19
エドアルド視点
「エドアルド様、いい加減1度休憩を挟みましょう。
酷い顔色ですよ。使用人が怯えていますし、何よりお身体に宜しくありません」
資料に囲まれた執務室で無心に文字を追っていたところでオルガの悲鳴めいた声が聞こえてふと顔を上げる。
いつの間にそこに居たのだろう。全く気が付かなかった。
というか、顔色が悪いのはお前だろう。
「問題ない」
「問題なくないから言っているのです。貴方のその機械か何かの如く仕事を片付ける姿勢は尊敬に能い致しますが、仕事に逃げる癖は承服致しかねます。」
「おい、何をする」
手にしていた書類をひったくられて、どこかよれっとしたオルガが深いため息をついた。
なんだその憐れむような顔は。
別に仕事に逃げてなどいない、やるべき事をしている迄だ。
そう言い返すと、何ヶ月先の仕事まで片付けるおつもりなんですか、とまたもやため息をつかれた。
白状しよう。
俺はライリーが消えてから参っていた。
さすがに、ショックだった。
たしかに俺はライリーを冷静さをかいて追い出してしまった。
でも、まさか、辞めるとは思わなかったのだ。
翌朝1番に彼……彼女の部屋を訪れたが、そこはもぬけの殻だった。
その時の衝撃と言ったら、筆舌に尽くし難い。
呆然とする俺を真っ青な顔をしたオルガが追い立て、漸く気を持ち直して領地中を探し回った。
しかし、どこにも、どこにもライリーはいなかった。
どうやってこの領地を一晩で抜けられたのか分からないけれど、とにかく徒歩では無理だろう。
協力者がいる?いや、攫われたのか?
悪い方、悪い方へと考えが向かい、指先が震えた。
兎に角、急いで近くの砦の騎士にライリーの捜索願いを出したが、3ヶ月たった今も彼女は見つかっていない。
「心配なのは分かります。
ですが、それで貴方が体調でも崩されれば元も子もございません。
貴方はハインツ領の民の命を預かっているのですよ」
「……すまない」
まるで叱られるこどものようだ。
ぼんやりそう思って視線を伏せるとオルガはまたしてもため息を産み落とした。
………おい、ちょっとため息つきすぎではないのか?
幼い頃は俺とオルガ、揃ってオルガの母君に叱られたものだが、まさかこんな歳になってこいつにガミガミ言われることになろうとは、思いもしなかった。
「……これだから、遊びを知らない拗らせ男はダメなんです。まったく、前当主のおかげで色恋に潔癖になってしまったのは仕方が無いこととして、もっと大人の余裕は持てないんですか!」
「……悪い」
「だいたいね、あのライリーが、あの図太くて強かで丈夫な彼女がそう簡単に死にますか!………問題には大いに巻き込まれそうですが……、とにかく、私が彼女を見つけてきますので、貴方様はお気になさらず、とりあえず休んでください。
幸い数週間先までは粗方仕事が片付いておりますので。
…………いいか、エド。寝ろ。とにかく、寝ろ。
今すぐ自室に戻ってベッドで寝ろ!部屋を出てきたら、ただじゃおかないからな」
「……あ、ああ」
オルガのクマの浮かぶ顔が冷たく凍てつく。
疲れきった鋭い目付きでギロりと睨まれて俺は目を丸くした。
こんな口調のオルガを見るのは何年ぶりだろうか。
相当頭にきているのか、それとも疲れすぎているのか。……或いはそのどちらもか。
本当に、こいつには苦労をかける。
追い出されるように執務室を出て扉が閉まる寸前で口元に笑みが浮かんだ。
俺はどうやら、人材に恵まれているらしい。
この執事といい、あの執事といい、自分の為にこれ程己を犠牲にして尽くしてくれる者も滅多に居ないだろう。
「ありがとう、オルガ。
ライリー探しはいい。明日から俺がする。
それよりお前もひと段落着いたら、寝ろ。酷い顔だからな、当主命令だ」
それだけ言って扉を閉めると、半笑いのようなため息が聞こえた。
ーーーーーーーーーーーーー
「お、やっほー兄貴、元気ー?」
翌日、起こしに来たオルガは幾分かスッキリとした顔をしていた。
俺もなんだか気分が落ち着いたし、やはり休むことは大事なのだな。
着替えをして、今日の予定を聞きつつダイニングへと向かう。
ふむ、今日は特に急ぎの案件はない。王都や城へ行かねばならない用事もない。
ライリーを探すのには丁度いい。
そんなことを思いながらダイニングの扉を開けると、この呑気な声がした。
「……アルフレド…、何故お前がここにいる」
騎士らしくさっぱりと整えられた黒髪に蜂蜜色の瞳。
俺とは違い柔和な印象のそれがふにゃりと形を変えて、口角が上がりっぱなしの唇が引きあがる。
