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 「初めまして、エドアルド・ハインツ侯爵様。ライリーと申します」



 エドアルド様の琥珀色の瞳が驚愕に見開かれている。

 ここに来るまで、私はエドアルド様にお会いするのが怖くて仕方なかった。失望したと、裏切られたと、落胆と嫌悪の目で見られるのではないだろうか。怒鳴られるのならまだいい。私はそうされるにふさわしく、長い間この主を欺いていたのだから。




 けれど、私の大好きなこの麗しい仏頂面が苦痛にゆがむのだけは我慢ならない。それが、とても恐ろしかった。



 荷物をいくつか抱えて屋敷の門の前に立ち、深呼吸したところで血相を変えたオルガさんが飛び出してきて正直、ぎょっとした。


 てっきり、にべもなく追い返されるのかと思っていたが、どうやら慌てて出迎えてくれたらしい。形容しがたい微妙な表情をしていた。濃いクマと焦燥の浮かぶ瞳と、なにやら高揚した頬は、ちょっと気持ちわ……滑稽であった 

 聞けば今しがた、パーシヴァル様の手紙が届いたとか。

 パーシヴァル様はなんと、紹介状を書いてくださっていたらしいのだ。


 本当に、なんてお優しい。どこか、姉のように思ってはいるがあの方には生涯、頭が上がらない。


「初めましてだと?」


 少しやせられてさらに精悍になられたエドアルド様の眉間にくっきりとしわが刻まれる。


 私は、彼に会いたい半面、彼に会うのが恐ろしかった。つい先ほどまで怖くて仕方がなかった。


 けれど、実際にあってしまえばそこに感じる感情はただ喜びだけだった。


 怒られようとも、怒鳴られようとも一向に構わない。彼をもし私が傷つけてしまったというなら、一生をかけて償おう。嬉しい、貴方に再び会えて嬉しい。また、その麗しい仏頂面を見れる日がこようとは。



 怖くて仕方がなくて、けれどそれよりも、ずっと会いたくて仕方がなくて……厚かましく帰ってきてしまったわけだけれど、本当に良かった。逃げなくて良かった。


 エドアルド様に会えただけで、本当に。


 目の前の訝しげに顔を固まらせたエドアルド様が眼を吊り上げる。もともと切れ長で、決していい目つきとは言えないそれが、さらにだ。

 なまじ顔が整いすぎてしまっているせいで、恐ろしい迫力にはなっているが、この顔は、怒り……というより、むしろ困惑の色が強い。


 かつて、これほどまでにエドアルド様を動揺させたことがあっただろうか。___いや少なくともきっと私にはない。


 とかなんとか思うと、この恐ろし気な顔さえ愛しく思えてしまう。いたずらに成功した子供みたいにどきどきと高鳴る胸をどうにか抑えて笑みを深めるとエドアルド様が綺麗な琥珀色の瞳を丸くした。



