8
こんにちは!
いつもありがとうございます。
よろしくお願いいたします。
「ミレイユさん、すみませんこちらにお願いします」
「はい、ライリー様」
ああ、可愛い、癒される……。
キラキラとした笑顔でお茶を置くミレイユさんをにこやかに眺めていたところで、彼女はひっと小さく悲鳴をあげた。
それを辿った先には、まるで魔王か何かの如く険しい顔をした主がいた。
ーーーーーーーーーー
あれから、私はさっそく行動に移した。
ナナリアにそれとなく、とにかく性格がよく出来れば気立てもいい子を紹介してもらい、それとなくエドアルド様と同室するよう仕向けた。
まずは、ナナリアに執務室に紅茶を運んでもらい「エドアルド様、彼女がナナリアです。とても淑やかで心優しく笑顔が素敵な私の自慢の友人です」とそれとなく紹介した。
ナナリアは顔をほのかに染めあげめてエドアルド様にぺこりと頭を下げた。
不自然でないように呼んだのだけれど、やはりエドアルド様の美貌は凶器らしい。
標準装備の麗しい無表情が顰めっ面になっていようとも、とっつきにくそうであろうとも、その美貌は損なわれることが無い。
まあ確かに、この美しい顔を目の前にして惚れない方が難しいだろう。
しかし、当のエドアルド様といえば、顰めっ面がどんどん険しくなり、眉間のシワが濃くなった。
ファーストコンタクトは失敗したらしい……。
この可愛いナナリアでダメだとは……難しい方である。
そしてもう一方のナナリアはというと。この朴念仁に、もしうっかり勘違いで惚れてしまえば可哀想である。
後でそれとなくフォローを入れておいたが、彼女はまた顔を赤くしていたので効果があったのかは分からない。
こっそり嘆息してから気を取り直し、使用人の中で素敵な女性はいないか、出来れば根性があって清廉で謙虚な人がいい、とナナリアに問えば、彼女は顔を真っ青にして死んだような目でぽそりぽそりと何名かの名を上げた。
勘づかれでもしたのだろうか、君は悪くないんだ、悪いのはあの鬼でくそ真面目なエドアルド様で……。
なんだか悪いことをしてしまった…。
せめてもの、償いに、と彼女には後日花を贈っておいた。
そうして、執務室の清掃やら、お茶の用意、やら、伝達やらと、それとなく女性をエドアルド様に引き合わせているが、彼のお眼鏡に叶う方は未だ現れない。
それどころか日増しどんどん険しくなる顔に、最初はキラキラとした笑みを携えてやってきた使用人達も、顔を真っ青にして逃げ帰ってしまう。
……これは相当に図太い女性でなければ彼の傍にいることに耐えられないかもしれない。
かくいう私もここまで不機嫌な主を見るのは初めてのことで、さすがにミレイユさんを最後に一時作戦を休止することにした。
「はぁ、上手くいかない」
エドアルド様に睨まれて半泣きで退出してしまった彼女を慰めて、もう、執務室に入るような仕事は頼まないから、と約束した後で、とぼとぼと廊下を歩く。
エドアルド様はいったいどんな女性が好みなのだ。
可愛い方から美しい方まで同性から見ても素晴らしい方ばかりだったでは無いか。
性格もそれとなく交流を持ったり評判を聞いたりして申し分なかったし、そりゃ一目で恋に落ちろなんて言わないけれど、最初からあの態度はいくらなんでも可愛そうである。
もっと、普通にするだけでいいのに……。
「はぁ…」
「ライリー」
肩を落としたところでオルガさんの声がしてゆっくりと振り返る。
「お、オルガさん、どうしたんですか!?」
オルガさんは物凄く顔色が悪くていつもピシャリと着こなしている執事服もなぜだかよれているように見えた。
……なんか、痩せた気がする…。
「なんでもありません。…待ちなさいライリー、医師は必要ありません。
私は君に話があります」
医師を呼びに行こうと踵を上げた途端に鋭い瞳が突き刺さる。
持ち上げかけた足を戻してそれから、「はい」と返事をした。
