プロローグ②
「……ひっ、ひっ、ひぐっ」
あの子が泣いてる。部屋で一人、枕を抱きしめて泣いてる。
慰めてあげたい。大丈夫だよって言って、そばで抱きしめてあげたい。でもできない。
笑ってほしいのに、私は何にもできない。いっつもそう。私はただ、見てるだけ。
私もあの子とおんなじになりたい。あの子を抱きしめられる腕がほしい。あの子の涙を拭える手がほしい。あのこに優しい言葉を紡げる喉がほしい。
*****
「……い、おい、起きろって」
「……っは!? うえっ? 何!?」
目覚めたら知らない場所でプチパニックになってしまった。そうだ、江戸時代ね。タイムスリップだっけ? もう次からは驚かない。
「あ、起こしてくれたんだ。ありがとー」
「……まぁ」
「優しいね」
男の子はふんと鼻を鳴らした。
「わしの前で居眠りとは良い度胸じゃな、小娘!」
「おじいさんだ!」
「おじいさんではない、親父様と呼べ!」
「しわしわで真っ白いひげのおじいさんだー!」
「親父様じゃ!」
がつんと頭に衝撃が走った。えっ、殴られたの!? まじで? 痛い!
私の前でふんぞり返ってるのは背の高い、細身だけど中身がぎっしり詰まったような厳ついおじいさんだった。目なんかギラギラしてる。漫画で見た妖怪みたい。
「わしはここ『灯篭屋』の楼主、讃岐満次郎じゃ! 親父様と呼ぶがよい。分かったか小僧、小娘!」
「はーい質問です!」
「許す!」
「楼主ってなんですか!」
「ここで一番偉い人間じゃ!」
「僕も質問。ここって何の店だよ」
「よくぞ聞いた! 今から説明する故待っておれ!」
元気なじいさんだ。いくつなんだ?
「ここは宴会場『灯篭屋』! 男も女も夢を見る夜の王国よ! 人は金をもってここに集い、たった一夜の夢を買う。それを提供するのが貴様らの仕事じゃ!」
「あ、なんか分かったかも。キャバクラみたいな……」
「きゃばくら? なんじゃ、南蛮語か? 教養があるのは良い!」
「ありがとう! えっと、つまりあれだろう? 遊郭とかそういう」
「黙らんか!」
「えぇっ」
「……ここだけの話、年々お上の締め付けが厳しくなっておってのぅ。ここは身売りなんぞやっとらん。あくまで宴会場じゃ。宿もあるが、そっちはあくまで宴会場のおまけじゃしのぅ」
「……大義名分ってやつか」
「そうじゃ。貴様ら賢いの。これは高く売れそうじゃな!」
おじいさん……じゃなくて親父様は目を細めて嬉しそうに笑った。
「金は良い。金は何にも勝る宝じゃ。何しろどんな宝も金で買えるんじゃからの。金で買えんものなんかないわい。貴様らも金がないからここへ来たんじゃろう」
「そうだよ。家が没落しちゃったんだ」
「ふむふむ。わしはここで貴様らに稼ぎ方を教える。稼ぐための手段も与える。だから貴様らは働いてわしにその恩を返す。ここはそういう仕組みで回っておる」
「なるほど」
「ここはガワは華やかじゃが、内側は人の情と欲で溢れかえっておる。歯を食いしばり、泥をすすってでも耐え抜く奴だけが生き残れる。どうじゃ、ここで働くか?」
「ここは」
今まで押し黙っていた男の子が急に口を開いた。
「ここはすごいか」
「無論じゃ。日の本最大とうたわれるこの裏町の見世の中でも随一よ。わしが手掛けた見世じゃからの」
「じゃあここで一番になったらすごいか」
「すごい! それはつまり日本一ということじゃ!」
「じゃあ、ここで働く。ここで一番になる」
「よい心がけじゃ! それで小娘、貴様はどうする」
「私もここで働く。頑張るよ!」
ここで溢れかえっているという情と欲にも興味があるし、何よりこの綺麗な男の子に私は心惹かれている。
ここへ来る前、平成の世で私はあの子になんにもしてあげられなかった。自由に動く体がなかったから。
今、気づけば私には体がある。だから今度は心が欲しい。
声を震わせて泣いていたあの子にかける言葉が知りたいのだ。
「前と同じことは繰り返さないぞー、私は進化する!」
「その向上心や良し! 貴様らは見込みがありそうじゃ、特別にわし自ら鍛えてやろう!」
「やったー」
「目指すからには花魁を目指せ! この見世の看板を背負って立つのじゃ!」
「そこは遊女のお姉さんたちと同じ呼び方なんだ」
「まぁ……客への伝わりやすさとか、色々あっての。花魁というと名前だけで派手で凄そうな感じが伝わるじゃろ。そういうのが大事なんじゃよ」
「なるほど、色々あるんだな
江戸時代にタイムスリップしたらついでに人間の体もゲットしてたんだもん。これは活用しなきゃ損だよね。
平成の私はただの人形で、1人で泣く私の持ち主だったあの子になにもしてあげられなかったからね。人形から人間に……なんだ? あ、もしかしてこれって輪廻転生みたいな? タイムスリップじゃなくてそっちか。転生には時間の概念とか全然関係がないらしい。
この人間の体を使って私はあの子の気持ちを理解するぞ! 頑張る!