6
「ライリー、お前結婚するのか?」
「は?」
エドアルド様が戻ってきた。
ようやく戻ってきたかと思えば、気難しい顔をして訳の分からないことを言ってきたのだ。
驚きのあまり、私はうっかり、主に返すべきではない返答をしてしまい、慌てて「誰とですか、そんなわけがないでしょう」と答えた。
「そうか…。うむ、そうだよな、それならばいい」
うんうんと、いくらか和らいだ顔で頷くエドアルド様を不気味に思いながら、仕事の続きを促した。
この人は一体どこで何をしてきたのだろう。なにがどうしたらそんな事を聞くことになるのだ。
というか、私は女の子と結婚すると思われているのだろうか、それこそ誰と。
いや、男性と、と思われていても変な話ではあるのだけれど。
さすがに、あれだけ結婚結婚と言われてこれだけ求婚の文が届けば、実はなんやかんやといいつつもエドアルド様でも焦るのだろうか。
どこかで私が結婚するとかいう話を聞いて焦ったのだろうか。
確かに今までは他人事であっても、身近なものがそうなると焦る……という話を聞いたことがあるような無いような……。
変なエドアルド様は私の言葉に納得したらしく、いつもの麗しい無表情でちゃっちゃっと残り僅かな事務作業を片付けた。
私もどうでもいいお手紙には全て返事を代筆し終えたし、その他のお手紙も確認していただき、より分け適切な対応をした。
時刻は夕刻に迫っている。
そろそろ休憩を挟む頃か、と執務室を出てお茶の準備をしに1階へ。
この無駄に広すぎる屋敷も今ではもう勝手知ったる、である。
と、階段を降りてすぐ、調理室へ向かう途中で見つけたメイドのナナリアに声をかける。
彼女は花も綻ぶ愛らしい笑みで小首を傾けて「ライリー様」といった。
様付けはどうも慣れなくてこそばゆいので、やめて欲しいのだが、平民出というとなにかと角が立つこともあるようで私はエドアルド様の遠縁の家の出ということになっている。
そんなわけであるから、おいそれと軽率なことは言えない。
ナナリアは歳は私よりも3つしたの16歳。
どこかふわふわとした初々しい姿が微笑ましい女の子である。
のほほんとした彼女は私と同じ3年ほど前に屋敷にやってきたどちらかといえば新しい方のメイドで、実家は没落寸前の貴族らしくそれなりに苦労もしてきたらしい。
彼女には言えないが、なんだか他人には思えなくて、この屋敷で言えば同期であるしなにかと仲がいい。
同性では、恐らく初めての友人とよべる女性である。
「ナナリア、具合はどう?もう平気なのですか」
「ええ、ライリー様。もうすっかり。
その節は本当にありがとうございました。
ライリー様がいれてくださったハーブティーのおかげですわ」
「そう?それなら良かったです」
「ライリー様は、休憩ですか?」
「ええ、エドアルド様の執務がひと段落しましたので、お茶を入れに行くところです」
栗色の長い髪を丁寧に纏めた彼女のおでこにそっと手を伸ばす。
目線は同じくらいなので少しだけ踵を上げておでこに触れる。
彼女は数日前大変な高熱を出して寝込んでいた。
うつってしまってはいけない、とほかの使用人が手を出せなかったところで、私は丈夫だからと周囲を押し切って看病をしたのだ。
とはいっても仕事の合間だけだから大したことはしていない。
うん、なるほど。確かに熱はもうないらしい。
上目遣いでヘーゼル色の瞳を潤ませ微笑むナナリアはもう、天使のごとき可愛さである。
なんかいい匂いもするし、女の子っていいな、可愛いなと私は顔を綻ばせた。
エドアルド様もなんで結婚がそんなに嫌なのだろうか。
可愛くてナナリアのように良い子はごまんといるだろうに。
「……ごほん」
どこかから、わざとらしい咳払いが聞こえた。
ハッと顔を向けると、何やら難しい顔をした上司、オルガさんがこちらをじっとりと見つめている。
業務中に私語をしてしまったことを咎められるのかもしれない。
オルガさんは勤務さえきちんとしていれば、多少は見逃してくれる方ではあるけれど。
私が彼女を引き留めてしまったせいである。
「オルガさん、勤務中に失礼致しました。
私が彼女に声をかけました。申し訳ございません」
「……いえ、良いのです。次から気をつけるように。
そこの君早く仕事に戻りなさい」
「は、はい!失礼いたします!」
ナナリアがお辞儀をして慌てて去っていくとオルガさんはもう一度咳払いをして、件のじっとりとした目でこちらを見てきた。
「オルガさん、彼女は……」
「分かっています。構いません。しかし、女性との距離が適切では無いように思います。ライリー」
そう言われて、しばらく考えてから思い至る。
……それもそうだ。
私は男だと思われているのだから、私が同性と思って接しても向こうはそうは思わないだろう。
女性同士、と思って気軽に接してしまっていたけれど確かにそうである。
……なんてことだ。
どうやら私は初めてできた女の子の友達に浮かれていたらしい。
「……申し訳ございません」
もう一度謝ると「次からはくれぐれも、くれぐれも気をつけて。どこにどんな誰の目があるやも知れませんから」と強く念を押された。
確かにその通りである。次からは距離をきちんと適切にしよう。
当主の専属執事である自分が考え無しに接してしまえば下手したら彼女がなにか言いがかりをつけられるかもしれない。
それに、誰彼構わず女の子に声をかけてしまえば、傍から見てあのアルフレド様と同じではないか。
それはいやだ、勘弁して欲しい。
猛省である。
「分かれば良いのです。
ライリー、君は仕事が残っているのでは?」
「は!はい。オルガさんありがとうございます。では、失礼いたします」
オルガさんは物凄く疲れた顔でどうにか笑い、こめかみを抑えた。
頭痛でもするのだろうか。
あとで、頭痛に効くハーブティーを持っていこう。
オルガさんに倒れられたらこの屋敷はきっと回らなくなってしまう。
オルガさんはエドアルド様と同い年でありながら屋敷の使用人をまとめる存在で物凄く有能な方だ。
エドアルド様とは幼い頃から共に育ったらしく、エドアルド様からうける信頼も他とは段違いである。
きっと、腹を割って話せる親友のような家族のようなそれに違いない。
そのオルガさんは近頃なんだか様子がおかしい。
げっそりしている気もするし、とにかくなんかおかしい。
きっとエドアルド様がさっさと結婚しないから心労がたたっているのだろう。お可哀相に。
私を見つけるとなんとも言えない、なにか言いたげな顔で見つめてくるので、「分かっていますエドアルド様のご結婚ですね、任せてください」と笑い、目でそう言って返している。
エドアルド様を待たせていることをすっかり忘れていた私は大急ぎでお茶の支度をしに行った。
ここ数年は全くないけれど、あまり待たせると昔のように怒鳴られるかもしれない。
美形が怒るのは本当に迫力が凄くて参るから勘弁して欲しいのだ。
急いでその場をあとにした私は、2階からエドアルド様がものすごい形相でこちらを見ていることに全く気がついていなかった。
そのあとのオルガさんの深ーい溜息にも。