31
オルガ視点
「なあ、オルガ。男は30まで童貞だと妖精になるらしいぜ」
「へえ、そうなんですか」
紅茶を淹れる脇でだらつきながら頬杖をつくハインツ家の次男が言った。この男は数日前にふらりと帰ってきたかと思ったらなにをするでもなく居座っている。
理由を聞くとなにやら青い顔で視線を泳がせまくるので、ああ……と察した。
この顔は女性絡みでなにかやらかして厄介ごとに巻き込まれているときの顔である。
だてに生まれたころからこの男を見ていない、というかもう馬鹿な弟を見るようなそれである。
暇を持て余しているのか、また馬鹿なことを言い出したな、と視線すら向けずに適当に相槌を打った。というか、だからといって、なぜ、私の仕事場にいるのだ。
「でさー、兄貴ってもうそろそろ30じゃん?」
「ええ、そうですね」
そうなのだ。
我がハインツ侯爵家における大事件。
ライリーの失踪からすでに3年の年月が経っていた。王都にまで足をのばしライリーを探しに行った主は、覇気の消えた顔で帰ってきたかと思うと「もういい」とそれだけ言った。
とても、「もういい」顔ではなかったから、私は食い下がったが、主は首を横に振るばかり。
数日たって、なにごともなかったかのように振る舞う主は、一見していつも通りの無表情であったが、私の目にはそれが本当に心を失ったかのように見えてとても痛々しかった。
エドアルド様はもとより、あまり感情を表に出す方ではなかったから気づかれにくいかもしれないが、彼の瞳は光を失い、逃げるように仕事に打ち込んだ。
おかげで領地は豊かになり民の暮らしぶりは明るくなったが、ただ、一つだけ彼の心だけが晴れない。
暗く閉ざされたままだ。
その間、さすがに数回見合いもしていただいたが、主のお眼鏡にかなうものはなく、それどころか、にこりともしない主にご令嬢が怯える始末。
あの小さな執事であれば、こういうときもうまくフォローできたのかもしれないが……。
「俺がかかわってはライリーが幸せになれない」と言って、何があったのか、捜索を一切打ち切ってしまった主の代わりに、1年後王都をこっそり探してはみたが手掛かりは何もなかった。
まるで痕跡をなにかに根こそぎ消されたようだ、と思った。
万が一、ライリーがいつ帰ってきてもいいように、と使用人には彼女の出自、経歴、それと性別を話したが驚きこそすれ、彼女を否定するものはいなかった。
男であれ女であれ、彼女の努力と、彼女のしてきた仕事と、そして人柄は受け入れられていたのだ。
______もちろん、この私だって認めている。
エドアルド様も、もういい、と言いながら、あれ以来一度も専属の従者をつけたことはなかった。
「____でさ、聞いてる? オルガ」
「はいはい、聞いてますよ。貴方が妖精だとかそんな話でしたね、アルフレド様」
「おいおい!! そんなわけないだろ! 冗談はやめてくれ、」
ああ、しまった。私としたことが全く話を聞いていなかった。
確か妖精がどうのこうの……またいつもの。なんだかよくわからない話だったか。
この我がハインツ侯爵家の馬k……。ごほん、弟の方さえせめて結婚して落ち着いてくれれば私の悩みの一つも解決するというのに。
エドアルド様はエドアルド様で見た目通り、恐ろしく頑固だし……。遅すぎる初恋を引きずっているせいで大分、こじらせているし。……はあ。
「いやさ、別に俺もそんな馬鹿な迷信信じちゃいねーけどさー」
今日も又、届いた大量の手紙を仕分ける。
近頃じゃ、エドアルド様の誕生パーティーをする、しないでだいぶ揉めたが、どうにかする方向に話を向けられた。
大貴族、ハインツ侯爵家たるもの、会を開くのも、威厳を示すのも、社交をするのも大切な業務の一つである。
そんなわけで、媚を売るために平素よりもさらに届く手紙の仕分けに大わらわである。それなのに、この男と言ったら……。
「兄貴って経験あるのかな……」
あの大まじめの、堅物潔癖こじらせ男子が。
アルフレド様がぽつりと言った。
「……知りませんよ。ご自分でお聞きになられたらいいかと」
「やだよ、殺されるわ!」
まあ、私も一瞬考えてしまいましたけど……。
……なぞすぎる。……いや、うん、違う、そんなものどうだっていい。
とにかく、我がハインツ侯爵家は今、とても忙しい。
よし、集中。
大量の手紙に目を戻したところで、この3年間見なかった名前を見つけて、私はわずかに目を見開いた。
エドアルド様が手ひどく追い払って以来、さすがに音沙汰の無くなった些か懐かしい名前。
最近では悪名は落ち着き、とある初老の伯爵の元へ後妻として嫁いだらしい伯爵令嬢。
今更、いったい何の用だと、また面倒なことを持ち込むつもりかと、うんざりしつつも一応封を切る。
「兄貴、妖精になるのかなー、そもそも兄貴がデートとかさえ想像つかな、……って、オルガ? どうした? 目、飛び出そうだぞ?」
そして、私は驚きのあまり手の震えを抑えることができなかった。
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