第四話
「というわけでさ、こいしのことが気になるんだよ。なんだか無理をしてるらしいし、周りの人もその……あんまりこいしに優しくない感じだし。私はこいしに嫌われてるから、姐さんから何か言ってやってくれないか?」
「ふぅん、こいしがねぇ」
こいしがごみ捨てに出たタイミングを見計らって、私は昨日から気にしていたことを姐さんに相談した。
姐さんは顎に手を当てて考える仕草をする。どんな姿勢をしていても美人だ。流石。
「まぁ、肩に力が入りすぎてるっていうのはあるのかもしれないね。それはあたしからそれとなく言ってみるけど……周りの目はどうにもならないよ。あいつも、一朝一夕でどうにかなるもんじゃないとは分かってるんだろう。だから何も言わないのさ」
「そういうのが難しいのはなんとなく分かるけど……」
「これから時間をかけてここに馴染んで、あいつ自身を知ってもらって信頼を勝ち得ていくしかないよ。あたしが一時的にかばったところで問題そのものは無くならないからね。可哀そうだけど、その件に関して他人ができることは何にもないのさ」
「そうかー……こいしを見てると何かしてあげたいって思っちゃうんだけど、やっぱり余計なお世話なのかぁ。難しいな」
「うーん……」
姐さんは困ったように笑って、そして私の頭をそっと撫でてくれた。
「そう思うのはけして悪いことじゃないよ。そうだねぇ、本当にこいしのために何かしてやりたいんなら、あいつのことをよく見て、あいつが喜びそうなことを探してごらん」
「よく見て、探す……うん、やってみる!」
さすがは姐さんだ、とっても建設的な助言が得られた。よく見るのか。確かに観察は大事だ。
「今日は宴会場の支度の手伝いもあるんだろう? 悩むのもいいけどやることはしっかりやるんだよ」
「まっかせて!」
「ふふ、頼んだよ」
*****
よく見る……。
「……?」
長机を拭いているこいしをじーっと見る。何がしてほしいんだろうなぁ。
はっ、いけないいけない、仕事もちゃんとしなくちゃ。これは姐さんの座敷の支度なんだから。
座敷って言うのはそのまんま、お座敷でお酒を飲む席に同席することだ。一緒にお酒を飲んだり遊んだりお喋りしたりするのが主な仕事らしい。
今日はここに姐さんの馴染み客の旦那様が来るから頑張ってセッティングしなくちゃならないのだ。
「兄さん、お花ここでいいのかな?」
前世で言うならまだ高校生くらいの男の子も下働きとして働いているのを見るとちょっとびっくりするけど、それはそれ。彼らは力仕事から細かい雑用まで何でもこなしてくれる頼りになる存在だ。所謂若い衆ってやつ。
「おう。ちょっと傾いてるな、ここをこう……」
「おー、細やかな気配りってやつだね」
「そうそう、そういうのが大事なんだよ」
襖を開けて縦に何段にも積み重なったお膳を運ぶこいしの姿が見えた。手伝いたいけど、今できることはなさそうだなぁ。直接手をかしたらまた怒られちゃう。
「おいもうすぐお客来るぞ! 急げ急げ!」
「ちょっと、押さないどくれよ!」
「ぼやぼやしてんじゃないよ!」
若い衆の1人が叫ぶと周りは一気にあわただしくなった。
「こいし、もう時間ないぞ」
「この水差しを片付けろって」
「えぇ? こんな重そうなのもう無理だよ。おいて行こうよ、別にあっても困らないって」
「……お前は先に出てろ。僕はこれを運ぶから」
せかせかと出ていく姐さんの1人に、こいしを一瞥して嫌な笑いを浮かべる人がいた。
うわ、これ絶対嫌がらせだ。だってこんな重そうな水差し、しかも中身入り、8歳児に普通運ばせないだろ。
「あー、もう、こっちこっち、襖開けるから」
仕方がないのでこいしを先導して行く手を整える役目を担う。
「んっ……」
「代わろうか?」
「お前じゃもっと無理だろ。良いから先行けって」
廊下へ出るともう騒がしかった。うー、絶対もう人来てる。
「こいしっ、急げるか? もう本当にギリギリだぞ!」
「分かって……」
廊下へ出て向こうの調理場へ行こうとした時、曲がり角の向こうから数人の男の人たちがぞろぞろやって来た。
明らかに身なりの良い、そして若いお坊ちゃんたちって感じだ。
「なんだ、禿か?」
「見ろよこれ、混血だぜ」
「混血? なんだってそんなのがここに……」
こいしの水差しを握る手がきゅっと白くなるのが見えた。
「ご、ごめんなさい、旦那様方、私たちはこれで失礼します……行こ、こいし」
「本当に目が青いんだな。物の怪みてぇな気色の悪い面しやがって」
「誰の許可を得てこの国で暮らしてんだ? あ?」
そこへ一番豪華で恰幅の良いおじさまがやって来た。お腹に迫力のある、優しそうな感じの人だ。
「何をしているんだね、お前たち」
「親父……」
お父さん? 父子で夜遊びに来たの? いや、今そんなことどうでもいい。
私が視線を送るとこいしも気が付いてくれて、ぎゅっと水差しの取っ手を握りなおす。
