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私の髪は、残念ながらふくらみの乏しい胸に届くか、届かないか、くらいにまで伸びた。
季節はもうすっかり冬だ。私は不器用なりに髪を編むことを覚えて、最近は後ろでひとつに編むのが気に入っている。
常連のレベッカさんが編んでいると早く伸びると教えてくれたし、雑貨屋で綺麗な黒のレースリボンを買った。
「黒? 地味だね、あんたにはもっと、オレンジとか……ああ、そうだ、せっかく綺麗な金髪なんだから、ほら、このブルーがいい」
「ありがとうございます。でもいいんです。黒、好きなんで」
雑貨屋のお姉さんにそういうと、彼女は首を傾けて、それから合点がいったように、ニンマリ笑った。
「……ははーん? なるほどね、好きな人の色なのかい? そりゃ、余計なことを言ったね」
「はい、実はそうなんです」
「幸せな男だねー、こんなかわいい子に、そんなに思われて」
「……いいえ、それはないです。でもありがとうございました」
謙遜しなくても、というお姉さんに、笑顔だけ返して店を去ったけれど、謙遜とかそういうことではなく、ただ、事実、エドアルド様が私に思われたところで嬉しいわけがないのだ。
気持ちを伝える気なんてないから、このくらい許してくれないだろうか。……未練がましいかな。いや、でも絶対に黒がいいと思ってしまったんだ。……アルフレド様と勘違いされたら、本気で嫌だけど、彼とはあの日以来一度も会っていないし。噂だけなら、物凄い聞くけど。
そんなわけで、今日も今日とて、私は髪をそれで結ってパン屋さんで働いていた。
ここ十日、おなかの大きくなったマリアンヌさんの姿はない。なぜなら、数日前に彼女は元気なかわいい女の子を出産したから。
二階にある居住スペースで目下、子育て中である。名前はティア。ものすごくかわいい。かわいすぎて、触れるときは毎回、手の震えが止まらない。あれが、天使か、なるほど。
生まれて以来、ジェフさんの過保護は物凄く跳ね上がり、そのおかげで、マリアンヌさんは店に出れなくなった。当然だ。絶対にそっちの方がいいと思う。子育てに集中してほしい。嫌になるくらいのいっぱいの愛情で育ててほしい。いなくなったマリアンヌさんの分まで、私が頑張ると熱弁したのは、私自身だし。
ということで、最近はとてつもなく忙しいのだ。
「ふうーー」
たまに聞こえてくるティアの泣き声にほほえましく思いながら、なんとか今日も仕事を終え、あの裏路地に借りている部屋にたどり着いたとき、もうすっかり日は落ちていた。
くたくたで歩いていると、闇の中になにかがうずくまっている。
物凄い存在感だ。警戒しつつ恐る恐る近づくと、それはどうやら人らしかった。
「……それにしても……」
派手だ。
この治安の悪い九番街に人がころがっているのなんてしょっちゅうだ。
まあ、たいがいは、ぼろぼろの身なりの人か、酔っぱらった荒くれとか、そんなだけれど。
なんていうか、この服。貴族にしては抑えてあるが、なんていうんだろう……貴族ががんばって地味にしたような。
生地はどうみてもその辺の店で平民が買えるようなものではないし。隙間から見える豊かな金髪は私と比べるのがおこがましいほどにツヤツヤで、鮮やかだ。
異様なそれに町の人が怯えている。
「……はあ、あの、すみません」
話しかけた私に驚いたのか、遠巻きに見ていた人たちが退散していく。そりゃあそうだ、こんな厄介者と書いてあるようなやつにかかわって巻き込まれるのはごめんだろう。
それは、もちろん私だってそうだが、私の借りている部屋の建物の目の前に落ちているんだもの。
とりあえず、どいてもらおう。
「あの! 聞こえますかー!」
動かないそれに顔を近づけて叫んでみる。背中(多分)が上下しているから死体ではないはず。____うわ、酒くさっっ。気分が悪いのかとも思ったけれど、なんだ酔っ払いか。
ぴくりと、頭(多分)が動く。まったく、こんなところで寝ないでほしいものだ。
「ちょっと!どーいーて、くーれーまーすー?」
「なぁによ、あんた誰に向かって、口きいてると、思ってぇんのよォ」
ああ、めんどくさそうなタイプだ。さっさとどかして部屋に逃げ込もう。
______というか、どこかで聞いたような声だった気がしないでもないけど。……いや、気のせい気のせい。知り合いなわけがない。
貴族の知り合いなんてそんなにいないし、それこそ、こんなところで会うわけもなし。
ゆっくりと、頭が持ち上がり、体が持ち上がった。
拍子にばさりと濃い金髪が揺れる。強烈な香水と酒の混じった香り。うっと息をつめたところで、化粧の崩れた顔がこちらを向いた。
宝石のようなブルーの瞳が私を捉える。
「……え」
「あ」
派手な美人。厚めの唇に貴族らしく自信に満ちた相貌。明るい金髪と、ブルーの瞳。……いやいやいや、酔ってるし、気づかれない気づかれない。ほら、夜だし、それに、一回しかあったことないし、あの時、ほら、男としてだったし……。
「……じゃ、私はこれで」
背中に流れる汗。ブルーの瞳が見開かれた気がした。……いや、まさか、ははは。さっと逸らした顔をかばって、素早く腰を上げた。
「ああああ!あんたっ」
まずい、すんでのところでスカートのすそをつかまれた。いやいや、なんで、なんで、何の冗談ですかこれ!
スカートを奪うべく引っ張る。くそ、この人!お嬢様のくせに、なんて力なんだ!
「エドアルド様のとこのぉぉーー!!ぅぅヴうぇぇぇぇえええ」
「うわーーーー!!!最悪だーー!!!」
彼女、パーシヴァル・オルティマンは盛大に吐いた。
_____私の貴重なスカートに。
いつもありがとうございます。
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