「はぁ?何故って…実家じゃん。ていうか、俺呼ばれて非番の日わざわざ使って来てやったんだけど。ねえオルガ」
「は?」
ぐるりとななめ後ろにいるオルガを見ると彼はごほん、と咳払いをした。
どういうことだ。何も聞いていないぞ。
じとっとした目を向けるが、オルガは頑なに目を合わそうとしない。……コノヤロウ。
俺とアルフレドは正真正銘血の繋がった兄弟である。
3つ下のこの弟と、兄弟仲は悪くない。
が、しかし、破壊的にウマが合わない。
軟派すぎるアルフレドを俺は理解できないし、アルフレドはアルフレドで堅物おおくそ真面目野郎とか思っているに違いない。
そんな、なかなかハインツ領にさえ寄り付かないこいつが何故ここに。
そもそも、こいつは王都で騎士をしていたはずである。馬車で5時間近くかかる王都で、だ。
「で、話って何?火急の問題とか兄貴の一大事とか手紙に書いてあったから俺、てっきり兄貴が病気にでもなったのかと」
「……おい、オルガ」
「なんですか。間違ってはいないでしょう」
澄ました様子のオルガを睨んだところでアルフレドが状況が読めないらしく首を傾げる。
それから、ややありなにか思い至ったのか顔をそむけた。
「………やばい、やばい、これ、すげえめんどくせえことに巻き込まれたんじゃ……まじかよ、来るんじゃなかった!…すっかり忘れてた……あああ、馬鹿だろ俺」
掌で顔を抑え何やらボソボソと呟くアルフレドに眉を顰める。
何を言っているのかは恐ろしく早口なのと、くぐもっているせいで聞こえないが何故だかオルガは笑みを深めた。
「アルフレド様、まずはおもどりいただき感謝致します。
それから、この度お呼び立てしたのは他でもありません」
「はぁ……あんな書き方されたら否が応でも戻ってくるさ」
手紙のことを言っているのだろう。
オルガが一体どんな文面の手紙を出したのかは不明だがこのアルフレドの死んだような目を見るに大方想像はつく。
アルフレドは俺とは違いよく言えば素直な方であるし、悪くいえば単純である。
少なくとも、酒、女に目がない理性をどこかに置き忘れてきたような、いつまで経っても少年のようなこいつは、この、腹の中真っ黒のような計算尽くの男にかかればさぞ御しやすいだろう。
…………アルフレドは王都で騎士をやっているはずだが、本当にそれでいいのか、国は。
「アルフレド様が情に厚いお方で私は嬉しいですよ。
実は3ヶ月前、ライリーが失踪いたしましてね」
ギクリ、どう考えても肩が跳ねた。
目を細めて顔を背ける俗に言う“女受けする甘いマスク”の弟は、なんというか、可哀想なほど形無しだった。
俺はと言えば、そのアルフレドのわかりやすい反応に片眉を上げた。
どう見ても何か知っていますと言わんばかりのそれに。
「ハインツ領はもちろん、この辺りを必死で捜索しておりますが、一向に見つかりません」
「へ、へぇ…」
「ある日、突然出ていってしまいまして」
「そりゃあ、心配だな」
「近隣の騎士にも捜索願いを出しておりますが、それも虚しく…」
「ほ、ほう」
「エドアルド様をはじめ私共、使用人一同心配で心配で、夜も眠れず」
「そ、そっか…」
アルフレドの蜂蜜色の瞳が忙しなく泳ぐ。
それはそれはもうばっしゃばっしゃと音を立てているのではないかと思わんばかりだ。
もう、確実に何か知っている。確実に。
「そこで、アルフレド様は王城騎士様であらせられる」
「まあね…」
「王都では人も情報も多分に飛び交っておりましょう。
これだけ探して居ないのです、もしかして王都やその近くに行っているのかも知れませんし、まあ、とにかく貴方様ならなにか情報を掴めるのでは、と…」
「……あ、ああ、オルガ、悪いけど俺は……」
「ライリーはとても図太く生命力が物凄そうではありますが、如何せんトラブルを寄せ付ける体質ですし」
「うん……でも、俺は」
「あんな華奢なライリーがどこかで酷い目にあっているのではないかと、エドアルド様は気が気ではなく……。ほら、ライリーってあんな性格のくせに割と綺麗な顔立ちですし」
「……ま、まあ、女の子が1人でって考えたら心配だよな…」
にんまり。
その効果音がぴったりな意地の悪い笑顔を浮かべたオルガと目が合う。
ああ、我が弟は本当に貴族としては致命的なほど嘘がつけない。
だから、特定の恋人が作れないのか。……いや、それはまた別の問題か。
それは、そうとして……。
「おい、何故ライリーが“女の子”だと知っている」
忙しなく目を泳がせていたアルフレドがこちらを見て固まる。
「あ」と声を漏らして、顎から汗を滴らせた。




