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「はぁ……」
ここは一体どこなんだろう。
持ち物はなし、食べ物もなし、もちろんお金もない。
突然見知らぬ男達に連れられたここは、いったい。
果てしなく広がる草むらとけもの道のようなものがあるだけ。
もしかしたら、女ということを秘匿にしていた私をセレス様が処分したかったのかもしれない。
騙し続けていた罰なのかも。
……そんなつもりはまったくなかったけれど、結果的にそうなってしまっていたのだから仕方がない。
私はひたすら途方に暮れていた。
刻は夕刻。
遠くにオレンジ色に輝き山間に傾く日が見える。
かなり遠くに連れてこられたのだろう。
それなりに栄えていた街とは大違いの風景。人の気配もない。
このまま、夜になり獣に食われて私は人生を終えるのだろうか。
きっとそうだ。
今まではなにかと運があって生きてこられたけれど、そもそも何も持たない孤児がここまで生きてこれたことの方が珍しい。
仕方がない。
もう一度ため息をついて、路地でそうだったように地面に目を向けた。
かわいてひび割れた土に、雑草が逞しく根を張っている。
ああ、なんて強いんだろう。こんなに小さいのに。
そんなことを呑気に考えていると遠くから地鳴りのような音がした。
地面に直接腰を下ろしているせいで振動がやけに骨に響く。
のろのろと顔を上げると馬に跨った人がこちらにかけてくるところだった。
実直気な黒髪の男だった。同じく黒毛の凛々しい馬と風のように駆ける。
遠目でも、パッと見でも整った身なりに、ああまた貴族か、と辟易した。
ふ、と私の前をとおりすぎる瞬間その男の琥珀色の瞳がこちらを見ていた気がした。
一瞬、目が合ったような気がしないでもない。
………そんなわけないか。
そうであったとして、なんだというのだ。
せいぜいよくある、浮浪者か孤児か、そう思われるだけだ。
お貴族様にとっては私の存在など虫とおなじ、気にするべくもない。
「……セレス様は本当に変なやつだ」
そう、気にするのなんてあの少年くらいである。
彼は恐らく私の境遇や生い立ちを自分なりに想像して同情したのだ。
よくある、どこにでもいる、孤児の私をたまたま。
もしかしたら綺麗なところに住む彼は私のような存在に初めてあったのかもしれない。
まあ、それももう関係の無いことだ。
草むらにごろりと横になって目を閉じた。
風が気持ちいい。
こうやって何かの糧になって死ぬのも悪くないかもしれない。
少なくとも、両親や兄のように人様に迷惑をかけるだけかけてどうにもならなくなって、逃げるように自害するのよりはマシだ。
目を閉じると、また遠くから馬の駆ける音が聞こえる。
なんだ、また貴族様か。
もしかしたらここは街と街の間の流通道的なところなのかもしれない。
まあ、どうせこうして寝転がっていれば背の高い草に隠れて見えはしないだろう。
気にする必要も無い。
「おい、お前」
「………」
「…おい」
なんだか懐かしいやり取りだった。
そういえばはじめのころ、セレス様はこんなんだった。
まあ、セレス様とは似ても似つかない低くて落ち着いた大人の声であるけれど。
「………私ですか」
「当然だ。他に誰がいる」
「…こんにちは、貴族様」
本当にセレス様と出会った頃のようで懐かしくて、私は気がついたらそう言って微笑んでいた。
まあ、髪はざんばらで顔は汚れているだろうし、服ももう見れたものでは無いだろうから、ひどい有様だとは思うけれど。
この貴族様は背が高い。
馬から降りて黒のフロックコートをはためかせてこちらを見下ろしている。
黒の真っ直ぐな髪に琥珀色のガラスのような瞳。
整った顔立ちと、品のある身なりはいかにも、貴族様って感じである。
彼は琥珀色の瞳を少し見張って、それでも顔色を変えずに私にこう言った。
「お前、孤児か」
「はい」
「じきに日が暮れる。死ぬぞ」
「はい」
またお貴族様特有の気まぐれだ。
というかわざわざ戻ってきたのか。暇なのかな。
施してやる、とでも言うつもりか。それはそれは、さすが。どうでもいいから私を巻き込まないで欲しい。ほうって置いて欲しい。
「字の読み書きはできるか」
「……?」
は?と言いそうだった。
そんな事を聞かれるとは思わなかった。
なんて答えるべきか少し目を泳がせる。
「おい、出来るのか」
「……ええ、まあ。一通りは」
「よし。計算はどうだ」
「は?」
ついにそう言ってしまった。
何を言っているのだろうかこの貴族は。
普通に考えてその辺に転がる平民にそんなことが出来ると思うものだろうか。
私はたまたま、もともとが一応は貴族の家で、仕事をするのに必要だったから、当時はまだ居た使用人に教えを乞うて覚えただけだ。
まあ、そのおかげで生きてこられたのだけれど。
「どうなんだ」
「……まあ、それなりに」
「よし、根性はあるか」
「はぁ?」
「あるだろう……あるな。神経も図太そうだし」
なんだか物凄く失礼なことを言われた気がする。
否定はしないけれど、ていうかなんなんだ。
そんな事を考えていたらひょい、とまるで荷でも持つように肩に担ぎ上げられた。
「ちょっ…!」
「痩せすぎだな、まあ、体力はどうとでもなる」
そのまま馬に乗せられ後ろから貴族が乗ってきた。
「捕まっておけ、落ちるぞ」
それだけいって馬は走り出した。
馬に乗るのは初めての経験で私は柄にもなく恐怖に固まっていた。
お尻が痛いし息がしづらいし、なにより背中にいるこの変な貴族が不気味である。
走り続けて一刻ほどだろうか?
もっと長く感じた。永遠にすら感じる時だった。
乱雑に降ろされたそこで目に入ったのはそれはそれは巨大で荘厳な屋敷だった。
「お前は俺が引き取る。
本日よりここが、お前の家だ」
「………はい?」
「家は慢性的な人手不足でな。お前を雇うことにした。名はなんという」
「ら、ライリーと申します、お貴族様」
半ば呆気に取られながらどうにかそういった。
なんかもう、めくるめく急展開に失神しそうである。
私は神の加護でも受けているのか。
訳が分からないが、とりあえずあの草むらで獣の餌になる未来は逃れたらしい。
「そうか、ライリー。
俺はエドアルド・ハインツ。ハインツ侯爵家の、当主である」
卒倒しそうだった。
目がとび出るほどの衝撃に私は後ずさった。
かつて末端のど田舎の貴族であった私ですら知っているほどの名門貴族。
ハインツ侯爵。
「その顔、自分がどこにいたのか知らなかったのか?ここは俺の持つ領地のひとつ。スーシェルの領主邸だ。
現在この屋敷には執事と料理人と元侍女の老婆しかいない。
お前にはここで暫く働いてもらう」
いいな?
そう問われ私は反射的にこくこくと頷いていた。
良いわけもないし、なにがなんだかよく分からないけれど。
それしか選択肢がなかった。
こうして、私は14の時エドアルド様に拾われた。