第七話
夜中、というかもう明け方、のどが渇いて目が覚めた。仕方なく水を求めて廊下に出る。うぅ、体が痛い。
姐さんはずっと私を見てくれたみたいで布団のわきで座ったまま寝ていたので、無理に私の布団をかけておいた。風邪ひかないと良いんだけどな。というか体調が悪かったんだよね。私のせいで騒ぎを起こしてしまって悪いことしたなぁ。
歩くたびに打った所がみしみし痛む。あー、つら。
今の時間、丁度みんな寝ているみたいで建物は静かだった。でも客のいるエリアは避けて行かないと。包帯まみれで見苦しいし。この包帯はちょっと大げさな気がする。
水場について、水道から手で水をすくって喉を潤す。生き返るー。コップとかないのかな。できれば持って帰りたい。
「誰じゃ」
「わっ」
いきなりぴかっと照らされて、思わず目をつむる。
「なんじゃ、かぐやか。こんなところで何をしておる」
「こっちの台詞だよ」
そこにいたのは行燈を持った親父様だった。
「丁度貴様の顔を見に行こうかと思っておったのじゃ。一度風見から目を覚ましたという報告は聞いとったがのぅ」
「喉が渇いたから、水飲みに」
「風見はどうした」
「姐さんは寝てたよ」
「そうか……」
親父様は私に近づいてくると、片手でひょいっと私を抱き上げてしまった。
「えっ、力持ち!」
「暴れるでない。水はもう飲んだのじゃろう。部屋まで送ってやろう」
「あ、ねえ、こいしは……」
「もう眠った。あやつもだいぶ混乱して取り乱しておったが、とりあえずは落ち着いたわい」
「わざとじゃないんだよ。ただ私がいつも通りこいしを怒らせて、その場所が悪かっただけで」
「分かっておる。あやつは心根は素直な奴じゃ。この年まで様々な人間を見てきたからの、目で分かるわ」
「なら良かった。怒られてんじゃないかと心配だったんだ。ねぇこいしの所行きたいな。紙風船買ったんだ。これこいしにあげる用だから」
懐に入れっぱなしだった膨らませる前の紙風船を取り出すと、親父様はふっと笑った。
「こいしの所に行きたいか」
「? うん」
「恐ろしくはないのか。故意ではないにしても、貴様はこいしのせいで運が悪ければ死んでいたのじゃぞ」
「でも、癇癪で壁に投げつけられたりとか、よくあるよ。振り回されて腕がもげたこともあったし。それでも人は可愛いよ」
「…………」
「……行き場のない感情が私に向かって解決するなら良いことじゃない。それでまた明日あの子が笑えるなら、私はそのことがすごく嬉しい……」
……あ、うっかり前世の感覚で話をしてしまった。
そっか、今の私はもう人形じゃないし、こいしはあの子じゃないのか。
「間違えたっ、えっと、まぁ事故だし。私よりこいしの方がびっくりしてた気がするし……ん?」
親父様のかさかさの手が私の髪を梳いた。気持ちいい、撫で方を熟知した職人の手だ。
「無邪気さは時に毒になる。優しさだけでは人は救えんし、美しいものが正しいわけではない。逆に言えば、正しいものが必ずしも美しいとは限らん」
「?」
「かぐや、自分を大切にせい。全てはそこからじゃ」
「自分……?」
「そうじゃ」
自分を大切に? してるんじゃないか? 人はみんな自分のことが大切なはずだし、私は自分のためにここにいる。
親父様の言うことも難しい。
「今日は部屋に戻れ。わしが運んでやろう」
「えー」
「大人しく言うことを聞かんか」
「……はーい」
親父様に抱っこされて部屋に戻る。親父様が歩くたびに伝わってくる心地よい揺れにまどろんでしまう。もうたくさん寝たはずなんだけどな……。
「わしの言ったことをよく考えよ」
意識が落ちる間際、そんな親父様の声が聞こえたような気がした。
*****
「んーっ、いた、あいたた!」
起きていつもの癖で伸びをしようとしたら体の節々が痛んだ。そうだ、昨日階段から落ちたんだった。
どのくらいで直るんだろう? しばらくこうだったら嫌だな、仕事中辛い。
とにかくのどが渇いたのでまた水場に行こう。
もう結構朝は遅いみたいで姐さんはいなかった。こいしも当たり前のようにいない。1人で布団をたたみ、痛みに耐えながら寝巻からお仕着せに着替える。
「ふぅ、動くのだるいなぁ」
廊下に出ると、うろうろしているこいしがいた。
「こいしって、探すといないのに登場は突然だよね」
「は?」
あ、いつも通りだ、良かった。気にしてるんじゃないかと心配だったのだ。
「……体、痛むか」
「え? まぁ、普通に痛いよ。階段から落ちたからねー」
「…………」
あれ? 軽ーく流したつもりなのになんで青ざめるの? やっぱり気にしてるの?
