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執務室にお茶を運ぶとエドアルド様がいた。
当然である。
けれどいつもと違ったのは麗しい無表情でもしかめっ面でも無いなんだか怖い顔でこちらを凝視していたから。
なにか、やらかしただろうか。
ずぅんとか、そこらへんの効果音を背負っていそうな顔にはやたらと悲壮感が浮かんで見える。
しかし、何も言葉を発しないエドアルド様にぎょっとしつつも、テキパキとお茶を入れてエドアルド様に差し出した。
まあ、なにかミスをしていたら絶対に直接物申してくる方である。
どうやらそうではないらしい。
近頃の求婚騒ぎで相当参っているのかもしれない。
「どうぞ。おつかれですか?ひどい顔色です」
「あ、ああ、いや……有難う。いただく」
俯きがちで、しかしこちらをじっと見つめる琥珀色の瞳を覗き込むと、ハッとしたように我に返ってカップに手をつけた。
なぜだか少し慌てた様子である。
「近頃、また増えましたもんね。エドアルド様大変ですね」
そう言って1歩下がるとエドアルド様はこちらをじーーっと見つめてきた。無言で。
いや、絶対に変だ。おかしい。
何か変なものでも食べたのか、それとも悪い病気にかかってでもいるのか………。
そういえば彼は近頃こめかみや眉間や、胸を抑えることが多い。
医師にもかかっているらしいし、もし、なにかご病気だったら……。
ぞわりと湧き上がる恐怖心に小さく首を振った。
「エドアルド様ご体調が優れませんか?」
「え、……いや、まあ」
かくしゃくとした彼にしては珍しく歯切れが悪い、これは本格的に危ないのかもしれない。
目元を引きしめてくるりと踵を返す。
「医師を呼んできます」
「は?!違う!やめろライリー」
「ですが、エドアルド様、貴方様になにかあれば…」
私は………。
彼は私の命の恩人である。そしてハインツ侯爵家を担う大切なお方である。そんな彼を亡くす訳にはいかないのだ。
彼の異変をいち早く察知し、危険を未然に防ぐのも専属執事である私の仕事だ。
「ーーー待て待て待て、行くな、落ち着け、ちょっと座れ」
「はい」
頭を抱えながらそういったエドアルド様にとりあえず素直に従う。
私が執務室のソファにかけたところで彼の琥珀色の瞳と真っ直ぐにかちあった。……かと思えば素早くそらされた。
……やっぱり変だ。
本当にどうしてしまったのか。
「ライリー、お前結婚はしないと、言っていたな」
「?はい、しません」
「……では、その、先程のメイドとは恋仲なのか?」
琥珀色の瞳が細まり眉間に皺がくっきり浮かんだ。どこか言いにくそうにそう言って驚くわたしの瞳からするりと目をそらす。
なんと。
オルガさんはどこにどんな誰の目があるか分からないと言っていたが、まさか、エドアルド様に見られていたとは。
彼からすれば男女である。
あの近さで接していればあるいは勘違いもやむ無し。
結婚しない、とは言ったけれどしかし、それを考えている仲と思われたらしい。
ああ、オルガさんの言っていたことはこういうことだ。
本当に気をつけなければならない。
特に今のエドアルド様はそういうことに敏感らしいから。
「いいえ、違います。彼女とはただの同輩で友人です。
オルガさんにも注意されたところでした。私はどうやら人との距離が近いらしくて…」
女性との、が入るけれどそれをいってしまったらアルフレド様と同じな気がして、かぶりを振った。
すごい嫌だ。あれとは違うはずである。
「……俺にはそうでも、ないようだが」
「え?」
ぱっと顔を上げるとどこかそわそわしたエドアルド様が目に入る。
麗しい無表情の中にくっきりしっかり眉間のシワは刻まれて不機嫌そうであるが、しかし心做しか顔が赤いような………。
まさか照れて………?いやいや、あのエドアルド様に限ってそんなことはありえないけれど。
「それは……主ですので」
「まあ……そうだが………」
貴方は男じゃないですか、と言いそうになってぐっと堪えた。彼からしたら同性である。
ナナリアとキャッキャはしゃぐ方が異常なはずだ。
………もしかして、エドアルド様は寂しかったのだろうか?