彼はどこか遠くを見るような顔をして、それからため息をついた。
絶対に、体調が悪いに違いない。
オルガさんに連れられたのは中庭の、なんだか暗いジメジメとしたところだった。
一向にエドアルド様の相手を見繕えない私についにお叱りが入るのかもしれない、と身構えていた時、がしり、と肩を掴まれた。
「っ」
顔色の悪いオルガさんがそれでも真剣な目付きで真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
「ライリー、単刀直入に言います」
「…は、はい」
「君は、余計なことをしなくていい」
………………………
……………………………
………………
「……………はい?」
たっぷり数十秒使ってどうにかそう声をあげた私にオルガさんは盛大にため息をついた。
「ええ…はい、分かっていましたよ悪気がないのは。君が良かれと思ってしていたということは……!」
あああ、と悲痛な叫びを上げて頭を抱えたオルガさんにぎょっとする。
どこか腹立たしそうにぶつぶつ呟く彼は未だ片腕で私の肩を掴んだままであるが、私はどうにか距離を取ろうと後ずさった。
「そもそも、君にエドアルド様の結婚を斡旋するよう頼んだ私が馬鹿でした。
はい、その通りですよ……ですが、君がまさかこんな手に出るとは思わないじゃないですか……!」
「え、えっと…オルガさ、ん?」
「とにかく!君は余計な気を回さず、今まで通りエドアルド様に真摯にお仕えしてください!変に女性との接触を持たせようとするのも禁止します。片時もエドアルド様のお傍を離れないこと!」
何やら必死の形相でそう言われた。
私は反射的に「はい!すみませんでした!」とわけもわからず返事をした。
「宜しい。
それから、無闇に使用人を口説いて回るのも止めてください」
「く?!口説…?」
今度こそ訳が分からなくて私は目を丸くした。そしてオルガさんはもう当たり前のように頭を抱えた。
「ええ、そうでしょうね…君としては、そんなつもり無いのでしょうね……。
まあ、兎にも角にも君は‘男性’であることを忘れないように。以前も注意したはずです。
妙な期待を持たせて勘違いさせてしまうのは良くありません」
「は、はい…」
なるほど、確かにここ最近は色々な女の子と接触し過ぎであったかもしれない。
長時間や、近い距離でないにしろ、交流を持ったのもまた事実。
あの時のエドアルド様のように勘違いを生むこともあるのかもしれない。
「申し訳、ございません…」
「いいですね、次はありません。ご存知の通りうちの主はミスには殊更厳しい方です」
「…はい、肝に銘じます」
宜しい。
そう仰ったオルガさんがふっと息を吐いて、それから再び神妙な顔でこちらを見据えた。
「それから、ライリー。
君はなぜ男の振りをしているのです?」
「…………え」
ぐっと引き結ばれた唇、探るような目、私は硬直した。
気が付かれていないと思っていた。
でも、オルガさんの口振りはまるで、知っていたかのようである。
騙した、と言われるのだろうか。そのつもりはなかったし悪気もなかったけれど、言い出さなかったのは私だ。
ああ、ようやく、その時が来たのかもしれない。
ここをついに追い出される日が。
色々あった、長い間。こんな私にエドアルド様もハインツ侯爵家の使用人の皆さんもとても優しかった。
本当によくしていただいた。
緊張でガチガチになりながら、謝罪と、暇乞いを切り出そうとするとオルガさんは目元を緩めてそれを遮った。
「ああ、誤解しないでくださいね。咎めているつもりはありません。
正直、私としては君が女性だろうと、男性だろうと真面目に誠実に、真心を込めて主に仕えてくれていればどうでもいいことです。」
「そ、それは勿論!」
エドアルド様は私の命の恩人だ。
彼がいなければ大袈裟でなく、私はここにいない。ここにいないどころかこの世にいない。
一生かかっても返せない恩があるし、彼のためであればなんでもする所存である。