そんな顔をしてほしいんじゃないのに。私のことを気にして落ち込んだりしたら本末転倒だ。ど、どうしよう。
「こいしが気にすることなんかないよ! あれは運が悪かっただけっていうか、私が無神経だったんだし。あ、結局紙風船渡せてないね。もしかして欲しくない? 今部屋にあるんだけど、良かったら」
「……腕」
「こいし?」
こいしが私の右腕に触れる。お仕着せの袖口から痣がのぞいていたけど、着た時は気づかなかった。
「…………ごめ……」
かすれた声で、多分謝ろうとして、言い終わる前に口を閉ざしてしまう。
「お前は何も悪くないのに、僕のせいで」
「こいし? ちょっと、え? なんでそんな感じなの? 私は平気だよ? お医者さんも平気だって言ってたって! だから元気出して。そんな顔しないで」
「こんな怪我……」
こいしが額を私の痣に押し当てる。唇をかんでうつむくその表情も綺麗だ。ずっと見ていたいけど、でも、悲しい顔をしてほしくない。矛盾してる。
「こいし、こんなの本当に気にしなくていいんだよ」
「気にしないわけないだろ。僕のせいなんだぞ」
気にするのかー。
「うーん、じゃあ謝って。ちゃんと。それで許すから」
「……はぁ? なんで」
「いいから。早く謝って」
強くそう言うと、こいしはまだ納得がいかなそうながらも私から一歩離れたところでしっかり頭を下げた。
「ごめん」
「うん、良いよ」
「……良いって……」
「もう許したからこの話はなしね。はい終わりー。終わった終わった」
「い、意味が分からない」
「なんで? 私が気にしてないんだからいいじゃん」
「だから、何で気にしてないんだよ! お前、なんなの」
「何って言われても……」
そこを聞かれても、理由なんてない。
「だって、気にするって怒ったり悲しかったりしてることだよね? そういう気持ちが湧かないんだもん、仕方ないじゃん。聞かれても分かんないよ」
「は」
「それを知ろうと思って今頑張ってるんだからほっといてよね。人の気持ちとかよく分からないんだよ。だからこいしは私のことなんか気にしないで、今まで通り過ごしてね」
なぜだかこいしが唖然としている。人が恥を忍んで弱点をさらしてるのに、失礼な反応だ。
「…………いっこ言っていい?」
「良いよ」
「お前、変な奴だよ」
「えぇ!? 嘘っ、どの辺が? 直すから教えて」
「全部。お前の考えてることとかやってることとか何も分からないし距離の詰め方雑だし、割と怖かったけど、全部なんとなく分かった。お前馬鹿なんだよ」
「えー……? うそぉ、違うよ」
「いや、お前は馬鹿だ」
「酷くない?」
こいしははーっと大きなため息を吐いた。なんなんだよ、もう。人を馬鹿呼ばわりとか。
「あ、聞いてもいい?」
「何」
「こいしって本当の本当に私のこと大っ嫌い?」
「え」
「私はこいしに興味あるし、できればそばで見ていたいけど、こいしが本当に迷惑で嫌だっていうなら我慢するよ。もう話しかけない。ねぇどう?」
「そ、れは…………」
「何で黙るの? どうなの?」
「き……」
「き?」
こいしの言葉を待つ。
「嫌い、では、ない……」
まさに必死という感じで途切れ途切れにそう言った。
「本当っ!? じゃあ近くにいてもいい?」
「ち、近くはだめだ」
「じゃあどの辺?」
「……この辺?」
こいしは私から3歩離れた。
「なんで? もっと近くが良い」
「だめ。お前がいると、僕が変になるから」
「変ってなに?」
「変は変」
なんか疲れてる? ただお喋りしただけなのになんでこいしはぐったりしてるんだ?
「……お前といると、色々考え過ぎて頭が変になりそうだ。昨日も、頭がぐちゃぐちゃになって、訳分からなくなって、とっさに……」
「それってどういう感じ? 辛いの?」
「…………」
無視というより、どういったらいいのか分からないって顔をしてこいしは黙り込んでしまった。
「私、こいしと友達になりたいな。そしたら沢山一緒にいていろんなことできるよね? 友達ってそういうものでしょ?」
「と、ともだち」
「嫌いじゃないなら友達でも良くない?」
まただ。こいしは辛そうな、苦しそうな顔をする。
「ねぇ、どうしてこいしは私がこいしに近づこうとしたり、逆にこいしが私に近づいたりしたときにそんな辛そうなの?」
「……僕、辛そうか」
「うん。すっごく」
「…………」
あんまり苦しそうなのでこいしの頭を撫でてあげた。親父様にしてもらった時のことを思い出してゆっくりと。親父様は撫でるのうまかったなぁ。
「よしよし」
こいしは怒らなかった。