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「おはよう、ライリー今日のおすすめはなあに」



「おはようございます、マダム・リムレット。

今日は牛乳たっぷりのフレンチトーストがオススメですよ。…ああ、でも先程焼きあがったばかりのクロムッシュもとても美味しそうでした。トマトとチキンが挟んであるんです」



「じゃあ、その2つを貰える?」


「はい、ありがとうございます」



にこりと微笑むとマダム・リムレットも穏やかな顏を更にほころばせた。


王都に来てから早、3ヶ月。

私は王都の城下町の一角にある小さなパン屋で雇ってもらっている。


夫婦で営んでいる小さなこのパン屋は目立たないながらも根強いファンが多い、知る人ぞ知る、名店である。

奥さんのマリアンヌさんが妊娠して人手が足りなくなったらしく募集の張り紙を偶然見つけて採用してもらった。

彼女は身重の身でありながらしゃきしゃきと働くし私が本当に必要なのかは分からないけれど、まあ、確かにこの忙しさを今まで2人で回していたとなるとさぞ大変かろう。

むしろどうやって回していたのか、というくらいだ。


私と旦那さんのジェフさんとしては、お腹の子どものことを考えてもう少し休んで欲しいのだけれど、じっとしているのは性にあわないらしい。



お昼すぎにはだいたい完売してしまうので、そのあとは片付けと、お店の清掃とそれから次の日の簡単な仕込みや準備をお手伝いして日が暮れる前には家に帰る。


ここで言う家というのは、相も変わらずセレス様の屋敷のことなのだけれど、これにはちょっとした理由がある。


ちょっとした理由というのも、あの日アルフレド様がやってきた日、あの後すぐにセレス様はアルフレド様を追い返し私は屋敷を出ていった。一宿のお礼と拾ってくださったお礼をして。

結果としてハインツ領から遠く離れることができたのは有難かったから。


けれど、屋敷を出た瞬間に追いかけてきたセレス様に捕まり連れ戻された。


屋敷の前で押し問答をする私とセレス様は他人から見たらそれはそれは、修羅場だったみたいで近くの住人に巡回騎士を呼ばれそうになり、私が折れて慌てて屋敷に入ったのだ。というか、この人こそが騎士ではあるけれど。


「ここにいてくれて構わない、というか他にふらふら出ていく方が心配だし、僕が過ごしたこの数年の空白を慮ってはくれないの?」


とセレス様は言った。

そんなことを言っても私は貴方に何も返せないし、良くしてもらう理由がないと返した。


正直、もう貴族に振り回されるのは疲れていた。

セレス様も私なんかに関わるべきじゃないし、私なんかに囚われていいわけもないし。

自業自得であるけれど、今はそっとしておいて欲しかったのだ。



セレス様は少しだけ傷ついたようにその翡翠の瞳を歪めて、息をつき、それでも譲らなかった。


「僕は案外執拗いらしい。ここ5年間探し続けていたのもそうだけど、行く当てもない君をおいそれと手放すのが惜しい。何より君ってなんかズレてるし心配なんだよ。

僕との結婚が考えられないのならそれでもいい。だから今は、とりあえず家で一緒に暮らして僕を知ってくれたらいいよ。

君は何も返せないっていうけどさ、君がそばに居てくれるだけで嬉しいって、思わない?

