プロローグ①
「それでね、何か偉い人たちの間で政治? みたいななにかがあったらしくて、本家の人たちがどんどん落ちぶれちゃって、その余波でうちもつぶれちゃったみたいなんだよね。没落ってやつかなー」
「……あっそう」
「最初のうちは使用人に暇を出したり家財を売ったりして頑張ってたし、お母様はお仕事まで始めたみたいなんだけど、やっぱりどうにもならなくて私がここに売られちゃったって訳。それでそれで? 君はどうしてここにいるの?」
「…………」
男の子は答えてくれなかった。
「灯篭屋」。そう呼ばれたお店に私は今いる。裏口から入ってすぐの土間みたいなところに座って、大人の人が来てくれるのを待ってる状態だ。
私はついさっき人買いに連れられてここまでやって来た。でも人買いはお金を受け取るなりさっさといなくなってしまって、私は置き去りだ。だから私より先にここにいた、私と同じ8歳くらいの男の子に話しかけてるんだけど、一向に色よい返事が返ってこない。
私は楽しくお喋りしたいだけなのにな。
あーあ、退屈だ。
男の子はハーフなのかまんま外国人なのか、金髪碧眼にミルクみたいな白い肌っていうきれいな見かけをしてる。目もぱっちり大きくてまさにお人形みたいだ。
でも全体的に薄汚れてるのはマイナスだな。お風呂に入れて隅々まできれいにしたら絶世の美少年なのに。
話しかけても無視されるから、一人で暇をつぶすよ、まったくもう。
あー、なんかこの建物、あの子がやってたゲームの絵に似てる。あれは確か江戸時代が時代背景として設定されてたんだったかな。
じゃあここもそうなのかな? 歩いてきた街並みは時代劇で見るみたいな和風の木造建築で、行き交う人はみんな着物。昔なんだろうなーってことは分かってたけどそうか、江戸時代か。
私が着てるのも着物だしね。真っ白な生地に金とか赤とかの派手な色で刺繍が入ったものだ。私の一張羅で、今朝お母様が着付けてくれた。
私の記憶ではさっきまで現代の日本であの子の家にいたはずなんだけどな。あれ、いや、出かけたんだっけ? 私確か、壁に……? だめだ、はっきりとは思い出せないや。
日本の、平成の世。それが私の生きていた時代のはずだけど、これは所謂タイムスリップとかいうやつなのかな?
もうあの子には会えないのかな。それはすごく嫌だな。
そんなことをもやもやと考えていたら、隣から押し殺したような途切れ途切れの声が聞こえた。
「…………っ」
男の子が泣いていた。
正面を睨みつけるようにして、拭うこともなく両目からはらはらと涙をこぼしていた。唇を強くかみしめて声を殺しているけど、肩が時々わずかに震えている。
私はその光景に目を奪われた。
心臓をぎゅうっと掴まれたような気持ちだ。息が苦しくて、目がそらせない。男の子はそれくらい、ほかの何にも比べようなく綺麗だった。
もっと見ていたいな。その綺麗な涙を見てそう思った。
「……何見てんだよ」
「あ、こすったらだめだ。目を傷める」
「うるさい」
男の子は私の視線に気が付くと乱暴に目元をごしごし拭う。せっかくの美少年顔が傷ついてしまう。それはダメだ。
「ほら、じっとしろ」
あいにく手ぬぐいのようなものは持っていなかったので、着物の袖で男の子の顔を拭いてあげた。
「着物が汚れるだろ、やめろ」
「別にいいよ。どうせこの着物を着ることはもうないだろうし」
「……せっかくの綺麗な着物が」
なぜか私より男の子のほうが残念そうにしていて、それが面白い。
「大丈夫だよ、もっと綺麗なもののために使うんだから」
「は?」
「ふふふ」
顔を拭いてやると男の子は急に大人しくなった。まだ瞳はうるんでるけど、私に見られながら泣くのは嫌らしい。じっと我慢しているみたいだ。
「面白い話してあげようか」
「……なに」
「そうだな、ゲームの話とか」
「げえむ?」
「そう。こんなにちっちゃい箱なんだけどすっごくたくさんの遊びができるんだ。花札とか将棋とかの単純なゲームはもちろん、空想のお話をまるで本当に体験するみたいに遊べるんだぞ」
「何の話だよ、それ」
「えっとねー、ずーっと先の未来に作られる最新の遊びの話」
「くだらな」
「くだらなくないよ。配管工になってお姫様を助けたり、モンスター……えっと、化け物? をこんなボールに入れて持ち運べるんだよ」
「……ふっ」
「あ、笑った」
「笑ってない」
「嘘だ、笑ったよ。何で嘘つくの」
「笑ってない、しつこい」
「嘘つくからでしょー、何で隠すの? 笑っちゃだめなの?」
「あーあーうるさいうるさい」
めんどくさそうにあしらわれるけど納得いかない。何で嘘つくの。
「ていうか何で笑ったの? まだ笑いどころじゃなかったんだけど……」
「お前の動きが馬鹿っぽかったから」
「えぇー、あ、笑ったの認めた!」
「お前しつこい……」
男の子ははっとして、口を開いたのを恥じ入るみたいにそっぽを向いた。それでまた無視だ。酷い。
……ゲームとか、やっぱり知らないんだなぁ。あの子くらいの歳の子はみんな持ってたのに。江戸時代にはそりゃあないよね、うん。
私、ここで生きてくのか。あの子もいないのに? 何のために? よく分からない。
ふぅ、と思わずため息が漏れる。
だめだだめだ、落ち込んだってなんにもならないんだし。
すると、私の着物の袖がきゅっと握られた。男の子がこっちを見ないままに私の着物を掴んでいる。
「あー、えへへ、ここに来るまでに大分歩いたから、疲れちゃった」
「……僕も」
「ちょっと眠ろうかなー。人が来たら教えてよ」
「…………」
返事はなかったけど横目で男の子がうなずいたのが分かった。私は体を丸めて、膝に顔をうずめる。
目を瞑るとさっきの鮮烈な光景が脳裏によみがえった。
音もなく、ただ頬を流れ落ちていく透明な涙。心の底がざわざわする。
私もあんな風になりたいな。
せっかくタイムスリップだか何だかしてこんなに綺麗な男の子に出会ったんだから、私もこの子みたいな心がほしいな。
私の意識はそこで途切れた。