慮すれば、マトリのリクルートもうなずける。


 やはり安部・聖愛――――キレイだぁ。


 しかし、出向してから六日が過ぎ、デスクワークが続くと、ある疑念が心かきむしる。


 トッコウ係は今現在、潜入捜査の為に人がいない。

 ゆえに、局内でやるはずの雑務が溜まってくる。

 その雑務を片付ける為、自分が出向してきたのではないか?

 ならば出向前の、あの三ヶ月の訓練は何だったのか?


 これでは、都庁舎の薬務課でやっていた仕事と、変わらない。

 一体、いつゾンビ事案(マター)に関われるのだろうか。

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