33
エドアルド視点
「お、おおおおお坊ちゃま!!」
ノックもせずに執務室に飛び込んできた当家の自慢の執事であるはずの男に俺はため息をついた。
妙に上ずった声は連日のバカみたいな忙しさのせいか。優秀なはずであるこの男の醜態は実に珍しい。だから俺は誕生パーティーなど開かなくて良いといったのだ。なにも目出度いことなどないし、祝う気にも祝われる気にも到底なれはしない。
30にもなる男の誕生を祝うなんて馬鹿げたことがあるか?
「……だからお坊ちゃまはやめろと何度も」
「それどころではないのです!」
なに……?
主である俺の指摘どころではないなど、いったいどんな事態だというのか。
息をひそめた俺にオルガが青い顔で目を見張る。
この忙しいときにいったいなにが起こったというのだ。そういえばこの男がこれほどまでに取り乱すなどよほどのことである。
俺同様に、くっきりと濃いクマをこしらえた執事がごくりと生唾を呑み込む。
握りしめていたらしい一通の便せんを眼前に突き出した執事は目をかっぴらげて言った。
「ぱ、パーシヴァル嬢が、」
「燃やせ」
「………」
「………」
にべもなくぶつりと言い切ってやると、オルガは一瞬ぽかんと間抜けに口を開けて、それから焦ったようにこちらに一歩踏み込んできた。
「いえ!エドアルド様、あの」
「燃やせ」
あの女にはいい思い出が一つたりとも無い。
ライリーが出て行ったのがあいつがやってきた日だったとかいうのは、もう完全に逆恨みだと理解しているが、そんなことを抜きにしてもあの女を好きになれる要素がない。
迷惑なら多大にかけられてきたが、関わっていいことなど一つも、一つたりともなかった。
あの一件以来、数年音沙汰がなかったというのに、いまさらいったい何の用だ。聞けばどこかの伯爵の後妻になったとかならないとか。心の底からどうでもいい。
俺があれにうんざりしていることなど百も承知だろうにこの執事も執事である。
爺の介護に飽きた愛人探しか、パーティーに乱入する気かは知らないが、あれの面倒ごとに巻き込まれるのは本当にうんざりだ。
「どうか、話をっ」
「聞かん。さっさとそれを燃やして仕事に戻れ、やることが山積みだ」
「ちょ、!!待っ、らい」
青い顔のオルガを追い立てて扉を思い切り閉めた。なにか叫んでいるオルガを遮るように鍵をかけてさっさと机に戻り頭を抱える。
「……はあ」
仕事が忙しい。それは別に一向に構わない。
むしろ忙しい方が無駄にいろいろなことを考えずに済むから楽だ。
けれど、不意に、こうして集中力が途切れてしまうとどうしても考えてしまうのだ。
彼女は今どこでどうしているのだろう。
幸せに暮らしているだろうか。あの花が咲いたような無邪気な笑みを誰に向けているのか。
誰の名を呼び、どんな顔で、なにをして過ごしているのだろうか。
俺が、彼女の幸せを奪ってしまったのではないだろうか。もし、あの時俺が彼女を拾って帰らなければ、彼女は女性として、ふさわしい幸せをつかめたのかもしれないのに。
俺なんかがもう関わるべきではないことくらいわかっている。
俺が縛っていいわけもない。もし、あの辺境伯の末息子に手放してやれと言われず、もし、もしあの後ライリーを見つけてしまっていたなら、きっと俺は二度と彼女を手放してやれなかっただろう。
彼女が嫌がろうとも、外に出たがっても、俺は彼女を手放す自信がなかった。
……はは、まるで、子供の癇癪だ。
だからこれでよかった、これが最善で、こうするべきだったのだ。
その証拠に、俺は何年たとうとも、彼女を忘れられないし、あさましくも彼女を欲しているのだ。言葉に出すのは恐ろしくて仕方がないが、本当は会いたい。会いたくて仕方がない。あの底抜けの笑顔をこの手に、俺だけのものにできたなら…。
はは、……こんな醜い男に彼女がとらわれずによかったじゃないか。
「……はあ、くそっ」
願わくば、彼女が笑って暮らしている未来を……。
コンコンコン、控えめなノックがして、思わず机にこぶしを打ち付けてしまった。拍子に書類やらなんやらがひらりと舞って、舌打ちをしそうになる。
完全なる八つ当たりだ。扉の前にいるだろうオルガの息をのむかすかな気配がする。今度は一体なんだ。
性懲りもなくどうでもいいあの女の話なんかされたときには本当に切れそうだ。
まあ、あいつはそんなに馬鹿でないが、疲れているのは確かだ。そうでなきゃあんなどうでもいい報告など上げては来ないだろうからな。
煩わしい誕生パーティーが終わった暁には、十分な休息を与えてやるべきだろう。
ため息をついて、重い足取りで扉に向かい、鍵を開け、そして扉を開けた。
「今度はなんだ? まさかまたあの女のことじゃないだろうな、オルガ……」
クマの浮かぶ顔を妙に浮つかせ、努めて口を引き結ぶオルガの変な顔を見て眉をしかめた後、彼の影に隠れるような人影に気が付く。
身長差のせいで、金色の丸い頭が一望できる。
見覚えのある、陽だまりのように見事な金髪。
「……っっ、」
____いや、そんなわけがない。そんなはずがない。___ありえない。
ぽかん、と間抜けに開いていただろう口から、情けない端息だけが漏れる。
一呼吸遅れて、指先が病のようにわなわなと震え始めた。目を見開きすぎてヒリヒリと痛むほどだが、まあどうだっていい。
いや、___いやいや、ははっ、ばかか、そんなわけが……。
瞳にうっすら幕を張ったオルガの体が斜めを向きそっと捌ける。信じられない。なんて都合のいい夢だ。こんなことはありえない。
……けれど、けれど、確かに、後ろの人物は、俺の動揺をよそに記憶の中で幾度となく再生し続けた満面の笑みを浮かべた。
ゆっくりと、そのピンク色の小さな唇が言葉を紡ぐ。
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