 ああ、エドアルド様、子供みたいだ、なんかかわいい。



 「おい、ライリー。……ライリー、だよな? 初めましてとは、いったい」


 「はい、私はライリーです。ただの、ライリー。死にかけの孤児でも貴方様の執事でもない、ただのライリーです」


 「ただ、の、ライリー……」


 満面の笑みでそういった私に、頭がいいはずのエドアルド様が混乱しきって険しい顔で、壊れた機械みたいになんとかオウム返しをした。


 私は、はい、と言って頷き、後ろのオルガさんはグズッと鼻をすすった。



 「ライリーが、なぜ、ここに……? ああ、最悪だ、とうとう幻覚まで見えるようになろうとは。医者にかかるべきかもしれん、ハインツ侯爵家はもう仕舞いだ」


 どこか自嘲のような笑みを浮かべてエドアルド様がなにやらぶつぶつとつぶやいているけれど上手く聞き取れなくった。けれど後ろでオルガさんが何故だか噴出していた。



 「エドアルド・ハインツ侯爵様、私は厚かましくも貴方にお願いがあってここに来ました」


 「……願いだと?」


 ふらりとうつろ気な琥珀色がこちらをまっすぐ射貫く。

 怒っているわけでもないのに冷たく光る切れ長の瞳。すべてを見透かすような自然と鋭い視線。どきりとして、胸がかすかに傷んだ。頬がほんのりと熱を帯びる。

 後ろから、オルガさんの視線をも感じながら、私はこぶしを握り、息を吸って口を開いた。



 「私は……。私は、三年間ファフナー伯爵夫人、パーシヴァル様の侍女としてお仕えさせていただきました。侍女としての能力はきちんと身に着けてまいりました。以前、貴方様をひどく傷つけた身ではありますが……、それでも再び貴方様にお仕えしたいと」


 「ちょっと待て、お前は本当にライリーなのか? 夢でも、幻でもなく?」


 「え、はい、も、もちろんです!」


 しまった、ついつい、力が入って一歩踏み出してしまった。

 エドアルドが困惑の表情のままのけぞる。


 「……パーシヴァル?」


 「確かに、昔のパーシヴァル様はひどく残ね……淑女らしくないところがあったというか、淑女らしくなかったかと思いますが、今のパーシヴァル様はいろいろなことを改められ、それはそれは……!」


 「わかった、わかった、から! おい、オルガ!」


 「はい、エドアルド様」



 私が熱く語っているところに制止をかけ、そして、オルガさんがエドアルド様に何かを投げてよこす。


 どうやら手紙のようなそれを乱雑に開け、文面を読み終わると、エドアルド様はぐしゃりとそれをつぶして、そしてまた眉間にしわを刻んだ。

 かつてないほどの険しい顔に、思わずごくりとのどがなった。

 オルガさんによると、パーシヴァル様からの紹介状らしかったのだけれど、なにかまずいことでも書いてあったのだろうか。


 サッと血の気が下りるが、けれど、私は決めたのだ。何があろうとも、エドアルド様のそばで、エドアルド様にお仕えしたいと。

 エドアルド様に正々堂々、素の自分でお仕えできるよう、侍女としての知識を学んだ。女でどう主にお仕えすべきか、学んで身に着けてきたつもりだ。

 

 今はもうあの時とは違い髪だって腰近くまで伸びたし、服はすべてが女子らしいスカートかワンピースだ。

 パーシヴァル様に教えていただいて少しだけ薄化粧も覚えたし、どこからどう見ても男には見えない。


 「あの! 私はエドアルド様が望まれた男子ではありません、貴方が必要としてくださった執事であることも今や叶いません。ですが、ですが、侍女か、メイドか……それが無理でしたら、洗濯でも、飯炊きでも、あ、庭の草むしりでも、薪割りでも! なんでもします! エドアルド様のおそばにいさせてほしいんです! あの、根性もありますし、図々しさも、頑丈さも、どこのご令嬢にも負けません! 貴方様のおそばにいられるのであれば、なんでも……」



 どんどん、みるみるうちにエドアルド様の眉間のしわが濃くなっていく。

 心なしか、お顔も怒りのせいだろうか赤いし。やっぱり、虫が良すぎただろうか。いくらパーシヴァル様がよくしてくださって、学ばせていただいたとしても、所詮は孤児の身だし……。もともと、侯爵家なんて高貴な方の、それもご当主にお仕えするなんてそんなこと……できるわけも……。


 「……っ、くく、これはこれは、また、っっ……熱烈ですね、」


 うつむいた視線のまま、後ろからオルガさんの声がする。

 あのやさしいオルガさんですら嗤っている、身の程知らずだとあざ笑っているのかも。だから、あんな変な顔をしていたのだろうか。あの真摯で優しいオルガさんにそう思わせるほど、私の行いは厚顔無恥極まりないことだったのだ。



