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「ライリー、本当にこれでよかったの?」
いつもは自信にみちみちとあふれているブルーの瞳がゆらゆらと揺れている。
昔のようなド派手で胸元を強調しまくった服は数年前にやめた彼女が、やや落ち着いた、けれどどこか色気のあるロイヤルブルーのドレスを持ち上げた。
私は、いつの日か侯爵家のお屋敷を出た時とは違い両手いっぱいの荷物を持って、エントランスの階段を下りる。
不安そうについてくるこのご令嬢が、私の身をこれほどまでに案じてくれる未来があるなんて、あの残念な初対面からは想像もしなかった。
「ええ、もちろん。パーシヴァル様には感謝が尽きません」
「けれど……彼は気難しいし、頑固だし……貴女を傷つけるかもしれないわ」
ここ数日、再三にわたって説得したことであるが、彼女は未だ納得していないらしい。彼女のこの異常な程の不安感を見るに、数年前のあの一件はかなり堪えたのだろう。……私ももし好きな人にあんなことを言われたらトラウマになると思う。
心配性の姉かなにかか、のような艶やかな金髪の麗人に私は思い切り笑った。
「大丈夫ですよ、パーシヴァル様。私は丈夫ですから」
パーシヴァル様は目をしばたかせて、それから、眉を吊り上げた。
「そういうことじゃないのよ! 貴女は女の子なんだからもっと自分を大事になさい!」
「分かってますよ」
本当かしら? ぷんぷんと憤る美形は相当な迫力であるが慣れたものだ。よくも悪くも彼女は情熱的で感情的だ。
私は孤児で、平民で、そして幸運で丈夫だ。体もそうだし、平民らしく図太い自覚もある。
それに、もう“女の子”とか言われる年でもない。もう、22歳。十分に行き遅れだ。
ちらりと、後方に待つ馬車と御者を見やった。
「そろそろ行かないと……」
「……ライリー、なにかあったら、すぐに帰ってきて。ここはもうあなたの家よ」
荷物を持ち直した手にパーシヴァル様が触れる。
左手の薬指にはキラキラと輝く指輪。彼女の優しい旦那様が贈ったものだ。
三年前、この伯爵家に嫁いだ彼女は、はじめ、自分より20も上の伯爵にさぞかし不満そうであったが今では恥ずかしくなるほど相思相愛である。
あの王都での一件の後、きっかし三か月後にやってきた彼女は言った。
「私の侍女におなりなさい」と。
どうやら、酔いつぶれた原因は恋人に振られたことだけでなく、歳の離れた伯爵家に嫁ぐことが決まったのもあったらしい。
いやすぎてその恋人と駆け落ちすら考えていたらしいから。
私刑に処されると恐々としていた私はあれよあれよとオルティマン家に運ばれてそして、彼女の侍女になった。
古参のメイドに苛め抜かれるわ、侍女としてのスキルは皆無だわ、パーシヴァル様はとんでもない我儘オヒメサマで世間知らずだわ、それはそれはいろいろなことがあった。ありすぎて時がたつのが一瞬だった。
パーシヴァル様は、変わった。それはもう、劇的に。
使用人の身でありながら、侍女としてぶつかりまくり、喧嘩しまくった馬鹿な私が彼女を変えたなどとおこがましいことは言えないけれど、でも確実にパーシヴァル様は変わった。成長されたといった方がいいのか、まあ前が酷すぎたんだけど。
彼女はとても素敵なレディである。私の自慢の主であり、それでいて姉のような。
今の彼女であれば、私はエドアルド様に勧められていただろうか? _____そうかもしれない。
けれど、きっと、祝福はできなかった。今も昔も私は狭量で我儘だ。
パーシヴァル様のように、私はなにか変われただろうか?
「パーシヴァル様、本当にありがとうございます」
「それは、わたくしのセリフよ。貴方がいなければわたくしはこの幸せをつかんでいなかったわ」
「いいえ、パーシヴァル様がご自分でつかんだ幸せですよ」
私が微笑むと彼女は青の瞳に涙をいっぱいにためた。
彼女は努力した、本当に。一番そばで見ていたのだから、痛いほどわかる。パーシヴァル様は素敵な方だ。
「……ライリー、お礼を言うのはわたくしの方。ありがとう。今度は貴女が幸せになる番よ」
パーシヴァル様が微笑む。美しい笑顔に見惚れて、自分の目から涙がこぼれたことに気がつかなかった。
荷物を置いて、手で拭って、それから笑った。
「では、お世話になりました。行ってきます、どうかお元気で」
「貴女こそ。いつでも戻っていらっしゃい」
私はその日三年の年月を過ごしたパーシヴァル様のおそばを離れた。
貴族のそばを離れるのはこれで三度目だ。
けれど、それは初めて自分の意志でしたことで、そして初めて、祝福され見送られた別れだった。
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