10 ターニングポイント
ゾンビ事件以降、親友と連絡が取れず、彼が一人暮らしをするアパートを訪ねる。
いかにも苦学生が暮らす、安アパート。
お世辞にも、綺麗な住まいとは言えないし、親友自身も去年、奨学金が得られなかったので、学費がかさみ生活は苦しかった。
二階へ上がりドアの前に立つと、窓は電気も消え、居るのか居ないのか解らない。
隣人や大家に聞いてみるも、「姿を見ていない」「知らない」と答えるばかり。
不安だけが胸を締め付ける。
やはり、あの事件で――――。
学内のゾンビ事件を受け、本格的に警察の捜査が始まる。
依然として、ゾンビ被害者の身元はハッキリしない。
二日後。
居ても立ってもいられず、再び親友のアパートを訪れた。
次に訪問すれば、またいつものように会えるのではないか?
そんな期待を持ってしまう。
先日、来た時と違いアパート前は物々しく、人だかりが出来ていた。
白に黒帯のパトカーや覆面パトカーが複数乗り付けて、警察官がひっきりなしに情報を交わし合っていた。
何が起きたか解らないまま、人だかりをかき分け、黄色の立入禁止テープの前まで来ると、親友の部屋へ目をやる。
そこには、刑事達に両脇抑えられ、連行される親友の姿が――――。
親友がパトカーに押し込められる間際、彼と目が合った。
親友はすぐさま目を伏せて、車両へ乗り込むと、パトカーは彼を連れ去ってしまった。
親友の安否が確認出来た、安堵感を塗りつぶすように、連行されたことへの衝撃が強く、思考と感情が入り乱れて混乱。
ショックで呼吸すらままならない。
一体、どうなっているんだ?
自分の頭では現実を受け止めきれない。
そして警察の捜査で、ゾンビ事件の全貌が、つまびらかにされる。
専攻していた学部の教授が、大学内で違法薬物「アルカナ」を製造していたことが発覚。
警察に逮捕された。
教授は薬学の知識を使いアルカナを大学内で製造し、学生達に売って、小遣い稼ぎをしていたのだ。
その買い手だった学生が、過量服薬したことで、ゾンビ化。
今回の事件が起きる。
その教授のアルカナ製造を手伝い、学費を稼いでいた学生達が、芋づる式に警察へ逮捕。
親友はその学生達の一人に過ぎなかった。
彼は教授にそそのかされ、アルカナの製造に関わった。
ゾンビ事件の後、警察の捜査を恐れた教授に、身を隠すよう指示され、誰にも姿を見られないよう忍びながら自宅へ帰宅し、自分が訪問した際も、居留守を使っていた。
彼は、自分が訪問したこと知っていた。
信じがたいことだ。
なにより、ゾンビ化した学生を含め、違法薬物による事件で、どれだけの被害者が出たことか。
許されるべきことではない
言わずもがな、親友は大学を去り、法による刑罰を待つ身となった。
それ以来、顔も合わせていない。
自分と映画やアニメの話をしていた裏で、親友は違法薬物を製造し、大学内に広めていたのだろうか?
教授から何と言われて、製造に関わったのか。
何故、親友は魔の囁きに負けたんだ?
何故、自分を騙していたんだ?
犯罪に手を染める中で、親しい学友の自分は、彼にどう見えていたのだろうか?
ひょっとしたら、違法薬物を売りつける顧客として、狙われていたのかも――――。
彼への疑念が悲しみから、怒りに変わる。
自分と好きな映画の話をしている間も、心では「無防備なマヌケ」と嘲笑っていたかもしれない。
親友だと思っていた人間に幻滅し、蔑まされていたと感じると、心は穏やかではいられなくなる。
――――許せない。
法の裁きだけでは、自分の気は晴れない。
同時に、ある不信感が湧いてくる。
もし、自分も身近に信頼する人間から、薬物を進められれば、ソレを断ることは出来ただろうか?
身体の熱が引き急激に冷めると、怒りは畏怖へ変わる。
脳裏に中毒者へと変わり果て、キャンパスで暴れ回った学生の姿がよぎった。
同じ学生の顔面をかじり、押し倒して爪で何度も引っかく。
警察の制圧で、頭部は数回に渡り狙撃され、最後は銃弾の洗礼を受けて蜂の巣。
アレが自分の i f だったら――――。
戦慄が背筋を撫でる。
"信頼を利用"されるということが、これほど身に沁みる恐怖だったなんて。
ゾンビ事件の衝撃は、自身の考えを根底から覆した。
違法薬物から身を守る知識を得とくしたい。
売りつようとする売人を、跳ね除ける術を身につけたい。
悪と戦う勇気を備え、背信により他者を傷つける非道な輩から、善良な人達を救いたい。
これを起点に、その後の将来を決定付けた。
それから違法薬物に関する情報を、手当たりしだい集めた。
そこで解ったのは、薬物を摘発、根絶を図る行政機関だ。
まずは警察。
警察の体質は全体的に体育会系。
理系畑を進む自分の肌には合わない。
薬学部出身というのもあり、警察内において、自身のステータスには少し不安を覚える。
何より警察の部署は様々。
希望する部署へ配属されるとは、限らない。
薬学の知識を活かすなら、鑑識課なども考えたが、その時の心情で言えば、現場で巨悪と戦うことに憧れていた為に、あえて選ばなかった。
国土交通省に属する海上保安庁。
海の警察と呼ばれる治安組織だ。
当然、抵抗があり除外。
財務省の税関。
候補として、あれこれ思案したが、動物アレルギーの為、麻薬探知犬と折り合いがつかないと踏んで、断念。
一応、豆知識的に知ったのだが、『関税法一〇四条』によれば、税関職員も拳銃の所持を認められているが、主戦場が手荷物検査の為、現場で発砲する事態が想定されていない。
故に拳銃を携帯することはないそうだ。
そして厚生労働省。
言わずもがな、麻薬取締部だ。
麻薬への知識が必要になるので、捜査員のほとんどが、「薬剤師」の資格を持ち、それでいて、司法警察職員の権限を有する。
薬学なら自分のステータスが活きる。
自ずと、この道への憧れが強くなった。
マトリになる為、護身術教室にも通い始め、捜査員として必要な知識、刑法も薬剤師の資格勉強と平行して始めた。
大学卒業まで後、三年。
マトリになる為、ひたすら勉強を積み重ね、メンタルを作り上げる。
卒業間近、薬剤師の資格も取得し、卒業の単位も取れた。
備えと心構えは出来ている。
後は適正試験に全力で望むことだ。
だが、その年、麻薬取締官の採用試験は行われたなかった。