「仕事の邪魔をしたね」
「失礼しますっ」
私がこいしの肩を支えて歩き出すと、多分手汗かなにかだと思うけど、つるっと水差しが滑った。
こいしは慌てて握りなおしたけれど中身の水は大きく揺れ、反動で外に飛び出す。飛び出した水は弧を描いて空中を舞い、びしゃっと間抜けな音とともにおじさまの足元に降り注いだ。
まるでスローモーションみたいだった。
「親父の着物に……!」
「やめないか。ほら、もう行って良い」
「ごめんなさい、失礼します」
これは後で姐さんに怒られるかも。
*****
怒られた。
「車谷の旦那が温厚だったから大事にはならなかったものの、あんたたちが大変な目に合う可能性もあったんだよ」
もしかしてお侍様だったら切捨御免とかあるのかな? 怖すぎるんだけど。
こいしは遣り手婆からも怒られ、宴の片づけを全部1人ですることになった。
今回は運よくお客様には怒られなかったけど、下手すれば姐さんに迷惑がかかる可能性もあった。だから怒られたのは納得だけど、私にお咎めがなかったのは納得いかない。
ちなみに遣り手婆っていうのは遊女たちのお目付け役みたいな人だ。しわしわなのに元気が有り余ってるから、親父様の仲間だと思う。
「お前は帰れって言ってるだろ」
「おかしくない? 何で私はお咎めなしなのかなー、一緒にいたのに」
「お前は片づけを言いつけられてないんだから、さっさと部屋に戻って寝ろって」
こいしはそう言いながら無人になった宴会場の机の上の皿をまとめ始める。もう旦那方は全員お部屋に連れていかれた後なので、誰一人として残っていない。あるのは食べ散らかされ脱ぎ散らかされ遊び散らかされた残骸だけだ。
「んー……じゃあ頑張ってね」
手伝ったらまた怒るんだろうな。
あ、そうだ。確か休憩所にまだお饅頭があったはずだ。それを貰って来てやろう。うん、こいしは結構甘いものも好きみたいなので、きっと喜ぶ。
私は昼間には考えられないほど静まり返った生活スペースを歩きながら、お饅頭を2つゲットして1階の宴会場に戻った。
「こいしー」
襖があいていたので、そこから中を覗き込む。こいしは1人で黙々と皿をまとめては畳に下ろして机を拭いていた。
その表情は険しくて、時折乱暴に目元を拭う。
「……泣いてる?」
嫌がらせのせいでこんな状況に追いやられてるのが辛いんだろうか。それとも1人で片づけをするのが大変だから? どこか怪我をしたとか……。
よく見る、って姐さんは言ってたけど、こいしはどうされたら嬉しいんだろう。
あの子には笑ってほしかった。そばにいてあげたかった。1人じゃないよって、私が味方だよって言ってあげたかった。
こいしもそうだ。悲しそうなところを見るとどうしようもない気持ちがうずまく。1人で辛そうな顔をしないでほしい。何とかしてあげたい。それしか思いつかない。
思いつかない、本当に何も。もうこれだめじゃない? 私って考えるのあんまり向いてないのかなぁ。
「こいしっ」
「あ?」
「見て見てお饅頭。これあげる」
「あ、あぁ……」
私はこいしに無理やりお饅頭を押し付けると、部屋の隅っこに座り込んだ。
「お前、帰ったんじゃなかったの」
「え? 帰ってはいないよ、お饅頭を取りに行ってたの」
「いや、何で座るんだよ、帰れよ」
「ううん、ここにいる。片付けが終わるまで」
「は?」
「いるだけなんだからいいでしょー、邪魔しないし、手伝いもしないから」
「……早く戻れよ、いるだけで邪魔」
ばんっと激しい音がした。こいしがお盆を机に叩きつけたのだ。
「お前も、どうせ僕のことを気味悪いとか思ってんだろ」
「えぇ?」
「髪も目もこんな色で、自分でも変だってことくらい分かってる。同情のつもりなのか知らねぇけど、もう僕に関わるな。鬱陶しいよそういうの」
「別にそういう訳じゃないんだけど……」
親父様は傷つくことも沢山あったんだろうって言ってたっけ。大変だったり怖かったり煩わしかったりすることが今までにあって、だから人と関わるのが嫌なのかな。
「私はそんなにこいしの見た目は気にならないけど、言っても信じられないよな。頭の中身は取り出して見せられないもんな。うーん……」
前世人形の私からしてみれば個性なんてあってなんぼだし、私の仲間ではないけど、女児向けアニメのフィギィアのコーナーとかはすごかった。虹色に輝いてたもん。
「私、こいしと一緒にいたいだけなんだけど……」
こいしのことがもっと知りたい。一緒にいると楽しいし、いろんな発見がある。
色々弁解して説明しても信じてくれないだろうから、最終的に言えることはこれしかない。私としてはただ仲良くなりたいだけなのにな。難しいなぁ。
「…………」
また何やら言い返してくると思ったのに、こいしはただ黙って私の顔を凝視するとすぐに片付けに戻ってしまった。
あー、また無視だ。