それは今もいつでも、もしここを去っても変わることは無い。
「……ですが、諸事情により、貴方のことを調べさせていただく運びとなりました。
まあ、確かに男性にしては小柄だし線は細いし顔も中性的だと思ってはいましたが、そういう男性がいない訳でもないですしね、調べるまで私も気が付かなかったわけです。
幸いエドアルド様も貴方が男だということに疑いをもってはいませんし、特にそのことに関して気にした素振りもありませんでしたし、勤務態度も問題なかったので、別にどうでもよかったのです、今までは……」
1度言葉をくぎってまたため息をついたオルガさんに固まったままの私はごくりと唾を飲み込んだ。
「えっと…その……」
「私はエドアルド様に忠誠を誓っておりますが、ライリー、君のことも仲間であり、家族であると思っています。
何か隠している事情があるのだろう、と思い、主にはまだ伝えていません。
別にエドアルド様に頼まれて調べたわけでもありませんし…。
君はハインツ侯爵家に必要な人材です。
なにか訳があるなら、教えてくれませんか?」
本当に家族を見るような慈しむような目を向けられて私はうっかり涙が出そうなのを必死に飲み込んだ。
家族、と言ってくれたのはオルガさんが初めてである。
罪悪感と、なんだかあたたかいものがごちゃ混ぜになって込み上げてきて、それでも、私はどうにか頷いて、ぽつりぽつりと今までの経緯を吐き出した。
孤児になったきっかけ、昔、女だということで貴族を激昂させてしまったことがあること、恐らくはそのせいで知らない場所に捨てられたこと、そして、運良くエドアルド様に拾われたこと………
脈絡なく、すごく聞き辛い話だったろうそれにオルガさんは丁寧に相槌を打ち、静かに最後まで聞いてくれた。
話してみるとどこかすっとするものがある。
執事となってからは特に、女だとバレてはいけないと思っていた。
だって、男だと思われていたから今の居場所があるわけなのだ。
「………話は、分かりました。
では、君は特別エドアルド様に隠しておく理由は無いのですね。執事云々は別として」
「………はい」
きっと、あの真面目で不正を許せないエドアルド様はあの時の少年のように激昂して、私を追い出してしまうだろうけれど。
二度と顔も見たくない!と怒鳴られるかもしれない。
じくじくと痛む胸を無視して、何となく肩口で短く切りそろえた金髪に触れた。
「では、直接、君の口からそれをエドアルド様に打ち明けること。
そうですね……1週間以内に、必ずです。」
「…はい」
断ることは出来なかった。
自分で言った方がまだマシである。誰かから知らされるとなるとエドアルド様を酷く傷付けてしまうだろう。
せめて、せめて自分で打ち明けるのが5年も彼を騙していた私に出来る精一杯の誠意。
1週間……1週間か、それで私のこの生活はおしまいだ。
勤務が終わったら、荷物をまとめよう。
「話は終わりです。そんな顔をせずとも、大丈夫ですよ。悪いようにはなりませんし、エドアルド様にとってもその方がいいでしょうから」
少しばかり回復した顔色で、にこりと微笑んだオルガさんに胸が熱くなる。
こんな私を慰めてくださっている。
こんな情けない……。
彼のせっかくの慈悲を無駄にはできない。最後くらい悔いなく、私らしくいよう。
私は力強く、真っ直ぐに「はい」と返事をした。
オルガさんはそれを見て頷き、踵を返す。……と、途中で思い出したかのように振り返り口を開いた。
「ーーところでライリー。
君はアシュレイ・ダールトンという青年を知っていますか?
ダールトン辺境伯のご子息なのですが……」
「?いいえ、存じ上げません」
「そうですか、ならば良いのです。忘れてください」
聞いたことも無い名前である。
というか辺境伯様だなんて、私が知り合いなわけもない。
首を横に振ると、オルガさんは頷いて今度こそ去っていった。