何をどう思っているのか分からないけれど、君に求婚した男だよ」


「だから…それは」


「僕が罪悪感とかそういうのを勘違いしているっていうんでしょ?ここ数年で勝手に募らせたおかしな想いだと。

そう思っているなら、一緒に暮らした方が誤解が解けやすいと思わない?ね、僕の為に。嫌じゃないならしばらくここにいて。

大丈夫、今は君の許可無く触れたりしないって誓うよ」


「……今は?」


「うん。今は、まだ。

で、どうする?家賃はいらないし、生活費も僕が持つ。君のことには干渉しないし、君の部屋は自由に使って。

もし、それで君が落ち着かないというのなら、たまに食事を用意してくれると嬉しい」


「辺境伯のご子息様にお出しできるようなものは作れないですよ」


「家を出てからはああいういかにも貴族な食事とは縁遠いさ。

下町の食堂によく行く。騎士仲間も僕も大抵は質より量。

………ただ騎士学校時代に級友が作っていた食材を焼いただけの料理よりはマシだと有難いけど。しかも焼き加減はウェルダンだ」



遠い目をしたセレス様に思わず笑いがもれてしまい、私は頷いた。

庶民料理しか作れないがその味のないしかも焦げてそうな料理よりはマシだと思う。


結果、セレス様の優しさに甘えてしまい一緒に暮らす事になっているわけで、私はその中で以前の執事生活の経験を活かし一切の家事を引き受けた。



私の新生活は実に順調の一言で、セレス様の私へのおかしな恋慕が解けたのかは分からないけれど変わらずやお優しい。

というか、セレス様は騎士らしく誰にでも親切である。

私へ声をかけたのも親切心や騎士道に準じてだったのかも。



一方、私といえば大きく変わったことがひとつ。





「ライリー!お迎えが来たよ。ああ、ほら顔が粉だらけじゃないかい。

仕込みの手伝いはもういいから、早く行ったげな!」



「え、もうそんな時間ですか」



お昼の営業も、完売により無事終了し明日の仕込みをするジェフさんを手伝っているさなか、お腹の膨らみがもう大分目立つマリアンヌさんが、どこか楽しそうな表情でキッチンに飛び込んでくる。


「なんだい、そんなに熱中してたのかい?

ほら、女の子なんだからキレイにして…」



布巾で顔を拭われながらキッチンを出てお店の方にちらりと視線を移す。



カウンターのようなレジの奥に見えるのはもう随分と見慣れた紺色の騎士服。



「本当に優しい恋人だよ。愛されてるね、ねえジェフ」



「……同棲しているって言うのは俺は反対だな」


「いやいや、だからそういうんじゃないんですよ。本当に。彼は騎士らしく善意で私を屋敷に置いてくれていて私は言わば、住み込みの家政婦と言いますか…」


「はいはい、分かったよ。いいから、早く行きな」



ニヤニヤとしながら私の背中を小突くマリアンヌさんが本当に分かってくれているとは思えないけれど、この2人は私達を恋人同士だと思って疑わない。

何を言っても無駄であることはかなり前から分かっている。


以前の私であれば考えられないことだ。

エドアルド様と一緒にいて恋人だなんて思われたことは1度もない。

そりゃそうだ、執事だったし、そもそも男だった。


自分的には何も変わっていないので、不思議な感じであるし、どうしていいか分からないなんとも言えない歯がゆさがある。



それもこれも、私が変わったからだろう。見た目的な意味で。


「セレス様、本日もお勤め、お疲れ様でございました」


「うん、君も」


「迎えに来てくださってありがとうございます。いつも、すみません」


「…いや、帰る途中だから」


店に出ていつもの様に背筋を伸ばして待っていたセレス様に礼をする。

帰る途中な訳はない。

彼の勤務先の城とこのパン屋は逆方向で、彼の屋敷はその間にある。

ここに立ち寄る用事も特にないはずだ。


私は何も言わずもう一度礼をした。



私は王都に来てから、男に間違われるような紛らわしい格好をするのを一切、止めた。

意識して止めた。


きちんと女性用のワンピースとブラウスとスカートを買い揃え、髪も伸ばしている。

セレス様に切られて以来、初めてのことだ。

肩口で切りそろえられていた髪は漸く、鎖骨に届いた。


エドアルド様にいただいた給金は、これらの身支度を整える為に活用させていただいた。


思えば、今までのことは全て自業自得で、男として扱われていたからこそ生き延びてこれたのも多分にあるだろうけど、それと同じくらいトラブルを引き込んでいる。

そして何より、そのせいで誰かを傷つけるのはもうゴメンだ。


そんな正真正銘、女に見える格好をした私とセレス様が一緒にいるとどうやら傍からは恋人に見えるらしい。

きっと執事服のままで髪も短くしたままだったら、そうは見えなかっただろうに。

不思議なものだ。

服装だけで随分と印象は変わるのだから。



「帰ろうか」


「………はい」


穏やかに慈しむような笑みを向けてセレス様が言う。

さも幸せそうに微笑むそれはまるで本当に自分が愛されているのではないかと錯覚してしまう。

……いや、もしかしたら、セレス様は彼自身が言うように本当に私のことが好きなのかもしれない。


そうでなかったとしても、3ヶ月経とうとも彼の深い善意の盲愛は解ける気配が見えないのだ。




私にはまだ、セレス様の言う愛が分からない。

この胸の痛みは何だろう。彼の心を利用しているような罪悪感か、それとも彼に同じ愛を返せない背徳感か。



ちくりと痛む心に反発するようにそっと、目を伏せた。




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