なんだか胸がぎゅっと掴まれたような気持ちになる。なんだこれ、なんだこれ、
なんかエドアルド様が可愛い。
いや、主に思うべきではないけれど、なんだろう、なんというか……拗ねた子供のような…。
胸の小さな痛みに思わず胸を抑える。
「おい!?」
「……いえ、すみません、なんでもないんです」
「本当か、どこか、苦しいのではないか」
「いえ、全然…全く問題ありません」
「そ、そうか?……それなら、いいのだが…」
沈黙。
突然訪れた沈黙に居心地が悪くなったのかエドアルド様はぐいっとお茶を飲み干した。
そんな仕草ですら気品高いのは何故だ。
ああ、そんなのもちろん、彼がやんごとなき生まれの御曹司だからだ。
なんだか意外な一面を見てしまった。この堅物ど真面目、愛想なしのエドアルド様に可愛いなどと思うことがあるとは思わなかったけれど、少し得した気分である。ほくほくと浮かれる気持ちを沈めて晴れ晴れとした気持ちで笑顔を向けた。
「心配なさらずとも大丈夫ですよ、エドアルド様。
貴方様の従者である私が貴方様より先に結婚するなど有り得ません」
満面の笑みでそういった言葉にエドアルド様は僅かに眉間のシワを緩ませた。
「そ、そうか」
機嫌が治ったらしいエドアルド様はうんうんと頷いて、泳がせていた瞳を落ち着かせた。
ぱちりと、琥珀色の瞳と視線があわさって殊更笑みを深くする。
こういう面を見せていけば普段とのギャップにやられて女性なんてイチコロだろう。
というか贔屓目なしでエドアルド様はいい男であるし(鬼だけど)、ハインツ侯爵家であるし、彼に落とせない女性なんていないのではないだろうか。
オルガさんはこの際、誰でもいい……と悲痛そうに嘆いていたし、好きな相手を見つけて口説けばそれで万事解決である。
わざわざ彼が嫌っているザ、ご令嬢みたいな面倒くさそ………煌びやかな方々をこの手紙の中から選ばずとも。
それこそナナリアみたいな子を。
ああ、そうか。彼には出会いの場がないのだ。
くそ真面目で仕事一徹みたいな節のある彼は多分出会おうともしてないし、恋愛に興味が無いだろうし、そもそも女性なぞ目に入っていない。
だから、とにかく、出会いの場を提供して、彼と女性を引き合せる必要があるのでは無いだろうか。
そうすればエドアルド様が好きそうな根性があって真面目で謙虚な女性ともいつか出会えるかもしれない。
そして、それはどう考えても、この、私の役目である。
エドアルド様の幸せの為に!そして、ハインツ侯爵家繁栄のためにーー!
まずはそれとなく使用人から始めてみようか。
うっかり、相手の子が勘違いしてしまっても可哀想だから本当にそれとなく、それとなく。
エドアルド様にも不審に思われないようにして……。
待っていてください、オルガさん!
貴方の心労は私が解決してみせましょう!
メラメラと燃える炎を内に秘め、こちらに向かう琥珀色の瞳に微笑む。
「ええ、ですから、エドアルド様お早く結婚してくださいね」
にこり。私はそう言って勢いよく立ち上がり、失礼致します、と礼をして執務室を出た。
私がそんな挑発的なことを言ったのに驚いたのだろう。
エドアルド様がまるで鳩が豆鉄砲を食らったかのようにぽかんとして固まっていてなんだか笑えた。
ああいう顔も、また珍しい。
ええ、でも、ご安心ください。エドアルド様、このライリー、貴方様のためなら、どこの、どんな素敵な女性であろうとも、捕獲してみせましょうーー!
仮令城のお姫様であろうとも!
私はメラメラと使命感に燃え滾っていた。