 「ライリー」


 「……はい……」


 「なんでもするといったな?」


 「っ、はい!! 何でもします! 」


 「そうか。……だが、雇うことはできない」


 つい、ばっと顔を上げた先で、やはりエドアルド様は厳しい顔をしておられた。視線がそらされる。吊り上がった眼と、寄せられた眉、への字に曲がった唇と、それから、先ほどよりも赤さが増した顔。


 「……そう、ですか」


 もう、目すら合わせてはくれない。ここにきて、エドアルド様にお会いできて馬鹿みたいに浮かれていた自分が恥ずかしい。


 視線を落として、頭を下げようとしたところで、ごほん、と懐かしいオルガさんの咳払いが聞こえた。



 「……雇うことは、できないが……ライリー、お前、お、俺の妻にならないか」



 「…………へ、」


 「…………」


 「……………ぶっ!!」



 なにを、言われたのか。  


 思わず顔を上げて、目の前の険しい顔をした美男を凝視する。……つま? つま、といったのだろうか、あれ、つま、ってなんだったっけ。

 エドアルド様は真っ赤な顔を背けて口から顎の部分を片手で抑えている。


 固まったのち、きしみそうな首を何とか回してオルガさんを振り返ると、彼もまた、顔を真っ赤にして目に涙を浮かべて、そして_________笑いをこらえていた。



 「……」



 ぎぎぎ、首をもとの位置になんとか戻す。おそらく、私の顔も二人同様、真っ赤だろう。……多分、オルガさんのそれだけは意味が違うのだろうけれど。



 「……え、エドアルド様? もしかして、会う女性皆様にそう言っておられます?」


 「ば、!なにを馬鹿な! 俺をどこぞの頭のおかしい弟と一緒にするな!」


 「あはは、そう、ですよね」



 そりゃそうだ。私の知るエドアルド様はこういうことを軽々しく口にできるお方ではない。アルフレド様とは違うのだ。アルフレド様とは……。


 ………軽々しく、口にできる、お方では……な、い………。……という、ことは。


 ぼんっ。

 音がなるほど、顔に熱が集まった気がする。熱すぎて熱すぎて、頭がおかしくなりそうだ。……やばい、大変だ、顔が熱い、そして恥ずかしすぎて、エドアルド様の顔が直視できない。



 「……おい、ライリー、返事は」


 「あ、あの! えっと、」


 

 あわあわと下を向きながらまごまごしているところで、ばっと手を取られて、肩が跳ねた。


 視線を上げると、真っ赤な顔の麗しき仏頂面。綺麗な心を見透かすような琥珀色の瞳。つかまれている両手が燃えるように熱い。この熱は私のものなのか、それともエドアルド様のものなのだろうか。溶け合ってしまいそうなほどに、熱い。


 ……ああ、分かった、この恐ろしく、険しい顔は、照れ隠しの、それなのだ。



 



 「ライリー、俺と、結婚してほしい」





 「……返事は?」





 「……あのっ、はい、エドアルド様、喜んで!」





 満面の笑みを浮かべたところで、目じりに溜まっていたらしい、雫がはじけた。

 眼前の麗しき仏頂面が、その琥珀色を見開いて、それからゆるりと表情を緩める。





 私は、やはり、いつまでたっても、この仏頂面の彼に付き従ってしまうだろう。






 ……きっと、今度こそ、ずっと。







 【拾われ執事の隠し事   完  】














 

 






いつもありがとうございます。

ようやく、完結いたしました! 今まで応援、お付き合いくださった皆様本当にありがとうございます。


彼らは両想いになってからがおもしろそうなので余裕があれば、続きを書きたいですね……。(また言ってる)


完結に際して、ご感想、評価、ブクマ等頂けましたら、泣きわめいて喜びますので、ぜひお願いいたします。


では、また次のお話か、なにかの作品の続編でお会いできると嬉しいです!


本当に今まで、ありがとうございました!

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